11 My way home
夕暮れの都会の駅はあまりにもよそよそしかった。
知らない赤の他人の波に揉まれ、押されるようにして電車を乗り換えた。不快な気分を紛らわそうと奈美のことを考え、美玖の姿を思い浮かべた。なんとなく家へ向かう電車に乗り、乗ってしまえば当然だが家のある駅に着いた。自然に脚が家に向かってゆく。意に反するがそこしか向かう場所はなかった。こんなに辛い帰宅は、初めてだ。足取りはどんどん重くなった。
何と言われるだろうか。なんと言われても、夏樹には少しも悪いことをした意識はない。親にウソを吐かれ、無理矢理に離れ離れにさせられた母に会いに行った。それのどこが悪いのか。でも、そんな態度では絶対に揉める。もめるのを回避するためには心の中をひた隠しにして、顔は愛想笑いが出来なければならない。面従腹背。それが自分に出来るだろうか。
できないだろうな。
そう結論したのと、奈美の家の前に着いたのとが同じだった。安物の腕時計を見た。まだ七時。奈美はまだ部活から戻ってはいないだろう。ここでウロウロしていては不審に思われるし、あの大嫌いな継母に見つかりたくはなかった。
また駅へ引き返すのはマズい。なんとなく奈美と会えそうな気がして彼女の高校までの道を歩き出した時だった。
「・・・ナツキ」
たった二日見ないだけだったのに、大柄な奈美の姿を見て鼻の奥がツンときた。
「お・ま・えーっ!・・・。ちょっと、待ってろ」
部活帰りでジャージ姿の奈美はそう言って家にはいって行った。
暗がりに身を潜めて、奈美を待った。待つうちに、家に戻ろうかどうしようかという瀬戸際な情況にも拘わらず、
「そこは女らしく『ちょっと待っててね』じゃねーのかよ」
などと一人、ツッコミを入れていた。きっと奈美の顔を見てホッとしたせいに違いない。
「おい! 行くよ」
パーカーにジーンズのミニというごくありふれた姿になって、奈美はスニーカーの爪先をケンケンしながら出て来た。
「どこ行くんだよ」
「うるっさいな、黙ってついてこい!」
道すがら、奈美に根掘り葉掘り訊かれた。
そりゃ、聞くわな。自分だって、もし突然奈美がいなくなってひょっこり還ってきたらやっぱりどこへ行っていたのかと質問責めにすると思う。ましてや奈美には今回の家出を打ち明けてから行ったのだから。
奈美の後をついて駅に向かい、そこから二駅離れたマンガ喫茶に入った。
「誰にも見られずにゆっくり話せるところ」と奈美は言った。確かに最寄り駅では奈美も夏樹も顔を知った人に見つかる可能性がある。そのころはまだ今のように全室パソコン完備の店は少なく、IDを提示しなくても入れた。だから高校生と中学生のペアでも素性を曝すこともなく利用することができたのだ。
ペアシートに並んで座ったが、奈美はまるで夏樹の胸倉を掴み上げる勢いで尋問を続けた。となりのブースとは衝立で仕切られているだけだからあまり声は出せない。ささやき声。ウィスパーでの尋問はこそばゆかった。
「で、そのオートバイの人と旅館に泊まったんだ」
「・・・うん」
突っ込むのそこかよ、オレの母さんのことじゃねーのか。とは思ったが、素直に答えた。
「オートバイの人って、もちろん、男だよね」
奈美は夏樹が視線を逸らそうとすると、すぐにあのデカい両手で顔を掴み、目を覗き込んでくる。
「う、うん」
「まさか、女?」
「ち、違うよ」
「・・・嘘だ」
咄嗟に口元を払ってしまった。もしかして美玖の口紅か? と思ったのだ。夏樹は簡単に奈美のカマかけに引っかかった。
「・・・やっぱりか。なんかへんな匂いがすると思ったんだ。コイツ・・・。キスまでしたのか!」
ウィスパーだが奈美の押し殺したような声はドスが利いていた。
「何言ってんだよ。温泉の匂いだろ」
「正直に言え。そのオートバイの女と温泉に泊まったな? そんで、ヤッタのか」
「確かに女の人だよ。でも部屋は別だった!」
「・・・それも嘘だ」
「どうしてわかるんだよ。見てたのかよ!」
「何年の付き合いだと思ってんの。あんたウソ吐く時すぐ目がシパシパいうからわかるんだよ」
幼馴染というのはこういう時に不便だと思った。
「もう一度訊くよ。・・・ヤッタの?」
奈美は目に見えないナイフを突きつけて脅して来る。負けじと奈美を見返したが、目の力で、負けた。
「・・・ヤッタ、ような、ヤラれた、ような・・・」
「なにそれ!」
奈美は夏樹の胸倉を掴んだ。
「おい、苦しいよ」
「・・・チッキショー、あんだけひとを心配させておいて、温泉で年上の女と優雅にセックスかよ・・・。許せないよ、お前・・・」
それでやっと夏樹もカチンときた。胸倉を掴んだ奈美の手を跳ねのけた。
「なに言ってんだよ! ひとのことさんざんオモチャにして、ヤラしてっていってもヤラしてくれなかったじゃんか! お前にそんなこと言う資格、あんのかよ!」
「しーっ! 声デカいよ」
「うるせーよ。オレ、もう行くよ」
「行くって、どこに」
「どこだっていいだろ。お前にカンケーねえよ! オレは母さんを探しに行ったんだ。ミクさんはスゲー親身になって一緒に探すのを手伝ってくれたんだぞ!」
「ミク、っての。その人・・・」
「そうだよ! お前なんかより、お前なんかよりなあ・・・」
「ヤラせればいいの?」
真面目な顔になった奈美を見て、ゴクリ、と唾をのんだ。
「ヤラしてあげる。そんなにヤリたいんなら」
さすがにその漫喫でコトに及ぶわけには行かなかったので、駅から離れてトボトボ、二人で歩いた。市街を少し出たところにバイパスの入り口があり、そこにラブホテルがあることは何度も電車から見て知っていた。
「車じゃないんですか?」
仕切りで見えなかったが受付のオバちゃんらしき人が聞いて来た。
「そこの飲み屋の駐車場に止めてあるんで」
そんなふうに奈美が応えた。デカいのとドスの利いた声はこういう時役に立つ。オバちゃんは美奈をそこいらの飲み屋のねーちゃんだと勝手に思い込んでくれたことだろう。
部屋に入ると奈美はすぐに服を脱ぎ始めた。
「なにしてんの。あんたも脱ぎなよ」
夏樹は躊躇した。いつもの奈美のイタズラ風味でもなく、何のムードもない。いくらヤリたいからって、これはなんか違う。
「ねえ、あんたがヤリたいって言うから来たんだよ。さっさと脱げよ!」
下着姿の奈美が吼えた。
「やだよ」
と夏樹は言った。
「何でよ」
「こんなのさあ、・・・奈美らしくないよ」
すると奈美が体格に物を言わせて夏樹の身体をベッドに押し倒した。そして強引にキスをした。敢えてタイトルをつければ「制圧」とでもいうようなキス。
「前からシタかったんでしょ、カッコつけんな」
夏樹に馬乗りになって、彼のシャツを脱がしにかかった。
「こんなのじゃ、イヤだ。こんな奈美とじゃイヤだ!」
ようやく奈美は手を止めた。
「まだ誰ともしてないよ。ミクさんが素敵だったから、素敵な人だったからさせてもらいたかった。だけど、暴発した」
「ホントに?」
「嘘ついてどうすんの。オレはまだ、誰ともしてない。お前はシタんだろうけどさ」
「・・・ウソだよ。あたしも」
と奈美もいった。
「付き合ってるなんて、ウソだよ。誰ともつき合ってない。夏樹以外の男となんてしたことない。誰ともしてない。てか、まだあたし処女だよ。あんたに告白してもし嫌われたらって、ウザがられたらどうしようって、あんたといつまでも友達でいたかったけど、だんだん苦しくなって、それでウソついてたの。
あんたが好きなの。ずっとずーっと前から。子供のころからずっとあんたが好きだったの! 初めては絶対にあんたとって、ずっと決めてたのっ!」
奈美は泣いていた。
たぶんこんなに長い時間奈美と見つめ合ったのは初めてのような気がした。美玖のような大人の女性ではない。もうずっと前から馴染んだ匂いのする奈美が、たまらなく欲しくなった。抱きたいと思った。
「・・・オレもだよ。ずっとお前が好きだった」
「・・・キスして」
身体を起こし、奈美を抱きしめた。
奈美が少し上から夏樹の唇に重ねてきた。それをついばみ、それでは到底足りなくて、彼女の首を抱えて唇を押し付けた。美玖とのキスはされるがままだったが、奈美とのはそうではなかった。さんざん自分をイタズラしてきて、おもちゃにしてきたヤツなのに。
今日の奈美はいつもと違った。
デカくてガサツなだけの女だと思っていた奈美が、こんなに可愛くて頼りなげに見えるのは、初めてだ。
「奈美。好きだ。お前を抱きたい」
「・・・灯り消して。恥ずかしいよ」
さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、奈美は年下の女の子みたいに身を捩った。
ベッドのヘッドボードにボタンがたくさんある。そこに手を伸ばしていろいろ押した。灯りがギンギラになったり真っ赤になったりしたが、ようやく求めるボタンに触れるとベッドの足元以外の照明がすべて消えた。奈美をベッドに横たえた。奈美の身体はひんやりと冷たくて気持ちよかった。
「奈美・・・」
「して。なつき、して・・・」
もう一度、キスした。でも、このあとどうすればいいんだろう。
「あんたじゃ濡れなかった」
あの美玖の言葉が引っかかっていた。だけど、今目の前にいるのは美玖じゃない。
「ごめん。この後、どうすればいいんだ」
「首筋。舐めて。夏樹もそうだよね、ここ感じるよね」
お互いに相手を舐めたりキスしたりしているうちにやっとなんだか昂奮して来た。
「・・・ねえ」
「ん?」
「こんな時、そのオートバイの女のこと考えないでよ」
「・・・考えてないよ」
夏樹はウソを吐いた。ウソがうまくならないと、女と付き合うのは難しいと悟った。あーでもないこーでもないと四苦八苦して、何とかそのステップまでたどりついた。
「入れていいか」
夏樹のも、もうはちきれそうになっていた。
「それしないと、終わらないじゃん」
「じゃ、挿入れるぞ」
「ゴム・・・」
「ないよ」
「あたし、持ってる」
すげー、と思った。こうなるのを予想してたのか、望んでたのか。どこからかそれを出してきた。
「こういうの、どこで覚えたの?」
「女の子の雑誌に載ってるよ、いくらでも。・・・いいよ」
奈美は自分から開いてくれた。もう一度キスする。
「ナミ、大好きだ」
「あたしも・・・。なつき、好きーぃ」
抱き合ってキスして見つめ合って、そして・・・。
「ごめん、もう少し・・・。なんか、ちょっと・・・」
「ウソォ、おっきすぎるこれ、全部入らないかも・・・」
お前のせいでおっきくなったんだろうが、と思ったが、言うのはやめておいた。
「・・・やめとくか」
「・・・んん。なんとか我慢できるから。最後までやっちゃって」
「・・・入った。全部入ったぞ!」
「すご、苦し、・・・あんま動かさないでェ・・・」
ここらでキスした方がいいんだろうな・・・。
息を乱した奈美は猛烈にむしゃぶりついてきた。興奮してるんだ。たぶん、キスで痛いのを紛らわせようとしているんだろう。いつものクールな年上の奈美じゃなかった。スゴいエロくて、可愛かった。
「少しなら、動いていい・・・」
「む、難しいな・・・」
「だって、痛いんだもん!」
そんな風に気を遣いながらの初体験だったせいか、あっという間という感じではなくて、なにかの「作業」のような感じがした。だいぶ時間がかかり、なんとか、できた。二人とも汗びっしょりになっていた。でも達成感が違った。
「終わった?」
「なんとか・・・」
「嬉しい。あたし、夏樹の初めての女だ。そうだよね? ここでウソ吐かれるとショック大きすぎるよ」
「それは本当だよ。ホントにホント。こんなに、大変なものだなんて思わなかったけど・・・」
いつもの先輩ヅラしたのでなく、奈美が普通の女の子のように夏樹に抱かれてまどろんでいる。美玖との時と違い、オレの女って感じがする。
奈美は焦ったんだろう。夏樹が家出のついでに知らない年上の女と仲良くなり、セクシーな経験をしたような疑惑を抱いたのだろう。ヤキモチを妬いて、させてくれる気になったのだろう。やっぱ、可愛い。
美玖はこれを自分に残してくれたのかもしれない。昨日美玖と済ませておけば、少なくても夏樹の方はこれほど大変ではなかったと思う。その代わり、終わった後の感動も薄れたに違いない。夏樹は奈美で男になった。思えばコイツのおかげで人並みの男になったのかもしれないのだ。奈美はやっと先行投資を回収できたわけだ。
その奈美がまどろみから覚めた。夏樹の顔を見てニッコリ微笑み、
「嬉しい。しゃーわせ・・・。もっと早くにあんたにしてもらうんだった・・・」
そう言って再び夏樹の胸の上に尖った顎を置き目が合う。
「なつき・・・」
「ナミ・・・」
ほんわかと二人、目と目を合わせる。
と、急に真美は何かを思い出したように飛び上がってヘッドレストのデジタル時計を見た。
「やっばい! 十一時過ぎてる。あ、マズい。着信も・・・。凄いことになってるぅ」
携帯電話を開いて真っ青になっていた。




