猫救い
奇跡的に自殺は失敗しちまった。
よくはない。
死に直さなければ。
かといって練炭はもうダメだ。
どうせ七輪がなけりゃ燃えないだろうし、眠るための薬もなくなっていた。
医者に行って処方してもらうにも、もう医者代もない。
次に有望なのは首吊りか、しかし……。
俺はぐるりと見回した。
家のなかにはデブの俺が首を吊れる場所がない。
家賃三万五千円のボロ屋だから、ドアノブさえガタついているくらいだ。
「はぁあああー……」
死ぬのも簡単じゃない。
できるだけ楽に、となればなおさらだ。
ああタバコが吸いたい。
灰皿を漁る。シケモクはすべて限界まで吸ってあった。
財布を開ける。四百円残っていた。
よし、タバコは買える。あとのことはあとで考えよう。
俺はジャージのまま外へ出て、コンビニへ向かった。
覚束ない足取りでよたよたと歩く。
踏切に近づいたとき、一匹の猫が道路を渡ろうとしているのに気づいた。
そこへ車がまっすぐ走ってくる。
瞬間的に閃いた。
猫を追い払って俺が代わりに轢かれよう!
俺は両手を振り回しながらダッシュした。
「オラララララー! ほいやー! ほいやー!」
まずい!
猫は驚き、かえって固まってしまった。
もう蹴飛ばすしかないか!
俺はかまわず突っ込んでいく。
だが、足がもつれて転びかけ、アスファルトへダイブする形になった。
飛ぶ!
反射的に猫を抱え、受け身をとって転がる。
車が急ブレーキを踏んだ。
猫も俺も無事。
ずいぶんアクロバティックに車を避けてしまった。
運命はなにがなんでも俺を死なせないらしい。
車のほうはいったん急ブレーキを踏んだものの、
俺の無事を確かめるでもなく、アクセルを踏んで走っていってしまった。
「くそ……」
舌打ちしていると、代わりに後続車が停まった。メタリックグレーの外車だ。
運転席から若い男が出てきた。
二十代なかばといったところか。
高そうなスーツを着て、髪もワックスで整えている。
イケメンかもしれないが、個人的にはいけ好かないタイプだ。ホストっぽい。
「見てたぜ、おっさん。身体を張って猫を助けるなんて、そんなヤツほんとにいるとは思わなかった」
俺は猫を放して立ち上がる。
「い、いろろろあってな……」
薬のせいか一酸化炭素のせいか、舌がまわらなかった。
「そうか」
男は懐に手を入れて分厚い札入れを取り出した。
一万円札を抜き出してこちらに向ける。
「これはいいもん見せてもらった礼だ。うまいものでも食ってくれ」
「ありがたい!」
遠慮なく手を伸ばすと、男は札から手を離した。
ひらひらと舞う札。
俺は取ろうと必死に手を振るうが、札は地面に落ちた。
それを拾う。もらえるなら文句はない。
長身の男は俺を見おろしながら言った。
「怒らないのか?」
「出した札をひここめるていうならぶぶっ飛ばすかもな」
「いいね」
男はさらに名刺を取り出し、今度はちゃんと手渡してきた。
「近所でなんでも屋やってる。社長だ。遊びにくればあんたに合った仕事でも紹介できるかもな」
「ふーん……」
有限会社アクロスザスター
代表取締役 諸戸亮吾と、書いてあった。
諸戸亮吾が聞いてきた。
「あんたの名前は?」
「釘伊丈だ」
今度はまともに喋れた。だんだん回復しているようだった。
高級車の窓が開き、女が顔を出す。
中学生くらいに見えるがいまは平日の昼間だし、みごとな金髪だった。
童顔なだけかもしれない。
女が言う。
「社長、時間」
「そうだったな、あばよおっさん!」
名前を教えたのに、けっきょくおっさん呼ばわりかよ。
諸戸亮吾と高級車は走り去った。
猫もどこか行った。
俺はもらった名刺を眺める。
こんなヤツに顎で使われるのは癪だが、死ねないとなると頼ることになるかもしれない。
だが、できるだけ避けたいものだった。