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第02話 知っていたんだ、涙の味を・後編

挿絵(By みてみん)


「わ、若様……今なんと……?」

「……ボクは教団の後を継ぐつもりはないんだ。今の学校を卒業したらなるべく早くにこの家も出ていきたい。期待してくれている皆には悪いけど……」

 言ってすぐに俯いてしまう信二郎。

 その場に集まった信者一同が、ざわざわと動揺し始める。


 あれから教団本部へと戻ってきてすぐ、信二郎は本部で一番広い部屋を選んでその夜集まっていた信者を全員呼び寄せ、自分自身の意思をハッキリ打ち明けようとしていた。出来るだけ早くに、そうするべきだと思ったからだ。

 しかし案の定、信者たちにとっては受け入れがたい事実だったようで、


「こ、こんな時にご冗談はおやめください若様!」

「そうです、どうか我らを見捨てないで下さい!」

「いや、これはきっと若様が与えてくださった試練なんだ。オーナーの後継ぎとして、我々に一種の修行をつけてくださっているんだ!」

「そうだったのですか、若様!」

「ありがたい……やはり我らの若様です!」

「ビバ・ゲンドー!!」

 めいめい勝手な願望を口にする信者たちは、毎度の如くビバゲンドービバゲンドーと手を擦り合わせて唱えだし、終いには部屋中を覆い尽くす大合唱へ発展させていった。


「うう……っ」

 何をしても最終的には、結局こうなってしまう。

 いつもと変わらない光景に、信二郎は折角奮い起こしたばかりの気力も萎えかかり、無意識のうちに後ずさりしそうになっていた。

 すると突如、背後でコンクリートの砕ける音がして、皆の視線が一斉にそちらへ引き寄せられる。

 そこには素手の拳で壁にヒビを入れる、ソラの姿があった。

 ソラはニッコリ笑みを浮かべて言う。


「……ちったあ、黙って聞けよてめぇら♪」

 たちまち、しぃんと静まり返る室内。

 それを確かめたソラは、溜息を吐くと共に噛んで含めるように話し出した。


「教祖の子だろうと何だろうと、信二郎は信二郎。悩みもすれば苦しみもする、何処にでもいる普通の高校生です。信二郎がどれ程の負担を強いられてるか、少しは想像したことあります? ましてや、自らその立場を選んだ訳でもないのに……」

「いや、しかし我らの若様は……」


「大体、これが初めてって訳じゃないでしょう。今までに何度も、信二郎からこういう話をされる機会はあったハズです。それをアンタら、二言目にはビバゲンドービバゲンドーって誤魔化して……恥ずかしいとは思わないんですか」

 ソラからの容赦ない指摘に、信者たちが揃って顔を伏せてしまう。

 そう、彼らの大半は信二郎の意思を知らない訳ではなかったのだ。

 図星を突かれて誰もが口をつぐんでしまっていたその時、


「――――ざっけんじゃないわよ!」


 金切り声と共に立ち上がったのは、例の美菜子だった。

 普段、細まって笑みを形成しているその目は、カッと怒りに見開かれている。


「アンタなんかに……アンタみたいな不信心者に若様の何が分かるってのよ! 若様は偉大なお方……あたしたちを見捨てるなど、絶対にしないわ! 絶対に!」

「そうやって、相手の優しさにつけ込む様な言い草ばかりしてるから、信二郎ひとりが思い詰めちゃうんじゃないですか? それとも信二郎は、あんたらにとって都合のいいお人形か何かですか?」

 ソラは今度ばかりは、冷静に美菜子を見返しながら言った。

「それなら納得がいきますがね。若様若様ってまつり上げてはいるけれど、本当は信二郎自身の気持ちなんてどうでもいいと――――」


 その瞬間、鉄パイプの椅子がソラの頭を直撃し、ぐにゃりと曲がって床に転がった。

 唐突に奇声を上げた美菜子が、近くの椅子を掴んで襲い掛かったのだ。

 しかしソラは直立不動。一ミリも動じるどころか、傷ひとつ負っていなかった。

 鬼の形相で息を切らす美菜子に、冷ややかな視線まで返すソラ。

 片や、信二郎や殆どの信者たちは息を呑み、サーッと顔を青ざめさせていた。


「この…………邪教徒邪教徒邪教徒ォォォォォォッ!!」

「やばいやばいやばい、取り押さえて!」

 再び凶器を手に襲い掛かろうとする美菜子を見て、周囲の信者たちが大慌てで止めにかかった。絶叫と悲鳴と物音で、たちまち大混乱の様相を呈する教団本部。


「前みたく警察沙汰にでもなったら大変だぞ!」

「誰かロープ持ってきて、ロープ!」

「この……ゲンドー会を貶める恥知らずの邪教徒女! 死ね! 死んで地獄に―――」

 金切り声を発して暴れ狂う、美菜子の迫力は凄まじいものがあった。こうした光景に耐性の無い者たちは、同じ信者であるにも関わらず震えあがってしまう。


「――――いい加減にしてくれよ、美菜子さん!」


 別の大絶叫に不意を突かれ、またしても静まり返る信者一同。

 その発生源はなんと信二郎だった。気が付けば、俯きながら過呼吸気味に震えている。

 目にした誰もが、まるで信じられないという顔をしていた。


「他のみんなもだよ! まだ分からないのか? キミたちにとっての幸せが、他の人にとっても同じだとは限らないんだ! 散々痛い目見ておいて、そんな簡単なことが……簡単なことが……なんで分からないんだ……ッ!」

「え……あの……若様……?」

 美菜子は呆気に取られていた。というより、もはや顔面が蒼白になっている。

 自分が信二郎に怒りをぶつけられるというのが、未だに現実の光景として認識出来ていない様子であった。


「あたしは……あたしはただ若様のために……」

「出てってくれ美菜子さん……出てってくれ!」

 顔を上げずにただ声を張り上げる信二郎。

 美菜子は、今にも泣きそうな顔になっていたが、やがて何故かソラを睨み付けると、脱兎の如く部屋から飛び出していってしまった。

 それを確認したソラは、ひとまず信二郎の肩にそっと手をやる。


「……信二郎、大丈夫ですか?」

「……あう、ご、ごめん……ソラ……つい……」

「いえ、いいんですよ信二郎。たまには、それぐらいのがいいんです」


 励ます様に肩をポンポンと叩かれた信二郎は、恐る恐るながら顔を上げた。

 いつの間にか信者たちの殆どが、バツが悪そうに顔を伏せていた。

 そんな彼らを見て、信二郎は自分でも意外な程親しみを覚えている自分に気が付く。

 その日初めて、彼らは同じ人間同士として対したのかもしれなかった。


* * *


 翌日、王羅市は全域にわたって非常によく晴れ上がっていた。

 即席ではあるが、布やブルーシートを使って補修されたゲンドー会の厩舎では、大小さまざまな馬たちがのんびり飼葉かいばを食んでおり、まるで昨日の騒動などは嘘だったかのように平穏な光景を提供していた。

 時刻は既に正午に近い。本部内にある多少広めのキッチンでも、テーブルに集まった信者たちが各々、昼食を採っている真っ最中だった。そんな中に、我らが聖天界の女神さまの姿も混じっていた。


「コーヒー、ありがとうございますね」

「どういたしまして。ソラさん、ブラックで大丈夫でしたよね?」

「ええ、ええ、どうも。それにしても、昨日は失礼しました……」

 コーヒーを受け取った信者相手に礼を言いつつ、同時に謝罪の態度も見せるソラ。


「今更でしょうが、突然お邪魔しといてなんか好き勝手言っちゃって」

「いえ、いいんです。我々こそご迷惑を……」

「お怪我大丈夫ですか? 昨日思いっきり椅子で殴られてましたが」

「石頭には自信がありますんで、余りお気になさらずに……ってか信二郎!」

 隣に座ったソラに肩を揺さぶられて、ハッと我に返る信二郎。

 信二郎はといえば、先程からテーブルの端でボーっとしながらジャムパンをもそもそ咀嚼そしゃくしているばかりだった。きのう一日で起きた出来事を、未だ頭の中で整理しきれていないのだ。


「相変わらず暗い顔してますね。まだ美菜子さんのこと、気にしてるんですか?」

「……今度会ったら謝らなきゃと思って。ちょっと言い過ぎた気がするし……あの人の事情も知らない訳じゃないからさ」

「本当に、優しい人ですね貴方は」

 ソラは関心半分、呆れ半分といった口調だった。

「あの人、教団を否定されたらどうすればいいか、分からないんじゃないかなって」


「ただね、信二郎……同情に値する背景があろうとなかろうと、どちらか一方が与え続けるだけの関係はいずれ、無理を生じて破綻する運命ですよ。いまの信二郎に必要なのはまず、それが自分にとっての幸せかどうかを考えることです」

「……いいのかなぁ、ボクなんかが」

「いいんですよ。信二郎は信二郎。誰かの付属物じゃないんですから」


「あっ、見てください若様!」

 ソラの指摘に信二郎が増々考え込みそうになっていると、ちょうど良いタイミングで信者のひとりが、興奮気味な様子で声をかけてきた。

「みんなも! 昨日の事件がテレビでやってますよ!」

 キッチンのテレビに映った町の映像に、一同が揃って視線を吸い寄せられる。


 最初にギューマが出現して、既に丸一日が経過しようとしていた。その間にも事件の概要と被害現場の様相は、王羅市内のみならず電波を通じて、日本全国へと拡散しつつあった。

 真実を知る者は信二郎とソラを除けば誰もない。そのため殆どの人間にとってこれは謎の怪物騒ぎと認識されているハズだったが、しかしそれすらも、目の前の映像を見る限りは伝わっているかどうか怪しい、というのが信二郎の率直な感想だった。


「……これ、もっとマシな映像無かったのかなぁ」

 信二郎は思わずそう呟いた。

「視聴者提供って書かれているけど、映像ぐにゃぐにゃにひん曲がってるじゃないか。これじゃ、あの場にいなかった人には何が何だか分かんないよ」

 テレビにいま映っているのは、昨日の商店街での様子であった。

 携帯端末のカメラと思しきもので撮影された映像で、牛魔獣やバトラー兵による襲撃から必死に逃げる様子が収められているのだが、そこに映っている怪物たちの姿形は、まるで異常なエフェクトを設定したようにねじ曲がっていた。

 あるいは彼らの周囲だけ、局所的に空間が歪んでいるかのように見えるのである。


「……これはおそらく、曲界力きょっかいりょくの影響によるものでしょうね」

「きょっかいりょく?」

 テレビ画面を真剣な面持ちで見つめるソラに、思わずオウム返しにする信二郎。

 ソラはそれに対し、コクリと頷いてみせた。


「読んで書いて字の如く『世界をねじ曲げる力』のことです。あまねく全ての並行時空においてヒトの精神活動から生じ、蓄積されていく無限のエネルギー。牛魔獣とはそれらを凝縮し、実体化させた存在なのです。聖天界が古来より多くの異世界に介入してきたのも、本来はこの曲界力の制御を手助けすることが目的でして」

「……ああ、そういえば昨日、そんな歴史があるとかないとか話してたね」

「覚えててくださったんですね、信二郎。話が早い」

 ソラはニッコリと笑って、唐突に博士めいた仕草で講義を開いた。

 心なしか、鼻上にちょこんとメガネが乗っているような錯覚さえ覚える。


「曲界力はヒトの心が生み出すエネルギーでありながら、ときには時空間にさえ干渉し得る危険な力……ひとたび暴走すれば、時空全体の崩壊にも繋がりかねません。聖天界は研究を進めた結果、暴走を防ぐには大元にあたるヒトの心の制御法を広めていくのが最善である、との結論を導きました。つまり人々が自ら心の平衡を保てるようになれば時空、ひいては世界の均衡が保たれていくということなんですね」


「……なんだか宗教染みた理屈だなぁ」

 ソラの話を聞きながら、信二郎は思わず顔をしかめてしまった。

「正直、ギューマの奴らに噛みつかれるのも無理ないって気がするよ」

 彼女が妄想や出鱈目でたらめを言っているとは思わないが、どうしても信二郎はこの手の話に抵抗を覚えてしまう性質なのだ。ソラもそのことは予測していたのか、信二郎の反応を見るや半分苦笑いを浮かべていた。


「まあそれは、一理あるでしょうね。実際、過去に聖天界と接触した人間がその思想を独自に発展させ、広めたケースも数多くあります。それらは現在、この世界では宗教や哲学として一般に――――」


 そこまで言ってソラは、コーヒーを一杯飲んだのち先を紡ごうとした。

 ブラックのコーヒーをずずずと口に含んだソラは、何となしにテレビに目をやる。

 突然、ぶふぅっと間抜けな音を立てて黒い液体がソラの口から噴霧された。


「ソラ、どうした!?」

「なななななななな」


 慌てふためくソラが、震える指で指し示す先にある光景。

 そこではニュース番組が知らぬ間に中断され、代わりに緑色の紳士服を来たひとりの若い男がニヤニヤと変態めいた笑みを浮かべて、画面に大写しになっていた。

「何やってんですか、アイツは一体!」

『――――ごきげんよう、人間界の諸君』

 テレビに映った男が、玉座に腰かけたままそう告げた。

 よく見ると、男の頭には悪魔を彷彿とさせる角が二本、立派に生え揃っている。


『我が名は牛魔王ダルマ……偉大なる反天結社・ギューマ党を指揮する者である』

「牛魔王だって!?  この男が……」


 直後、キッチンに集まっていた信者たちが次から次へと、自身のスマホや携帯電話を取りだして、その画面を確認しては驚きの声を上げる。彼らが目にするものはみな同様だった……牛魔王ダルマを名乗る男のストリーミング配信だ。

 その日、その時刻、王羅市内にあるすべてのデジタル回線はジャックされ、テレビやスマートフォン、パソコンなどあらゆる端末から牛魔王の声明が発せられていた。


『早速だが真実を告げよう……人間たちよ。諸君はいま、聖天界と呼ばれる者たちによって、心を不当に支配され、搾取さくしゅの憂き目に遭っている。奴らは長い歴史の中で巧妙に自らの思想を吹き込み、諸君に偽りの崇拝を強いてきたのだ……』


 キッチン内は、いつの間にかシーンと静まり返ってしまっていた。

 信二郎が、ソラが、信者たちが、皆一様に息を呑み牛魔王の話に聞き入る。

 それからしばらく、牛魔王は世界を股にかける過激派の最高指導者として、聖天界によって続いてきた支配の偽善性と、自分たちの活動がもたらす結果の正当性を、極めて饒舌じょうぜつな様子で語り続けた。


『己が境遇に不満をいだく者たちよ……ギューマ党は常に、諸君らの味方だ。我々には君たちを絶望と苦悩の淵から救い、解放する準備がある。その第一歩として我々はこの王羅市を選んだ……既に我が親愛なる同志は街へと入っている。いずれ君たちも彼女と出会い、偽りの正義によって抑え込まれた怒りや苦しみを、解放するというチャンスが得られることだろう』


「……マーランのことか」

『恵まれぬ者たちよ、立ち上がるがいい!』

 画面の向こうの牛魔王が突如として、絶叫と共に立ち上がった。

 彼は大仰に両手を広げ、そのテンションを最高潮に達させる。


『努力や忍耐など、偽善者どもの戯言! 心に負った苦しみからは、直ちに解放されるべきなのだ! 弱き者たちはその目に焼き付けよ……たった今より、素晴らしき革命の狼煙のろしが上がる! 全ての時空に素晴らしき救済がもたらされんことをッ!』


 直後にブツン、と音を立てて途切れる乗っ取り放送。

 始まったとき同様、唐突に回線ジャックは集結し、しばし誰もが無言であった。

 再びテレビ画面の向こうに映ったニュースキャスターも、回線が戻ったのにしばらく気が付かず、呆然とした顔をお茶の間に曝け出していたが、やがて画面脇から差し入れられた原稿を受け取ると、いささか慌てた様子でそれを読み始めた。


『えー……大変失礼をいたしました。ただいま入った情報によりますと、先ほど王羅市全域で、何者かによって複数あるデジタル回線の乗っ取られる事態が――――』

『――――熱ッ!?』

 画面の向こう側で、またも不意に響く大声。

 原稿を読む途中だった男性キャスターを始め、引いたカメラに映し出された出演者の全員が驚き顔を浮かべているのが分かる。よく見ると、その中でも日ごろ毒舌で有名なコメンテーターの男性が、自分のスマホを卓上に放り出し、慌てて席から飛び上がっているのが分かった。


『エンドウさん、どうかしましたか?』

『いや、今いきなり私のケータイが熱くなって……』

 次の瞬間、大写しになったスマホが画面の向こう側で爆発した。

 高熱で膨張し破裂したバッテリーと金属フレームが、粉々に飛散しテレビで見慣れたスタジオの一角を吹き飛ばし、巻き起こった悲鳴と小火災が生中継される。

 やがてカメラにまともに映像が映らなくなり、しばらく音声のみで混乱が伝えられたあと、それすらも途切れて《しばらくお待ちください》の画面が表示された。


 一部始終を目の当たりにした人々は、絶句する以外にない。

 一同を現実に引き戻したのは、昨晩も耳にしたコンクリートの砕ける音。

 見れば、ソラが怒りに任せたように、壁を殴りつけてヒビを入れていた。


「あの……あのバカ……一体いつまでこんなことを……!!」

「……ソラ?」

 信二郎がソラの態度に微妙に違和感を覚え、おそるおそる話しかけようとしているとそこへ、場の空気にそぐわないキャピキャピとした黄色い声が響き渡った。


「――――わかさま!」

 振り向いてみると、美菜子だった。

 昨晩の全く同じ格好のまま、何処からともなくキッチンに現れた少女。

 その目つきは何か異様な歓喜の色を湛えている。


「あたし、やりましたわ……遂にやりましたわ! 若様!」

「み、美菜子さん……何言ってるの……?」

「みんなも聞いて? ゲンドー会を悪く言う奴らは全員、今日にも絶滅するわ……天があたしを選んでくれた! あたしたちの陰口叩いて笑ってたような連中は、みんな爆発して灰になるの! あはははは!」


 奇妙な姿勢で食卓へともたれかかり、けたたましい笑い声を上げる美菜子。

 その言動に信二郎のみならず、他の信者たちまでもがゾッとした顔を浮かべていた。

 そんな中で、ソラだけが明確に怒りの表情で美菜子に迫る。

 胸倉をつかんで強引に立ち上がらせる姿を見て、信二郎は慌てて止めようとした。


「ま、待ってソラ、乱暴は……」

「会ったんですね、あいつに!」

 ソラは容赦なく美菜子を問い詰めようとした。

「マーランを名乗った、あの青い目の女です! どうなんです、答えなさい!」

「そうよぉ~……、あの人はあたしの話を聞いてくれた……あたしは間違ってないって言ってくれた……平気でデタラメを言う醜くて汚い連中は、皆遠慮せずに吹き飛ばしてしまえばいいってね! あはははッ!」

「……ッ!」

 美菜子から手を離し、乱暴に足元に放り出すソラ。

 床に転げた美菜子は、それからいつまでも狂ったように笑い続けていた。

 一同が訳も分からずオロオロしていると、ずっと緊急用のテストパターンを表示していたテレビ画面が急に、先程とは別のスタジオやキャスターを映し出した。


『えー、速報です。現在、王羅市内の全域で、携帯電話やスマートフォン、タブレット機器などのデジタル通信機器が急激に発熱、爆発する事故が相次いでいます。繰り返します、お手元の通信機器が爆発する危険があります。住民の皆様はただちに――――』

「「「……ひいっ!?」」」

 長い間呆然としていた信者たちが一転、怯えきった態度で各自の端末を遠くへと放り投げ、怯えた様に後ずさり始める。信二郎も慌てて後に続こうとしたが、即座にソラに制止された。


「落ち着いて! この教団の人たちならばおそらく、何も起きることはありません!」

「どういうことさ、ソラ……何が何なのか説明してよ!」

「今この事態を引き起こしてるのは……おそらく美菜子さんの曲界力で生み出された、昨日とは別の牛魔獣です……!」

「なんだって!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう信二郎。

 ソラはというと、未だに足元でけたけた笑い転げている美菜子を見下ろし、重々しい口調で言った。


「さっき言いましたよね……牛魔獣とは曲界力の塊であると。すなわち奴らの行動には元となった人間の、いわば現実逃避とでもいうべきものが反映されるんです」

「現実逃避……だって……?」

 信二郎は今起きている事態と余りにかけ離れた身近な言葉に、目を白黒させる。

「信二郎あなた、確かネット上では晒しものになってるんでしたよね」

 ソラが、確認するように信二郎を見てきた。


「おそらく、彼女は願ったのでしょう……この教団に否定的なもの全てを消し去ってしまいたいと。そうすれば、信二郎が心変わりするとでも思ったのかもしれません。その結果、デジタル機器に干渉可能な牛魔獣が生み出された。表向きは美菜子さんの願望を叶えるため……けど実際は、ギューマにとってのデモンストレーションを行い、先程の犯行声明を効率よく拡散するため。彼女はそれに、利用されたんです」


 信二郎は思わず、ソラの足元に転がる美菜子の姿に目をやった。

 若様、若様とうわごとの様に繰り返し、時折奇怪な笑い声を発する年上の少女。

 その姿はこれまでにないほど、哀れなものに感じられた。


* * *


 郊外に広がる典型的な田舎の風景から、ビル街のそびえて見える都心部へと一直線に続く川沿いの土手を、信二郎とソラは周囲に目を凝らしながら走っていた。

 あれからすぐゲンドー会の人々にも協力して貰い、信二郎たちは街を混乱に陥れていると思しき牛魔獣の姿を、一心不乱に探し回っていた。昨日の夜から今日の昼にかけてまでの時間に美菜子から生み出されたのなら、そう遠くへは行っていないハズ、というのがソラの見解だった。


「……あの野郎……今度こそは……今度こそは絶対に……」

「ソラ……ソラ……ソラってば!」

 それにしても、捜索を開始してからのソラの表情には鬼気迫るものがあった。

 というか正確には、牛魔王による犯行声明のあった直後からだ。

 信二郎から何度も繰り返し呼びかけられたソラは、その時ようやくハッとした表情を見せ、立ち止まった。信二郎とソラは、互いに微妙な面持ちで向かい合う。


「どうしたのさソラ……さっきから何か変だよ?」

「い、いえ別に、何でもないんです」

「もし何か特別な理由があるのなら、教えてくれ。あの牛魔王のメッセージを見てから明らかに、キミの様子がいつもと違う……ボクだってそれぐらいのこと、気付かない訳じゃない」

「そんなことは……」

 ない、と言いかけるソラだったが、信二郎の真剣な眼差しを理解したのか即座に黙り込んでしまう。しばしの重苦しい沈黙が、辺り一面に漂って消えた。


「…………私のお師匠さんが」

「…………って三蔵法師? あの人がどうかしたの?」

「殺されているんです。こちらへ来る直前、あの牛魔王の手によって」

「えっ」

 今度は信二郎が黙り込む番だった。


「驚かれるでしょうが、聖天界と人間界では時間の流れが異なっています……だから、あちらに移住した三蔵法師もごく最近までは存命していました。けれど奴が、牛魔王が脱獄してすぐあの人の前に現れ、そして―――」

 ソラはグッと拳を握り込み、込み上げるものを堪えるように俯いた。

 その表情は見えなくとも、何を想っているかは信二郎にでも容易に想像ができた。


「私は……私はあの人に、別れのひとことさえ告げられなかった! あれだけの間共に戦ってきた、大切な人だったというのに……!」


 軽々しく訊ねた自分が馬鹿だった、と信二郎は思った。

 上手い言葉を見つけることが出来ずに、思わず信二郎は立ち尽くしてしまう。

 その時、信二郎のスマホに信者のひとりから連絡が入った。

 振動する端末をタッチすると、機器の向こう側から慌てた声が聞こえてきた。


『わ、若様大変です、たった今見つけました!』

 信二郎の顔色がサッと変わる。それはすぐ、ソラにも伝わったようだった。

『都心方面へと向かう国道沿いに、ずっと以前から建っていた廃ビルがありますよね? 映画の看板が、古いままほったらかしになってるやつです。そこの屋上に、牛みたいな化け物の姿が!』

「聞いたよね、ソラ!?」

「……ええ、信二郎!」


 すぐさま通話を切った信二郎は、ソラと間髪入れずに頷き合う。

 信二郎には一瞬、彼女が涙をぬぐったような仕草をした風に見えたが、それには触れないでおこうと思った。それを無粋に指摘するよりも、今は行動で示すことの方が必要だと、信二郎にも理解出来たからだ。

 信二郎は己の胸元に手をかざし、一度深呼吸するとハッキリと宣言した。


「――――セイテン!」


 信二郎の呼びかけに応えるように、無数の光の粒子を迸らせて円筒状の物体・セイテンスパークが実体化を果たす。

 それをしっかり握りしめた信二郎は、頭上へと掲げながらスイッチを入れた。

 セイテンスパークの先端部からクリスタルが飛び出し、光の渦が巻き起こる。

 解放されたエネルギーに自ら飛び込んだソラは、瞬時にその姿を変転させ、異世界人としての本性を取り戻した。蓮河信二郎にその生命を預けたサトリ・ソラは、セイテンスパークの起動によって聖天大聖ゴクウに変身する。マッハのスピードで大空を飛び、強力なパワーであらゆる敵を粉砕する不死身の戦女神となったのだ!


「シュワアアッ! キントウ――――ン!!」

 光の中から飛び出したゴクウが、大きな挙動と共に左手のブレス目掛け絶叫する。

 突如として、青空の一角に不気味な暗雲の塊が生じ、そこから稲光を浴びて赤と金のカラーに包まれた、水上バイク風のメタリック・マシンが出現した。ゴクウと幾多もの戦場を共にしてきた超次元高速機・キントウンである。

 キントウンに飛び乗ったゴクウは、そのまま猛烈な飛行機雲を生み出しながら、町の外れに向けて一直線に飛び始めた。それゆけ、我らのヒーロー!!


 ゴクウが空を飛んで行くと、たちまち目標となる廃ビルの姿が見えてきた。

 ボロボロの建物の屋上にはマーランと更にもう一匹、武骨な外観をした新たな牛魔獣が陣取っているのが分かる。アンテナのような役割を果たしている牛魔獣の角は、先程からバチバチと明滅を繰り返していた。それこそが王羅市内を騒がせている、恐るべき電波の発信源なのだ。

 ゴクウは決して逃しはすまいと、それらを視界に入れるなりキントウンを加速させ、一直線に突っ込んでいった。


「見つけたぞ、マーランッ!」

「聖天大聖ゴクウ!? おのれ、もう嗅ぎつけたか!」

 マーランが上空から接近する宿敵の姿を確認して、憎悪に顔を歪ませる。


「牛臭ぇのがバレバレなんだよッ! 覚悟しやがれ!」

「おのれ、おのれ……渡さん! 貴様にだけは決して渡さんぞ!」

「なに!?」

「兄上は私のものだ……貴様のような猿女に指一本、触れさせてなるものかッ!」

「あんな変態野郎、こっちからお断りだっつうの!」

「なんだと、貴様ふざけるな!」

 マーランが突然、ゴクウ相手に妙な怒り方を見せていた。


「貴様に兄上の素晴らしさが、分かって堪るか! その発言撤回させてくれるぞ!」

「いや、どうすりゃいいってんだよ!?」

「構わん撃ち落とせ、コンピュータースイギュウ!」

「ピロロロロロロロロロッ!」


 マーランの滅茶苦茶な言い分にゴクウが困惑を隠せずにいると、屋上にいた牛魔獣の巨大な角の間から、空中に向かって強力な稲妻光線が発射された。

 たちまちキントウンを反転させ、直撃を回避するゴクウ。

 角ばった旧式コンピューターから長い手足の生えた様な牛魔獣は、座禅を組んだ状態で屋上にふわふわと浮遊していた。牛魔獣はそのまま体の向きを回転させ、何度も何度も角の先端から怪光線を発して迎撃を試み続ける。

「今更何をしたところで手遅れだぞ、聖天大聖ゴクウ!」

 マーランは勝ち誇ったように叫んだ。


「既に狼煙は上げられた……今後は人間どもの方から自発的に、救いを求め我らの下に集まってくることだろう! 貴様らはいずれ敗北するのだ、人間たちが提供した数々の願いの前にな! その時こそが――――」

「――――うおらああああああああああああ!」

「って危なッ!?」

 話の途中にも拘わらず突撃してきたキントウンを、危ういところでかわすマーラン。

 今にもかれそうになったことで動悸どうきを抑えるのに必死のマーランが、すぐさま立ち上がって抗議の声を上げる。


「き、貴様卑怯だぞ! 他人の口上の最中に――――」

「うるせえ! いい加減聞き飽きてんだよ、そういうカビだらけの寝言はな!」

 キントウンを反転させて、空中で制止したゴクウはニョイロッドを取りだすと、その表面を手でなぞり瞬く間にレーザーロッド化する。全てを打ち砕く光の刃を眼前に掲げゴクウは宣言した。

「何が来ようが、俺と信二郎が片っ端から叩き潰してやる……お師匠さんをあんな目に遭わせやがったこと、絶対に後悔させてやるぜ!」


「……まあいいさ、目的は果たされた。後は任せたぞ、コンピュータースイギュウ!」

「ピロロロロロロロロロッ!」

 ローブの裾を翻し、前回の様に空間転移によって逃走するマーラン。

 それを援護するように、牛魔獣から放たれた幾筋もの電撃がゴクウの脇を掠めた。

 しかしキントウンを再加速させたゴクウは、牛魔獣による絶え間ない対空砲撃をも、華麗な動きで躱し続ける。

 そうして懐に飛び込んだゴクウは、キントウンから空中に飛び出すとくるりと一回転して、必殺の光の刃を落下の勢いに乗せ、牛魔獣に叩きつけた。

「ゴクウ・ライトニング!」


 唐竹からたけりにされた牛魔獣が、ビルの屋上を巻き添えに爆発して粉々に吹き飛んだ。


* * *


 彼方に見えた爆炎と共に、執拗に放たれていた光線の雨がぴたりと止んでホッと胸を撫で下ろす信二郎。セイテンスパークを起動する間、信二郎とゴクウはある程度感覚を共有する事が出来る。ゴクウの勝利は信二郎にも伝わったのだ。


「「「若様~!」」」

「……みんな!」

 そこへ、背後の方から土手を走って集まってくる、信者たちの姿が見える。

 信二郎は慌てて、セイテンスパークを服の中へとしまい込んだ。

 幸い、ここへ辿り着いた誰にもバレてはいないようだった。


「若様、あれからどうなりました!?」

「……もう、大丈夫だよ。ひとまずは全部、片付いた」

「あっ、聖天大聖ゴクウだ! ありがとうー!」

 そこへキントウンに乗って舞い戻ってきたゴクウだが、信者たちがいるのに気付くと大きな弧を描くようにして反転し、信二郎たちの頭上を掠め西の方角に見える都心部の上空を目掛けて飛び去っていく。

 その姿は段々と小さくなって行き、やがて見えなくなった。

 口々に歓声を上げる信者たちだったが、不意にとんでもないことを言う者が現れた。


「……そうか、分かったぞ! あのソラさんが、きっと聖天大聖ゴクウだったんだ!」

「ええっ!?」

 信二郎は期せずして、動揺を表に出してしまう。

 一方、殆どの信者たちは合点がいったのか、なるほどと頷き合っていた。


「そうか、道理で事情に詳しかったんだ!」

「昨日、急にタイミングよく現れたのも説明がつきますね! いや気付かなかった!」

「なんだ、そうだったのか~! あのソラさんが……ビックリだなぁ~」

「そうなんですよね、若様!?」

「い、いや、えっと……」

 これは、真実を話してしまっていいものか?

 しかし増々面倒になる気がして、信二郎が返答に窮して挙動不審になっていると、


「……お~い! お~い!」


 唐突に呑気な声が辺り一面に響いて、信二郎も信者たちもキョトンとした。

 見ると、たった今ゴクウの飛び去っていったのと真逆の方角から、他ならぬサトリ・ソラが大きく手を振って、さも出遅れた感を発揮しながら駆けつけてくるのだ。

 目をパチクリする一同を見て、ソラは不思議そうに言った。

「おや、皆さんお揃いで……どうしたんですその顔? もう終わったんですか?」


「いや……いや、何でもないんです! 何でも! あはははは……」

「あれぇ~? おっかしいな~、間違いないと思ったんだけどなぁ」

「思い過ごしってこともあるさ、仕方ないよ」

 首を傾げながらも勝手に納得していく信者らの様子を見て、信二郎は人知れず安堵の気分を味わう。どういう仕掛けなのかサッパリ不明だが、とにかく誤魔化すのには成功した模様だった。

 当のソラはというと、信二郎に対してだけクスクスと笑いを漏らしてくる始末。


「フフフ……ちょっとからかってみました。まあこれで当面、詮索はないでしょう」

「やっぱり確信犯かキミは……だけどこれからどうする? 考えてみたら、ボクたちが常に一緒に行動し続けるのは無理があるよ。何か言い訳を考えなくちゃ」

「それなら私に、いい考えがありますよ」

 真面目な顔で考え込む信二郎に対し、どういう訳か楽しそうな様子のソラ。


「人間界に戻ったら是非一度、やって見たいと思ってたのがあるんです」

「ええ……?」

 思わず信二郎は、怪訝な顔。

 根拠はないが、何か途轍もなく嫌な予感がしていた。


* * *


 数日後の、市立王羅学園高校・二年B組教室。

 信二郎と千手の属するクラスの、朝のホームルームは開始早々から騒然としていた。

 担任教師が壇上に立ったひとりの女子生徒を指し示し、状況を説明する。


「紹介します。今日から転校してきた――――」

「―――サトリ・ソラです。皆さん、どうかよろしくお願いします♪」


 突如として現れた、絵にかいたような美少女転校生にどよめくクラスメイト一同。

 周囲の盛り上がりと対照的に、信二郎はただ絶句するばかりだった。


(つづく)


 * * *


挿絵(By みてみん)


電脳でんのう牛魔獣ぎゅうまじゅうコンピュータースイギュウ

 身長……340cm

 体重……8.0t

 概要……ゲンドー会信者・美菜子の曲界力から生み出された牛魔獣。

    特殊な電波でデジタル回線を乗っ取ることが出来、様々な電子端末を誤作動・爆発させる。

    座禅以外も様々なヨガの体勢をとれるが、何をやっても体が硬いままなのが悩み。


■蓮河信二郎

挿絵(By みてみん)

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