22 探偵ごっこ
残念ながら、ネットでは確たる手掛かりは得られなかった。
可能な限り九州の歓楽街のホームページを持つ店を閲覧したが見つけられなかった。仮に整形などしていなくても女はメイクだけで全くの別人になれる。それに顔を出しているのはいずれも美玖よりはるかに若い子ばかりで三十代後半らしき女性などはほんの少ししか顔出しがなかった。
ネットでの探索はそこで中断した。
スポットの仕事も後が続かなかった。手持ちのを全部納品し終わるとやることがなくなった。正規の仕事を探すべきだったが、やる気が全く起こらなかった。
それで、あの山荘の町へ向かった。高速を使えば二時間もかからなかった。
夏樹の母親の名前は、庄司雅子。旧姓なら皆川だ。
最初に訪れた時は近所のみ、それも年配の男性、おじいちゃんがほとんどだったので、近くの小中学校の付近を中心に二日ほど、その年齢と思しき男女に写真を見せながら訊いて回った。なにしろ美玖も調査されたことはあるが調査するのは素人だし、初めてだ。全く勝手がわからない。
よくよく考えて、その年齢なら昼間は仕事をしているはずだと気づいた。家庭の主婦ならスーパーにいるかと思い、まずそこに行った。それらしき年齢の人に声を掛けた。不審がられて「急いでるから」と話も聞いてくれない人が半分以上。それ以外は聞いてはくれたが「知らない」「わからない」ばかりだった。夕方まで粘って、夜はその町の大きくない飲み屋街に夕食を兼ねて二三軒、居酒屋を回ってみた。
最後の店でようやく兄のほうを知っているという、夏樹の母親と同年代らしき男性に出会うことができた。
「ご存じなんですか、お二人を」
スーツ姿の小腹の突き出たその中年男は、カウンターに肩ひじ突いてスルメを齧りながら美玖をニヤニヤ眺め、下卑た笑いを浮かべた。
「そのアニキの方ね。ヨースケ、だったかな。オイ、覚えてねえ? 東京の大学行って体壊して戻ってきたじゃん」
小腹男はカウンターの中の店主に問いかけた。こちらも同年代なのだろう。中学か高校の同級生、そんな感じだ。
「あ、あれかいつも体育見学してたヤツ。ミナガワ、ヨースケって言ったっけ」
「おお。それだ。頭いいヤツだったなあ・・・」
スルメのカスが歯に挟まったらしく、楊枝を使わずに指をそのまま口に突っ込んでいたのが気持ち悪かった。
「お姉さんはさ、どういう人なの? ミナガワとどんな関係?」
「この、妹のマサコさんに昔お世話になりまして。実家に戻っていると聞いてて、近くまで来たもんですから寄ってみたんですが、引っ越したみたいで・・・」
「そおだったかあ・・・。それは、残念だったねえ」
「俺ら、あんま一緒に遊んでねえから。それしか覚えねえなあ・・・」
店主が申し訳なさそうにそれを受けた。
「妹さんの方は、ご記憶ないですか。二年下なんですが・・・」
「ないねえ・・・。女子だと、高校は女子高行ってたりするし、しかも二コ下だと全然だね。当時の同級生の女子なら何か知ってるんじゃないかと思うけどねえ・・・」
「お前モテなかったからな」
店主が揶揄うと、
「うるっせーわ。お前に言われたかねーよ」
彼はお猪口を煽り、徳利が空になったようなので一本差し上げてくださいと店主にお願いした。
「いや、お姉さん悪いねェ・・・」
と、既にデキあがりつつある男は言った。
「その同級生にお知り合いいないですか」
「ううん・・・、ちょっと待ってよ。・・・えーとね、お銚子分はサービスしますからねー・・・」
男は携帯電話を取り出し、しばらくポチポチしていたが、やがて「あ、あった」と声を上げ、そこに電話してくれた。
「おう、久しぶり。元気か。今、電話大丈夫か・・・」
店主が解説してくれた。
「こいつ役場勤めだから顔広いんだ。俺らの2コ下の同窓会の幹事やってるヤツに電話してるんだと思うよ、たぶん」
「お姉さん、コイツ、カノウってんだけどね。彼女ならたぶんたいていのヤツのこと知ってると思う。直接話してみて」
その電話を代わってくれた。
「もしもし。タダノと申します。お忙しいところ恐れ入ります・・・」
電話を終えた美玖はその町役場に勤める男と店主に礼を言って店を出た。
「ねえお姉さんさあ、もうちょっと一緒に飲もうよ」
男には引き留められた。
「ありがとうございます。でも・・・」
「え、なに?」
美玖は男の手に眼を落とし、それをじーっと見つめたあとで、言った。
「その・・・、指輪してらっしゃらなかったら、喜んでご一緒したかったんですが・・・」
「ああ・・・」
大人の男は、もういい。
美玖がその町で得たい情報とはズバリ、
「二人の仲がいつから、どのようなものだったのか」だ。
それは容易ではない。二人にとっては、最も隠したいことだったに違いないのだから。しかも探すのは素人。完全に他所者。時間も資金も潤沢には取れない。
何故それを追うのかは自明だ。それが、夏樹の出生と戸籍上の両親の結婚に関わる情報だからだ。やみくもに探しても無駄だろうと思っていたから暗闇に光明を見た思いがした。
もう夜も遅かったがその女性は独り身らしく、今すぐ来てくれれば会えると家まで教えてくれた。
酒が入ってしまったので彼女のマンションまではタクシーで行った。駅からだいぶ遠い、部屋番号を押すオートロック式のセキュリティー。エントランスにロビーまである。部屋番号を押して来意を告げると、スピーカーから待っていてほしいという声が聞こえた。
「今下に降りますから」
落ち着いた大人の女性の声だった。
青いイミテーションレザーの冷たいソファーに座って待った。
スキーリゾートの他にはこれといった産業もない、小さな街には不釣り合いなほどの豪奢なマンション。だが、夜も遅かったので照明も半分に落とされ、何よりも、寒かった。あの峠のバス停で夏樹に出会ってからもう半月になる。この辺りではもう、一足先に冬に入っているのかもしれない。もうすぐ人工降雪機でゲレンデづくりも始まるのだろう。
ほどなくプライベートスペースに通じるドアが開き、深い蒼のドレスで着飾り漆黒のコートを羽織った中年の女性が出て来た。
「タダノ、さん?」
「はい」
女性は「カノウです」と名乗った。ジェルを使って結い上げた髪には微かにメッシュも入っている。彼女は美玖に大きな茶封筒を手渡した。
「開けて中を確認してください」
それは高校の卒業アルバムだった。
「真ん中の三組のページに彼女の写真があります。ミナガワさん、たしか結婚したのよね」
「はい。今はショージさんと・・・」
「・・・そう」
夫がありながら実家に帰って来た。その辺りの事情には詮索しては来なかった。女も四十近くにもなれば、いろいろあるわよね。口には出さなかったが、そんなことを言いたげな風情でその女性は頷いた。
ページの中ほどにクラス別に顔写真があった。三組の中ほどに、夏樹の母、旧姓皆川雅子の顔写真が確認できた。夏樹から送られた写メの顔をだいぶ若返り補正して、やっと判別が出来た。
「そうね。たぶん、この子だと思う。三年の時マサコさんと同じクラスだった。この子が一番仲良かったかな。お弁当いつも一緒に食べてたような気がする」
きれいにエナメルされた指先を追う。その指が、痩せた、おさげ髪の少し陰のある女の子の顔を指す。曳馬恭子。これは何と読むのだろう。
「ヒクマって言ったかな。今はどうか知らないけど、ミナガワさんを知ってるとすればその子が一番可能性が高いかな。ごめんなさいね。わたしが知ってるのはそれぐらい。もう行かなきゃ」
「申し訳ありません。お忙しいのに・・・」
「こんな時間にこんな格好してるから水商売でもしてるのかと思うわよね」
彼女は上品に笑った。
「会計事務所に勤めてるの。独り身だから夜はヒマなの。だから隣町のホテルのバーでピアノ弾いてるの。その後の飲み代と代行雇って帰ってくるとむしろ赤字なぐらいなんだけど」
おほほほ。彼女はそう言って上品に笑った。
「ミナガワさんに会えたら教えてね。この歳になるとだんだん同級生とも疎遠になっちゃうのよね。みんな仕事とか子育てで忙しいし。ヒマそうだからって万年幹事を押し付けられてる身としては、あなたが調べてくれると助かるわ。わたしだってこれでも、いろいろあるのにね。・・・ただし、」
「・・・はい」
「わたしの名前は出さないでね」
叶というその女性は言った。
「それだけ、お願いね。幹事が勝手に個人の情報教えたって思われると、立場上、ね? アルバムは用が済んだらポストに入れておいてくれればいいから」
最後にそう言って、彼女は「出勤」していった。
明日の朝返すことにして一晩借りた。
ホテルの部屋でチューハイの缶を舐めながらアルバムを調べた。
体育祭。文化祭。夏のプール掃除。家庭科実習。バレーボール。卓球。陸上。ブラスバンド。持久走。登校風景・・・。
それぞれに主役がいる。誰かが誰かの脇役にはなるが、それでもみんなどこかで主役を演じていた。
しかし、どの写真にも夏樹の母とヒクマという女だけがいなかった。試しにもう一度最初からページを繰ってみたが、同じだった。一人ずつのとクラスの集合写真の中にだけ顔があった。それ以外のどこにも、二人の姿はなかった。
そういう人間はこの世の中にどのくらいいるのだろうか。主役など一度もなく、誰かの脇役ですら登場しない、ただアルバムの中の名前と顔写真でしか残らない。話題にも上らず、いつしか忘れられてゆく・・・。
誰もいない校庭に落ちる夕陽。アルバムの最後はその大きな写真で締められていた。
美玖はアルバムを閉じた。
安いホテルだからソファーなどはない。ベッドに倒れ込んで薄暗い天井を見上げた。
自分はどうだったろう。思い出すのはプールと夏樹とオートバイ。アルバムに載ったとすれば水泳部での脇役ぐらいか。そして・・・。
卒業アルバムなんて、もう何年も眺めていなかった。それが今どこにあるのかさえわからなくなっている。実家か。それとも元夫にゴミと一緒に捨てられてしまったか・・・。
思い出すんじゃなかった。あのワルの先輩。アイツのおかげで・・・。
いや、それは違う。悪いのは、あんなのに溺れてしまった自分だ。そして今も。あのフリーランスの浮気相手に溺れてしまったから、息子も失ってしまい、ここにいて暗い天井を見上げている。
もうやめよう。こういう時は寝るのが一番だ。
朝食を終えたら、このアルバムの最後にある住所録のアドレスを追って、曳馬という女性の家に行ってみよう。
息子を幸せにすることは出来なくなってしまった。今はただ遠く離れたところから大樹の幸せを願うだけだ。それしか出来なくなってしまった。出来なくしてしまった。だが、人生でたった一人ぐらい、自分の手で男を幸せにしてやりたい。今はまだ中学生の、あの二人目の夏樹のことだけを考えよう。
シャワーを浴びて歯を磨いて・・・。ベッドに潜り込んで、携帯電話の充電をしつつ、夏樹との楽しい思い出の詰まった写真を眺めながら、眠りに落ちて行った。




