終章
王羅学園の裏山の、山頂付近に巨大な雲の塊が漂っていた。
だがそれは、擬態に過ぎない。その正体は聖天界からやってきた次元航行船だ。
銀色の円盤状の船体を、真っ白な雲へとカモフラージュしているのだ。
その底部から、一筋の光線が放たれ地上の牛魔王たちを収容していく。
牛魔兄妹との決戦からしばらく後のことだ。
拘束されたマーランはガックリと項垂れ、気落ちしてしまっている。
片や、牛魔王は……憑き物が落ちたような顔をしていた。
長かった苦痛から、ようやく解放されたが如く。
しかし、彼の生涯はこれで終わりではない。
ここから先、牛魔王、いやダルマという青年の本当の人生が始まっていくのだ。
彼らは次元航行船に音もなく吸い込まれていき、そして消えた。
それを確かめ、信二郎とソラは改めて二人きりで向き合う。
「それじゃ……預かっていたセイテンスパークを、キミに返すよ……」
「……ええ」
短く答えて、目をつむるソラ。信二郎は意を決し、己が胸元に手をかざした。
光の膜に包まれて、すうっと円筒状の物体が出現する。
信二郎はそれを起動せず、そっとソラの方に押しやる。
宙を音もなく滑っていったセイテンスパークは、本来の持ち主であるソラの体内へと吸い込まれていった。
たちまち、彼女の全身が光り輝きシルエットを変容させる。
女子高生としてのサトリ・ソラは、今度こそ完全に異世界の女神・聖天大聖ゴクウに戻ったのだ。
再び目を開けたゴクウは、自分の体を確認し、満足げに頷く。
「……確かに、受け取りました」
「ゴクウ、本当に離れ離れにならなくちゃいけないのか? この先……もう二度と会えなくなるの?」
いざその時が迫り、信二郎は急激に弱気になってきていた。
思わず不安そうに、顔を伏せてしまう。
「やっぱり、まだ自信はない……キミが消えたら……ボクひとりの力じゃ……」
「いつまでも、私に頼っていてはいけませんよ、信二郎」
優しく、けれども本人もどこか寂しそうに、信二郎の肩を抱くゴクウ。
「貴方と千手さんは、証明しました。人間を救うことが出来るのは、同じ人間だけなのです。我々、神の役割とはほんの少し……その手助けすることでしかないんです」
「……ゴクウ」
「さらばです、信二郎……どうかお元気で……」
努めて落ち着き払った態度でそう告げると、キントウンに乗るゴクウ。
彼女は信二郎に背を向けると、次元航行船を伴い、ゆっくりと静かに飛び立った。
いま、聖天大聖ゴクウが旅立っていく。
遠い世界からやって来て、人間のため命を賭してくれた女神が、いよいよ光の国へと帰っていくのだ。
それとほぼ同時だった。
信二郎の中にある、ゴクウの記憶の封印が始まった。
天へ天へと昇っていくゴクウとの距離が開くほど、彼女と過ごしてきた日々の記憶が薄らいでいく。共に過ごし、泣き、笑い、困難に立ち向かった思い出が、少しずつ別の何かへと置き換わっていく。
それは限界ギリギリまで引き延ばしたような、とても長い一瞬だった。
段々と、思い出せなくなっていく。
かけがえのない友と過ごした。
かけがえのない日々が……。
「……………………ソラッ!」
我慢しきれずに、信二郎は呼び止めてしまう。
その瞬間ハッとしたように、ゴクウが俯き気味だった顔を上げた。
ゴクウはキントウンを反転させ、猛烈な速度で信二郎の元に舞い戻ってくる。
信二郎の目と鼻の先で停止したゴクウは、信二郎の顔を優しく抱き寄せ……その額にほのかな口づけをした。
「…………!!」
「……大丈夫ですよ、信二郎なら」
唇を離して、近くから信二郎に、ニッコリと微笑んでみせるゴクウ。
だが目の端は、微かに潤んでいるように見えた。
「貴方はこの私、聖天大聖ゴクウがパートナーと認めた人間。きっと生きて行けますよ……どんなことがあっても、強く、自分の力で……」
そう言ってゴクウは、信二郎と見つめ合ったまま再びキントウンを後退させていく。
今度は、先程よりゆっくりな動きだったにも拘わらず。
あっという間に、空の彼方へ消えた。
雲の合間から、光が降り注いでいる。
ずっとその光を見つめていた信二郎は……やがて、自分が涙を流していることに気が付き、その理由が分からずに驚いた。
「あれっ……ボクはどうして……泣いて……?」
ずっと誰かといた気がするが思い出せない。額に微かに、熱い感覚だけが残っている。
雲の向こう側に奇妙なまでの懐かしさを覚え、信二郎は今一度そちらに目をやった。
「ボクはずっと……何をしていたんだろう……」
「――――蓮河く~ん!」
背中で聞き慣れた声がして、信二郎は振り返る。
牧奈千手が、大きく手を振ってこちらへ走ってやって来る。
信二郎は咄嗟に涙を手の甲で拭うと、思い切って二カッと笑顔を浮かべてみた。
自分からも手を振り返し、自分を慕ってくれる少女を歓迎する。
「……お~い、牧奈~!」
悲しいハズなのだ。けれども、不思議と信二郎の心は晴れやかだった。
もう、何の気負いもない。信二郎は千手の元に駆けだした。
その背中に、天に広がる雲の隙間から一筋の光が差し、その前途を祝福する。
いま、少年は初めて自らの人生を歩み始めたのだ。
ありがとう、サトリ・ソラ。
さらば、孫悟空。




