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第02話 知っていたんだ、涙の味を・前編

挿絵(By みてみん)


 サトリ・ソラと蓮河信二郎が帰路についたのと、ほぼ同時刻。

 同じ王羅市内の離れた山中にある、打ち捨てられて十年にもなろうかという廃寺で、その集会は密かに進行させられていた。

「――――ご報告申し上げます!」

 フードを脱いだマーランが、薄暗いお堂の中央に跪き、声を張り上げる。


「聖天大聖ゴクウめが、人間界の少年と接触……不埒ふらちにも我らが活動を阻むべく、反動勢力を結成した模様にございます!」

「知っている……お前の目を通して、我も一部始終は把握していた」


 妙に艶のある、二十代後半ぐらいの男の声がマーランに向かってそう応える。

 通常ならば仏像の安置されているべき奥座敷はいま、異界染みた巨大な玉座によって占拠されてしまっていた。そこの元々の主は全身に青緑色の錆を浮かべ、無残にもすぐ背後でひっくり返ってしまっている。

 代わりに玉座を占めるのは、ぴっちりとした緑色の紳士服を身に纏った男。

 不敵な笑みとともに頬杖を突き、報告を聞くその様は、彼がお堂に集められた無数のバトラー兵たちの親玉であることを、否応にも物語っていた。


 その名は、牛魔王ダルマ。

 時空を股にかける過激派・ギューマ党の他ならぬ指導者である。


「面目次第もございません……兄上!」

 報告を終えてなお下を向いたままのマーランは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 マントの裾を強く握りしめ、唇を噛んだその様は悔しさに打ち震えるかのようである。

「兄上のご期待に添えることも出来ず……惨めな姿をさらした上、おめおめと……」

「構うことはない……顔を上げるがいいぞマーラン、我が愛しの妹よ」

 牛魔王の言葉に、マーランは救われたように瞳を潤ませながら、顔を上げた。


「戦いはまだ始まったばかりだ……この程度のことは敗北とは言わぬ。むしろ、今回のことから得た学びこそを重視すべきではないか。そうだろう?」

「は! それはもう……疑いようもなく……」

「して、マーランよ……今回の一件とその顛末てんまつ、お前はどのように見る?」


「恐れながら……人間界は、我らが幽閉の憂き目を見た千年以上の間に大きく様変わりしたようにございます。人間どもの数こそ圧倒的に増えましたが、その内実はより複雑怪奇。我らがギューマ党の大願を成就するためにも戦略を転換し、人間どもが依拠いきょするシステムを最大限まで利用すべきものと考えます!」

 マーランによる見立てを聞き、牛魔王は大いに満足げだった。


「うむ、良い答えだ……その顔を見るに、どうやら実行の目処もついているな?」

「勿論にございます! この計画に必要な牛魔獣のプランは言うに及ばず、それを生み出すのに最適な人間の選定も、既に完了しておりますゆえ」

「流石は我が自慢の妹。実に聡く柔軟な発想よ……」

「勿体なきお言葉……!」

 崇拝する実兄からの称賛に、マーランは深々とこうべを垂れてみせる。

 すると牛魔王が突如として、玉座から立ち上がって言った。

「さあマーラン、もっと私の近くへ」

「…………!」


 両手を大きく広げ、受け入れ態勢を取った兄を前にマーランの顔が次第に上気する。

 からだの奥深くから湧き上がってくるような、切なげな声を漏らしつ、マーランは感激の面持ちで兄の後を追うように立ち上がった。

「またいつもの様にこの手で、白磁の如きお前の肌に触れさせておくれ……その美しい青い瞳を覗かせて、我が心を満たしておくれ……」

「はああ、はああ、兄上……兄上……ッ!」


 マーランの喘ぎ声は既に隠しきれない程に高まっていた。

 下半身を支配しつつあるうずきに突き動かされるように、彼女は怪しげな動きで実兄のもとへとにじり寄っていった。双方の劣情を一層煽り高めていくような、マントと床の擦れ合う音が堂内に静かに響き渡る。

 こうして大きさも形も違う兄妹同士が、今にも触れ合いそうになったその時。

 一枚の写真がヒラリ、と唐突に牛魔王の懐から舞い落ち、マーランの目を奪った。

 次の瞬間、彼女の動きが停止する。


「「…………あっ」」


 期せずして双方から発せられる声。

 色褪せてこそいるが、それは紛れもなくやんちゃだった頃のソラの姿。

 すなわち、かつての聖天大聖ゴクウを写した写真であった。

 官能的な空気は途端に一変、気まずい沈黙が堂内を急速に満たしはじめる。


「…………兄上…………」

「…………いや待てマーラン、これは違うのだ。これは色々深い理由があってな……」


 すべて言い終えぬうちに、マーランの奇声が堂内いっぱいに反響した。

 思わずビクリと身をこわばらせ、後ずさる牛魔王。

 それにも構わず水晶玉を取り出したマーランは、稲妻を放って一直線にソラの写真を燃やし尽くすと、身体ごと魂を震わせるがごとく叫んだ。

「…………口惜しいッ!」

「ま、マーラン…………?」

「あのような猿女が、未だ兄上の心に巣食っていることが……私は、どうしようもなく口惜しいッ!」


 ギリギリという耳障りな歯軋はぎしりの音。

 いつしかマーランは血の涙を流していた。

 牛魔王の表情が、笑顔のまま引きつっているのにも気づく気配はない。


「見ていて下さい、兄上……必ずや……必ずや……兄上の心を、我がもとに取り戻してみせましょうぞッ!」

「う、うむ……期待している……」


 言いつつも牛魔王は、音を立てないようマーランから距離を取りだしていた。

 離れた位置に控えていたバトラー兵たちさえもが、とばっちりを恐れるように一人、また一人と、こそこそお堂の外へと逃げ出していく。

 結局彼らにとって最大の恐怖は、聖天大聖ゴクウでも牛魔王でもなく、目の前にいる彼女なのかもしれなかった。


* * *


 その夜、ゲンドー会本部はある種の異様な空気に包まれていた。

 それもそのハズ。昼間の牛魔獣騒ぎによって、彼らがかねてから主張していた「ハルマゲドン」がある意味、現実のものとなりつつあったのだから。

 本部会館では、狭い通路のあちこちで救いを求めた信者たちが座り込み、みな一様に両手をすり合わせては「ビバゲンドー、ビバゲンドー」とさながら念仏の如く唱え続けるという光景が、既に何時間も続いていた。


 仮にも母体が乗馬クラブだとは微塵みじんも匂わせない、洒落っ気のない潔癖けっぺき染みた空間で彼らが拝むのは、会館内各所に執拗なほどに飾られているオーナーの顔写真。すなわち教祖・蓮河玄道はすかわげんどうの肖像だった。

 傍から見れば奇天烈きてれ極まりないこれらの行動も、当人たちにとっては大真面目なのだ。


「――――パートナーをやめるって、どういうことですか!?」


 と、不意に現れたソラの声が、礼拝中だった信者たちの顔を一斉に上げさせた。

 驚く彼らの目の前でドタドタと音を立て、信二郎とソラは競い合うようにして通路を早足で駆け抜けていく。多くの視線が彼らを追いかけていくが、両者ともに気にかける程の余裕は伺えなかった。


「折角あれだけのことがあって、決意したばかりなのに!」

「どうもこうも……単純にボクの見通しが甘かったんだ」

 逃げるようにして先を歩き続ける信二郎は、ぶっきらぼうにそう言った。

 先程から一向に、ソラと向き合って話そうという様子はない。

「やっぱりボクみたいな奴は、キミのパートナーには相応しくない……ただそれだけさ」

「まーた、そういうネガティブ発言をする!」

「ほっといてよ……。とにかくボクはもう戦いたくない。あの巻物みたいなアイテムを持って、早いとこ出て行ってくれ。誰か他にもっと、ちゃんとしたパートナーを見つければいい……」


 呆れたようなソラの声にも構わず、信二郎は一方的にそう通告する。

 これ以上は埒が明かないと思ったのもあるが、単純に目の前の議論から逃げ出したくて堪らず、無理矢理にでも会話を打ち切る必要があったのだ。


 ところが、ソラから返ってきたのは予想外の返事であった。

「……それは無理ですよ」

「無理? どうして!」

「……もうとっくに、お気付きかと思ってたんですがね。まあこの際ですしハッキリと申し上げておきましょう」

 ソラの神妙そうな言い方に、信二郎は思わず足を止めてしまう。

 それがある意味、全ての失敗だった。ソラは容赦なく、少年に真実を突き付ける。


「信二郎……あなたは一度死んでいるんですよ」

「死ん……!?」

 うっと息が詰まる様な感覚に襲われた信二郎は、出かかった言葉をすんでのところで飲み込んだ。


「最初に牛魔獣に襲われた、あの時です。あなたはボロボロにされ瀕死の重傷を負っていました。だから私の力の大部分を封じ込めた、セイテンスパークを体内へと埋め込むことで、どうにか蘇生させるのに成功したんです」

 信二郎は思わず、己の胸元に手をやっていた。

 セイテンスパークとは、おそらく例の巻物型アイテムのことだろう。

 手のひらに確かな鼓動が伝わってくる。本来ならそれこそが、信二郎の生きている証。

 けれども今は、ひどく心許こころもとないものに感じられた。


「キミの力が、ボクの中に宿ってるって……そういう意味だったのかよ……」

「今の信二郎は、いわば生命維持装置を身につけて生活しているようなもの。短時間ならば問題ないでしょうが、無闇に取り外せば今度こそ本当にあなたの命は失われます。信二郎の体が回復し、一人でも生きていけるようになるその日まで、私はあなたの傍を離れる訳にいかないんですよ」

「そんなの……そんなことって……!」

 信二郎が顔を上げると、ソラは何とも言えない悲しそうな表情を浮かべていた。

 それを見てしまった信二郎は、たちまち居たたまれなくなって身を翻す。

 脱兎のごとく駆け出した信二郎に、ソラがあっと声を上げた。


「待ってください、信二郎!」

「うるさい、追いかけてくんな!」

 信二郎は一層早足で廊下を駆け抜けていくと、自室に飛び込み速攻で鍵をかけた。

 灯りはつけなかった。真っ暗な部屋で毛布に包まり、何もかも忘れたいと願ったのだ。

 だが外からは容赦なく、ドンドンと扉を叩く音が聞こえてくる。


「……信二郎、開けてください! 信二郎ってば!」

 構わずにしゃがみ込んで目を閉じ、耳まで塞ぐ信二郎。

 部屋に入れないソラの悪戦苦闘が聞こえてくるが、もはや何も話したくなかった。


「お願いですから開けてくださいよ! もう一度話を……あっ」

 次の瞬間、何か嫌な物音がして信二郎は顔を上げた。

 力が強すぎたのか、扉が蝶番ごと外れて部屋の内側に倒れ込んできていた。

 横倒しになった板切れを前に立ち尽くすソラを見て、信二郎の目が瞬時に丸くなる。

「……何してくれてんの!?」

「いや、その、すみません。不可抗力というか、なんと言いますか」

「うるさいバカ! ヒトの部屋に勝手に入ってくんな!」

 信二郎はそう叫ぶなり、手近なところにあった犬のぬいぐるみを一匹引っ掴むとソラ目掛けて投げつけ、その隙に少し離れたクローゼット内に逃亡して鍵をかける。


 不意に飛んできたぬいぐるみをキャッチしたソラは一瞬、色々な意味で困惑顔をしていたが、やがて冷静に部屋に入って来ると明かりをつけて、信二郎の即席シェルターを目指して進撃を開始した。

「出てきてくださいってば信二郎。こんなところまで入り込んであなた、小さい子じゃないんですから!」

「引っ張るなよっ! また壊れたらどうす―――」

 言い終えるよりも早くバキッと音がして、クローゼットの戸が丸ごともぎ取られた。

 その拍子に、内側に収納された大量のぬいぐるみが大雪崩を引き起こす。

 巻き込まれた信二郎はクローゼットの外に転がり出て、そこで待ち構えていたソラとぬいぐるみに埋もれた無様な格好で、再会を果たす羽目になった。


「……キミ、さっきからワザとやってるだろ!?」

「い、いえそんなことは。それより信二郎、このぬいぐるみって全部信二郎の……?」

「なんだよ、悪いかよ!?」

「……意外と、可愛い趣味をお持ちなんですね」

「うがあああああ! 出てけー! 出てけよー!」

「いて、痛てて! ちょっ、信二郎、どうかお気を確かに!」

「うるさい、バカ――――――――!!」


 とうとう癇癪かんしゃくを押さえられなくなった信二郎、飛び起きるなりその辺に転がっていたぬいぐるみを片っ端から拾い上げては、ソラ目掛けて投げつけ始めた。

 避けられぬハズはないのだが、ぬいぐるみマシンガンは何故か一発たがわず、驚異の精度を誇ってソラに次々と命中する。

 そうして、ひたすら駄々っ子を発揮し続けた信二郎は、やがて周囲に弾がなくなると諦めたのか疲れ果てたのか、最後の一匹を片手にぶら下げたまま動きを止め、その場で大きく肩で息をし始めた。

 それは何処か、得も言われぬ惨めさを醸し出す光景だった。


「……ここへ帰ってきてすぐ、思い出したんだ」

 抵抗の気力が失せてしまったような信二郎が、とつとつと語り出した。

 一方で次第に警戒を解くソラは、信二郎の話に黙って耳を傾け始める。


「ボクが何したって……どんな決意をしてみせたって、殆どの人は結局、ボクをこんなカルト教団の後継ぎとしか思わないんだって。ここの連中だけじゃない……学校や町の人たちもね。ボクはきっと永久に、ひとりの人間にはなれないんだ……」

「何もそんなことは……」

「知ってる? ボクの顔と名前……ネット上で晒しものになってるんだ。何処の誰かも分からない奴らに、面白半分に馬鹿にされて……そんなんで、一体どうしたらいいって言うのさ」

「……信二郎、あなた」

「それにさ」

 信二郎は敢えて今までソラが触れなかったことを口にしようとした。

 この事実から、避けて通る訳にはいかないと信二郎の本心が告げていたのだ。


「理屈は分からないけど……あの牛の化け物は元々、ボクから生まれたんじゃないか。それだけはハッキリしてる。みんなが傷ついたのも、全部ボクの所為なんだ……」

「……だとしても、信二郎は出来得る範囲で後始末をしました。それに元をただせば、奴らの脱獄を許した聖天界の責任でもあるんです。決して、信二郎ひとりが背負うことじゃな――――」


「――――キャーッ、わかさまー!!」

「おわぁッ!?」

 唐突に、辺りをつんざく黄色い絶叫。

 振り返る間もなしにソラがね飛ばされ、入れ替わりに白いセーラー服を着た、目の細い、信二郎とおよそ同年代と思しき少女がひとり、姿を現した。

 いきなり出現してバタバタと駆け寄ってきたその少女を見た瞬間、信二郎は硬直し、そのうえ見るからに顔色が怯えを含んだようなものへと一変した。


「みみみ、美菜子みなこさん!? なんでここに!?」

「教団が大変なことになっていると聞いて飛んできたんですわでも良かった若様お怪我ないのですねご無事で何よりですわああああ若様若様若様若様若様若様若様」

「う、うん、ありがと……それはいいんだけどさ、美菜子さん」

「はい! はい! なんですか若様!?」

「その若様って呼び方……何度も言ってるけど、やめてくれないかな」

 信二郎の口調は、それまでにないぐらい遠慮がちになっていた。

 ソラや千手と会話している時とは、まるで態度が異なっている。


「ボクは拝まれるような立場じゃないし、大体キミのほうが年上――」

「――ご謙遜けんそんなさるんですね若様素敵ですわでも安心して下さい若様は若様でしかありませんから偉大なるオーナーのご子息にして世界を救済へ導く唯一の存在なのですわご謙遜などなさる必要ないのですよこの神聖なるゲンドー会は――」

「あ、あの~……?」

「だというのに気の毒なことですわ教団や若様の素晴らしさが分からないだなんて昨日だってちょっと知り合った子に若様の素晴らしさを説いたらロクに話も聞かずにそっぽ向かれちゃって人生損してますわだってこんなにも優しくてお美しい若様」


「あ、あの~、もしも~し……」

「あの、美菜子さん……頼むから少し静かにしてて」

「はァい、若様♪」

 美菜子という少女はこの上ない笑顔を浮かべると、後ろ手にぴょこっと一歩後退し、それっきり笑顔を固めたまま身じろぎひとつしなくなった。それが却って不気味ささえ醸し出していることに、本人はおそらく気付いていないのだろう。

 つい今しがた撥ね飛ばされたソラの顔は、完全に引きつってしまっていた。

 彼女でも、怖いという感覚はあるのだろうか。ちらちらと美菜子のほうを伺うようにしながら、ソラは 若干小声でおっかなびっくり信二郎に訊ねてきた。


「あの信二郎……こちらの個性的な方は、一体?」

「……美菜子さんっていうんだ。見て分かる通りまだ高校生だってのに、前からウチの熱心な信者でさ。三駅も離れた都心のほう住んでるハズなのに、殆ど毎週みたいに通ってくるんだ」

「オーナーの偉大な教えと、若様の愛に触れ、このあたしは生まれ変わったのですわ! あの薄汚い誹謗と中傷にまみれ腐れ切った、俗世の殻を破り捨てて!」

 天を仰ぐような仕草で、そう断言してみせる美菜子。

 彼女の言動はイチイチ大仰で、端的に言うと実に芝居がかっていた。


 そんな風に感動を表現していた美菜子だが、今度は急速にトーンダウンしたような、やや暗めの面持ちとなる。それは見るからに期待外れに対する不満の吐露であった。

「……なのにオーナーは、未だにあたしの出家を認めてくださらない。あんな世界にはもう未練なんてないっていうのに……たかが未成年が何だっていうの」

「へぇ……信二郎のお父上、意外とその辺きっちりしてるんですねぇ」

「単に、体裁ていさいを取り繕うのが好きなだけさ」

 信二郎は吐き捨てるように言った。


「そんなことしたぐらいじゃ、今更意味ないっていうのに」

「……ちょっとあんた!」

 すると美菜子の目が急速に鋭さを増し、ドスの利いた声が発せられた。

 信二郎は思わず一瞬身をすくめたが、真に美菜子の眼光の向けられた先は、その隣にいるソラに対してであった。

「だからあんたよ! その時代遅れの服着たサルみたいな顔のあんた!」

「えと……もしや私ですか? 私が一体なにか……」

「さっきから信二郎信二郎って若様に対して馴れ馴れしいのよアンタ何様なのよさてはあのメスブタと同じ邪教の手先ね言っとくけど若様を汚そうとすんじゃないわよあんたいまにメスブタと一緒に地獄に落ちるわよ!」


「…………えっ、なんて?」

 呆然としていたソラが、思わず間抜けに訊き返す。

 実際、このマシンガントークにたじろぎさえしなければ、多分誰でも同じ反応を示すことであろう。信二郎は、ため息と共に頭を抱えさせられた。


「……というか、メスブタって何の話です……?」

「……牧奈のことだよ」

 信二郎は隣から半ば投げやりに補足した。

 尤もこんな補足、入れたくもなかったが。


「これだから、牧奈をここに近づけたくないんだ……」

「若様を御守りするのは信徒の使命ですわ若様♪」

 するとそれまでの態度が一転、露骨なぐらいきゃぴきゃぴとした明るい声を発して、とびきりの不気味な笑顔を見せつけてくる美菜子。

「優しくてお美しい若様がブタ臭くなるのは何としても阻止せねばなりませんもの♪」

「ははは……彼女も苦労しますね……」

 ソラは苦笑というか、もはや乾いた笑いを漏らすばかり。

 牧奈千手の大変さが偲ばれるそんな中、また新たな問題の火種がやって来ようとしていた。

「…………若様!」


 声がして、扉の外れた入り口から信二郎の部屋に、不意に二十人ばかりの信者たちがぞろぞろとその姿を現してきていた。この突然の来訪には信二郎のみならず、ソラまでもがビックリした顔を見せる。

 するとやがて、古参のひとりである女性信者が一同の前に進み出て言った。

「若様、もはや猶予はございません。ハルマゲドンが間近に迫っております。来るべき日に備え、どうか我らをお導きくださいませ」

「は!? 急に何言い出すのさ。いつも言ってるけどボクは教団には関係な――」

「若様も知っての通り、オーナーはただいま支部建設のために、海外を遊説中……この難局を切り抜けるには神聖な血を御身に宿した若様こそが、必要不可欠なのです」


「いや待って……待ってよ。ボクは違うってば……ボクはただの……」

「大丈夫ですよ若様、我々は牧奈さんのことも歓迎します!」

 か細い声で抗議しようとしていた信二郎の元に、その場に集まった信者のひとりからとんでもない発言が飛び出してきた。

「彼女ほど伴侶に相応しい方はいません。早速入信手続きを準備しましょう!」

「確かに。彼女は良い子だからね、間違った教えさえ捨てれば何の問題も……」

「ちょっと待って! まさか、牧奈までこの話に巻き込む気!?」

「そうよアンタたち、さっきから勝手に話を進めないで!」

 天地がひっくり返るかと思う程ぶったまげた信二郎を、援護射撃してきたのは、驚くべきことに声を荒げた様子の美菜子であった。


「冗談じゃない。あんなメスブタ、あたしは絶対に認めないわよ!」

「論点がおかしくないか、美菜子さん!?」

「若様万歳、ビバ・ゲンドーッ!」

「あのさ、だからそうやってボクを拝むのは……!」

「「「ビバ・ゲンドーッ! ビバ・ゲンドーッ! ビバ・ゲンドーッ!」」」


 信二郎の懸命な抵抗は、一方的な祈祷きとう文言もんごんによって力づくで塗り潰される。

 ビバゲンドービバゲンドービバゲンドービバゲンドー。

 もう、信二郎には我慢の限界だった。


「……ッ!」

「あ……し、信二郎!?」

 強く唇を噛んだ信二郎の内側から、声にならない声が溢れ出る。

 集まった人々を乱暴に突き飛ばし逃げ去っていく信二郎の背中を、ソラたちは呆気に取られたように見送るしかなかった。


* * *


 無数の星明かりに照らされた、人気のない丘の上。

 そこは教団本部から程近い場所にあり、昼間ならば乗馬倶楽部は勿論のこと、周囲の町並みが一挙に見渡せる、隠れたビュー・スポットであった。

 その場所に何処からともなく、息の上がった様子の信二郎が駆け込んでくる。

 よたよたと、半ば倒れるように草むらに座り込んだ信二郎の息遣いには、気が付けばかなりの嗚咽おえつが混じり始めていた。

「う……ひっく……なんで……なんでボクだけが、いつもこんな目にばかり遭わなきゃならないんだ……」


 暗闇の中で、少年はひとり慟哭する。

 孤独が、絶望が、絶え間なくしゃくり上げてきて止まる気配がない。

 信二郎は膝立ちとなり、滲んでぐちゃぐちゃになった空を見上げるように叫んだ。

「ボクは……ボクはただ……普通の人生を送りたいだけなのに……どうして……ボクが一体何したっていうんだよ……誰か教えてよぉ……うわああああ……」


 限界まで溜め込まれた寂しさがとうとう決壊し、目の端から溢れ出した。

 拭っても、拭っても、止まる気配は一向にない。

 しばらくの間、信二郎はひとりぼっちでわあわあと泣き続けた。

 何者とも共有することが出来ない、おそらく永久に続いていくであろう暗闇の道。

 それを想像するだけで、今の信二郎には耐えがたいものだったのだ。


 そうしていると、やがて誰かがそっと背後に近付いてくる。

「……それが、あなたの本心なんですね」

 問われるがままに振り返ると、そこにはソラがいた。目元を真っ赤に腫らし、顔中を涙でぐちゃぐちゃにした信二郎を見て、彼女は思わず苦笑する。

「死にたいだなんて嘘ばっかり。本当は他の誰よりも、幸せな日々を送れればと願っているんじゃないですか」

「ソラ…………」

「こんなところいると、風邪ひきますよ。ほら、これ羽織ってあったかくして。昼間に雨も降ってましたし、今夜は冷えてます」

「…………ごめん」

 おそらくは自分の部屋から持ってきたのであろう、タオルケットを殊勝しゅしょうな態度でソラから受け取り、その中へと包まる信二郎。

 探し相手を見つけ出しホッとしたのか、ソラはすぐ信二郎の隣に並ぶようにして腰を下ろし、穏やかな顔つきで星空を見上げながら言った。


「この時代の星空も存外、綺麗なものです……ほら見てください信二郎、天の川ですよ」

「……ボクには、涙でぼやけててよく見えないよ」

「あはは、それはそうかもしれませんねぇ」

「きっと……ボクには一生、ちゃんとした星空が見える日なんて来ないんだ」

 不貞腐ふてくされたようにそう言って、信二郎はタオルケットに顔を埋める。

 ソラはそんな信二郎を見つめていたが、やがてポツリと口を開いた。


「あのね信二郎……信じられないかもしれませんが、この私もかつてはあなたと同じく自分自身に絶望を覚えていたんですよ」

「え……?」

「かつての私が人々に何と呼ばれていたかご存知ですか? 身もふたも無い話ですが……“化け猿”ですよ。今でこそ神格化され、聖天界の一員に迎えられちゃいますがね……その名の通り、化け物扱いです」


 信二郎は何も言えず、ソラをジッと見つめ返した。

 星々の光を反射して煌めく彼女の赤い瞳は、相変わらずとても綺麗だった。

 けれどもそこに、憂いや絶望が浮かんでいた時期があるなど、信二郎には正直想像がつかなかった。


「私には生まれつき親がいません。岩山のてっぺんにあった石の卵から、ある日突然に誕生したそうです。得体の知れない存在ですしね……同じ山の連中にも最初は遠巻きにされてました。ま、水連洞すいれんどうを見つけて鼻を明かしてやりましたがね、あはは」

 可笑しそうに笑うソラだったが、次第に真面目な表情へと変わっていく。


「そのまま私は猿どもの頂点に君臨して、聖天界を荒らし回り……終いには封印されてしまいました。あの頃は、何でも思い通りにならなきゃ気の済まない性格でしたが……今思えば、本当は自分が化け物だという事実に、コンプレックスを感じていただけなのかもしれません。上っぺらだけ王様になったって、虚しくなるだけなのに……馬鹿な話です」

「……キミの話は分かったけど……それとボクとどういう関係があるのさ」

「信二郎……私とあなたは表面的な生き方こそ違いますが、突き詰めれば出自によって呪われた身。その事実だけは、今後もおそらく覆しようがないでしょう」

 ソラの言葉に、信二郎の絶望が深まる。

 どうあっても覆すことが出来ないなら、一体自分の生に何の価値があるのか。


「ですがね信二郎! どんな理不尽や、不平等を背負って生きているとしても、ヒトは自分が何者かを証明したければ、行動する以外の道は無いんです。信二郎……あなたはあなた自身の行動と結果によって、蓮河信二郎がどういう人間かを、人々に認めさせていくしかないんですよ」

「……無理だよ」

 信二郎は、やがて怯えた様に目を逸らしながら言った。


「無理だよ……無理だよ……怖いよ……」

「無理じゃない! 怖くてもいい! ただ一歩、踏み出すことが重要なんです!」

 静かに首を振って拒絶する信二郎に、ソラは尚も強く語りかける。

「確かに、ひとりでは不安なこともあるでしょう……けどこの私だってお師匠さんに、三蔵法師と呼ばれたあの人に支えてもらったからこそ、生き方を変えることが出来たんです。同じように、今度は私があなたを支える番。証明してやりましょうよ……本当のあなた自身を! 蓮河信二郎はこういう人間なんだって自信持って言える、そんな日を目指してみましょうよ!」

「ソラ……キミは……」

「まあ信二郎としては……少々複雑かもしれませんがね」

 自分自身を指出し、二カッと悪戯っぽく微笑んでみせるソラ。

「だってほら……私って一応、神様ってことになってるじゃないですか?」


 彼女のそんな笑顔を見ていたら、未だに悲しいけれども、何故だか不思議と可笑しい気分になってきてしまっていた。

「何を言ってんのさ……本当にバカだな……」

 そう呟いた信二郎を、ソラは無言でそっと抱き寄せた。

 信二郎も為すがまま、彼女の肩口に顔を埋めてボロボロと涙を溢れさせる。

 それでも先程より、遥かに穏やかで温かい空気を纏っているのが不思議だった。

 そんな信二郎の頭を優しく撫でながら、ソラは星空を見上げて呟く。


「いつか信二郎の目にも、見えますよ……あのとっても綺麗な西天の星が……」


挿絵(By みてみん)

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