こんなクソゲー、他に知らない
お金が欲しいので、締め切りギリギリに初投稿です。
いや、これから面白くなるので! いや絶対!
「魔法が使えない、レベルの概念がない、独りだと立ち行かない。富める者はさらに富み、恵まれない者には何も与えられない。……このゲームの要素、だいたい人生と同じだね。とっても現実的」
目の前でたったひとり“赫の龍”を葬った“ユーリ”が、長い銀髪をなびかせながらこちらに向けた顔に、薄い微笑みを浮かべて言う。
「つまり、クソゲー」
ユーリの視線の先、赫の龍に追い詰められてへたり込んでいた“ァィヵ”はムッとして、そのままの体勢でため息を吐いた。
「助けてくれてありがとうございますけど、ユーリさんはそんなクソゲーをどうして続けてるんですか? 日本サーバー第3位プレイヤーにまでなって」
トッププレイヤーに向かって言外に「嫌ならやめればいいじゃん」と言うなんて、身の程知らずだな、と自嘲しつつも、けれど不思議に思ったのも事実だ。ゲームに限って言っても、この世界には遊び尽くせないほどの数がある。クソゲーと罵りながら続ける理由が、ァィヵにはわからなかった。
ユーリは顔だけこちらに向けたまま、余裕そうにあははと笑った。
「まあ、そうだね。これは所詮ゲームで、決して現実ではない。HPが無くなったってリスポーンできるし、わたしの体に変化はない。痛みもない。自由にログアウトできて、そのままログインしなければ現実よりも簡単に……それこそソロのわたしは、誰にも迷惑をかけずに辞められる。それなのに、クソゲークソゲー言いながら続けているのは……わたしがこの世界では、強者だから。勝てるからさ」
首を斬られた赫の龍が、光の粒となって消えていく。跡には素材である“龍の牙”と“龍の爪”、食材である“龍の肉”が残された。ユーリは龍の肉を8割くらいポケットにしまうと、残りのすべてをァィヵに投げてよこした。
「才能がなければ、はじめるのが遅ければ、きっとすぐにでも辞めていた。現実のわたしは弱くて、運が悪かった。このゲームの中のわたしは運が良くて、強かった。同じクソゲーでも、だから楽しい。わたしがこのゲームに入り浸ってるのは、結局それだけの話だよ。わたしは君たちと違って、現実を生きていないから」
言葉を失った。何かを言おうとして、何も言えずに口ごもる。
ァィヵがここに一人でいたのはチームの仲間とはぐれたからだが、ログアウトすればそこに彼らは、同じ部活の仲間はいる。ァィヵは確かに現実を生きているし、ァィヵにとってこの世界は、間違いなく「ゲーム」の中だ。
そんな自分が彼女に対し、何を言えばいいのかわからなかった。
「与太話がすぎたな。まあとにかくわたしはこの世界をクソゲーだと思っているけど、別にそれを押し付けるつもりはないし、同意してほしいわけでもないんだ。実際わたしだって、けっこう楽しんではいる。……ああ、それ全部あげるよ、わたしには必要ないし」
ユーリは悲しげに笑うと、そのまま振り向いて歩き出す。
「なんせ、ソロプレイヤーだ」
ソロだと“小鬼”にすら苦戦する自分と、ソロで難なくドラゴンを討伐したユーリ。きっとこの邂逅は奇跡のようなもので、二度と会うことはないかもしれない。なんとなく、このまま離れるのはいやだな、と思った。
右手の指を2本、右から左にスワイプしてメニュー画面を開くと、去りゆくユーリに向かってチームへの招待を送った。
このゲームの仕様として、フレンド申請を受け取らない設定はできるが、チームへの招待に関する設定はない。ユーリは確かに招待を受け取って、足を止めた。
「……すまないが。わたしはいつでも自由に辞められるように、チームには入らない主義なんだ」
当然のことだ、わかっていたことだ。独りでは生きにくいこの世界でソロプレイを選ぶ人間には、当然それなりの理由があるのだから。
そうでなくとも自分は、彼女に助けられながら反抗的な態度をとった生意気な小娘だ。そんな奴からチームに誘われて、入るわけがない。
ユーリが振り返って、こちらに歩き出す。歩きながら左手でメニューを操作しているらしい。ややあって、ァィヵの目の前に立ったユーリの笑みからは、悲しみの色は消えているようだった。
「だからまあ、無責任に助け合おうってことで、これで勘弁してくれ」
『“ユーリ”さんからフレンド申請が届きました。』
加藤愛がそのゲームをはじめたのは、偶然、あるいは奇跡の産物だった。
発端は、谷千奈々美副部長だ。
「皆さん、Vrettyってご存知かしら?」
「いや当たり前だろ、一昨日から公開ベータテストが始まったっつって、めっちゃ話題になってたし。今や知らない人の方が少ないんじゃないの?」
我らが「ゲーム部」の部室に入ってきて開口一番問いかけてきた谷千に、真っ先に反応したのは詩条司部長だった。なあ? と周りに同意を求め、加藤たち平部員もうなずく。
谷千も皆が知っていることは承知していたのか、部長の言葉に対しては特に何も返さず続けた。
「そう、それでは皆さん、これが何かわかるかしら?」
得意げに、あるいは挑発でもするように、谷千は今しがた自分が通ってきた扉を手で示す。そこには6つの段ボール箱を荷車に載せて運ぶ、黒服の人。名を伊福部さん、この高校にも多額の寄付をしているという豪商のご令嬢であらせられる谷千の、お目付役みたいなことをしている苦労人だ。
「そ、それはまさか……」
詩条が生唾を飲み込む。
「そう! あ・の、”Vretty Real”と”Shitty Life-Works”よ、それも6個!」
「えええ!? あの世界初フルダイブ式VRヘッドセット、世に出回っているのは無料キャンペーンの抽選に当たった5千人の分と、あとはうん十億で完全受注生産した分のみと言われている、あのVretty Realとそのローンチタイトルである”Shitty Life-Works”を、6個も!?」
谷千の声にかぶせるように、詩条がやや大げさに驚いた。加藤はむしろいきなりテンションがおかしくなった詩条の方に驚いてしまったのだが、すぐにまあ無理もないな、と思いなおす。
それほどまでに、貴重な物だった。加藤も無料プレゼントキャンペーンに応募していたが、最終的な倍率で言えば0.5%を切っていたという。当然あえなく落選した。
「わーいわーい、サンキュー谷千! マジ神、天才! よっしゃすぐやろう、今やろう!」
詩条が目をキラッキラに輝かせて箱に飛びつく。生徒会長もやっていて、いつも飄々としてとらえどころのない部長の急な変化に、5人の部員たちはついていけていない。部内唯一の3年生ということもあり、そんな一面を見たことはなかったから。
5人揃ってポケーっと呆けている間に、詩条は箱から中身を取り出し、詩条用のゲーミングベッドに横たわると、頭にヘッドセットを取り付けた。流れるような美しい所作だった。
「リンクスタートぉ!」
詩条は大声を出して、そのまま沈黙した。Virtualの世界に飛びこんだのだろう。
加藤の知る限り、Vretty Realを起動するためにそんな掛け声は必要なかったはずだが。
「……私たちも、やります?」
1年の参坂椿の声に、部員たちはうなずいた。
はじめに出てきたのはキャラメイク画面だ。デフォルト顔がふたつ(そのままでも使えるであろうイケメンと美少女)あり、どちらかを選択してそこからいじっていくらしい。
加藤には、やってみたいことがあった。
女装である。
「女もすなる姫プといふものを、男もしてみむとてするなり」
できあがったのは、金髪碧眼の美少女。”ァィヵ”は加藤の理想像そのままの姿としてそこにいた。
「完璧だ……完璧、ですわ。いや違うな」
話し方は定まらなかったが、そこはまあ追々でいいかと流す。そんなことよりも今はゲームだ。
キャラメイクやインターネット設定(部員たちは詩条にパスワードを暗記するよう命じられていた)が終わると、視界は光に包まれて、目を開けるとそこは見慣れた高校のグラウンドだった。ァィヵはたった今、「Shitty Life-Works」の世界に降り立ったのである。見渡すと、自分の周りに5人、円になって立っている。
「おー、えらく時間かかってたな……って愛もかよ!!」
真正面にいたメガネのイケメン、おそらく詩条と思われる”仏頂”が、思わずといった風に吹き出した。
意味がわからなかったが、よく見回してみると、ァィヵの右隣から順に”おね”(金髪碧眼がァィヵと被っている、190cmくらいある女だ)、”ダブリー”(黒髪ロングで目が見えない、女だ)、仏頂、”あああ”(デフォルトの髪色だけ赤にした感じ、女だ)、そして”かなた”(青髪、人気女児アニメ「ポリリポ」に出てくるキャラを本気で模したのだろう女だ)。つまり「男キャラが仏頂しかいない」。ゲーム部には詩条と加藤ともうひとり、1年の市川拓という男子生徒がいるはずなのに。ちなみに女子生徒は谷千と参坂、そして2年の双葉愛だ。加藤と同じ漢字の名前なので、よく「改名したい」と言っている。
ァィヵは考える。加藤のことを「愛」と名前で呼ぶのはゲーム部では詩条しかいない。そして「ポリリポ」のファンを公言しているのは詩条と参坂のみ、つまりかなたは参坂だ。さらにわざわざ女装をするのにデフォルトのままというのは考えにくい。すなわち市川は、おねかダブリーのどちらか、ということになる。
ふたつにひとつ。50%の賭けだ。
「私の推理が正しければ、市川は……おねさん、あなたですね!」
「あ、はい、そうですよ。まあこの名前よく使ってますしねー」
そういえばそうだ、考えるまでもなかった。そしてダブリーは双葉がよく使う名前だ、こちらも考えるまでもなかった。
急に恥ずかしくなって薄暗い空を見上げると、全体が雲ではない何かに覆われていた。
加藤は無料プレゼントキャンペーンに当選するつもりで皮算用をしていたため、だいたいの操作は説明書を読まなくてもわかったけれど、他の部員たちは何もわからなかった。そのため一度ログアウトして、説明書を読もうということになった。
「ログアウトってどうすればいいんすかね……」
何か「ログアウトできなくなる可能性」を思い出したように、少し緊張した面持ちでおねが言う。
周りからの期待の眼差しを受けて、ァィヵは実際にやって見せた。
「こうやって、指2本を横に振るとメニューが出てくるから……」
全員やっていた。
「ああ、ログアウトボタンあった! よかったぁ……」
言いながら、おねが何か操作をして。
ややあって、おねが消え、跡には石碑が残っていた。
「なんというか……悪趣味ですね」
かなたが消え、石碑が出現する。
「まあ題名からして”Shitty”とか言ってるしね」
仏頂が消え、石碑が出現する。
「おじいさまは株主総会とかで何も言わなかったのかしら」
あああが消え、石碑が出現する。
「ああ、株主だからか」
ダブリーが消え、石碑が出現する。
「……まあ、俺も出るか」
ァィヵが消え、石碑が出現するーーその直前。
真っ黒な体に金色の目をした猫と、目があったような気がした。
「え、まじで!? ァィヵあのユーリさんとフレンドになったの!? 助けてもらった上に!?」
放課後はすぐさま部室へ向かい、Shitty Life-Worksに篭る生活を一月も継続していれば、みんな操作にも慣れてきて、”大きな小鬼”くらいなら、雑談しながらでも戦えるようになった。とはいえ防御力特大上昇の装備なんて持っていないため、油断すればすぐに死んでしまうのだが。
「あー、まあね」
なんとなく学校でこのゲームの話はしづらくて、「ゲームの話はゲームの中で」というのがゲーム部のマナーとしてできあがっていた。
今日の話題は、昨日の”鬼ごっこ”イベント中、ァィヵ以外の全員がデスした後のことだ。
そこそこ順調だった小鬼退治中、突如出現した赫の龍に蹂躙されたチーム「ゲーム部」が”生存報酬”を貰えるかどうかは、唯一生き残ったァィヵに託されていた。しかし他のメンバーは、ァィヵが小鬼や赫の龍を潜り抜けてデスせず安全圏まで逃げ延びるなどとは、もはや誰も信じていなかった。
ドラゴンと人間の間には、それほど絶望的な差があるのだ。
だからこそ、チーム全員の予想を裏切って生存報酬を手にしたァィヵに、誰もが理由を問いただした。
言ってしまえば「玄人に助けられた」という、ただそれだけの話なのだが、その相手が上位勢唯一のソロプレイヤーであるユーリということで、思いの外食いついてきた。
「上位勢って具体的に何がすごいの? やっぱ装備からして違うんだろうけど」
チームで唯一盾を持つ仏頂が、大きな小鬼とその取り巻きたちの攻撃をいなしながら訊いてくる。
仏頂が大きな小鬼の攻撃を盾で弾きとばした隙に、ァィヵとダブリーで懐へと飛びこむ。
「まあそれももちろんありますけど、まず動きが全然違いますよ。私見惚れちゃいましたし」
取り巻きの小鬼たちへの牽制はダブリーと少し遠くで弓を構えているはずのあああに任せ、昨日のユーリの動きを思い出しながら、大きな小鬼に攻撃を重ねる。ももを、脇腹を、背中を斬り上げ、返す刀で右腕を、首を斬る。
「うーん、うまくいかないなぁ。表面しか傷つかない」
このゲームには魔法も、レベルも、システムのアシストも存在せず、装備のない状態では全員が一律の筋力を持っている。つまりこの世界では、人間に可能な動きしかできないのだ。日本のソロプレイヤーで最強たるユーリの動きだって、理論上はァィヵにも再現可能である。
しかし、できない。
そもそも動きを再現と言ったって、ァィヵには速すぎて目で追いきれないほどだった。理解できていない動きを再現することなど、できるはずもない。
「まあ、そりゃそうか。凡人が一朝一夕で天才の真似できたら苦労しないよねぇ」
ため息をひとつ、すぐに大きな小鬼と距離を取る。と、上空から十数本の矢が大きな小鬼に向かい飛んできて、そのすべてが突き刺さる。
「ナイスおね!」
そのまま突進し、剣を心臓にひとつきすれば、大きな小鬼は光の粒となって消えていった。
周りを見ると、15匹ほどいた取り巻きの小鬼はすでに残すところあと1匹となっており、その1匹もダブリーの槍に貫かれて光と消えるところだった。
昨日はァィヵが逃げ帰ってきたためクリアできなかったイベント”鬼ごっこ”が、これにてクリアとなる。
『Event Clear!! おめでとう! 君たちにはクリア報酬と生存報酬を贈ろう!』
目の前に現れる報酬に笑みを零し、ァィヵはまたため息をひとつ吐いた。
「ま、一歩一歩、丁寧に行かなきゃね」
「おつかれさまでしたわ」「おつかれ」「乙でーす」「あっしたー」「うーっす」「ったー」
それは本当に、いつもと変わらぬ放課後だった。
いつものように揃ってログアウトし、あいさつを済ませ、帰宅の準備をしていた。退屈な授業を受けて、部室でゲームをして、帰って、寝る。ただそれだけ、日常の一幕として終わるはずの一日だった。
いつもは眩しいくらいにさしこむ西の夕日が今日は見えなくて、もうそんな季節になったのか、あるいは雨でも降るのだろうか、そんなことを考えながら窓の外を見た。
西の空を覆っていたのは、雲ではなく。
「……虫の、大群……?」
呟いたのは誰だったか。
太陽を隠す黒の群れは、どうやら東、つまりこちらの方へ向かっているように見える。
だんだんと黒点ひとつひとつが大きくなってくる。
「……いや」
願望にも似た誰かの呟きを、しかし詩条が否定する。
やがて姿をはっきりと現したその黒点に、加藤たちは見覚えがあった。
「”刻の龍”……!」
谷千は目を見開いた。誰かが、あるいはその場にいた全員が息を飲んだ。
「離れろ!!」
言うが早いか、詩条が谷千を抱えて庇うように床に倒れこむ。加藤もすぐに窓の近くから退避した。他の3人は初めから窓に近づいていない。
刻の龍が咆哮でもしたのか、地鳴りが響いた。窓ガラスは割れ、破片が飛ぶ。激しい揺れに、立っているのがやっとだ。市川が泡を吹いて倒れ、参坂は腰が抜けたのかへたりこむ。ややあって、緊急災害速報のサイレンがけたたましく鳴った。
サイレンの合間に、機械的なアナウンスの音声が聞こえてくる。
『避難してください、避難してください』
……いったいどこに?
逃げ場なんて、どこにもないように思えた。
「……ああ、確かに」
思い出すのは、昨日の彼女の言葉。彼女はあの時、このゲームのことを、この現実、人生のことを、何と呼んだか。
「クソゲーにも程があるだろ……」