第04話 女もそうさ、見てるだけじゃ始まらない・後編
『……次は~東王羅~東王羅~』
またあれから更に、一週間ほど経ったある日のことだった。
ガタゴト揺れる鉄の箱の中、特段の意味もなく宙を眺めていた信二郎は、妙な抑揚をつけたアナウンスを耳にして、ふと我に返る。気付けばまたしても、市の外周部をひと回りして元の地点に戻ってきていた。
レトロチックな色合いをした十両編成の車両が、先程から同じ速度を保ちながら田園風景の中を進んでいた。市内を回る私鉄・王羅鉄道の一路線だ。休日ということもあり車内には親子連れの姿も多く見られる。それでも在来線に比べれば圧倒的にスカスカの状態だが。
「くー……すぴー……」
ふと顔の間近で、それはそれは穏やかな声と動きがした。
いつの間にそうなったのか、真隣に座るソラがすっかり気持ちよさそうに寝息を立てながら、信二郎の肩というか、首元に寄り掛かってきていた。
伝わってくる心地よい重みと、ほのかな温もりとが、信二郎の情緒を穏やかにする。
しかし同時に、信二郎の肌になんともこそばゆい感覚があるのも事実だった。
段々気恥ずかしくなり、やがて彼女をそっと揺り起こすことにした。
「ソラ、起きて……ソラってば……」
「……ハッ、事件ですか事故ですか!?」
「どっちでもないよ……しっかりして、ソラ」
「はうっ……!」
寝ぼけ眼のまま、ビクリと体を震わせるソラ。
やや声が大きかったためか、やり取りを見ていた周囲の客たちが、クスクスと笑いを漏らし始める始末。途端に恥ずかしそうに、ソラは頭をかいて恐縮した。
「んんっ……あー、いかん……つい寝こけてしまいました……」
「大丈夫? このところ、戦い続きで疲れてるんじゃないの?」
「朝から何時間も電車乗り続けてるのに、ちっとも風景変わらないモンだから……退屈なんですよ」
「失礼なこと言うなよ……確かに環状線だから同じところグルグル回るだけだけどさ、一時間もあれば山に川にビル街と、色々なものが通り過ぎていくじゃないか」
「その八割方が山じゃないですか……!」
ソラには珍しく、押し殺した声で抗議の声を上げる。
「素人には見分けろって方が無理な話ですよ」
「郷土愛ってものがないよな、キミには……」
「越して来てひと月足らずの人間に、なんつー無茶な要求するんでしょうかこのヒト」
「何言ってんのさ、キミは人間じゃなくて神だろ」
「そういう問題じゃな……ああもう面倒臭いですねぇ!」
さながら芸人のように手をブンブン振りながら、ツッコミに明け暮れるソラ。
何か変なこと言っただろうか? 信二郎は不思議な目つきでソラを見返した。
「信二郎……一応確認しときますが、我々が電車に乗っている目的を忘れた訳じゃないですよね?」
「牛魔獣退治だろ、分かってるよ」
「それならいいですが……果たして現れてくれますかねぇ。この分だと、一日中張っていても出ないんじゃないかって、そんな気がしてきましたよ」
「現れないなら、それに越したことはないさ……」
信二郎は一転、暗い顔つきになって自分のスマホを立ち上げる。
そこにはちょっと前まで読み返していた、地元ニュースサイトの記事が映っていた。
《王羅鉄道に怪物出現 銃乱射で重軽傷者二十数名》
そんな恐ろしい見出しが躍っている。信二郎は思わず顔をしかめて言った。
「死人が出なかったのは殆ど奇跡さ……こんな滅茶苦茶な奴に、そう何度も暴れられて堪るもんか」
* * *
ソラのたっての希望で、一旦車両を降りた信二郎たちは、ホーム上のベンチで休憩をとっていた。
その日は、とてもよく晴れていた。吹きさらしのホームから、周囲の町の様子がよく見渡せる。乗馬クラブがある付近と比べると微妙に排ガス臭いのが難点だが、それでも乗り物から降りた直後では、外の空気というだけで美味しいと錯覚できた。
「その……何でしたっけ、おーてつの……」
「王鉄のミセス・クレイジー……確か、そんな呼び名だったと思う。この辺じゃ、もう何年も前から出没してる迷惑な客さ」
ソラからの問いかけに、信二郎は答える。
「ボクも噂だけなら聞いた事があったけど……そいつが絶叫した直後に、駅のホームに牛魔獣がやって来たんだってさ」
「座席をひとりでいくつも占領して、注意されたら逆ギレの上、誰彼見境なしにチカン呼ばわりする厚化粧の女……ねえ。信二郎、言っちゃあなんですが、そんな人間が実在するんですか? 本当なら、数え厄満じゃないですか」
「牧奈が仕入れてくれた情報なんだし、信憑性は高いって気がするけどな」
「正確には、千手さんのご実家の、檀家さんから提供されてきた情報ですがね」
牧奈千手の実家は、王羅市では最も歴史が古いとされる寺である。
そのため、市内各地から法事などで檀家が訪れる度に、期せずして様々な情報が持ち込まれてくるらしい。中でも牛魔獣がらみと思われるものを、千手は先日来、積極的に収集しては信二郎たちに報せてくれていたのだ。
「……どっちにしても調べてみる価値はあるよ。美菜子さんの件もあるし、ボクらには想像もつかない思考回路の人って、意外と結構いるみたいだからさ」
「まあ、実在するなら曲界力の塊のような人間ですからね……もうちょっと、根気よく探してみましょうか」
「ところでソラ……一応確認しておきたいんだけど」
「はい?」
ベンチに座ったまま呑気に顔を上げてきたソラに、信二郎はジト目を向ける。
彼女の頬は今、口に含んだたっぷりの弁当の具材によって、まるでハムスターの如くパンパンに膨れ上がっていた。
「ボクらが朝から電車に乗っている目的を、忘れた訳じゃないよね?」
「もぐもぐ、牛魔獣退治に決まってるじゃないですか」
「それならいいんだけど、キミは一体何個、駅弁を食べれば気が済むのかな?」
「朝から通算四つ目ですね」
「…………太るよ」
「神なので簡単には太りませ~ん。あむあむ、この牛肉弁当、なかなかイケますね……あむあむ……」
「……まあ、いいならいいんだけどさ」
異世界出身の女神さまは、駅弁をガツガツと頬張るのに夢中だった。
それにしてもこのおサルさん、食べるという行為にはとことん貪欲である。
「そうそう、さっき名前を聞いていて思い出したのですが」
呆れる信二郎を他所に、ソラは唐突に話題を変えてくる。
なんというマイペースっぷり。
「美菜子さんって最近、どうしてるんです? このところあまり、姿を見ていない気がするのですが……」
「ああ、言われてみたら彼女――――うげッ!?」
言いかけたその時、一瞬にしてギョッとした表情を浮かべる信二郎。
信二郎は大慌てで、弁当を持ったままのソラの両脇を抱きかかえると強引に立ち上がらせ、ホームの階段方向に背を向けさせた。まだ若干食べかけの弁当が、勢い余って床の上へと落下する。
これには流石のソラも驚いた様子。
「ななな、なんですか信二郎そんな急に強引な」
「しーッ……馬鹿なこと言ってる場合じゃない」
「よりによって馬鹿なことって言いましたよこのヒト……」
「後ろ、後ろ!」
「え、なんで――――げげぇッ!?」
促され、首だけをちょっと振り向かせたソラは、目を丸くしたかと思うと即座にまた階段に対して背を向けるようにした。
「フンフフ~ン♪ ラララ~♪ 若様~♪ ラララ~♪」
嗚呼、噂をすればなんとやら。
ゲンドー会が誇る狂信者。話題に上がっていた灰島美菜子その人が、ミュージカルの如く鼻歌を歌いながらステップを踏み、階段から駅ホームに降りて来ていた。
今日は久々に、教団に向かうつもりなのだろうか。よく見かけるような学生服姿ではなく、それなりに洒落っ気のある私服姿だった。
その一方、ご機嫌そうな彼女とは対照的に、接近を察知した信二郎とソラは瞬く間に冷や汗を垂れ流していた。
「ななな、なんで彼女がこんなところに?」
「ボクに訊かないで……あっ、でもそういえば彼女、この辺が最寄りだったような」
「それ以外ないでしょう……! どうすんですか、もしここで見つかったらエラい目に遭わされますよ。とても牛魔獣どころじゃありません……」
「いい具合に電車が来た……何とかして、気付かれないようにやり過ごそう……!」
「ビバ・ゲンドー……!」
ソラの軽口に突っ込む余裕さえ、今の信二郎にはない。
タイミングよくホームへ進入してきた電車のドアが開くと、信二郎とソラはすぐさま美菜子がいる階段側に背を向けつつ、あまり目立たぬようそーっと車両内へと体を滑り込ませていった。
念のためそのまま、ホーム側に背を向けた状態で座席に座るふたり。
相変わらず鼻歌ミュージカルに没入する美菜子は、寄りにも寄ってホームを直進して真っ直ぐこちらに向かって来た。信二郎たちは思わず息を呑む。
「フンフフ~~~~…………んんッ?」
美菜子が、突然その場で立ち止まった。そっと振り返ると、信二郎たちが乗る車輌のほぼ目の前。サーッと血の気が引いていく感覚を信二郎たちは覚えた。
片や美菜子、犬の様にクンクン鼻をヒクつかせ、次第に怪訝な表情となっていく。
「こ……れ……は……若様の匂いッ!?」
瞬間時速マッハ五ぐらいのスピードで列車の方を振り向く美菜子。
寸前、ほんの僅かの差で揃って頭を伏せ、座席上にて息を殺す信二郎とソラ。
プワーンと警報がなり、全車両のドアが一斉に閉まっていった。
やがてゆっくりとゆっくりと、電車全体が動いて駅を離れ始める。
それは永遠にも感じられる一瞬だった。
次第に速度が出て、駅ホームの様子が完全に見えなくなっていく。
信二郎たちが、再び起き上がって呼吸を再開できるようになったのは、そうして大分時間が経ってからのことだった。
「……ぷはあっ!」
「し……死ぬかと思った……!」
信二郎は青ざめた顔で、率直な感想を眼前のソラに告げる。
「……私、こんなに恐ろしいと感じたのは人間界へ来て二度目です」
「……一度目は?」
「前に美菜子さんと初めて会った時です」
「彼女、キミの何なの? 天敵? ハブにマングース的な?」
「信二郎、信二郎、その知識はいささかというか大分、古いです」
「ああ、そっか……って、なんでキミのが事情に詳しいんだよッ」
「あて!」
信二郎のチョップがソラの額に命中。片目をつぶっておどけるソラ。
やがて、二人は顔を見合わせると、緊張の糸が途切れたのかアハハと大声上げて笑い始めた。当然、周囲の客たちは意味が分からずキョトンとしている。
「ママ~、あのお兄ちゃんとお姉ちゃん、変~」
「しっ、見ちゃいけません!」
見ず知らずの親子から好き勝手言われるのも何のその。
少年少女らの屈託のない笑い声を乗せたまま、ローカル電車はガタゴトと終点のある都心部を目掛け、古びた線路を突き進んでいくのであった。
* * *
広い駅構内を、無数の市民が悲鳴と共に逃げ惑う。
王羅駅。そこは市の中心部にあって人々の行き来の拠点として整備された、いわゆるターミナル駅と呼ばれる大型の駅舎であった。普段であればその施設内は、間違ってもみすぼらしくならぬよう、念入りに手入れが為されている。
それが今や、床から壁から柱に至るまで、徹底的に穴だらけにされていた。
磨き上げられたタイルは、見る影もなく散乱。この瞬間も、逃走する市民の背後から放たれた無数の銃弾が、私鉄と在来線の乗換案内をバラバラに粉砕して、彼らの頭上に雨のように降り注がせていた。
その元凶である牛魔獣に、ソラの変身した聖天大聖ゴクウがどうにか辿り着こうと奮戦している。
「バババババババババババババババババババ!!」
「チッ……デタラメな暴れ方しやがって!」
牛魔獣マシンガンデボンの手にした二丁の機関銃が、絶え間なく火を噴き辺り一面を薙ぎ払う。ゴクウは銃撃の止んだ僅かなスキを逃さずに、柱の影から影へと飛び移って彼我の距離を詰めていった。
すかさず、再開される銃撃。ゴクウの通過した後は、敵の機銃掃射によって満遍なく焼け野原に変えられていった。
「うわっ!?」
様子を伺おうとそっと顔を覗かせた瞬間、信二郎の鼻先を銃弾が掠めていった。
反射的に身をすくませ、大きな柱の影で息を潜める信二郎。
心臓がバクバクいっていた。とてもじゃないが、この日本で起きている出来事とは思われない。その身を案じた、ゴクウの注意喚起が遠くの方から聞こえてきた。
「危ねぇよ信二郎、隠れてろ!」
「ぎゃははははははははははははははは!」
牛魔獣のすぐ背後で、ひとりの若い女が仁王立ちして下品に笑っていた。
それこそが悪名高き、王鉄のミセス・クレイジー。最大限に見積もっても二十代後半ぐらいだろうか。裾の短い、真っ赤なノースリーブドレスを着た女であった。おまけに黒いサングラスをかけ、口紅をべったり塗りたくって周囲を威嚇する様に奇妙な角度で首を傾げ続けている。
女にとって、マシンガンデボンの暴虐は愉快で堪らない様子だった。
「おらおらおらぁぁ! 納税もロクにできねー下層階級どもがあたしに逆らってんじゃねーぞぉぉ!」
「脳ミソ最底辺の分際で何言ってやがる、このイカレ女!」
「るっせーよバーロー!! 文句あんなら社会主義の国行きやがれコノヤロー!!」
「バババババババババババババババババババ!!」
クレイジーの絶叫に呼応してか、牛魔獣の銃乱射は一層激烈になっていく。
ゴクウでさえも、容易に近づくことが出来ずに悪態をつく始末。
「クソッ……あの女、牛魔獣より性質が悪い!」
「……あっ! 見てゴクウ!」
敵の射線上から僅かに逸れた物陰を指差し、信二郎はたちまち青ざめた。
そこに小学校低学年ぐらいの男の子がひとり、しゃがみ込んで泣き叫んでいることに気が付いたのだ。しかもそれは、さっき信二郎たちと同じ電車に乗っていた例の子供だった。騒ぎの中で、母親とはぐれてしまったのだ。
「うえーん、うえーん、ママ~……!」
「……ピーピーピーピーうっせーんだよクソガキャー!」
「ッ!」
敵の銃口が少年に向くのを見て、信二郎は近くに転がっていた鉄板を拾うと、考えるより先に柱の影から飛び出していった。駆けつけると同時に少年を抱きかかえ、鉄板の影に入って可能な限り身を縮こまらせる。
次の瞬間、牛魔獣による機銃掃射が再び始まった。
あちこちで銃弾の跳ね返る音と一緒に、クレイジーのケタケタ笑いが聞こえてくる。もはや恐怖以外の何物でもない。信二郎にしがみ付いた少年が悲鳴を上げる。
「怖いよ! 怖いよ! お兄ちゃん、助けて!」
「……ッ! アンタ何考えてんだ、やめろッ!」
「当然の報いだろーがー! テメーらがこのあたしと対等の権利持ってると思うんじゃねーぞー下等市民がー! ぎゃはははははははは!」
「……いつまでも、下品な口開けてんじゃねえッ!」
クレイジーの鬼畜の如き所業を見せつけられ、いよいよブチ切れたゴクウが床に拳を叩きつけ立ち上がる。柱の影から躍り出て、真正面から突っ込んでいくゴクウ目掛け牛魔獣の機関銃がうなりを上げた。
「バババババババババババババババババババ!!」
「らららららららららららららららららァッ!」
何かと思えばゴクウ、手にしたニョイロッドを高速回転させ、シールド代わりにしている。頭脳プレーをかなぐり捨て、あえて強行突破に出たのだ!
迫る銃弾を片っ端から弾き飛ばし、力づくで牛魔獣との距離を詰めていくゴクウ。
そうして懐へ飛び込んだ直後、彼女は薙ぎ払うように得物を振るった。力を力で押し返され、牛魔獣が勢いよく吹っ飛んでいく。
「グオォッ!?」
「ゴクウ・ライトニングッ!」
ホームの淵に激突して線路上に落下した牛魔獣目掛け、ゴクウが間をおかずレーザーロッドを叩きつけた。牛魔獣が微かに痙攣した後、跡形も無く爆散する。
やがて敵が消滅したことを知り、信二郎はホッと鉄板を手放して立ち上がった。
「ふぅ……よかったゴクウ……これで……」
「きえええええええええええええええッ!」
「うわぁーッ!?」
突然、ミセス・クレイジーが信二郎目掛けて飛び掛かってきた。
なんとその手には、いつの間にか刃渡り十数センチもの出刃包丁が握られている!
少年を抱きかかえたまま、信二郎は死に物狂いで飛び退いた。
「何すんだよアンタ! てか、そんなモン何処に隠してた!」
「死ねこのチカン!」
「は!?」
思わず目を剥く信二郎。一瞬呆然となったのも止むを得まい。
「ちょ、ちょっと待て、ボクはアンタに指一本触れてないだろ!」
「るっせー! 口答えすんじゃねー! 女のあたしを不愉快にした時点でテメーは速攻チカンなんだよー非常識がー! これは正当防衛だろーがァー!」
「そんな無茶苦茶な理屈があるかっ!」
「きえええええええチカンチカンチカ――――ン!」
絶叫し包丁を無茶苦茶に振り回し始めたクレイジー、信二郎たちを瞬く間にホームの端へと追い詰めていく。
信二郎に抱きかかえられた少年はというと可哀想に、恐怖のあまり卒倒してしまっていた。だらんと力の抜けた少年を抱きとめ、それでも最後まで守ろうとする信二郎。
絶体絶命。その時、遥か彼方から飛び込んでくる人影があった!
「ゴク――――」
「わかさま―――――――――――――ッ!!」
「――――えっ」
人域超越の高速ダッシュでホーム間の隙間を飛び越え、信二郎の頭上から現れたのはなんと、美菜子だった。ミセス・クレイジーの腕を蹴り飛ばして着地した美菜子は、口からカハーと真っ白な蒸気を溢れさせる。
念のため補足するが、季節は春の真っ只中である。
「若様に触れるな……このクソブタ女……!」
「み、みみみ、美菜子さん!?」
「……流石はあたしの若様ですわ……小さな子を守って戦うなんて素晴らしい……ああ若様若様……お怪我ありませんね……?」
恍惚、と表現すべきなのだろうか。うっとりした目で信二郎を振り返った美菜子に、信二郎はどういう顔をしてよいか分からなかった。取り敢えずは、礼を言う。
「う、うんありがと――――ってか美菜子さん、どっから現れたの!?」
「……近くの駅で、若様の匂いに気付いて、ここまで追いかけてきましたの……」
信二郎は内心、戦慄した。助けに入ろうとしていたゴクウまで、唖然として身動きを止めてしまっている。そんな彼女に対し、美菜子がゆっくりと顔を向けて言った。
「ちょっとそこのアンタ……何だか知らないけどもっとちゃんと若様をお守りしなさい……さもないと殺すわよ……!」
「ハヒッ、す、すみません、肝に銘じます!」
「なんでキミまでそんなビビってるんだ……」
思わず直立不動で最敬礼したゴクウに、信二郎は呆れた目を向ける。
とはいえ、この迫力に勝てる人間はおおよそいないだろう。たとえ神であっても。
と、その時ようやく包丁を拾い上げたミセス・クレイジーが戻って来るなり、美菜子目掛けて絶叫した。
「ざっけんじゃねーぞクソガキが! よくもあたしの邪魔しやがったな! 思い知らせてやる!」
「きしゃあああああああああああああああッ!」
「きえええええええええええええええええッ!」
奇声を放ちあい、両者一斉に相手に向かって飛び掛かる。
そこから先は、口にするだに悍ましい激闘の幕開けであった。
列挙するだけでも、包丁で切りかかる。鉄パイプで殴りつける。髪の毛を掴んで引っ張り合う。噛みつく。蹴りつける。床に柱に相手の頭を叩きつける。目玉を突く。首を絞める。ガラスに突っ込ませる。エトセトラ。
それはルール不問。情け無用。天地鳴動のデッド・バトル。
敢えて名をつけるならば、大狂人駅ナカ決戦。あるいはウォーオブガルガンチュアとでも形容すべき地獄の底の光景だった。
とてもじゃないが、教育に悪くて十五歳以下には見せられない。
ひたすら取っ組み合う女同士の姿に、信二郎とゴクウはただただ青ざめた顔で戦いの成り行きを見守る以外出来なかった。
「な、なあ信二郎……これ現実だよな……?」
戦いを指差して、ゴクウが思わずそんな呟きを漏らす。
信二郎は隣に立つ彼女の頬を、可能な限り力いっぱいつねってやった。
「あたたたたた……マジかよ、現実だ……!」
狂気の戦いは既に佳境に突入していた。美菜子を組み敷いたミセス・クレイジーが、逆手に持った包丁を高々と振り上げる。どうやら本気で相手に突き立てる所存の様だ。勝ち誇ったように、クレイジーの顔に歪んだ笑みが浮かぶ。
「死ねこのクソガ…………!」
「だらああああああああッ!」
「ふがっ……」
だが美菜子の渾身のストレートが、一瞬早く相手の顔面を捉えていた。
サングラスが砕け散り、見事に後ろ向きに吹っ飛んでいくミセス・クレイジー。
その落下先にはなんと、牛魔獣の攻撃で千切れた電線が剥き出しになっていた。
ある意味で自業自得。ミセス・クレイジーには相応の結果が待ち構えていた。
「?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ?あ!!」
高圧電流の洗礼。女の全身から凄まじいスパークが迸った。
やがて、ブスブスと音を立てて崩れ落ちるミセス・クレイジー。
不毛な戦いは集結した。勝者となった美菜子はゾンビのような姿勢で立ち上がると、気を失ったミセス・クレイジーを指差し堂々と宣言する。
「あたしとアンタの勝敗を分けたのはただ一つ……愛する人が見守ってくれたかどうか……その違いよ!」
「やべえ……カッコイイこと言ってるのに、何でか知らないが寒気しかしねえよ……」
「…………ナンナノコレ?」
信二郎は思わず眩暈を覚える。当の美菜子はというと、実に満足げに笑っていた。
「あたしやりましたわ……わか……さ……!」
全てを言い終えぬうちに、美菜子はバタリとその場に倒れ伏した。
* * *
戦いが終わってまもなく、駅構内には規制線が張られていた。
信二郎と、変身解除したソラとが野次馬に混じって見守る中、往生際の悪いミセス・クレイジーは尚も絶叫し、暴れながら鉄道警察によって連行されていく。
「……ざっけんなよ! あたしが何したってんだよ! ざっけんなよ! 放せよ!」
「いい加減に大人しくしろ!」
「放せっつってんだろ、このハゲ――――――――――――――――――!!」
「ハゲはお前だろッ!」
引きずられていくミセス・クレイジーの長い頭髪は、感電のショックで燃え落ち殆ど禿げ上がっていた。実に無様であるが、因果応報と言うほかない末路だった。
彼女が連れていかれた後、同じく美菜子が警察に付き添われ現れた。
こちらも抵抗を見せるかと思いきや、その態度は実に大人しげ。
疲れ切ってこそいるが、どこか非常にやり切った感のある表情だった。
目の前を通りがかった時、美菜子は信二郎の存在に気が付き微笑みながら言った。
「若様……あたし、何も悔いはありませんわ……」
「……美菜子さん」
「若様を守れて良かったですわ……ふふふっ」
警官に促され、再びすぐパトカー目指して歩き出す美菜子。
そんな彼女の背中を、信二郎とソラは何とも言えない顔で見送るしかなかった。
* * *
後日、ゲンドー会本部に警察から電話が入った。
驚くべきことに、それは灰島美菜子の身元引受を要請するものだった。
家族や親類に誰一人連絡がつかなかったため、やむを得ない措置だったという。
話を聞いた信二郎は責任を感じ、何も言わず彼女の引き取りに出向いたのだった……。
(つづく)
* * *
■編執牛魔獣シザーズオグロヌー
身長……320cm
体重……6.0t
概要……映画研究会代表・葛山隆介の曲界力から生み出された牛魔獣。
葛山の黒歴史となった自主映画にかかわる、あらゆるものを「カット」しようとする。
非常に攻撃的な反面、自身は打たれ弱く、ヒットアンドアウェイでひたすら逃げ回る。
負けが見えると泣き喚いて同情を乞うが、ゴクウに容赦なく倒された。
■暴君牛魔獣マシンガンデボン
身長……280cm
体重……7.0t
概要……「王鉄のミセス・クレイジー」なる女の曲界力から生み出された牛魔獣。
ミセス・クレイジーの気に触ったものに、片っ端から機関銃を撃って殺害しようとする。
なお彼女は逮捕後、ストレスによる容姿の激変とその性格から、刑務官たちによって
「マシンガンデブ」というあだ名を頂戴したらしい。
■灰島美菜子