20 モテる
奈美と美玖。
夏樹は二人の年上の女と関係していた。二人ともMとSのどっちかといわれればSって感じがした。奈美はイッパツやってからSではなくなり、むしろ可愛くなってしまったが、Sだったころの奈美をはるかに上回るような超ド級S女が現れた。
現れたというか、沢田とは四月からずっと同じクラスだったわけで、その「超ド級S女」ぶりに、沢田の正体に夏樹が気が付かなかっただけだ。
なにしろ奈美のおかげで「女=怖いもの」という意識をずっと擦り込まれて生きてきた。だから、それまで夏樹が同い年のクラスの女子などに注意を払うことなどありえなかった。彼にとって沢田という女子は急に降って湧いた「災難」であるだけだった。
だが、この秋初めて美玖と出会い、美玖のおかげでその公式が崩れた。「女=持っていきようによっては気持ちのいい、可愛くて素晴らしいもの」になったばかりだったのだ。美玖は夏樹の女性観を根本から変えてくれ、母への思慕をあらためて思い出色に縁取ってくれたし、美玖と出会ったおかげで奈美が実はめちゃくちゃ可愛い女であることも知ることができた。ある意味で美玖は夏樹にとっては恩人だった。
その「災難」が貴重な昼休みに自分を呼び出した。道場に来いという。誰が行くか、と思ったが、もし行かないとしつこく絡まれそうだしと思い直し、行くことにした。
給食が終わり、体育館脇の道場に行く途中で物陰に隠れて例のリサイクルショップに電話をした。
「今日はどうですか」
「2台くらいあるけど、それだけで来るのもタイヘンだろ。なんなら明日また電話してこいや。明日ならまとまった数になるかもしれんから」
たしかにまとめて出来る方が効率がいい。それにすぐに現金を稼がなくてもよくなった。なにしろ父から貰った三万円がある。つくづく金があるというのはありがたいものだと思う。心の余裕も、金次第だなと思った。ケーザイというのは大事なものだと悟った。
黴臭い道場には誰もいなかった。奥が柔道部用の畳敷き、手前が剣道部用の板張り。体育館から昼休み中にバレーをして遊んでる奴らの声が響いていた。
「あ、いた」
背後にセーラー服のままの沢田が立っていた。
お前が来いって言うから来てやったんだろうが、と思った。沢田は道場の隅に突っ込んである竹刀を二本抜いた。入り口で上履きとソックスを脱ぐとぴたぴた音をさせて目の前に立った。なんだか凛々しい感じがした。
「はい、コレ」
竹刀を差し出されて無意識に受け取ってしまった。
「勝負しよう」
そう言って一歩引いた。沢田は右手に竹刀を持ち一礼する左手に持ち替え、右手で鍔元を握って正眼に構えた。
なんだこいつ・・・。
「かかってきなよ。・・・どっからでも」
「・・・なんで」
「言ったでしょ」
「性根がどうこうってやつか」
「叩き直してやる!」
「だから、なんで。ここで俺らがチャンバラするとオレの性根が叩き直されてあの子が喜ぶって言うの?」
「ごちゃごちゃ言わないで。来ないなら、こっちから行くよ」
きゃーっ!
突然沢田が絶叫した。アタマ、大丈夫かと心配になってしまった。何で悲鳴なのかなと思ったが、剣道でやる気合というやつだとわかった。
「構えなよ!」
「無理だよ。オレ、やったことねえもん」
「関係ない! 行くよっ。きゃーあっ!」
沢田が上段に振りかぶって前足を蹴って飛び掛かって来たので、思わず目を瞑った。
シーン、となった。沢田のだろう、リンスの香りが漂ってきて目を開けるとすぐ目の前に彼女の顔があり、真っ赤な頬をプルプルさせて息を弾ませていた。竹刀を上段に構えたままだった。頬と同じく真っ赤なプルンとしたくちびるがおいしそうだった。美玖のとも奈美のとも違う、さくらんぼみたいで可愛い。チュッとキスしてやった。
沢田は、腰を抜かして尻もちをついた。そのまま唖然と夏樹を見上げていた。
オレの勝ちだ、と夏樹は思った。
五時間目も六時間目も、沢田は大人しかった。
放課後、体育館に行って部長をしているヤツに退部をしたいと話した。
父からの小遣いだけではダメだ。経済的に独立しなければ。そのためには、働かなければならない。そのためには、部活がジャマだった。全ては母を探すためだ。
「最近調子悪くてさ。この際、ちょっと早いけど勉強に専念しようと思うんだ」
見え透いてはいたが、一番穏当に見えるウソを吐いた。
「・・・そうか」
無理には引き留められなかった。レギュラーではなかったからだろうと思った。顧問の先生に言っておいてくれと言われ、職員室に行き、こういう場合の常套句である「内申に響くぞ」という小言を貰って退部届を出した。
校門を出ると、何故かまた沢田がいた。
「なんだ。まだなんか用か」
「さっきの、・・・どういうつもりなの」
やっぱりさくらんぼは怒っていた。もう、勝手にしてくれと思った。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
「どういうつもりも何も・・・。キスして欲しそうだったからしただけだよ」
「ちょ・・・、何言ってんの! 勝手なこと言わないで!」
「なあ・・・」
脚を止めて、沢田に向き直った。
「もう勘弁してくれよ。オレ、ヒマじゃねえんだ」
ズボンのポケットの中でピロピロという電子音が鳴った。
「あ」
そうだ。自分の携帯電話だ。自分の電話に初めて着信がきたのだ。フリップを開いて耳に当てた。
「もしもし。あたし・・・」
奈美だった。
「おお! ・・・どうしたの」
「う・し・ろ。見てごらん」
振り向くと、高校の制服姿の奈美がいた。電話しながらこっちに歩いて来る。
「お前・・・。何してんの、こんなとこで。部活は?」
携帯電話を畳んで仕舞いながら訊いた。
「休んだ。ちょっとあんたの家で打ち合わせたいことがあるの!」
奈美の顔が赤かった。
こいつ・・・。きっと今朝の電話のせいだ。めちゃめちゃ可愛いじゃねえか。いったい何を打ち合わせるつもりだろう、と可笑しかった。
「この子、誰?」
「ああ、同じクラスの子。じゃな、サワダ。また明日」
夏樹は奈美と連れ立ってバイバイしながら歩き出した。
「・・・助かったよ」
「なんかモメてたの? なによ、あの子」
片手でカッコよく髪をかき上げたりして年上の女っぽく演技してたりするけれど、夏樹が他の女の子と一緒にいたのがあまり愉快ではなかったらしいのが態度に出ていた。
「それがさあ・・・」
家に帰る道々、夏樹は時々吐息を挟みながら一連の出来事を愚痴った。キスしてやったことは伏せて。そこを奈美に知られると大変なことになるのは火を見るより明らかだったからだ。
「・・・それさあ、思われてるってことじゃないのォ」
フン、と鼻で笑いながら、奈美は言った。
「オレがあ? サワダにぃ? まさか・・・」
「マンガでよくあるパターンじゃん。友達の好きな人が自分の好きな人だった。大事な友達のために本心を隠してキューピットしてあげた。ところが好きな人が大事な友達を無下に袖にした。大事な友達を傷つけた。許せない。だけど本心は・・・。ってヤツ。
ホントは自分が告りたいのに、友達の手前出来ない。チクショー、って。だからあんたに八つ当たりしてカランでくるんだよ。急にモテだしたね、あんた。モテ期到来って感じ。よかったねえ・・・」
言葉とは裏腹に、奈美がムッとしているのは夏樹にもよくわかった。
「いいわけないだろ。・・・めんどくせーよ」
と、言ってみるしかなかった。実際、マジでめんどくさかった。
「ま、許すわ。そんなの気にしてないし、あんたも気にしなくていいから。あんたはあたしの前だけ真面目なら他はどうでもいいから」
「なんだよ、それ」
「いいの。とりあえずあんたの家行くよ」
家にはやはり継母の姿はなかった。
「どうしたんだろうね、あの人」
「さあ・・・」
そんなの知るかという気分だった。
制服のまま突っ立っている奈美を後ろから抱きしめた。とりあえずイッパツやってご機嫌を取らねばならない、ような気がした。
「あ、ん・・・」
「さて、打合せしますか、お嬢さん。自分で脱ぐ? それとも、脱がせてほしい?」
一回戦終わって二人でシャワーをした。
セックスをするたびに、奈美はどんどん慣れてゆく。夏樹の一回のあいだに、奈美は三回もイッた。
奈美の身体を流していると、
「ナツキ、晩ご飯ウチで食べなよ。一緒に行こ」
と、誘われた。
「でも、そんなに度々じゃさ・・・」
「もうっ! 遠慮はなし。だってちっちゃいころは毎日来てたじゃん。ママだっておんなじこと言うよ」
シャワーヘッドを奪われ、奈美に流してもらった。
「そうよォ。遠慮しないで。自分の家だと思いなさい。なんなら泊ったっていいのよ。あんたの家のご事情はわかってるつもりだから。パパだって、なんだっけ、ねえナミ。『本当の息子が出来たみたいだ』って・・・」
結局奈美の家で夕飯をごちそうになった。目の前にごはんの御代わりを置きながら、奈美の母もそう言ってくれた。彼女の家に呼ばれるといつもそうだが、テーブルの上には何皿もの湯気の上がる料理が並んだ。母がいなくなってから、そんな光景は奈美の家でしか見たことがない。
「違うよ。『ウチは男みたいな娘しかいないから』って。・・・どうしてそういうこと言わすのっ!」
奈美の家はやっぱり楽しい。それに、あったかい。
「ありがとう、おばさん。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
愉しい夕食を腹いっぱいごちそうになって、奈美の家を辞した。
「ホントに帰るの?」
奈美が玄関の外まで送ってくれた。
「うん。あんな家でもやっぱ自分ちのほうがよく眠れるから」
「・・・寂しいな」
セックスのたびに、奈美は夏樹を失うのを恐れるかのようにオドオドした顔を見せることが増えた。セックスに慣れてゆくのと反比例するような、そんな感じがした。
「おいー。たった二軒隣だろ」
玄関先から少し暗がりに奈美を引き入れ、キスした。
「あたし、ナツキと結婚したい・・・」
「オレ、まだ中学生なんだけど」
笑おうとしたが、奈美があまりにも真剣なのでやめた。
「大人になったら、ナミを嫁さんにする。約束する。これでいいか?」
「ナツキ・・・」
奈美が抱きついて来た。
「どうしちゃったんだろ。あたし、どうかなっちゃったよ。あんたがいなくなるのが怖いよ。怖いんだよ・・・」
二軒隣の家のドアを開けた。奈美がまだこっちを見ていた。軽く手を挙げた。奈美も手を振った。お・や・す・み、と口パクして、ドアの中に入った。
すぐに携帯が鳴った。
「・・・おいー。おやすみ言った意味ないじゃんか」
夏樹は笑ったが、奈美は笑わなかった。
「おやすみ、ナツキ・・・愛してる」
「オレもだよ。おやすみ、ナミ。また明日な」
通話を切った。
しばらく、通話の切れた携帯電話のディスプレイを見つめた。
気がついたら、あの番号を押していた。




