14 ロングツーリング
そこからほど近いビジネスホテルにツインを取った。もっと安い所もあるが、そういう宿はオートバイを盗まれたりイタズラされる恐れがある。都会での宿泊はなにかと物入りになりがちなのだ。
部屋に荷物を置いて近くのラーメン屋で夕食を摂った。夏樹はラーメンにチャーハンにギョーザ二皿のほとんどを食べた。
「よく食べるわねえ・・・。それでそんなに痩せてるんだから、不思議だよね」
「・・・向こうまでどのくらいかかりますか」
美玖はゆっくりと首をイヤイヤするように振って、
「これも全部食べていいよ。その食欲見てるだけで、お腹いっぱいになっちゃうよ」
笑いながらギョーザの皿を夏樹の方に押しやり、ジャケットの胸ポケットから煙草を出して喫った。煙を横に吐き出すと、タバコを挟んだ方の手で頬杖をついて面白そうに夏樹を眺めた。
ホテルの部屋に戻り一日ぶりのシャワーを浴びた。バスルームを出るとベッドの上で道路地図を睨んでいた美玖の横に座った。
「六時間弱、ってところかな、直行すれば。高速使えばもっと早く着くけど二人乗りできないからね、高速は」
さっきラーメン屋で夏樹がした質問への答えだった。
「返事が遅れてごめんね。ああいうところでは、なんとなく、ね」
誰が聞いているかわからないから。そういうことだったらしい。
夏樹は、親に電話もせず家ではなく幼馴染と一緒に泊まったラブホテルからそのまま出て来たことを話した。それに対する美玖の返事が意外だった。
「で、どうだった? 初体験は」
と彼女は言った。そこかよ、と思った。奈美から聞いた情報も話した。捜索願が出ていること。奈美が父から詰問されたこと。それでも知らぬ存ぜぬを貫いてくれたこと。
うーん・・・。
美玖はしばらく腕組みをして考え込んでいた。
「・・・すいません」
と夏樹は言った。
「なんで謝るの?」
「だって、親に電話するふりして、ミクさん騙しちゃったし、結局、巻き込んじゃったし・・・」
「あのね、」
と美玖は言った。
「それがイヤなら、今ここにいないでしょ。そんなことはもう気にしなくていい。
あたしはお金目的とか、イタズラしたいだとかであんたを誘拐したわけじゃないし、騙したりもしてない」
イタズラなら、むしろ望むところなのに。奈美のイタズラとどう違うのか。興味すら湧いていた。
「あんたが好きだから、あんたの力になりたくて、ここにいる。誰に対しても恥ずかしいことはしてない。あんたの親御さんに対してだって、そう言える。
あんたはあたしの友達。友達が困ってるときは援けるのが当たり前。それでいいじゃないの」
夏樹は、一瞬でも邪な気持ちを抱いたことを心の中で詫びた。
「・・・ミクさん。男前すぎるよ」
「あんがとね。ホメ言葉だと思っとく」
「・・・でも、本当に、いいの?」
「あのね、泣きたいなら今夜だけにしてね。あしたからはもう、泣くのは無しだよ」
そう言って目を潤ませる夏樹の頬を優しくぺちぺちした。
再び腕組みに戻った。
自分を騙してまで親の許へ帰るのを拒んだ子だ。仮に帰れと言ったところで、連れ戻したところで、また同じことになってしまうだろう。全てが終わった後で、正々堂々出るところに出ればいい。
問題は現実にどう行動するかだ。
単車で移動しているうちは大丈夫だ。家出人を道路を封鎖してまで検問して探すことはまず、ない。事故やトラブルにさえ会わなければ、ここ一週間ほどは問題ないはずだ。だがあまり時間もかけられない。意外に追手が迫るのが早いかもしれない・・・。
「あんたのお父さんは近々あの山荘に行くんじゃないかな。もしかするともう、これからあたしたちが行くところまで手配が回ってる可能性もある」
「・・・それはない、かな」
「どうして? あんたがいなくなった、そっちに行ってるんじゃないか。それぐらい連絡先知ってれば電話するでしょう」
「だって、父はオレが母が生きてるのを知ったのを知らないんですよ」
「だから、それがあんたにバレちゃった可能性も当たろうとするかも」
「でも、おじさんが死んで母も死んだら財産が入って来ると思ってるような人が、親し気に電話しますか? 」
「うーん・・・」
「親し気じゃなくても、電話し辛いし、仮に母やおじさんがあの山荘にまだ居てオレを匿っていたら、おじさんや母が本当のことを、オレを匿っていると話すとは思わないでしょう」
「それを確かめようとはするかもしれない。自分が行かなくても、調べる方法はあるのよ。人を使ってね」
「どうやって?」
「この世の中にはね、そういうのを調べるのを専門にしてる人がいるの」
ほんの少し前、探偵を付けられて全てを調べられた美玖は、そういうものに無縁で生きてきた人が感じたこともない「手触り」をまだ昨日のことのように覚えていた。
「そこまでやるかな」
「お金が絡むとやると思うよ。あの家が抵当に入ってたのはビックリだったけど、あの山林の存在をお父さんが知ってたら、やると思うな。どれくらいの価値か知らないけどさ」
そこでふと美玖はひらめいた。
法務局など行ったこともないが、土地の登記簿を閲覧するのを依頼することはできるはずだ。弁護士ならできるだろう。
すぐに携帯電話を取り出して、電話した。
「ハイ。ミナミノ法律事務所です」
「ミナミノセンセですか。ハセベミクですが」
「タダノさん・・・。いまごろですか」
あなたはもう離婚なさったでしょう。本当はそう言いたいのを堪えているような口調だった。
「ちゃんと電話したんだからいいじゃないの。どうせ言いたいことくらいわかってるし」
「そうはいかないんですよ。今回協議書の規定を無視してお子さんに接見を図ろうとしたことについては今月一回の面会と認識していただく、その確認をさせていただきませんとね。次回は来月までなしですよ」
「じゃあ、確認しました。これでいいわよね。どうせ、なんだかんだ理由つけて会わせる気ないくせに・・・」
「それについては小職としては関知出来ませんので」
「そんなことはどうでもいいの。ちょっと別件で相談したいことがあるのよ」
「ご用件の内容によりますよ。小職はあなたと利益を争う側の人物の代理人ですから」
「わかってるわよ言われなくても。困ったことがあったら電話しなって言ったのそっちじゃないの」
「あれは、その・・・」
「早合点しないで。相談したいのはあたしじゃなくて、別の人間なの。それにこの件とはまったく無関係。もしかすると手数料めっちゃ稼げるかもよォ。あんなチンケな男の代理人するより、よっぽどね」
「・・・どういうことでしょうか」
ほんの数時間、いやたった二時間前まで、絶体絶命の危機とかいって震えていて、美玖の顔を見た途端に安心して無様にも泣き顔を曝したというのに、ハラ一杯に満たされ、しかもシャワーを浴びて人心地ついたとたんに、ムクムクと反応している息子。
自分でもイヤになるが、こればっかりはどうしようもない。奈美という、初めてを共にした幼馴染兼恋人もいるのに、こればっかりはどうしようもない。
美玖がシャワーを浴びている。
それを想像しただけで反応してしまう、このボク。ビジネスホテルの粗末な薄いガウンを突き上げてノンキに反応している、このマイサン。まだ中学生なのに、もうヤリチンにでもなったかのように、いきり立つこの・・・。
夏樹は股間を抑えてひたすら耐えていた。想像しまいと思っても、どうしてもあの美玖の姿態が、豊満な胸、縊れた腰、豊かなお尻が脳を占領してしまう。
思えば奈美のあの中は気持ち良かった。大変すぎて集中し辛かったが、あの柔らかな感触。それに・・・。きっと奈美が慣れてくればもっと気持ちよくなるんだろうな。しかも、あの奈美の悶える顔としがみついてくる感じが、もう・・・。
「はあおっ・・・」
リフレインすればするほど、悶えすぎてどうしようもない。
どうせ美玖はまだ出て来ないだろう。ダメだ。一回しとこう。それしかない。
ホテル備え付けのティッシュを引き寄せ、ベッドに入って励んだ。基本、毎日欠かしたことがなかった。習慣になってしまっているからどうしてもしたくなってしまう。奈美もいいが、今の夏樹の脳内を占領しているのはなんといっても美玖だった。なにしろ彼女は、すぐそばのバスルームの中ですっぱだかになっているのだ。
「ああっ、ミクさん、ミクさあんっ・・・」
夏樹の脳内で、美玖はその魅力的な肢体で夏樹を悩殺していた。
「どう、ナツキ。これが大人の女よォ」
「たまんない。ミクさん、ミクさん、ミクさあああああああああんっ」
「なあに?」
気が付くとすぐそばにホテルのガウンを着た湯上りの美玖が立っていた。
「へ? おわおおう!」
その瞬間、大々的にやらかしてしまい、夏樹はその対応をせねばならなかった。
「・・・シーツ、大丈夫?」
美玖は髪を乾かしながらのんきに言った。思春期の男の子が女の裸を想像してオナニーするのはごく当たり前のことだ、とでも言いたげに。
部屋の明かりが消されても夏樹は背中を向けて身じろぎもしなかった。美玖の裸を想像して励んでいたのを見られたなんて、あまりにも間抜けで恥ずかし過ぎる。
「ねえ、ナツキ。もう寝た?」
向こうのベッドから美玖の声がした。
「・・・起きてます」
恥ずかしさは消えていない。それどころか、隣のベッドで美玖が寝ていると思うとまた高まってきてしまっていた。
「ごめんね。ものすごく悪いんだけど今夜は大人しく寝てね」
「・・・はい」
今日はあの温泉でのようなハプニングはなしか・・・。くそ、残念だ。
「あのね、ナツキ・・・」
「・・・はい?」
「お母さんのことだけど」
へ?
一瞬で萎えてしまった。
そうだ。美玖に逆上せてる場合じゃない。美玖だってそのために協力してくれてる。それを忘れるな、ナツキ。自分に言いきかせた。
「・・・はい」
と夏樹は応えた。
「おじさんの家に向かう時、楽しそうだったって言ってたわよね」
「はい」
「仲のいいご兄妹だったんだね、きっと」
「・・・たぶん」
「たぶん?」
「あんま記憶ないんです」
「どうして? 」
「どうしてって、・・・ぼやけてるんです。記憶にあるのはあの釣り堀で釣りをしてたのとあの山荘の庭で虫を捕ったりしたのぐらいで。おじさんの顔も、なんとなく、しか・・・。たぶん一緒に遊んでくれたような気もするんだけど・・・」
そうかも知れない。別に不思議ではないなと美玖は思った。
何年も前のことを、しかもまだ小学校の低学年だった日々のことを事細かに覚えているほうが珍しい。夏樹の場合は、いつも沈んだ顔をしていた母が珍しく楽しそうに車を運転していたこと、そしてあの峠のバス停に車を止め母と森を散策をして楽しんだこと。その時の母に感激したか感動したから最も印象に残っていたのだ。だから覚えていた、ということなのだろう。伯父さんのことはあまり印象には残らなかった、ということか。
「おじさんの家で、おじさんと過ごした時間が短かった。そういうことなのかしらね」
返事はなかった。いつの間にか寝たらしい。気が張って疲れていたのだろう。
美玖が相手をしないからつまらなくなって諦めたというのもあるのだろうな。
あの露天風呂のようなことはもうしない。あの時はまだ子供だと思っていたし、大樹という存在と重ね合わせていた部分があった。自分が不用意に裸を見せたせいで昂奮させてしまったのを反省していた。
夏樹から電話を受けた時、年甲斐もなく美玖の女がざわめいたのも事実だった。彼の中の男に微かなときめきを感じてしまった。しかももう初体験を済ませたという。夏樹はすでに男になったのだ。それを知りながら性的な接触などはできない。それでは単なる色情狂だ。それに彼の道を誤らせてしまうかもしれない。とにかく、彼の母の消息が掴めるまではこの件に集中したい。集中すべきだった。
さっき電話した弁護士は明らかに乗り気ではなかった。
「法務局に公図ってのがありますから、それで一筆ごとに謄本を閲覧できます。持ち主の方なら固定資産税の請求書とかありますよね。それに書いてありますから。ご自分でやった方がお金かかりませんよ」
面倒くさそうにそう言い、電話を切った。
バサッと、上掛けの音がした。
寝返りを打った夏樹の脚が書見灯の淡い灯りに浮かび上がっていた。まだ小さくて細いいが、毛脛の生えた筋肉質のそれは立派な男の脚だった。ベッドを抜けて上掛けを直してやった。喉ぼとけも少し出てきている。そのうち無精ひげも生やすようになるのだろうな・・・。
夏樹は今、少年から大人の男への階段の踊り場あたりにいるのだ。長い人生の旅路を歩き始めたばかり。ようやくその道の長さを理解し始め、その最初の疲れを癒すほんの一瞬の小休止の間に、ちょうど今、居合わせているのだと美玖は思った。




