最終話 運命のしずく・前編
厩舎奥にある、薄明りが差し込む空の馬房。
その隅で、信二郎は膝を抱えるようにしてうずくまっていた。
学園から自宅まで、戻って来るが早いかそこに一直線に駆け込んだのだ。
「蓮河くん……そこにいるんだよ……ね?」
不意に、馬房の外から気遣うような千手の声がする。
学園の前ですれ違ってから、ここまで信二郎を追って来たのだった。
「……帰ってくれ」
突き放すように、投げやり気味に信二郎は言う。
いつもなら信二郎の胸を温かくする少女の声も、今の彼には不快なノイズ以外の何物でもない。
「ボクはもう何もしたくない……もう何も……」
「蓮河くん……だけど……」
「――――帰ってくれよッ!!」
無意識のうちに鋭い声が飛び出して、千手が戸惑った顔色を浮かべる。
それを確かめる余裕さえなく、信二郎は矢継ぎ早に言った。
「牧奈、ボクはね……普通の人間じゃあないんだ。三蔵法師の生まれ変わりだって……ソラがボクを気にかけてくれたのは……本当はそれが理由なんだって!」
「えっ」
少年の声にはいつしか涙が混じっていた。
思わぬ告白に少女は言葉を失い、それを聞いた少年は自嘲を込めて呟く。
「馬鹿みたいだ。都合のいい神様なんか、この世にはいないって……ボク自身が、一番分かってた筈なのに……なのに……なのに……」
「…………そっか」
ややあってからそう答えた少女は、通路と馬房を隔てる扉に背を持たれると、静かにその場に腰を下ろした。薄い壁一枚を隔て少年と少女は背中合わせになる。少しの時間、永遠にさえ思える静寂の世界が広がった。
「……それは、確かにビックリだね……」
「だからもう……帰ってくれ……」
ようやく紡がれた気遣わしげな言葉にも、そんな台詞しか返せない。
言ったきり、信二郎は再び顔を伏せて黙り込んでしまった。。
千手は複雑そうな表情で天井を見上げる。
「……蓮河くん知ってた? ソラさん、もうすぐここを離れて……ひとりで戦うことにするんだって。蓮河くんのこと……もうこれ以上傷つけたくないからって」
「そんなのデタラメだよ」
信二郎は即座に言い返した。
「牛魔王の言う通り……結局アイツはボクを、都合のいい人形ぐらいにしか思ってなかったんだ……だから都合が悪くなって、逃げ出そうとしてるんだ」
「……本当に、それだけなのかな」
千手はあくまでも冷静で、それを訊いた信二郎の苛立ちは募る。
「……何が言いたいんだよ」
「昨日ね……特別に教えて貰ったんだ」
その日はじめて、千手は寂しそうな口調になった。
「蓮河くんと別れる時……ソラさんは自分と一緒だった間の記憶を全部、蓮河くんの中から消していくつもりなんだって」
「…………は!?」
気が付けば声が裏返ってしまっていた。それを訊き、千手が苦笑している。
「やっぱりショックなんだね。私も……驚いちゃった」
「だ……だってそりゃあ……でも、どうして!?」
「蓮河くんには、自分なんかに縛られないで生きてほしいって、ソラさん言ってたよ」
「そんなの……無責任なだけじゃないか!」
信二郎は、またしてもプチパニックを起こして叫んだ。
「これだけ振り回しといて……なんだよ、なんなんだよそれ!」
「秘密にしてたことは、確かに怒っていいと思う……だけど、」
千手はそれから、迷うように一呼吸置いて言った。
「だけどソラさん……自分の中の矛盾にもずっと前から気付いてて、とっても苦しんでたんじゃないのかな。自分の気持ちにけじめをつけるには……多分、こうするしかないって思ったんだよ」
「そんなの何の根拠も」
「あるよ」
今度は、千手が即答する番だ。
「だってソラさん……私と蓮河くんのことちょっと大げさなぐらい、応援してくれてたでしょ。蓮河くんを自分のモノとしか思っていなかったら……そんなこと、出来ないと思うな」
それから千手は、少しだけ躊躇うように一拍置いて、その先を続けた。
「……女の子ってね、同じ女の子のために自分のことを犠牲にするなんて、誰も滅多にやらないんだよ。男の子には……ピンと来ないかもしれないけど」
「そ、それは……」
信二郎は思わず冷や汗をかく。
「ソラさんが来てから蓮河くん……少しずつだけど、変わったよ。今までよりもずっと、明るい表情が多くなったと思う。正直……ちょっと悔しくなるぐらい」
「牧奈……」
「自分では気付いてないかもしれないけど……ソラさんはきっと、蓮河くんの心を取り戻してくれたんだと思うよ。ソラさんだからこそ、出来たんだよ」
「ボクの……心……」
信二郎は、次第に分からなくなってきていた。
一体何が正しいのか。真実が何処にあるのか。自分は……何を信じればいいのか。
「…………ね、戻ろうよ蓮河くん」
千手がおずおずと、しかし確かな口調で提案した。
「ソラさんが大変なんだよ……蓮河くんも分かってるでしょ?」
「……い、嫌だ! 嫌だ! ボクには何も関係ないっ! 関係ないんだッ!」
それでも尚、信二郎の踏ん切りはつかなかった。
半ばべそをかいて、背を預けていた扉から飛び退く。
千手の言葉から逃げるように、信二郎は馬房の隅にしゃがみ込んで耳を塞いだ。
「ボクの心なんて、何処にもない! 泣くのも笑うのも、誰かを助けたいって思うのも本当は全部……ボクじゃない、誰か別のヒトの気持ちなんだよ! ボクなんか初めから存在してなかったんだよ!」
「そうやって悩んだり苦しんだりしてるのは、蓮河くんが蓮河くんだっていう、一番の証拠じゃない!」
自身も立ち上がった千手が、信二郎の背中に力強くそう告げた。
「ソラさんを助けるのが正しいことかどうか、分からなくて不安でいっぱいなんだよね……だけどね、それが蓮河くんなんだよ。若様とか、生まれ変わりとか……そんなの全然関係ないんだよ!」
「知らない! 知らない! 知らない! ボクは何も知らないッ!」
バタン、と乱暴にゲートを開け放つ音がした。
馬房に入ってきた千手が、迷わず一直線に信二郎の元に歩み寄って来る。
肩を掴んで振り向かされ――――パシン! と乾いた音が響いた。
頬にじんわり広がった痛みに呆然となる信二郎の前に、涙を浮かべた千手がいた。
間髪入れずに、千手は信二郎を乱暴に抱きしめる。
それは有り得ないほど真っ直ぐで、しかし嘘偽りが一切ない感情の吐露であった。
「勇気を出してよ……蓮河くん……」
「まき……な……?」
「何が本当の自分かなんて、私にも分かんない……でもね……ひとりぼっちで泣いてた私を助けてくれた優しい男の子……私が大好きだって思ってる人……それも確かに蓮河くんなんだよ。矛盾していたっていいの……臆病なのも、優しいのも、勇気があるのも蓮河くん……その全部が、蓮河くんの中にある気持ちなんだよ……!」
堪え切れなくなったのか、途中から嗚咽が混じっていた。
力いっぱい抱擁されるままの信二郎に、千手の体温が、存在が、否応なく伝わってくる。
知らず知らずのうちに、信二郎は彼女を抱き締め返していた。
おずおずと、背中に手を回し、相手の存在を確かめるように自分の腕に力を籠める。
心が雪解けを起こし、いつの間にか目の端から溢れ出た。
それからしばらく、小さな厩舎に男女の絞り出すような泣き声が満ちる。
無我夢中で力いっぱい抱き合ったことで、取り繕いようのない感情が体の奥から絞り出された。
「ごめん……ごめん牧奈……」
「ううん、私こそごめんね。偉そうに言ってても、蓮河くんの不安な気持ち……全部は分かってあげられないから。だから蓮河くん……最後は、蓮河くん自身が決めて?」
「ボクが……?」
「うんっ」
そこでやっと身を引いて、一歩離れて、千手と信二郎は向かい合った。
「私でも、ソラさんでも、他の誰かでもない。結局、決められるのは……蓮河くんだけだから。……蓮河くんはどうしたい? ……どんな人になりたい?」
「ボクは…………」
丁度その瞬間、隣の馬房で白馬のアローワンが少し大きめの声で嘶いた。
ふたりは馬を振り返ってから……思わず互いに見つめ合った。
* * *
「イヤアアアアアアアッ!」
「チッ……!」
大上段から振り下ろされる牛魔刀を、ソラは紙一重のところで回避する。
王羅学園での死闘は、尚も継続していた。
既に生徒や教師たちはほぼ逃げ出した後だった。ソラの激闘もあり、大勢いたバトラー兵はそこら中に積み重なって、のびてしまっている。しかし最後に残った牛魔王とマーランは、徒手空拳のみで相手をするには明らかに過ぎた相手だった。
ソラは先程から防戦一方である。制服も既にボロボロ。満身創痍のまま肩で息をしており、立ち続けるのがやっとという有り様。
それでも牛魔王は、容赦なく斬りかかって来る。
「ぬるいぬるいぬるいぬるいわァァァァッ!!」
「ぐわあああああっ!?」
不意に突き込まれた固い柄の一撃で、ソラの息が一瞬つまる。
その隙に振り上げられた刃が、袈裟懸けを逆からなぞる様に、ソラの制服と皮膚とを切り裂いた。
それでもどうにか傷口を手で押さえ、ソラは気力だけで踏ん張ろうとする。
すかさずマーランが水晶玉を掲げて詠唱した。
「懲罰招雷ッ!」
降り注ぐ稲妻の雨に、ソラの内から悲鳴にならない悲鳴が漏れる。
周囲の地面が次々と爆発を起こす中、ソラはとうとうガクリと膝をついた。
立ち上がる気力が、奪われていく。一撃一撃、確実にソラの命が削られていく。
土を握りしめて、ソラは自嘲するように呟いた。
「ざまあ……ねえな。身から出た錆……ってやつかな……」
「アハハハハッ、見てください兄上、うわ言で何かほざいております!」
マーランがソラを指差し、けたたましく笑った。
「今更後悔したところで、遅いというのに! 罰当たりめがッ!」
「己の愚を悟ったか」
妹とは対照的に、牛魔王は乾いた笑みを浮かべていた。
「思えば哀れなものよ……」
「しん……じろ……」
実際、今のソラはそれほどまでにズタズタだった。パートナーから失った信頼と共に、平素の誇りと自信がどこかへ持ち去られてしまったようだった。
これが好機と見たのか……反対にマーランは、平素より勢いづいてさえいた。
「兄上……トドメはこのマーランめが!」
喜色に満ちた、邪悪な表情で懐に手を入れるマーラン。
引き抜くとそこには、水晶玉と同じ素材で出来た一本の鉱石ナイフが握られていた。
逆手に持ったナイフを振りかざし、マーランはソラににじり寄る。
「死ね、猿女!」
絶体絶命。誰の眼にもそう映る様な光景だった。
その時である。
規則的な、硬質の音が、何処からともなく響き渡った。
それは、少しずつ少しずつ、確実に戦場目掛けて接近してくる。
不意を突かれたマーランの身動きが止まる。彼女は怪訝そうに顔を上げ、そして気付いた――――それは、馬の蹄の音なのだ。
「……? 何が――」
「ソラ――――――――――――――――ッ!!」
力強い声に鼓膜を突き破られたマーランはその方角を見て……思わず目を剥いた。
ぶひひひひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!!
力強い嘶きと共に、一頭の白馬が少年少女を乗せて、学園の正門に一直線に向かってくる。アローワンに騎乗した信二郎と千手だ!
「……なにいっ!?」
「ば、馬鹿な……うわあっ!」
一瞬本気で信じられないという顔をしていた牛魔兄妹は、迷わず突進してきた白馬に怯み、咄嗟に飛び退いてなお狼狽の様子を見せた。
急制動を掛けるアローワン。愛馬の背中から飛び降りた信二郎は、決然とした表情でソラの元に向かっていった。
「ソラ、大丈夫か!? しっかりして!」
「し……信二郎……貴方どうして……!?」
「……ええい、馬如きがなんだというのだッ!」
迷わずソラを抱き起す信二郎を見て、怯む自分を叱りつけたマーランが、再び彼らのもとに近づいていく。が、そうは問屋が卸さなかった。
千手が構えを取って、マーランの目の前に立ち塞がったからだ。
音もなく、合気道でいう半身の体勢になった千手は、静かな口調で告げた。
「……蓮河くんと、ソラさんの時間を邪魔しないで」
「どけぇ、邪魔だ! 貴様などに用はな――」
絶叫し、鉱石ナイフを振り下ろすマーラン。
ところが次の瞬間、彼女の天地はあっという間に逆転していた。
気が付いた時には、視界がひっくり返り背をしたたかに地面に打ち付けるマーラン。
何が起きたか理解が追い付かず、マーランが潰れたような声を漏らした。
四方投げ。かつての千手が、最も得意としていた技だった。
「な…………!?」
「――――お寺の子供を、ナメないでよねッ!」
自信満々に言い切る千手。
そう、彼女は特訓していたのだ。信二郎の力になると決めたその日から。
冗談ではなく、身が危険に晒される可能性を知ったその日から。
ずっと前に辞したハズの道場に通いなおしてまで。
実際、ブランクこそあったが……元々、小さいときから嫌というほど習わされ続けてきた護身術だ。ある程度鍛錬し直せば、何も知らない相手を制することぐらい難しくはない。
千手は千手に出来ることを、ひとつでも多くやりたかったのだ。
ただ純粋に、想い人の傍に立ち続ける、それだけのために。
「……ソラ!」
ソラと信二郎は二人きりで対峙した。
だが助け起こされたソラは、合わせる顔が無いとでも言うのか、せっかく戻ってきた信二郎にも目を伏せるばかり。そのため今度は信二郎が力強く見つめ、問いかける番だった。
「こっちを向いてよ、ソラ……」
「信二郎、私は……私は貴方に酷いことを……!」
「……理由があったんだろ。そう……だよね?」
「………初めは」
ソラが絞り出すように言った。
「初めはただ、信二郎がお師匠さんのようになってほしいと……いつか不屈の心で前に進む人間に成長してくれたらと……軽い気持ちで、深く考えもせずに、信二郎に言葉をかけてしまっていました」
苦しそうに語るソラを、信二郎は顔を背けず真っ直ぐに見る。
「けれど一緒の時間を過ごすうちに……信二郎とお師匠さんは違う人間なんだって思い知って……身勝手な期待ばかりしていた自分に嫌気が差し始めて……段々どう接したらいいのか分からなくなってきて……気が付けば、今日までずっと――」
その瞬間、信二郎はソラの肩を掴んで振り向かせると、そのまま強引に、力いっぱい彼女のことを抱きしめる。予期せぬ出来事に、呆然とするソラ。
「し……信二郎……」
「ありがとう……キミなりに精一杯悩んで苦しんで……出した結論だったんだね……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい!」
ソラがその時、初めて自分から信二郎にしがみ付いた。
自分を責めるようにして何度も叫び、ポロポロと涙をこぼれさせる。
熱くて切ない感情が、信二郎の胸元を生暖かく濡らし続ける。
「私は馬鹿です……! 私が馬鹿だった所為で散々、信二郎のこと傷つけて……私は、私は……」
「ボクの方こそ、ごめん……」
信二郎はそんな彼女のことを、やさしく抱擁し続けた。
「自分のことばかりで一杯いっぱいで……キミの気持ちまで考えてあげることが出来なかった。ボクもキミも大切な人を失って……簡単には立ち直れなかった。キミもボクと同じで、弱かったんだ」
「……ええ、そうかも、しれませんね……」
「その上で改めて言うよ。ボクは蓮河信二郎だ……たとえ生まれ変わりでも……キミの三蔵法師の代わりには、どうしてもなれない」
「……ええ」
噛みしめるように、頷くソラ。
「それでもいいなら……ボクはもう一度、キミの力になりたい。ボクを助けてくれた、キミを助けるために、蓮河信二郎として頑張りたい」
「……許してくれるんですか……こんな私を」
「当たり前じゃないか」
意外そうな顔をしたソラとようやく抱擁を解いた信二郎は、安心させるように敢えて皮肉っぽい笑みを浮かべて、冗談めかして言った。
「だって、クズなのはお互いさまだろ?」
「…………あはは、言うようになりましたね信二郎!」
「誰かさんのお陰でね」
涙を流しながらだが、ソラがやっと笑い出した。
それを見て、いつものソラだと安心し、自然に微笑み返す信二郎。
そうしてやがて、笑い声が収まると、ソラは眼前に軽く拳を突き出して問うた。
「一緒に戦ってくれますか……私の新しいパートナーさん?」
「任せてよ……女神さま!」
拳と拳がコツンとぶつかる。
少年と女神は振り向いて、並び合い、離れて立つ悪魔に相対した。
信二郎が胸元から実体化させたセイテンスパークを掴み、天に掲げて宣言する。
「――――セイテンッ!!」
クリスタルパーツが飛び出し、発光する。
呼応するようにソラの全身が光り輝き、そのディティールを変容させていく。
セーラー服から、コンバットモードへ。
光の粒子を迸らせ、スカートを翻し、甦った戦女神が躍動的なポーズをとり、天下に轟く大音声で己が称号を告げた。
「聖天大聖――――ゴクウッ!!」
ソラあらためゴクウは、流れるようにしてニョイロッドを取り出し、敵に突き付ける。
「覚悟しな、牛魔王……絶望にサヨナラだ!」
「きゃあっ!」
直後、千手から悲鳴が上がった。
一連のやり取りを見守っていたところ、出来た隙を突かれたのだ。
彼女の拘束を振り払ったマーランが、慌てて牛魔王のもとに退避していく。
「大丈夫か、牧奈!」
「いつつ……ごめん蓮河くん、もっとちゃんと押さえられてれば」
「そんな……お陰で助かったよ!」
尻餅をついてぼやく千手の元に駆け寄り、彼女が立ち上がるのを助ける信二郎。
思えば何もかも、彼女がいてくれなければ不可能だった。
信二郎の中は、千手への感謝の気持ちでいっぱいだった。
「おのれ……おのれおのれおのれ!」
この状況で一番腹立たしそうにしているのが、マーランだった。
全ての企みが一瞬で水泡に帰したのだ。それも、ただの人間の手によって。
地団太を踏みたがるのも、無理からぬこと。
「まさか、まさかこのような屈辱ッ! 如何いたします、兄上ッ!?」
「…………ははは」
「……兄上?」
「ははははははははははははははははははッ!!」
それまで顔を伏せて黙っていた牛魔王が、突如として肩を震わせ、引きつったような大笑いを響かせた。それはまるで、毒を口にして笑気が抑制不能になったかのようで。
それまでの仰々しい笑いとは、似ているようで何処か雰囲気が異なっていた。
「あに……うえ……?」
彼を信頼しきるマーランでさえも、呆然となってしまっていた。
周囲が訝しむのも構わず、しかし牛魔王は高笑いを続ける。
「傑作だ! これは傑作ッ! さすがの我も……こうなるとまでは思わなかったよ……ははははははははははははは!」
ゴクウは無言で信二郎と千手の前に進み出ると、ニョイロッドを構えながら、二人を下がらせるようにした。これでもかとばかりに警戒心が露わになっている。
「何笑ってやがる、薄気味悪ぃ」
「――――反吐が出そうな偽善ぶりだよ、全く」
一瞬のうちに、牛魔王の口調と表情の温度が急下降した。
芝居じみた態度は消え、剥き出しの冷たさが一同の前に晒される。
それまでの態度との極端な落差に、誰もが声の主が別にいるのではと、疑いを抱いてしまったぐらい。信二郎と千手は一瞬にしてゾゾッと鳥肌を立てて、ゴクウなどは毛を逆立て、完全に臨戦態勢へと入っていた。
「……マーランッ、こうなればもう手段は選ばぬ! このような偽善は捨て置けん!」
背後で同様に目を見開いていた妹に、牛魔王はマントを翻し下命した。
「虚実転換装置を作動せよ! 我が心を贄とし、ゴクウを牛魔界に引きずり込めッ!」
「兄上!? し、しかしそれは……」
「やるんだ、マーランッ!」
振り返った実兄に強い眼差しで訴えかけられ、マーランは思わず身動きを止める。
その瞳に覚悟を見たのか……程なくマーランは、涙ながらに頷いた。
「……御意ッ。虚実転換装置、作動ッ!」
言うなりマーランは、己が水晶玉を高々と天に掲げた。
身構えたゴクウだったが、水晶玉から迸った緑の雷撃は、驚くべきことに牛魔王へと命中したのだった。牛魔王が、たちまち苦悶の声を上げて身をよじり出す。
これにはソラたちも仰天させられた。
「なんだと!?」
「「――――牛魔界、発生ッ!!」」
ゴクウたちの疑問を置き去りに、同調した牛魔兄妹が叫び声を発した。
するとどうだろう。牛魔王の肉体から天空にエネルギーが放出され、それが形状のみならブラックホールにも似た、極彩色の渦潮を作り出し急速に拡大を始めたのだ。
そしてそれは、見た目通りの異様な引力を発生させていた。
拡大していく空間の渦目掛けて突風が吹き荒れ、まず初めに千手がそれに捕まる。
「きゃああああ!」
「牧奈!」
信二郎は咄嗟に気付いて、千手の腕を掴むとありったけ踏ん張ろうとした。
だが余りにも、空間の拡大が早い。ゴクウも対処しようとしたが、間に合わなかった。
千手が、続いて信二郎が、最後にゴクウが。
叫び声と共に渦の中に飲み込まれていき、そして消えた。




