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10 別れ


 どうにも収まらなかった。


 こんな魅力的な大人の女性がすぐ手の届くところにいる。二つ年上なだけの奈美などとは比べようもない、素敵な女性が。大排気量のオートバイをぶん回し、落ち込みそうなときはその胸に抱いてくれた。彼女がいなければ、今日までに目的地に着いたかどうかもわからない。残念ながら、母との再会は果たせなかったが、そのショックが半減したのも美玖がいてくれたおかげだ。もし、たった一人でこの事実に直面していたらと思うと、ゾッとする。


 彼女とは、明日にはお別れだ。今、思いを遂げなければ、一生後悔すると思った。


「ミクさん・・・」


 胸が苦しくて、どうしようもなかった。胸だけではない。股間もだ。


「もう寝なさい。明日は朝ご飯食べたら不動産屋と町役場に行くよ」


「・・・ミクさん・・・」


 苦しいよ、ミクさん・・・。


「・・・寝られないの?」


「・・・はい」


「それでも、寝るの」


「・・・ひどいよ。ミクさんの裸見ちゃったんだ。寝られるわけないじゃん。寝ろって言うなら、どうして・・・」


「・・・おいで」


 彼女の布団の上掛けが開いた。夏樹はすぐにそこに滑り込んだ。





 夏樹はすぐに抱きついてきた。胸に顔を埋めて来る。


「ちょっと、ちょっと。そんなにしたら痛いよ。もっと、優しくしなくちゃ・・・」


 こどもだなあ・・・。


 必死になっている若いオスの児戯を高みで見物するような、そんな余裕な態度になってしまう。夏樹のその気持ちだけで、その若い欲望丸出しの気持ちの方が、愛撫より萌えた。


 美玖は若いオスのするがままに任せた。


 きっとガマンしきれなくなって、オタオタしているうちに自滅するだろうと思っていたが、その通りになった。十年以上前の「夏樹」も最初はそうだったからだ。


「終わり? 満足できた?」


 暗がりで夏樹の顔を見上げたら、悔し涙を流していた。


 悔し涙の数だけ男は強くなる。誰かが言ってたのを思い出す。この子はいい男になる。絶対だ。そう、思った。





「満足した? あたしもう一回お風呂入って来る。夏樹も来る?」


 上手くいかなくて無茶苦茶悔しかったが、そんなことを言われて行かない男なんていない。美玖を追って湯殿に行き、美玖と並んで湯に浸かった。


 夏樹は当然のようにキスを求めて来た。それを美玖は人差し指で制した。


「この旅が終わったら、にしよう」


「どうして?」


「どうしても」


「オレ、ミクさんの中に入りたいよ。ヤリたい! ヤラしてよ!」


「無理だと思う」


「だから、どうしてだよ」


「濡れないもの」


 と美玖は言った。


「あんたは可愛いの。とてもそんな気は起きない。可愛いから可愛がっちゃう。だけど、まだ、ね」


 結局先に逆上せて根を上げたのは夏樹だった。


 かなり長湯をして床に戻ると夏樹のイビキが聞こえてきた。美玖を待ちくたびれて、眠ってしまったのだろう。それに今日一日は彼にとって冒険だったに違いない。その疲れが出たのだろう。失敗ではあったが、出すものを出してスッキリはしたのだろう。


 美玖自身欲情はなかったし、仮にあっても抑え込んだだろう。彼の衝動は発散させるに任せた。でも、それ以上に進むことはどうしてもできなかった。夏樹を面倒見ているうちに、どうしようもなく大樹に会いたくなった。思いがつのりすぎてどうしようもなくなっていた。大樹への思いが強すぎて、その煩悶で深く眠れなかった。





 翌朝。


 前夜のことがあったせいか、おたがいにあまり言葉も交わさないまま宿を立ってまず不動産屋に行った。


 看板に名前のあった担当はいたが、なんとあの山荘は銀行の持ち物になっていた。


「抵当に入っていたようですね」とその中年の担当者の男は言った。


「興味おありですか。なら銀行の方へお話しておきますが」


「このまま買い手がつかない場合はどうなるでしょう」


 美玖の質問に、その担当は律儀に応えてくれた。


「銀行さんとしては現状のまま売れる方がいいでしょうけど、もし買い手がつかない場合は上物を取り壊して更地にすることもあるでしょうねえ。でも、あそこは便利がいい所じゃないし、他の土地と抱き合わせで開発することもないだろうし、どうなるかなあ・・・」


 町役場にも行った。


 そのころはまだ多くの自治体で第三者に住民票の閲覧を許していた。その町役場でも簡単に閲覧ができた。それに本来夏樹は第三者ではない。伯父の実の甥であり、母の実の息子だ。だが身分を証明するものが無いし、仮にあっても提示できないので、第三者に甘んじるしかない。窓口の女の人には怪訝な顔をされたが、写しを貰ってそそくさと役場を後にした。


「見せて」


 駐車場でCB750に凭れて待っていた美玖に写しを見せた。


「転出先は広島かあ・・・。遠いね。でもこれで二人一緒にそこに移ったのはわかったね。


 例えば、まず番号を調べて電話してみればどうかな。それなら中学生にも出来る。まず電話でコンタクトを取って、それからその後のことを考えなさい。いいね?」


 憮然としている夏樹を乗せて駅まで送った。


 バイクを降りた彼がヘルメットを取った。顔を見るのが辛かったが、敢えて真っすぐに、まなこを見つめた。


「ここで一度ブレイクしたらどうかな。あんたはまだ中学生。このままお母さんを追うのは、無理がある。これをお父さんに見せるか、ナイショにするかは自分で考えなさい。冷たいようだけど、あたしがこれ以上関わるのはよくないと思う」


 この子は何と応えるだろうか。


 大人の男なら、「そうか、じゃあな。会えてよかった」


 そんな感じだろうか。


 まだ小学生なら、「えー、ヤダよー。どうして行っちゃうの」


 高校生なら、「・・・しょうがねえよな、アンタだっていろいろあるんだろうしさ。でもまた会おうよ。やっぱミクさんとエッチしたい。えへへ・・・」かな・・・。


 中学生の夏樹は何て言うだろうか。並の中学生よりはマセてて、ナイーヴで、ちょっとオレ様が入ってる。ような気がする。そして、芯が強そうだ。この子は絶対いい男になる。彼の強い光を放つ瞳を見て、美玖はあらためてそう思った。


 夏樹に一枚のメモを示した。


「これ、あたしのケータイの番号。辛くてどうしようもなくなったら、かけておいで」


「・・・やだよ。・・・オレのこと置いてくのかよ。これで・・・、こんなんで終わりかよ」


「あたしはいいの。一人旅だし、自由気ままだから。でも、これ以上は、夏樹のためによくない」


「ウソだ。面倒臭くなったんだろう。法律に触れるからって、怖くなったんだ!」


 あまりに激高するので思わず他人の目を、周りを見回した。


「そう思いたいなら、それでもいい。もちろん、それもある」


「ほらみろ!」


 メモを強引に鼻息の荒い夏樹のシャツのポケットに捻じ込んだ。


「いつでも電話してきていい。でも、いったんここでお終い。よければあんたの家に送ってもいいよ。どうする?」


 彼はしばらくジャンパーのポケットに手を突っ込んで俯いていた。


 それからシャツのポケットを探ってメモを取り出し、広げてしげしげと眺めた。


 彼の指がその紙片を千切って風に飛ばすのを美玖は黙って見つめていた。


「ごめんね・・・。オレ、我儘だった。ミクさんにだっていろいろあるよね。むしろ、お礼言わなきゃ。ありがとう、ミクさん・・・」


「ナツキ・・・」


 どうしてこんなに胸が締め付けられるのだろう。


「ここでいい。むしろ、ここがいい・・・」


「・・・そう。じゃあね。元気で。お母さんに会えるのを、祈ってるよ」


 そう言って何かを断ち切るようにCB750に跨ろうとすると、


「ミクさん・・・」


 夏樹が呼び止めた。


「約束、忘れてるよ」


 別れ際に夏樹は少しハニカミながらも笑ってくれた。それで少し救われた。


「約束?」


 ああ、あれか。


「・・・こっちおいで」


 オートバイに跨ったまま夏樹を呼んだ。


 夏樹は美玖に近づいた。


「もっと。もっと、近くに」


 美玖の腿に夏樹の手が触れた。彼のまだ優しい腰を抱きしめ、指先で瞳の涙を拭ってやった。


 少年の唇は柔らくて弾力があって、酸っぱくて濡れていた。


「強い男になるのよ。じゃ、元気で・・・」


 ヘルメットを被り、エンジンをかけた。グラブをした手で「危ないから離れなさい」の意味で夏樹の身体を少し、押した。


 サイドのスタンドを払い、ギアをカコンと入れた。大排気量のオートバイはゆっくりクラッチを繋いで動き出す。美玖はサッと手を挙げた。そして、前を見た。バックミラーの中で手を振っている夏樹の姿が小さくなっていった。


 全部だったな。あの夏樹の中には、子供も大人も、全部入っていた。


 どんな男になってゆくのか・・・。とても興味がある。だが、もう会うこともないだろう。願わくば、彼が母と再会し、母のもとで幸せに暮らしてゆけますように。


 ミラーの中の夏樹の姿はいつしか小さくなり、そして消えた。

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