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父と母・1 

――アオキは幼いころから身弱でよく風邪をこじらせては熱を出しており、大人になるまでもたないであろうとも言われていたが、僧侶に湯治を勧められ山奥の温泉が湧く村へ静養のために赴くことにした。

 七つのアオキは牛車に乗せられ身重の母親代わりの乳母と一緒に温泉村に向かう。

 幼いアオキには重い身体とすっきりしない頭の中のせいで、この湯治にも心が動かさせることはなく、ただ言われるままやってきているに過ぎなかった。

 供のものは乳母以外に、使用人二人、警護のものが一人で少人数であったが、その村に湯治にやってくる者の中では豪奢で村人の目を引くだろう。知らせを受け取っていた村長がアオキを出迎えるべく村の入り口で待っている。一番上等な着物を着ていたが、それでも使用人より質の低いものであった。


 この村は実は先の戦乱で敗戦した者たちの隠れ里でもある。効果の高い温泉が湧いている場所に逃げ隠れたおかげでここの村人たちはひっそりと質素に、しかし健康的に暮らしているのだ。

 アオキの曾祖父はこの地方の権力者であるとともに先の戦乱で暗躍をしていた。政府転覆を狙っていたが、目論見ははずれてしまう。

 表立っていなかったので彼自身が権力を剥奪されることはなかったが、その時の敗戦者たちを保護し、かくまい続けている。アオキの父の代にはもう敗戦者を探し出し、処罰を与えることは無くなっていたが、村人たちはひっそりと息をひそめて排他的な生活を送り続けており、アオキの一族は代々この村を保護するようになっている。


 牛車の御簾が風で揺れ、外の景色が目に入る。うっそうと茂る名もない草花と雑木が細い道を挟み延々と似たような場所を進んでいる錯覚に陥るが草むらが揺れた瞬間、少女と目が合う。それがユズルハだった。

身体の弱いアオキはいつも乳母と使用人らに囲まれ、他の兄弟たちとは離れて養育されており同じ年頃の子供と遊ぶことも話すこともなかった。


「子供がいた」


 ぽつっと呟くアオキに乳母はもうじき到着する村の子供でしょうと静かに答えた。乳母は母親代わりとはいえ歳は祖母ほどの高齢でやはりアオキの話し相手にはならなかった。

 先ほど一瞬だけあった少女の瞳を思い返す。周囲の大人たちと違い、光を受ける水面のように輝き、澄んだ真っ黒い瞳であった。話だけで聞いたことのあるぎょくのようだと思いながらもう一度見れますようにとアオキは祈っていた。


 牛がウモゥと鳴き、少しの揺れと共に牛車が停まった。

 使用人が御簾の前で「到着しました」と声を掛けると乳母が「アオキさま、参りましょう」とよっこらしょとアオキを先に立たせ車を降りた。

 村長が恭しく二人を出迎える。


「ようこそ、長旅でお疲れでしょう。まずは部屋でゆっくりお休みくだされ」


 車から降りてアオキは目の前の建物を眺める。自分の屋敷と比べると恐ろしく小さく驚いた。そのあと周囲を見渡すとこの小屋より更に小さな小屋が何件もぽつんぽつんとアオキが数えられるだけ建っていた。ほとんどの家が茅葺でアオキは珍しさにキョロキョロ見渡した。


「ささ、こちらですよ」


 浅黒くしわくちゃの顔を綻ばせて質素な身なりの村長がアオキを小屋の中へ促す。薄い木の引き戸を開けると黒々とした土間でアオキは初めて履いた草鞋の裏からでも硬い土を感じる。  乳母は着物の裾を汚さぬようにそっと裾を持ち上げ、ゆるゆると転ばぬように気を付けて歩んでいる。履物を脱ぐように勧められ、二人はやっと建物の中に上がることとなった。

 ギシギシ鳴る板間の上を進むと、屋敷と同じように八重畳が置かれ、それを見た乳母はほっと胸を撫で下ろす。


「静養に参ったのに、余計に具合がわるくなるのではと心配しました」

「何が心配であった?」


 アオキには珍しいものが多く、心配よりも好奇心の方が強かった。


「使用人と一緒に土の上で眠るのかと思いましたよ」

「へえ。皆は土の上で眠るのかあ」

「それは身分のないものですよ」


 乳母は周囲に聞かれないように小声で諭すように囁く。


「さて、少し、そこで休みましょう」

「いやだ。もう少し起きて周りを見たい」

「いえいえ。お熱が出るといけませんから」


 ここしばらく調子が良いと言っても牛車で揺られた身体は疲れが出るはずだ。乳母に諭され、アオキはいつも熱を出しぐったりする自分を思い出し、素直に横たわった。


「ばばも隣で休みますから」


 粗末な布で拵えられた几帳の隣の八重畳に乳母は老体を横たえた。


 日が傾き、部屋に差した西日でアオキは目を覚ました。

見慣れないむき出しの木の天井にハッとして身体を起こし、湯治に来たのだと思い出す。


「乳母や」


 隣に声を掛けたがどうやら乳母はいないようだ。そっと起き出し、壁の隙間から外の景色を覗き見る。

 夕暮れの中、それぞれの小屋から夕げの白い煙が出ているのが見えた。白い煙は細く長く空に昇って行きまるで天と地を繋ぐ紐のようだ。

 飽きることなく見つめていると「ああ、起きてらしたか」と乳母の声がかかった。振り返ると、乳母は単衣の薄衣に見慣れない硬そうな羽織を重ねており、顔は紅潮し白髪の交じった長い髪を布でくるんでいる。

「やれやれ、湯をお先に頂きましたよ。すっかり疲れが抜けたようです。アオキ様は明日ゆっくり入るがよいでしょう」

 乳母は一足先に温泉に入ったようで、いつものかさついた肌が潤っている。

 アオキは言われるまま、軽く粗末な食事をとり、また寝台に横たわり、漆黒の闇の中、することも考えることもなく目を閉じた。


 けたたましい鳥の鳴き声でアオキは目を覚ました。初めて聴く鳴き声にアオキは驚き胸を押さえ鼓動を聞いた。


「なんと仰々しい鳴き声だろう」


 隣の乳母は耳が遠いのであろうか、いまだ寝息を立ている。  アオキはまた昨日の隙間から外を眺める。

 薄く青い空が闇を追い払おうと、地面から押し上げているようだ。黒と青の間に煌めく星が一つ見える。


「ああ、美しい」


 空が白み始めるまで輝き続ける星と交代するように日の光が村を差す。この小屋はアオキの一族がやってきた時にだけ使うもので他の民家とは少し離れ、高台にあり村全体を見渡すことが出来る。一つ一つの小屋は小さいが、この村全体を屋敷としてみれば、都の貴族の屋敷と変わらないかもしれないとアオキは子供ながらに満足した。


 アワの粥と青菜を食していると、若い女がやってきて膳の上に木の器と卵を置いた。


「これは、なんですの?」

「どうぞ。温泉卵です。割って啜られると精が付くでしょう」

「どれどれ」


 乳母が卵を手に取り眺める。


「うーむ。どうやって割ればよいものか……」


 悩まし気な老女に若い女は「ああ、卵を召し上がるのがはじめてですか?」と尋ねる。


「ええ、ええ。見たことはありますが、食すのはアオキ様も初めてです」

「では、わしが手本を……」


 粗末な身なりではあるが、屋敷の女房と変わらぬ所作と言葉遣いで若い女はコツコツと床で卵を叩き、ひびを入れる。アオキも一つ一つの動作を見失わないように凝視する。

パカリと器に中身を開け、若い女はまずアオキの膳に置き、もう一つ卵を割り、今度は乳母の膳に置いた。

白く濁った雲の中に満月隠れているような風情にアオキは微笑む。


「今朝鳴いたのがこの卵の親鳥ですか?」

「ええ、村で飼っているのです。卵はそのままでも良いのですが、温泉に少し浸して食べますと、身体の調子が大変良いのですよ」

「へえ。あのような元気な鳴き声を出す鳥の卵か」

「きっとアオキ様のお身体も健やかになることでしょう」


 若い女は頭を下げて「あとで、また別のものが温泉にご案内いたします」と言い下がった。

 乳母は器の中身をうまそうに啜り、「はて、鳥なんぞ鳴きましたかえ?」と口元をぬぐった。

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