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21 年上の女(ひと)


 いつも聴くのは流行りのJ-POPかヒットチャートの洋楽くらいだった。クラシックなんか聴いたことがなかった。その美玖が、わざわざCDショップに行って買ってきたラフマニノフを聴いていた。


 何度も美しい第三楽章だけを聴きながらビールの缶を片手にして夏樹と撮ったたくさんの写真をスクロールしていたらたちまちたまらなくなってしまった。買うんじゃなかったと思ったが、それなしではあまりにも寂し過ぎた。


 と、手にした携帯電話が鳴った。見慣れない番号だった。そういうのはいつも無視してきたがなんとなく、出た。もしかすると仕事の依頼かもしれないと思ったのだ。


 それは仕事の依頼などではなかった。


「もしもし、ミクさん?」


 その声を聴いただけで、ここ数日の就職活動やその他の有象無象の憂鬱事が全て吹き飛び、あのタンデムの旅で味わった、甘い感情に襲われた。


「ナツキ・・・」


「ミクさん、元気?」


 本当はあの日々を思い出して堪らなくなっていた。今すぐ会いに行きたい。その言葉が喉から出掛かったが、堪えた。自分がそれを言ってはいけないと思った。


「・・・うん。まあまあかな」


 やっとの思いで、そう応えた。


「これ、誰のケータイなの?」


「オレの。持たせてくれたんだ。また知らないうちにいなくなられると困るんだろうね」


 ちょっと見ないうちに、夏樹はまた逞しくなったような気がした。また、あの可愛い身体を掻き抱きたくなって堪らなくなってしまった。


「じゃあ、これからはここにかければいいのね」


「ほんとはそうしたいんだけどさ、通話履歴とか知られるとミクさんに迷惑がかかるような気がするんだ。オレに用がある時は公衆電話からかけてきて。二回鳴らして切る。そしたら、オレが公衆電話からミクさんのこのケータイにかけ直す。どう?」


「・・・面倒だね」


「絶対イヤなんだ。ミクさんに、迷惑掛かるの」


 胸が、キューンとした。


「・・・そう。心配してくれるんだね。ありがとう」


「・・・あの曲、聴いてくれてるんだね」


「ああ・・・。うん。気に入っちゃった。素敵な曲だよね」


「なんか、嬉しいな・・・」


 そうだ。感傷に浸ってばかりいるわけには行かない。夏樹に伝えねばならないことがある。


 まず、弁護士に相談したことを報告しなければと思い、法務局に行ったこととあの悪徳弁護士とのやり取りとを話した。


「整理するとね、あの山林を相続する権利は100パーセント、あんたのお母さんにある。でも、もしお母さんが見つからないままなら、あんたが代わりに相続する。100パーセント。


 でもね、ナツキ。ここで問題なのはあんたがまだ未成年だってことなの。そうなると、事務手続きや相続税の問題とかでどうしてもお父さんの手を借りなくちゃいけなくなる。一番肝心なのはお父さんとお母さんの今後のこと。それからあんたの親権なの」


「シンケン?」


「あなたの親だという権利のこと」


 すぐには理解できないかもしれない。要するに一刻でも早く母を見つけねばならない必要性が高まったということを伝えたかった。


「それでね。あたし、もう一度あの山荘の町に行って調べてこようと思うの。何か手掛かりがあるんじゃないか、ってね・・・」


「ミクさん一人で?」


「うん」


「そんなのダメだよ!」


 夏樹の口調は、強いものだった。


「これはオレの問題なんだから。これ以上ミクさんに迷惑かけられないよ」


 いつの間に、この子はこんなに強くなったんだろう。頼もしいと思った。


「迷惑なんかじゃないよ。迷惑なんかじゃない!」


 美玖はキッパリと言い放った。


「あんたが好き。あんたが好きだからやってる。あんたに幸せになってほしいから。だからやってる」


「ミクさん・・・」


「それでね、ナツキ。お願いがあるんだけどな」


「なに?」


「お母さんの写真を送ってほしいの。できればおじさんのも。ある?」


「母のは遺影しかないんです。アルバムはいなくなった時に父が処分したらしくて。おじさんのもあったはずなんですが・・・」


「そう・・・」


 強引に、過去を消され、奪われて。自分と同じではないか。美玖の場合は自業自得かもしれないが、夏樹には何の罪もないのに・・・。


「遺影ならすぐ写メして送ります。メアド教えてください。送ったらすぐにメールと通話履歴を消します」


「・・・まだ中学生なのにね・・・」


 本来ならそんな下らないことに気を遣うより他にもっと楽しいことが、やらねばならない大切なことがたくさんある歳だ。あらためて夏樹という少年に深く同情した。


 メールアドレスを口で伝えてやると、


「じゃ、いったん切ります。て、いうか、会いたいよ。ミクさん・・・。いつ会えるの」


「とりあえず、あの町に行って手がかりを探してみる。会うのはそれからにしよう。


 ・・・お金とか大丈夫?」


「大丈夫」


 小さなアルバイトを始めたことと、父から当面の小遣いとして三万円を貰ったと夏樹は言った。


「それに今さ、気持ち的にラクなんだ。あの女がいなくなったし、父の方も家に帰らなくなった。一人なんだよ」


 相変わらず、夏樹は父親のことを「父」という。お父さんとか、オヤジとかじゃない。中学生にもなれば当たり前のようだが、親しみを込めて呼べる肉親が行方不明の「お母さん」だけというのが、なんとも寂しい。


「あんた、たった一人で家にいるの?」


「夕飯はナミの家に呼ばれてる。ナミとも仲良くしてるよ。ちゃんとありがとうも言ってる」


「そう・・・。じゃあ、なおさらあんたは家に居た方がいい。ちゃんと学校に行って、将来のために時間を使いなさい」


「でも・・・。でもさ・・・、ちくしょう・・・。ごめんね、ミクさん」


「なんで謝るの。・・・いいのよ。じゃ、そろそろ切るね。写真、頼むわね」


「うん。おやすみ、ミクさん。またミクさんのバイク、乗りたいよ」


「うふふ。そのうちね。じゃ、おやすみ」


 強がってカッコよく切ってしまった。


 切るんじゃなかった。切りたくなかった。もっと、ずっと、いつまでも彼と話していたかった・・・。


 でも、それは許されない。これ以上話せば夏樹への思いがつのりすぎて、自分が今すぐ会いたくなってしまいそうだった。


 すぐにメールは来た。


 文面には「ミクさん、ごめんね。大好きです。よろしくお願いします」とあった。


 添付ファイルを開くと、あまりピントが合っていない、大人しめな感じの美人の写真があった。特徴のない顔だな、と思った。明日はこれを拡大して焼いてもらえる店を探そう。そしてその後はもう一度あの町へ行き、その後は・・・。


 携帯電話を抱きしめた。


 夏樹に、会いたい・・・。


 折り返し、二人で撮った一番お気に入りの写真を送信してやった。


 


 奈美の家から朝も寄りなさいと言われたが、夕飯だけでも恐縮していたからお礼を言って断った。


 冷蔵庫や戸棚の中は空っぽでカビの生えた食パンがあっただけだった。学校に行く途中にあるコンビニに寄って菓子パンを買うことにして、朝用のパンと牛乳を帰りに買って帰ろうと思った。


 道すがら、携帯電話を出して美玖から届いた写真を見た。美玖はあの曲を聴きながら夏樹との思い出を温めてくれていた。広島からの帰り道に瀬戸内海をバックに美玖と頬を寄せ合うようにして撮った写真だ。結局母に会えなくて落ち込む夏樹を元気づけようとして美玖は気を遣ってくれた。あの帰り道での思い出は一生の宝物だ。生きる勇気をもらった。一個のおとことして立つ力をくれた。また力がみなぎって来た。


 あ。


 でも、これを奈美や父に知られるとまずいな。保存ファイルにロックをかけて暗証番号を設定した。これでよし、と。ウキウキした気分で学校への道を急いだ。


 教室に入ると、沢田が来ていた。


「おはよ」と声を掛けると、ビクッと肩を震わせて、


「おはよう」と返してくれた。


 マズいな、と思った。あのことを気にしているんだろうか。


 昼休みに声を掛けた。


「サワダ」


 また、ビクッ、だ。


「ちょっと、いいか」


 教室の中では言い辛かったから、廊下に出てもらった。とにかく謝っておけばいいだろうと思った。


「きのうは、ごめんな」


「・・・ううん」


 と彼女は俯いたまま首を振った。


「ちょっと調子乗っちまってさ・・・へへ」


「ショージ君・・・」


「あ?」


「昨日のあのひとさ、ショージ君の彼女?」


 俯いたままだったが、声がビミョーに低かった。ドスが利いてた。


「彼女ってかさあ、ガキのころからの付き合いってか・・・、でもやっぱり、彼女、みたいなもんかなあ・・・」


「慣れてたね」


「何が?」


「昨日の・・・」


 ああ、キスのことか。俯いていた沢田の目が光った。


「いつもしてる感じだったね。昨日のみたいの・・・」


「まあ、付き合ってるから、・・・そうかな」


「しかも高校生・・・」


 だんだん、イライラしてしまった。


「あのさ、何が言いたいの?」


「バカにしてるんでしょ、あたしたちみたいの。呼び出して、コクって、って。子供みたいだって、そう思ってるんでしょ」


「ええっ、なんで? なんでそう思うかなあ・・・」


 さっぱりわけがわからない。ここは逃げるの一手だと思った。


「とにかく、謝ったからな。バカになんてしてない。突然乙女心とか、竹刀持たされたりとかでビックリはしたけど。・・・じゃあな」


 五時間目は実験だったから教科書を持ってそそくさと理科室に行った。


 その日のリサイクルショップの仕事はパソコンが三台と古いオーディオセットのリストアだった。アンプが真空管の、年代物だった。


「真空管のアンプは音がいいんだぜえ。マニアなら高く買ってくれるんだ」


 ヒッピー店主はご満悦だった。よほど安く仕入れられたのだろう。


「真空管は手配してあるから、中の基盤の埃を払って、テスターで配線のチェックだけしてくれ。できるか?」


「なんとか・・・」


「デジタルだなんだって言ってもな、このアンプの音にゃ敵わねえ。音楽、特にクラシック聴くなら絶対にアナログだね」


 その日、ヒッピーは三千円もくれた。


 少しホクホクした気分で自転車を漕いでいたら、舗道の向こう側から見覚えのある影が歩いて来た。塾に行く途中だろうか。知らんぷりして通り過ぎたかったが、それこそ子供みたいだから声だけはかけた。


「・・・お、おう。サワダじゃん」


 向こうも驚いたようだ。


「ショージ君・・・」


「部活の後に塾なんて、大変だな」


「ショージ君も?」


「オレ、部活辞めたんだ。今、バイトの帰り」


「バイト? へえ・・・」


「学校には・・・、言わないでくれな」


 笑って見せたら、少し笑ってくれた。やれやれ、と思った。


「なあ、時間大丈夫?」


「え? ・・・少しなら」


 校則で禁止されているが、二人とも私服だったしその日のバイト料が入ったばかりだったので口止め料代わりにハンバーガー屋でシェイクでも奢ってあげようと思った。それで全部水に流してくれれば、クラスのあと半年を気まずくならずに済む。


 彼女は塾の帰りで、いつもは真っすぐ家に帰るからこういうところに寄るのは初めてだと言った。真面目なんだな、と思った。


 ストローから口を離すと、沢田は感嘆したように、言った。


「でも、バイトなんてスゴイね。どこでやってるの?」


「すぐそこのリサイクルショップ。家電とかパソコンのメンテナンスさせてもらってるんだ」


「うそ! すごーい・・・。ウチの学校でそんなの出来る人、他にいないよ」


 沢田は学校でのポニーテールを解き、肩までの髪を自然に流していた。ひっつめじゃないからか、少し優しい感じがした。学校での構えた風が消えて自然体という感じの。


「機械いじりとか、好きなんだ。それにさ、ちょっと今、訳があって金が要るんだ。それで、なんだよ」


「そっか。ショージ君、忙しかったんだね・・・。ショージ君だって、都合があったんだもんね。・・・ウザかったよね。ごめんね」


「もういいじゃんか、お互いに」


 お互いに笑いあえたので、少しホッとした。


「サワダもすごかった。あの気合っての? 正直ビビっちゃってさ。思わず目つぶっちゃった・・・」


「ごめんね。あたしもすぐカッとなるほうなんでさ。でもさすがに防具もない構えてもいない人に打ち込めなくて・・・。


 でもショージ君の方が凄いよ」


 沢田はじーっと夏樹を見つめて来た。少し、アセる。


「普通はああいう時パニックになるか逃げちゃうもん。まともに受けようとする人なんていないよ・・・」


「普通は、って。しょっちゅうああいうことやってるみたいに聞こえる」


「まさか。やらないよ。やるわけないじゃん・・・」


 笑うと意外に可愛いなと思った。


「勇気あるんだなと思ったの。むしろあたしのほうがビビっちゃった。タダもんじゃないなって・・・」


「ホントかよー! ・・・ウソだろう」


 なんか楽しいな、と思った。


 でも同時に、こんな楽しい時間を、ダラダラした時間を過ごしてていいのか、とも思ってしまう。今こうしている間にも美玖は自分のために母の行方を追ってくれている。本当なら、自分自身が駆け回らねばならないのに。


「ちゃんと学校に行って、自分の将来のために時間を使いなさい」


 そう、美玖は言ってくれた。美玖の時間を割いて、自分の代わりに自分のために動いてくれてる。それなのに、のんきにセイシュンを、同級生と楽し気なひと時を過ごしていていいのか・・・。


「身体はもういいの? 風邪かなんかだったの? 一週間も休んでたから・・・」


「・・・ああ。うん。もう大丈夫」


「あのね、休んでる間、気になって教室に見にくる子、結構いたんだよ」


「え、・・・マジで?」


「ちぃだけじゃなくてね、他にも二三人。


 ちぃね、小学校からの友達なんだ。ショージ君のこと相談されてたの。一年の時、同じクラスになってからずっと思ってたんだって。ショージ君がずっと休んでて気になってしかたなくて、そしたら他にも気にしてる子がいるって知って、焦って、どんどん膨らんじゃったんだ、思いが。やっと出て来たよって教えてあげたら、気持ちが抑えきれなくて、同じクラスのあたしを頼って来たってわけなの」


「・・・そうか」


「健気でしょ、ちぃって。でも、ショージ君カノジョいるんだもんね。それをちぃに伝えるかどうしようか、悩んでるの」


「・・・そうか」


「ショージ君、そうか、しか言わなくなっちゃったね」


「・・・そうか」


「・・・話、重かった?」


「いや、そういうわけじゃないんだけど・・・。そろそろ、時間、大丈夫?」


「あ、そうだね。あんまり遅いと親うるさいんだ、ウチ」


 店を出たところで沢田にごちそうさまとお礼を言われた。


「楽しかった。じゃまた、学校でな」


「ねえ、ショージ君・・・」


 くるっと振り向いた瞳がキラリと光った。彼女の吐く白い息が車のライトを透かして煌めいた。


「うん」


「彼女がいるのはわかった。でもこれからも友達として付き合ってくれないかな、あたしと」


「お、おう・・・」


「メイワク?」


「いや。・・・そういうわけじゃないけど・・・。オレはいいよ、友達なら。でも、その、ちぃって友達のことは、いいの?」


「・・・そうなんだよね。・・・でも・・・」


 ヤバいな・・・。


 沢田がこんなに可愛いとは思わなかった。


 必死になって自分の中の何かと戦っていて、苦しんでいるのがわかる。そんな沢田を見ていてどうにも堪らなくなってしまっている自分がいた。


「あ、ゴメンね。あたし、なんだかグチャグチャになっちゃった。ちぃにはちゃんと正直に話してみる。じゃ、お休み。話せて楽しかった」


「・・・う、ん。・・・気をつけてな」


 夜の街を立ち去ってゆく沢田を見送った。


 グチャグチャになっちゃった。と沢田は言った。だけど、夏樹の方がもっとグチャグチャだった。沢田が可愛いというのと、奈美に悪いことをしているというのと、こんなことしてる場合じゃない、というのとが。


 手にたくさん汗をかいていた。気が付くとポケットの中の携帯電話を握り締めていた。


 こんなものを強請ったばかりに、いつの間にかそれに頼りたくなっている自分に気づいた。携帯電話これを使えば簡単に美玖と話すことができる。夏樹はそれを知った。だからか。


 いまここに美玖がいてくれたらな・・・。


 ロックを外してあの美玖とのツーショットを見た。


「なにやってんの! ナミちゃんに申し訳ないと思わないのっ」


 美玖なら、きっとそんなふうに叱ってくれるはずだ。奈美に頼られ、沢田に好かれてるかもしれないが、本当は自分自身が誰かにすがりたかった。美玖に、すがりたかった。


 今、美玖はどこにいるのだろう。自分の街か、それともあの山荘のある街にいるのだろうか。


 たまらなく美玖と話したい。会いたい。今すぐ会いに行きたい・・・。


「ミクさん・・・」

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