10 熱視線
ヤマブキはクチナシの事が気になり、お忍びでマサキの屋敷に向かう。馬を用意させ、一番低い身分の衣装に変えてしばし都を離れる。
「今度はどちらへお出かけになるので?」
「少しばかり山奥へ参ろう」
「はあ、そうですかあ」
こうしてあちこちに徘徊するように出かけることが少なくないヤマブキに、付き従う従者は乳母の息子で気心も知れている。
「ほどほどになさってくださいよ」
「うん。もうこれきりにする」
「え?」
従者は耳を疑ったが、ヤマブキが女人を求めて動くのはこれが最後とのことだ。二人で馬に揺られながら、都から離れた景色を眺め、風を感じる。
牛車では一日がかりだが、馬は早く瞬く間にマサキの屋敷たどり着く。近くにとりあえず馬を繋ぎ、従者に世話をさせ、ヤマブキは屋敷に近づいていく。
すると屋敷から3人の下女が出てきた。粗末な麻の丈の短い着物に草鞋を履いている。ちらっと見たがヤマブキはもう一度見直す。
真ん中にいる女はミズキになんとなく似ている。木の陰にそっと身を隠し、良く見るととても下女とは思えない品の良さと才気を感じる。
「まさか……」
クチナシが自分と同じように身分の低いものに身をやつし、出かける様子に興味がわき、従者に馬を任せた後、後を追うことにした。
しばらく歩くと賑やかな声が増え、拓けた場所を円形に取り囲んでいる。このあたり一帯の人々全てが、子供から老人まで集まっているようだ。ただし、身分の高いものはいない。
「今からここでなにがあるんです?」
ヤマブキは初老の男に尋ねる。
「ああ? 今から猿楽が始まるんじゃよ。ああ、楽しみじゃ。ほら、そこで準備をしておる」
節くれた指先の方に目をやると、なるほど、ちぐはぐな色合いの着物と袴をはき、頭に花を挿したものや、男であるのに女の装いをしたものがいる。
そして、今からそれらを楽しみにしているこの集団の中にクチナシがいることを認めた。おそらく彼女はこの猿楽を見るために下女に身をやつしやって来たのであろう。
「面白い女人であるな」
好奇心で輝く瞳を持ち、人々の目の前に堂々といる貴族の娘など、ヤマブキは見たことも聞いたこともなかった。慎みからほど遠いが、ヤマブキにはこの行為が新鮮でとても心惹かれた。そこでハタっと思いつき、猿楽士たちの方へ向かって歩いて行った。
「いよいよかしら」
クチナシは興奮して猿楽が始まるのを待つ。昨日、下人と女房が旅の楽団がやってくることを偶然耳にし、父のマサキに内緒でこうしてやってきたのだった。
キンキンと高い金属音が聞こえてくるのが始まりの合図らしく、乾いた太鼓の音とひょろひょろと笛の音が流れてきた。
ざわっと周囲が期待にざわめき、クチナシも身を乗り出して眺めた。
細く小さな横笛を吹き、大小太鼓が鳴らされ3人の踊り手が何やら舞い始めた。どうやら豊穣を願う舞のようで福々しい神の仮面をかぶり、空を仰ぎ、地に頼んでいる様子が見える。
同じ舞の振り付けであるが、クチナシは右端で舞っている男に目を奪われる。まんべんなく観ようと思うのだがどうしても、その優美な動きと他のものと纏う空気の違いに気が付くと棒立ちになってその男だけを見ていた。
いつの間にか演奏は終わり、みな帰り始めていた。楽士たちも見物人から金品や食べ物を受け取り、荷物をまとめている。
「クチナシ姫、終わりましたよ。帰りましょう」
そう女房に告げられてハッと我に返った。
「ええ、面白かったわね」
振り向きざま、クチナシは自分に強い視線が送られていることに気づく。振り返ると一軒先の大きな平たい石の上に、腰かけた若い男と目が合った。互いに視線が合いはずせなくなる。クチナシは男が立ち上がりゆっくりこちらへ向かってくるのを時間が止まったように見ていた。
二人の距離が二尺ほどになった時には、下女の声も周りのざわめきもすべて消えた静寂を感じ、そして男の低い声を聴いた。
「そなたに会いに来た」
「私も……お待ちしていた気がします」
もう誰もこの二人を引き離すことは出来なかった。




