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第03話 あばよ過去、よろしく未来・前編

挿絵(By みてみん)


 鉄筋コンクリートに囲まれた王羅学園の校舎裏。

 そこに先程から、執拗なまでの立ち合いの音が響き渡っていた。


 得物と得物がぶつかり、弾き合う独特の鋭い音色。

 奏でるのは片や、漆黒の巨体に剣道具一式を装備した牛魔獣シナイバッファロー。

 そしてもう一方は、赤と金の武具に身を包んだ戦女神・聖天大聖ゴクウだ。


「メンメンメンメンメンメエエエエエエエン!」

「レーザーロッド!」


 人の身の丈ほどもある竹刀で狂ったように面打ちばかり繰り返しながら、絶叫し突撃してくる牛魔獣。対するゴクウは光を纏ったニョイロッドを振るい、いなすように回避する!

 急ブレーキをかけた牛魔獣は、すぐさま反転して同様の突撃を再開した。

 思った以上の速度に、またしてもゴクウは回避の動きを見せる。

 まるで闘牛の模様だった。一連の戦いを、信二郎はただ固唾をのんで見守ることしか出来ない。無力感と焦燥感で、信二郎はどうにかなってしまいそうだった。


「ゴクウ、大丈夫か!?」

「心配ねえぜ、信二郎! こいつ……力は強いが大振りだ。こんなもん当たりゃしねえ。それにな……」

「メンメンメンメンメンメエエエエエエエン!」

「……俺の間合いは、無限大なんだよッ!」


 再び突進を開始した牛魔獣を迎え撃つように、レーザーロッドを体側に引き絞るゴクウ。彼女はすぐさま、それをビリヤードのキューの如く前方に突き出した!

 たちまち光の刃が爆発的に伸長し、牛魔獣の胴体を一直線に貫く。

 血しぶきの代わりに傷口から火花を噴き出させ、牛魔獣は痙攣するように停止した。


「アガガガ……ッ!」

「おらああああッ!」


 再び収縮するレーザーロッドの勢いそのままに、牛魔獣の巨体はあっという間にゴクウの眼前へと引き寄せられた。得物を引き抜いたゴクウは、つんのめって体勢を崩した敵に容赦なく必殺の一撃を見舞う。


「ゴクウ・ライトニングッ!」

 光の刃を脳天に叩きつけられた牛魔獣は、断末魔と共に爆散し消滅した。

 必殺モードを解除したニョイロッドをバトンのように回転させ、腰の辺りに構えたゴクウは区切りをつけるように大きく息を吐き、呼吸を整える。

 信二郎の胸の奥が、パアアッと晴れ上がっていくのが分かった。


「……あばよ、昨日までの絶望」

「やったね、ゴクウ! これでもう……」

「う、うーん……?」

「!」


 その時、信二郎の傍で気絶し横たわっていた男が、ゆっくり起き上がり始める。

 今回の牛魔獣を生み出した、剣道部OBの柳田である。たった今の爆発のショックで目を覚ましたのだ。

 それを知ったゴクウ、信二郎に別れを告げる仕草をすると「シュワアッ!」とひと声上げ、あっという間に校舎の向こう側に跳躍し去っていってしまった。


「蓮河、サトリ、無事か!?」

 まったく同じタイミングで、先ほど信二郎たちの逃がした現役剣道部員二名が、大勢の仲間を引き連れてドタバタと現場に駆け戻ってきた。見れば、誰もが手に手に竹刀を持って臨戦態勢になっている。

「助けを呼んできたんだ、こうなりゃ俺たちも戦うぜ!」

「あ、ありがとう……だけど、もう……」

「……お気持ちは嬉しいですが、奴はもう消滅しました」


 唐突に、剣道部員たちの背後からする声。

 いつの間に移動したのか、学生服姿に戻ったソラが笑顔でそこに立っていた。

 ポカンとする剣道部員たち。同じシチュエーションをもう何度も目にしている信二郎だが、一体どういう原理でやっているやら、未だによく分からない。


「聖天大聖ゴクウが駆けつけ、倒していってくれましたからね。めでたしめでたしです」

「ふざけるなッ!」

 すかさず柳田が立ち上がって絶叫した。一同の視線が一挙に集中する。

「何もめでたくない! こいつらには厳しい指導が必要だったんだ! さもないとまた去年の失敗を繰り返すことになるんだッ!」

「この人、まだ懲りてないのか!?」

「いい加減にしてくださいよッ!」

「うるさい! 黙れ! 黙れ黙れ黙れッ!」


 現役部員一同がブーイングを上げ始めるが、柳田は居直ったように喚き立てるばかり。

 それを目の当たりにしたソラは、嘆息混じりに再度口を開いた。


「だとしても、失敗したのは貴方であって彼らじゃないでしょう? 自分の代のツケを後輩たちに払わせようなんて、そんなみっともない真似しちゃいけません」

「そうだ! だから今年こそ、俺がこいつらを完璧に指導してやらねばならないんだ!」

「ああ、自己満足を押し付けてるって自覚が、そもそもないんですね……」

「とにかくだ!」

 ソラによる冷ややかな指摘を抑え込むように、柳田は叫んだ。


「予想外のことで時間をロスした……いいかお前ら、今から毎日校庭百周だぞ! 無駄にした時間は戻っては来ないんだからな! 分かったら返事だ! おい、返事はどうしたんだお前らッ!」

「「「――――付き合ってられるか!」」」


 とうとう声を揃えて三行半を突き付けた現役部員一同は、呆れたように柳田に背を向けその場から去っていこうとした。

 事態が飲み込めなかったのか一瞬呆然とした柳田は、尚も何かを喚きたてながら現役部員たちを追いかけ始める。しかし最後には「うるせえ!」と殴りつけられ、とうとう無様な格好で地面にのびてしまっていた。


「……教室へ戻りましょうか、信二郎」

「アレは、ほっといてもいいの?」

「残念ながら、我々には救えないもののようです」

 そう言って背を向けるソラが、どこかとても悲しそうな顔をしているように信二郎には思えた。


* * *


 ソラが信二郎のクラスに転入して来て、早くも半月が経過しようとしていた。


 校内で牛魔獣を退治した翌日のこと、放課後を迎えた王羅高校二年B組では、いつも通りのにぎやかな日常風景が広がっていた。

 ホームルームから間もないのもあるだろうが、まだ半数近くの生徒が教室に残って雑談に花を咲かせている。そしてその一角に、我らがソラの姿もあった。


「サトリさん、昨日怪物に立ち向かったって本当!? 凄いねぇ!」

「だ、誰から聞いたんです、それ? いやなに、別にそんなに大したことでは……」

「いつもカッコイイよね、サトリさん。なんかちょっと嫉妬かもっ」

「スケバン? だったんだっけ。前はどこら辺に住んでたの?」

「それがねえ、本当に田舎中の田舎って感じの場所でして……」


 見るからにミーハーな印象を受ける女子数名に取り囲まれ、来る日も来る日もきゃあきゃあと若干やかましい程の盛り上がりっぷり。転入早々から今日に至るまで、ソラの人気は目を見張るものがあった。


 信二郎はそんな彼女を、教室の端の席から頬杖突いて見守るばかり。

 一見、他人事のようだが、意外にもその顔つきは嬉しそうに見えた。

 何だかんだで、ソラには助けられているため、彼女が人気者になっているのは純粋に喜ばしいのだろう。そうやってぼんやり微苦笑していると、信二郎にも声をかけてくる者があった。


「ねえねえ、蓮河くん!」


 唐突に現れたのは牧奈千手。今日は学園指定のブレザー姿だ。

 タイトな学生服を内から押し上げる豊かな双丘、知性を宿すメガネの下の綺麗な瞳、必要以上に飾り気のない淡い栗色のストレートロングヘア。信二郎には、彼女は今日も変わらず可愛らしく見えた。

 信二郎の机に手を置き、若干身を乗り出すかたちの千手は妙に明るい声で言った。


「あのさ……今日この後って、時間空いてたりするかな」

「……急にどうしたの?」

「もし、良かったらなんだけど……一緒に、二丁目のクレープ屋さんに行かない?」


 その瞬間、明らかに教室中のざわめきが止んでいくのが分かった。

 学友たちがほぼ一斉に聞き耳を立てているのに気付いたのか、千手はゴホンと咳払いすると、いかにも取り繕うようにワザとらしい物言いをし始めた。


「べ、別に勘違いしないでね? 二人きりって訳じゃないよ!? ソラさん、ソラさんも一緒だから! ほら、ソラさんまだこの町に慣れてないでしょ。だから道案内ついでに蓮河くんも、美味しいお店に連れて行ってあげようかなーって」

「千手、頑張って!」

「顔赤いぞ、千手~」


 何処からともなく女子生徒らの応援の声がして、広がっていく笑い声。

 言われた通りに千手当人も頬を染め、「もう、みんな!」などと彼らをたしなめていたりする。単にからかわれているようでもあるが、互いの反応を見るに。さして陰険な性質は帯びていない様子だった。

 ただし信二郎はといえば、毎度のように嘆息するばかり。


「悪いけど、遠慮しておくよ……」

「そ、そっか……ごめんね蓮河くん。迷惑だった?」

「いいんだ、気にしないで」

 信二郎はいかないと即答しつつも、千手を気遣うように補足を入れる。

「でもホラ、最近って物騒だからさ……いつ怪物が現れるかも分からないし、なるべく寄り道せず帰れって、先生たちも言ってるだろ? だからさ」

「……うん、そうだったね。仕方ないよね……」


 表面上は納得した素振りを見せているが、その実非常に残念がっているのは信二郎にさえ見抜けることだった。尤も理屈だけなら、信二郎は決して間違ったことは言っていない。この半月あまり、幸いにも周囲の人々が信二郎たちの活動について勘付くことはなかったが、一寸先のことまで断言は出来ないのだ。神出鬼没の牛魔獣がいつ、何処で暴れ始めるかは、当事者以外の誰にも分からなかった。


「それじゃ、ボクは――」

「――何言ってんですか、是非行きましょうよ!」


 話が進展しない内に立ち去ろうとした信二郎だったが、いつの間にか近くに来ていたソラにそれを阻まれる。背後から身を乗り出し、食い気味に言って来たソラに信二郎は驚き、飛び退いた。


「ソラ!? またキミは勝手な……!」

「いや千手さん、中々いい提案ですよ」

 ソラは信二郎の言葉を無視するように、ペラペラと喋り続けた。


「正直ね、この町よそ者には結構ダンジョンめいてるんで、困ってたとこなんです」

「何気にキミ、失礼なこと言ってない?」

「すぐに! すぐにでも向かいましょう、千手さん!」

「……だったら二人だけで行けばいいよ」

 憮然となった信二郎は、再度椅子に座り直すとそっぽを向いた。


「ボクがいなくたって、町の案内ぐらい出来るだろ……」

「あ、それ無理です。私こう見えても人見知りなんで~」

「この世で一番、キミとは縁のない言葉だろ!?」

 信二郎は思わず、ツッコまずには居られない。


「そ、そんなことありませんよ! 今だってほら! 千手さんと目を合わせられないんですから! あぁぁ~怖い~人が怖い~」

「猿芝居はやめろ、猿芝居は」

「無茶を言わないで下さい。私、猿なんですから」

「問題はそこじゃないだろ!?」

「さあさあ、無駄話は置いといて、光の速さで町へダッシュです!」

「ちょ、待って待って引っ張らないで!」


 言うが早いかソラは話を打ち切る様に手を叩くと、信二郎の首根っこを?まえ教室の外目掛けてサッサと歩き出した。信二郎は抵抗するが、どうにも力では叶わない。


「千手さん行きましょう! この機を逃さずに!」

「う、うん、分かった! ありがとうソラさん!」

「人見知りの設定は何処行ったんだよぉぉぉ……」


 信二郎の抗議の声は、ソラに引かれて瞬く間に教室から遠ざかっていく。

 また速攻で荷物をまとめ後を追い始めた千手が教室を出る瞬間、まるで出征見送りの如く千手に向かってのエールが叫ばれたが、結局信二郎にも全容は把握出来ず仕舞いであった。


* * *


 学校を挟んで、自宅とは反対方面にのびる商店街を一行は歩いていた。

 ソラと千手は、先程から楽しそうに談笑し続けている。

 信二郎も驚いたが、ふたりは知らない間に随分と親しい関係になっていた様だった。信二郎が共通の友人であることが影響したかは定かでないが、気が付けばお互いに下の名前で呼び合っているような間柄である。


 信二郎にとっても嫌な光景ではないハズだが、彼はただひとり不貞腐れた表情をして離れた位置を延々と歩いているのだった。

 それを見かねたか、ソラは千手に断ると慌てて信二郎の傍へとやって来る。


「……ちょい信二郎……信二郎ってば」

 声を殺しながら言ってくるソラに、信二郎はブスッとした目つきを向ける。

「貴方ね……どうしてそう、一人だけ離れて歩いてんですか。貴方と千手さんのためのセッティングだってことぐらい、分かってますよね!?」


「余計なお世話だよ……誰も頼んでないだろ。大体牧奈には迷惑かけたくないんだ……」

「ああもうじれったい。あのねぇ、誰がどう見たって貴方がた両想いなんですから……もっと遠慮せずくっつきゃいいじゃないですか……!」

「ボクが、他人からどういう目で見られてるか、知らない訳じゃないだろ」

 信二郎は若干イラついた口調になって言い返す。


「ボクと仲良くしてるってのは、それだけで、変な目で見られる危険があるんだ。キミだって今はウチに 居候してるけど、万が一教団施設に出入りしてるところなんか誰かに見られてみろ……あっという間に変なウワサが広まるんだからな」

「別に構やせんでしょ、やましいことなんて何も無いんですから」

「だけど……!」


「それに貴方、変なウワサって言いますが……この半月ほど見てきた限り、貴方と千手さんの関係を応援する人だって、相当いるみたいじゃないですか。あれだけの支持者がいながら、どうしてそうネガティブな方しかカウントせんのです?」

「……あんなの、どうせ冷やかし半分じゃないか」

 思わず信二郎は呟いた。

「心のどっかじゃ、本当はボクを白い目で見てんだよ、きっと」


「コラ信二郎、流石にそれは失礼ですよ」

 肘で小突かれた拍子にソラを見ると、軽く信二郎を睨んできていた。

「自信が無いのは仕方ないとしても、そのために他人を貶めるようなこと、無闇に口にしたらいけません。それこそ、自分自身の価値を低めるような行為です」


 説教されたのが気に入らなかったか、無言で口を尖らせ目を逸らす信二郎。

 それを見たソラは呆れた様に首を振ったかと思うと、空を見上げて言った。


「信二郎……貴方はもう少し建設的な生き方をするべきなんですよ。大事なのは過去に何があったかよりも、これから先どうなっていきたいかということ。一度起きたことは変えようもありませんが、未来は別のハズです……貴方の行動ひとつで、良いようにも悪いようにもなるんですから」

「ならボクは、誰とも関わらないで済むようになりたいよ」

 即答する信二郎。それは何処となく、投げやりとも取れる口調であった。


「……その方がきっと、ボクにとっては幸せなんだからさ」

「それは幸せというより、ただ目先の不幸から距離を置いてるだけでしょう。そもそも誤解されるのを苦しく感じるってことは、本質的には他人から理解されたいと願ってることの表れです。やはり信二郎は、もっと他人と関わった方がいいんですよ」


「……だって、そうすれば誰も傷つけずに済むじゃないか……」

「えっ、なんですって?」

「あっ、蓮河くん、ソラさん、ここだよ!」


 そのとき、先行して商店街を進んでいた千手が、明るい声で二人を呼び寄せる。

 顔を上げた信二郎は、いつの間にか目的地に辿り着いていたことに驚きを隠せない。


 そこは、個人経営らしいカラフルな移動屋台だった。

 生地を焼く香ばしい匂いが辺り一面へと漂ってきていて、平日夕方にも拘わらずそれなりの人数が列を作っている。それも学生や主婦層が殆どであった。


 ギューマ党による王羅市への戦線布告から半月あまり。市内では今や、牛魔獣がいつ何時出現して暴れ出すか分からない状況が日常になりつつあったが、毎回それに続いて登場する聖天大聖ゴクウの存在が安心に繋がっているのか、はたまた日本人らしい危機意識の欠如からか、現在までのところパニックや集団ヒステリーが起こる気配もなく、こうして市民生活は以前とほぼ変わらぬ状態を保ち続けていた。

 何はともあれ、信二郎は目の前の光景に思わず感嘆の声を漏らしてしまう。


「へえ、いつの間にかこんな店出てたのか……知らなかった」

「蓮河くん、こっちだよ、こっち!」

「わわっ!?」


 突然、小走りで駆け戻ってきた千手が、ぼんやり屋台の外観を眺めているだけだった信二郎の腕をホールドすると、半ば強引に列の後方に引っ張っていく。

 為すがままの信二郎の腕に、普段感じたことも無い温もりと弾力が伝わる。

 どこまでが意図されたものか不明だが、公然とそんなことをされて、信二郎は次第に頬を赤らめていった。明らかに胸の奥がドキドキしているのが分かる。


 相手が千手だからこそだと思いたいが、信二郎も内心喜んでいる自分に驚いていた。

 そしてふと振り返ると、ソラがニヤニヤと悪い顔を浮かべている。


「な、なんだよソラ!?」

「いえ、何でも? とりあえず今の信二郎は、千手さんとそういう風になりたいんだ~って分かって、安心してしまっただけです、はい」

「へ、変なこと言うなっ!」

「ほら蓮河くん、並んで並んで! ソラさんも!」

「は~い~♪」


 一転して陽気になったソラが、面白そうにしながら信二郎たちの後ろに並ぶ。

 久々に死にたい気分を押さえながら、信二郎はふたりと一緒に回ってきたメニューを受け取り、注文内容を吟味し始めた。

 学校を出てからずっと硬かった信二郎の表情が、ここへきてようやくほだされた様に柔らかいものに変わっていく。結果的には大成功の模様であった。


「ここのマンゴークレープがね、凄く人気なんだ」

「女子ってホントに好きだよなー、マンゴー……」


 ふたりでひとつのメニューを眺めながら、千手の他愛ないお喋りに反応する信二郎。思えばこういったシチュエーションもいつ以来であろうか。


「ねえ牧奈、他には何か人気のメニューあるの?」

「あとは、バナナクレープとか」

「バナナ!?」

「……明らかにいま、目の色が変わってたね」

 声の裏返ったソラに思わず振り向き、信二郎は指摘する。

 当の本人は取り繕うかのように、一瞬にして真顔に戻っていたが。


「い、いえ何でもありません、はい」

「いや別に好物なら、正直でいいんじゃないの?」

「何を言ってるんです信二郎、じゅるり、私は別に目の色変えてなんか、じゅるじゅる」

「垂れてる垂れてる、よだれが垂れてるよソラ!」

 言われてすぐ、ソラは慌てて口元を拭っていた。千手にクスクス笑われ、珍しく顔を赤らめて恥じ入るソラ。


「……本当は大好物です、はい」

「あはは、じゃあソラさんの注文はもう決まりだね」

「キミって意外と、本能に忠実だよね」

「うう、何だかお恥ずかしい……」


 今さらメニュー表を広げて顔を隠すソラに、信二郎からも笑みが零れる。

 かつてないほど平和な時間だった。こんな状況が永遠に続けばいいのに。

 そう思わせるには、充分過ぎる程だった。


「ねえ奥さん、気付いた……?」

「跡取りよね、例の胡散臭い宗教の……」

 その時ふと、すぐ背後からヒソヒソという話し声が聞こえてきた。

 目の端に捉えた外見から察するに、主婦らしい二人組だ。


「女の子二人も連れて何してんのかしら」

「ハーレムってやつなんじゃない?」

「わー、如何にもって感じねえ……」

 信二郎の表情が、一気に硬いものへと逆戻りする。

 振り向きはしない。しかし、やり取りは何もかも筒抜けだった。

 あれだけ大きな声で話しておいて、本気で内緒話のつもりなのかも不明であるが、いずれにせよ頭から締め出そうとすればするほど、その不快なやり取りは信二郎の鼓膜へ強引に食い込もうとしてくるのだ。まるで拷問のようだった。


 突然ソラが、信二郎の背中を小さく叩いた後、気遣うように優しく撫でさすった。

 ビクッとして振り返ると、ソラが微笑み、無言で首を横に振っている。

 状況に気付いてくれたのだろうか。


 彼女の気持ちを酌み、辛うじて信二郎が頷いていると、千手に腕を引っ張られる。

 注文の順番が回ってきたらしい。ふたりで受付前に立つなり、千手が訊ねてきた。


「蓮河くん、私たちは何にしよっか?」

「え、えっと、どうしよう……」


 先程の会話に気を取られすぎた所為で、まだ何も決められていなかった。

 慌てた様に改めてメニュー表を見る信二郎だが、内容が何ひとつ頭に入って来ない。眼前のあらゆる文字と写真が、意味不明な記号の羅列にしか感じられない。


「……じゃ、じゃあさ! 私と同じマンゴークレープでいい?」

 千手が唐突に、強引に引き上げたような明るい口調で、信二郎に提案する。

「ふたりでお揃いだけど、どうかなっ」

「う、うん。ありがとう、それでいい……」

「じゃあ決まりっ。おじさん、マンゴークレープをふたつお願いします!」

「はいよ、マンゴークレープふたつね」

「あ、折角だし、今日は私が蓮河くんに奢っちゃおうかな?」


 笑顔の千手による、破格の申し出であった。

 あるいは彼女も、何かを察知してくれたということなのか。

 けれども信二郎は動揺していて、形だけは頷くが心ここにあらずといった雰囲気。

 努めて明るく振る舞おうとする千手すら、微妙に切なげな色を浮かべ始めていた。


 やがて、香ばしい匂いとともに彼らの前にクレープが運ばれてきた。

 生地と生クリームと果物が混ざり合った、独特の風味が鼻孔をくすぐる。ハズだった。

 ところが信二郎の食欲は、何故か一向に刺激されなかった。

 間違いなく美味しそうなものを前にしているのに、心から口にしたいと思えないのだ。

 まるで、脳の一部が麻痺してしまったかのようだった。


 そんな信二郎を気にしつつ、ひとまず千手は商品を受け取って、会計を済ませようとする。その時店主が、ひっそりと彼女に囁くようにして言った。


「あのさ……余計なお世話かもしれないけど気を付けなよ、お嬢ちゃん……」

「……えっ?」

 いきなりのことに、千手は目を丸くして硬直する。

「だってホラ……君と一緒にいる彼、アレだろ……」

「!」


 とうとう我慢の限界だった。信二郎はバネのようにその場を飛び出した。

 呆然とその後ろ姿を見つめる千手。足元に、ポトリと二人分のクレープが落下する。

 一瞬遅れて、千手は信二郎の後を追いかけて走り始める。


「……蓮河くんッ!」

「えっ、ちょっとお嬢ちゃん、お金――」

 すべて言い終えないうちに、クレープ屋の店主は胸倉を掴まれ、屋台の外へと強引に引きずり出された。並んでいた他の客たちや、偶然通りがかった町の住人が思わず息を呑む。


「な、何するん……」

「……テメエら、ふざけんじゃねえぞッ!」

 そこにはとうとう、憤怒の表情を浮かべたソラの姿があった。


* * *


 程なくして、町はずれにある山の麓に信二郎はやって来ていた。

 何処をどう走ってここへ辿り着いたのか、信二郎自身にすら分からない。

 雑木林に囲まれた山道の真ん中にしゃがみ込み、抑えきれない感情で地面をボタボタ濡らし続けていると、やがて千手が信二郎を追って必死の形相で現れた。


「……蓮河くん!」

 弱々しく震える信二郎を発見し、傍に近づくとそっと背中に手をやる千手。

「ごめんね蓮河くん……本当にごめんね……!」


 何か言わねばと思う信二郎だが、嗚咽が一向に収まる気配がみえない。

 そうしてしばらくの間、泣き続ける信二郎に千手はひたすら寄り添っていた。

 一方、大分遅れて姿を現したソラは、あまりに居たたまれない光景を前にして思わず立ち止まり、離れた所で悔しそうに俯いてしまっていた。それでも、とにかく何か声を掛けようと顔を上げて近づきかけた、次の瞬間、


「――ッ! あぶない!」

 そう叫んだソラが咄嗟に飛び出してきて、信二郎たちを地面に伏せさせる。

 直後、すぐ頭上を一筋の光の刃のようなものが通過していった。

 背後にあった雑木林がその直撃を受け、粉々になって吹き飛ぶ。


「「…………!?」」

 途轍もない衝撃で、信二郎の感情が強制的に上書きされた。

 千手とともに困惑しながら顔を上げると、そこにはこの世のものとは思えない奇怪な一団が、まるで行軍するかのように山を下りてくる姿があった。


 その殆どは、牛の顔をした変態タキシード軍団――――バトラー兵たちだ。

 そして彼らの先頭を歩くのは、悪魔の様な角を生やし、緑の紳士服姿をした若い男。

 相手の正体を視認した瞬間、ソラの表情が戦いに備えた戦士のそれに早変わりした。


「……テメェは……」

「フハハハッ、久しいなぁ! 実に千年ぶりの再会ではないか、サトリ・ソラ……いや聖天大聖ゴクウ!」

「……牛魔王ッ!」


 牛魔王と呼ばれた男のいやらしい笑みが、木漏れ日の中に浮かび上がった。


挿絵(By みてみん)

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