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S君の死

作者: 藤川修太郎


拝啓 春寒の候、これでもう最後となります。

 僕は、決心しました。もう、生きることは出来ません。死ぬよりほかにありません。決して、死にたくはないのです。でも、もう、生きるのはどうしても無理なのです。これを見た、皆さん、ごめんなさい。非礼をお許しください。つらい思いをさせてしまい、本当にごめんなさい。今まで、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。さようなら。 敬具



 今日はS君の通夜であった。突然の訃報に、私自身、ひどく驚いた。S君とは十年来の付き合いであったので、それだけでも私の気持ちを落ち込むのを避けられなかった。更には、S君は私に一言も言わずに行ってしまった。これを私は、ひどく恥ずかしく思った。何故、S君は私に何も言ってくれなかったのだろう。言ってくれたのならば、何かできただろうに。が、私よりはずかしめられたのは、S君とお付き合いをしていたKさんである。通夜のときの彼女の姿は、見るに忍びなかった。失礼なことは重々承知であったが、私はつい、彼女を見る度に、忽ち顔を背けてしまったほどである。彼女に漂う悲愴感は、もはや言葉にするすべの見当たらぬほどであった。

 そして、私は今日、S君について、私の思うところを綴りたく思い、この筆を執ったのである。

 S君と私とは、中学の折に互いに知り合った。私は、その頃より、今にも続く厭人えんじん気質を、既に身につけていたので、S君としっかり交流するようになったのは、ふたりが偶然同じ高校へと進学した後のことである。S君は、清廉せいれんな心を持つ、誰にも誠実な好青年であった。私の今まで出会ってきた人間のうち、S君ほどの好人物はいないように思われる。これは決して、S君の名誉を保つためのお世辞などではない。これは厳然たる事実であった。少なくとも私の知りうる限りでは、彼ほどの好人物は一人もいない。彼は、いつでも、誰にでも、優しかった。どのような立場の人間とも、分け隔てなく、等しく接していた。たとえ、その相手が、ほとんど全てのクラスメイトからさげすまれいじめられている、酷く貧しい家庭の育ちの子供であったとしても、S君は、いつでも、周囲のほかの人たちに対するのと等並ひとしなみに、彼を扱っていた。のみならず、折に触れて、その虐めをなくそうと、皆に訴えていた。悲しいかな、それが実現することはついぞなかったのであるが。このエピソードだけからも、もう既に、十分なまでに、S君の素晴らしき人となりが、諸君にも見えてくるだろうと私には思われる。S君は、稀代きたいの好人物であったのである。が、その事実こそが、彼を生涯に渡って苦しめたものであるのかもしれない。彼の優しさの裏側には、表裏一体的に、それをしのぐほどの苦悩を胚胎はいたいしていたのかもしれない。それに私はついぞ気づくことがなかったのである。――否、それは、真っ赤な嘘である。もう、今となっては、何も包み隠さず、すべて真実を言おうと思う。S君のためにも、もう、うそぶいてはいけない。実のところ、私は、彼の苦悩を十分なまでに感取かんしゅしていた。が、私は自分の多少の忙しさに甘えて、彼への配慮をまるで怠っていたのである。彼ならば大丈夫な筈だ。どこかでそのような、酷くあまい、独善的な期待をしていたのである。が、それは、畢竟ひっきょう、一昨日、S君の死という、悲劇をもたらしてしまったのである。私の浅墓あさはかな考えが、この取り返しのつかぬ出来事を導いてしまったのである。私は今、この文章を、わななきわななき、したためている。私は、今、慚愧ざんきの念に圧し殺されそうになりながら、この文章をしたためている。どうにか、無理にでも、机に向かって、そうしてこれをしたためようと、数時間前の私はかたく決心したのである。何故、S君でなく、私なんかが生きているのか。何故、S君のような正しき人間が死に、私のような下卑げびたる存在が、今となっても恬然てんぜんと生き続けられているのだろうか。恐らく、私のような半端ものには、自死という行為を成し遂げることさえできないのであろう。S君は死ぬとき、筆舌ひつぜつ尽くし難いほどの恐怖にさいなまれた筈である。S君は震駭しんがいした筈である。寸毫すんごうも、この先何が待っているのか分かりようのない真っ暗闇の只中に、非常なる恐怖を感じたのに相違ない。が、それでもS君は、死の方を選んだのである。彼がこの世で生きる中で感じていた苦しみは、どれほどまでのものであるのか。この私には、到底わからないであろう。一生かけても、わからぬものであるかもしれない。彼は一人孤独に、いつもその苦しみと戦っていたのである。この故に、一睡もできぬ夜が、何日も続いたことさえ或いはあるかもわからない。彼は、ただ一人、誰にも頼らずに、暗然あんぜんと、その苦しみと戦っていたのであろう。もはや、生きながらにして、堕地獄だじごくを感じていたことであろう。彼は、いつまでも孤独のままであった。ついぞ誰にも、彼の抱える苦悩というものが、理解され得なかったがために。

 私はこれからS君の分も、うんと生きなければならない。彼が見なかったこの世界を、あたう限り見届けようと思う。そうして、金輪際こんりんざい、彼のような不幸な人間が一人も出てこないよう、あたう限り、努めてみようと思う。


 末筆ながら、私は、S君へと、心からのお詫びを、それと同時に、心からの感謝を、ともに申し上げたく思う。


 そして、最後に切に願う。


 S君の、安らかに眠らんことを。

これはすべてフィクションです。

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