第1幕 4話目
ーーー……か…
ーーー…い、………か…
「おい!生きてるか!?」
はいっ!生きてますっ!
私はばちっと目を覚ました。
同時に、大声で返事をする。
返事をしてすぐに、え、私何の返事をしてんの?と、体を起こそうとして、
「良かった、生きていたか。」
はっきりと聞こえた男の声に、口から心臓が飛び出るかと思った。
私が目を覚ました場所は、私の住むワンルームより少し広いくらいの、簡素な木製の四角いテーブルと椅子、自分が寝ていた簡易ベッドと、その脇に備えられた小さなチェストしか置かれていない、とても質素な部屋だった。
けれどこの部屋には大きな窓がついており、そこからたっぷりと太陽の光が取り込まれて、陰気臭さは微塵も感じさせない。
ちなみに窓にカーテンはついていなかった。
私は、また夢を見てるんだ、と感じていた。
男に木製の椅子に座るよう言われた私は、ひとつしかない椅子を使ってしまっていいのか逡巡して、おとなしく座ることにした。
私が座ったのを確認すると、男はベッドの端に腰を降ろした。
男の態度から察するに、この部屋は男の物なのだろう。
巷ではミニマリストなるものが流行っているくらいだ。こんなに物が無くても生活できるのかも知れない、と密かに感心した。
「で、お前は何者だ?」
男は自分の膝に肘をつき、身を乗り出すような姿勢で私に聞いてきた。
小さな机を挟んだだけの距離にいるその男は、間近で見ると実に綺麗な男だった。
短めに整えられている薄い栗色の髪が、男の動きに合わせてサラサラと靡く。
そして赤みのある茶色の瞳が、私をひたと捉えていた。
窓から差す光を浴びて、最早神々しさすら感じる佇まいだ。
枯れた生活であまり男性に関わることのない私は、都合のいい夢を見ているなぁ、とちょっと高揚した。
ちなみにこの『男性』の中に、患者は含まれていない。
私は男の質問に何と答えるべきか一瞬迷ったが、とりあえず自分の名前を名乗ることにした。
「橘 恵です。」
「タチバナメグミ?」
「私の名前です。」
「タチバナメグミ…変わった名だな。性は?」
「え?」
「ん?」
私は男が、今名乗った名前が全て名前で、名字が別にあると勘違いしていることに気付くのに数秒かかった。
「ち、違います!メグミです!メグミ・タチバナ!」
「メグミ・タチバナ…」
男は私の名前を復唱して、少し考える素振りを見せた。
私はというと、考えている男を眺めながら、夢の中の男に必死に名乗っている自分にちょっと引いた。
あと、イケメンに自分の名前を呼ばれることに、変な背徳感を感じて背中がむず痒くなっていることにも引いた。
いい歳して夢に出てきた男に何を必死になってんの。
…でも、こんなイケメンに自分の名前を呼んでもらえることなんてそうそう無いし。
イケメンに名前呼んでもらえてラッキー!くらいに思うことにしよう。そうしよう。
私の中でしょうもない葛藤が収束したタイミングで、男が口を開いた。
「メグミ。出身はどこだ?」
出身?
実家のことを聞かれてるんだろうか。
「埼玉県の浦和市ですけど。」
「サイタマケン…ウラワシ…」
男は復唱し、眉間を寄せてまた黙ってしまった。
美形の沈黙は実に様になる。私は黙る男を無遠慮に観察した。
そうして数分ののち、
「…すまない。」
男が突然謝ってきた。
私は謝る男の姿に、目を白黒させた。
男はアレス・ヒュプノと名乗った。
アレスはあの後も私に色々な質問をしてきたが、その大半はまず何を聞かれているのかが理解できないことばかりだった。
聞かれた中で答えられたのは、ここにどうやって来たのか、ということだけだ。
しかしアレスは、私の答えにただただ首を傾げるばかりだった。
それもそうだ。
寝てここに来たんです、なんて言われたら誰でも首を傾げるだろう。
アレスは私に魔術を使ったのか、とか、結界はどうやって抜けたのか、等、私からすればどう転んでも答えようがない質問をしてきたが、質問を投げかけて私の動向を見ては、やはりこの質問はやめよう、では次に…といった感じで、殆ど私が答える前にやめては次、を繰り返した。
私はアレスが投げかけてきた質問の内容から、この夢の中には魔法や魔術というものが存在するのだな、と理解した。
ファンタジーな異世界小説ばかり読んでいたからだろう。自分の夢なのだから影響が出てもおかしくはない。
アレスはといえば、一通り質問が落ち着いたのか、今度は私の手に視線を寄越した。
「メグミ。さっきから気になってたんだが、そのカードみたいな物は何だ?」
アレスは私が右手に持つ、スマホのことを聞いてきた。
そう、私は今日の夢にもスマホをしっかりと持ってきていたのだ。
私のスマホ依存もいよいよ本気でヤバいかも知れない。
アレスの様子から見て、この夢の中にスマホというものは存在しないようだ。
「これは、スマホと言います。」
「スマホ?」
「電話とかアプリとかが使えるんです。」
「……。」
アレスは今、この女は変人だ、と思っているに違いない。
それを顔に出さないようにしているのが私に伝わってくる時点で、失敗していると言っていいだろう。
私は、思い付きでアレスにスマホを差し出してみた。
アレスは少し驚いて、スマホを凝視したのち、私に視線を戻して聞いてきた。
「触っても大丈夫なのか?」
「どうぞ。興味がおありのようなので。」
アレスがほんの一瞬迷ったのが分かった。
けれどすぐに表情を消し、失礼、と言って私の手からスマホを取り、しげしげと観察し始めた。
私はスマホを渡す時に、指先に当たったアレスの指の感触に緊張していた。
確かな熱を持った指先だった。
アレスは暫くスマホを見回し、私に何かを訪ねてきた。
が、
「ーーーーーー?」
何て言っているのか分からなかった。
私がぼんやりし過ぎて聞き逃したかと思い、
「え?何ですか?」
と聞き返した。
すると今度はアレスが怪訝な顔をした。
「ーーーーーー?」
アレスがまた、私に何かを言った。
けれど、私はそれが言葉なのかすら分からなかった。
アレスの口は何か言葉を紡いでいるようだが、私にはアレスの声音の雑音にしか聞こえなかったのだ。
「アレスさん?」
私はアレスが急におかしな音を口から出していることに、なぜか凄まじく不安を覚えた。
アレスに私の不安が伝わったのか、私とスマホを数回見比べると、おもむろにスマホを返してきた。
私はアレスからスマホを受け取りながら、再びアレスさん、と名前を呼んだ。
「…メグミ。」
今度はちゃんと言葉として捉えることができた。
私はアレスの口から出たのが変な音ではなく、ちゃんとした言葉だったことに、ひどく安心した。
そんな私を、アレスは黙って見つめた。
赤みがかった瞳が私をじっと見ていることに、正直すごく動揺したが、目を逸らせずに私もアレスを見つめ返した。
どのくらいそうしていたか分からない。
私はじりじりと焦れてきた。沈黙が重い。でも目が離せない。
ーーーコンコンコン
私達の妙な沈黙を破ったのは、控えめなノックの音だった。