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第05話 僕はまだ恋をしてはいけない・後編

挿絵(By みてみん)


「それじゃあ千手さんは……信二郎があれほど死にたい死にたいと口にしていた本当の理由を……最初から、知っていたんですね」

「うん……私も直接聞いたわけじゃないんだけどね」


 ソラの問いかけに、千手が静かにそう答える。

 その日の乗馬クラブは、曇り空から覗く微かな夕日に染められていた。

 広い角馬場では、今日も変わらず沢山の馬たちがパカパカと歩き回っている。牛魔獣による襲撃の痕跡も時間が経ったことで、大分目立たなくなってきていた。


 しかし信二郎の姿は、今日はその中にはない。離れた洗い場の隅で、ただ黙々と愛馬アローワンの全身を磨いていた。それ自体は、珍しくも何ともない光景だ。

 ただ、余りにも時間が長すぎる。いつもなら三十分ぐらいでテキパキ終わらせてしまうのに、その日は一時間経っても一向に終わる気配がない。目は虚ろで、ここではない何処か違う世界を見つめている……大野あかねの一件、そしてソラと派手に演じたケンカが今なお、心を締め付けていたのだ。


 多くのゲンドー会信者が笑顔で話しかけてみるが、反応はひどく薄い。

 そんな彼の様子を、ソラと千手は離れた場所に立ち、心配そうに見守っていた。


「蓮河くん自身が触れられたくないことみたいだったから。でもソラさんにだけは……話しておいた方が良かったのかも、ね……」

「千手さんの責任ではありません。私が無神経なばっかりに……」

 近くの柵にもたれかかりながらソラは、考え込むようにして頭を抱えていた。

 彼女にとっても、今回の件は相当に堪えてしまっていたのだ。


「蓮河くんのお母さんのことは、知ってる?」

「……前に一度だけ、こちらの方たちが話しているのを聞いた事があります。信二郎を産んですぐ、お亡くなりになったとか……」

「きっと……そのことも関係あると思うんだよね」

 千手の痛ましそうな声色に、ソラはうむむ、と小さく唸る。


「そりゃあまあ……自分の母親がそんなことになっていれば、友人の置かれた状況を、本当の意味では理解出来なかったのも、仕方ないかもしれませんが」

「それもあるけど……蓮河くんにとっては他人から疫病神なんて呼ばれること、本気で辛いことだったんじゃないかなって」


「そんな」

 ソラはいよいよ慌てた様子で顔を上げた。

「信二郎は……自分が生まれてきたことそのものにまで、罪悪感を覚えていると?」

「多分だけどね。それに、お父さんの問題だってあるし……」


 その事実は、ソラもその時初めて知ったことだった。

 ゲンドー会の教祖・蓮河玄道は表向き、支部建設のため長らく海外へ向かったことになっている。けれどそれは、信者たちが無理矢理に、そう思い込もうとしているだけの虚構でしかなかった。


 実際は、蓮河玄道は現在刑務所に入っていた。全ては信二郎が遠因となって起きた、教団での例の暴行事件を防げなかった責任を問われたためだ。

 事情を深く掘り下げれば信二郎が矢面に立たされてしまう。だから玄道はあえて罪を認め、全ての責任を引き受けることにしたのだそうだ。たとえどんなに憎んでいても、無実の人間、それも実の父親が自分の所為で牢獄行きとなった事実に違いはない。

 信二郎はそのことを、ずっと気に病み続けていたのだ。


「それでも私は……出来ることなら、蓮河くんには笑顔でいてほしいって思う。きっと私の勝手な願望でしかないんだろうけど」

「千手さん……」

「だって……あんなに優しくて傷つきやすい人が、自分は幸せになっちゃいけないなんて思い込むの……絶対に間違ってるよ……」

「それは……私もそう思いますが……」


 千手までが辛そうな表情を見せ、ソラは思わず自身の唇を噛む。

 改めて信二郎に目を向けると、いつまでも死んだような表情で居続ける彼の様子に、いよいよゲンドー会信者たちがオロオロし始めてしまっていた。その光景を目の当たりにして、ソラは溜息を覚えた。


「いつだったか美菜子さんが暴れた時……あの人らが妙に聞き分けよく振舞ったのも、事件の苦い記憶があったからってことなんですね……肝心の私がそれ以下だとは。実に笑えませんね……」

「前から、聞こうと思ってたんだけど」

 不意に千手に訊ねられ、ソラは神妙な顔つきで相手を振り返る。


「ソラさんの力で蓮河くんをここから連れ出すことって出来ないの? ここを離れて、もっと蓮河くんが安心して過ごせるような場所に、連れて行ってあげられない?」

「絶対に無理だとは言いませんが……出来ることなら、それは避けたい選択だと思っています」

「……どうして?」

「それは……」


「――――どうしてメスブタがこんな場所にいるのかしら?」


 唐突に乗馬クラブに響き渡る、悍ましいほどに聞き覚えのある人物の声。

 ソラと千手が目を丸くして振り返ると、灰島美菜子が腕を組んで仁王立ちしていた。


「ここは養豚場じゃないハズだけど?」

 美菜子の敵意剥き出しの言葉に、ソラの顔が自然に引きつる。

 が、意外にも千手だけは動じていなかった。それも何故か、不自然なまでの笑顔だ。


「灰島さん、いたんだ……ごめんね、気付けなかった……存在感なさすぎて」

「千手さァん!?」


 心から仰天した様子で、声をひっくり返らせるソラ。

 慌てふためく彼女の眼前で、美菜子が即座に反撃に出ていた。


「ふぅーん……相変わらずプギィプギィと喧しいメスブタね……屠殺場へ送ってやろうかしら」

「あはは、条件反射で人を殴ったり、奇声上げて暴れたりする動物みたいな人にだけは言われたくないなぁ」

「ホンットに生意気なメスブタね……でも、まあいいわ。あたしは既に若様のご寵愛を賜ったもの……あんたみたいなメスブタとは違って、ねッ!」

「……へー、それっていつの話?」

「ついこの間よ! あああ、若様はお優しい方……不名誉にもブタ箱送りになっていたこのあたしを救うため、ただ一人その足で、警察署に迎えに来て下さるなんて!」

「うん、それ知ってるよ。あんま自慢することじゃないからね? そもそも、私だって蓮河くんには何回も、怪物から助けて貰ってるし」

「重要なのは、量よりも質よ。このメスブタッ!」

「自分でブタ箱送りとか言ってた人が、他人をブタ呼ばわりって、滑稽以外の何物でもないよね」


 不意打ち気味に勃発した女同士のバトルは、熾烈を極めるばかり。

 笑顔のまま火花を散らし合う千手と美菜子の姿に、ソラは冷や汗気味だった。

「せ、千手さんの目が笑っていない……!」

 闘いは尚もエスカレートしていくかに思われたが、その時、遠くに信二郎の姿を見とめて瞬時に、美菜子の目の色が変化した。


「きゃあああ、わかさま――――ッ!」


 即、バトルをほっぽり投げた美菜子は驚異のジャンプ力で馬場を仕切る柵を飛び越え、馬の洗い場にいる信二郎の下へ一直線に突っ込んでいく。しかし余りに喧しかったためだろうか。ある馬の背後を通過しようとした瞬間、突如として放たれた馬の後ろ蹴りが彼女の真芯を捉えて、直線方向へ一気に撃ち出した。

 たちまちひっくり返り、ボウリングの球よろしく地面を遠くへ転がって退場して行く美菜子。その一部始終を、千手とソラは呆れ顔で見つめていた。


「え、えっと……一体どこまで話しましたっけ……?」

「……蓮河くんを、ここから連れ出せないのかなって」

 ソラは気を取り直すようにして、真面目な顔つきに戻りゴホンと咳払いした。


「まあ……それが出来れば楽なんでしょうが」

「出来ない理由があるってこと?」

「結局のところ……信二郎の人生を最後まで面倒見られるのは、信二郎以外にはないということですよ」


 その言葉を聞き、千手がハッとした表情を浮かべる。

 ソラは尚も落ち着いたまま、話の先を続けた。


「私や千手さんが、どれほど信二郎を想っていようと……未来永劫、彼の傍にい続けることは事実上不可能です。今はまだ、何かあれば力を貸すことだって出来ます……けど最終的には信二郎自身が変わり、動かぬ限り……根本的な解決にはなり得ません。何度でも何度でも、同じことが繰り返されてしまいます」

「……理屈は分かるけど……」


「ヒトが他力本願でい続けるのは、想像以上に危険なんですよ、千手さん。さもないと牛魔獣を生み出した人々のように、その場しのぎの救済だけ追い求めて暴走した挙句、己も周囲も傷つける結果に終わってしまう。それだけは避けねばなりません」

「ソラさんも……これから先ずっと蓮河くんの傍にいられるわけじゃ……ないってことだよね」


「ギューマ党を壊滅したら……私はこの世界を去らねばなりません。だからこそ、手を貸せる間に信二郎自身に、少しでも強くなって貰って最低限自力で生きてゆけるようになってほしいと、そう考えていたのですが……それも間もなく終わりのようです」

「……えっ?」

「信二郎の肉体は、ほぼ回復しかかっているんです」


 千手が一瞬にして言葉を失う。ソラは予測していたのか、更に小さく微笑み言った。


「少なくとも既に、セイテンスパークを分離したら即・死にかける……という状態ではなくなっています。もうこれ以上、やたらに信二郎の生命が危機に瀕することもないでしょう」


「そ……それ本当、ソラさん!?」

 思わず詰め寄った千手に、ソラは無言で頷いた。

 それによって心に安堵が広がったのか、千手は力が抜けたように柵にもたれる。


「よ、よかった……蓮河くん……」

「これで信二郎や……千手さんともお別れです」

「あ……」

 ソラの言わんとすることに気が付き、千手の顔からすぐさま笑みが消えた。

 顔を上げると、ソラが明らかに寂しげな表情を浮かべているのが分かった。


「今までお世話になりました、千手さん」

「……いなくなっちゃうの? この世界から……」

「ギューマ壊滅まで、人間界には残ります」

 ソラが後を引き受けるように、そう言った。


「ですがここを離れ、戦い自体は一人で続けようかと思っています。信二郎には大変な苦労を掛けてしまいました……もちろん、千手さんにも」

「……ソラさんがいなくなったら、蓮河くんきっと寂しがるよ。少し、憎まれ口は言うかもしれないけど」

「いいんですよ、千手さん。きっと私は信二郎の傍にいない方が良かったんです」


 千手から目を背けたソラは、自分でも何故そうしたか分からないが、遠くに沈みゆく夕陽を、正確にはそれがあると思しき曇り空の向こうに目をやった。彼女の後姿を千手は何とも言われぬ表情で見つめる。


「散々、大層なことを口にしてきましたが……実際は違ったのかもしれません。私は、本当は信二郎のことなど微塵も考えてなくて、ただ自分が理想とする姿に作り替えたいなどと……身勝手な願望を押し付けていたに過ぎなかったのかもしれません


「そんなこと……」

「それでね千手さん、私がいなくなる前に、ひとつお願いしときたいことがあるんです」

 ソラが湛える決意の眼差しを見て、やがて千手はゆっくりと頷いた。


「……うん、分かった。何でも言って?」

「助かります。実は――――」


「――――――――わ――か――さ――ま――ッ!」


 その場を切り裂く黄色い悲鳴に、二人はまたしても驚き顔を上げる。

 いつの間にか復活した美菜子が、懲りもせずに馬場を突っ切って、洗い終わった馬の手綱を引いて歩く信二郎のもとに、背後から突撃を敢行していた。

 土煙を上げて迫る美菜子。幸い、今回は馬場の馬たちに蹴られることはない。


 だが、最後の最後で詰めが甘かった。

 信二郎に飛びつこうとした瞬間、その愛馬アローワンの蹴りが美菜子を直撃したのだ。

 彼女はたちまちドップラー効果を残し、地の果てまでも吹っ飛んでいく。

 その時、初めて背後の物音に気付いた信二郎だったが、振り向いた時はもう美菜子の姿はどこにも見えなくなっていた。思わず目をパチクリさせる信二郎。


「……信二郎の周囲を、ああいう人ばかりにしないためにも、重要なことなので」

「分かってる。分かってるよソラさん」


 ソラの言葉に、何度も何度も目を閉じ頷き合うふたり。

 その日の夕日は、実にゆっくりと沈んでいくようだった。


* * *


 翌朝のことだ。

 ちょうど、他にも多くの人々が通勤・通学をしている時間帯。


 王羅学園の正門をくぐって少しした場所では、ソラの決断を聞かされた信二郎が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。周囲を行き交う他の生徒たちの存在自体が、今はすっかり意識から外れてしまったようだった。

 明らかに動揺している彼に対し、ソラが再び念を押すようにして告げる。


「そういう訳でして……突然で申し訳ないのですが」

「……本当に、急な話だね」

「とはいえ、お世話になった方々に挨拶ぐらいはしたいので、今日の放課後までは待つつもりでいます。私と信二郎の関係は……そこで終わりです」

「…………そう、分かった」


 それから、長い沈黙があった。ソラも信二郎もお互い何も言わない。

 このままでは決心が揺るぎそうな気がしたため、ソラは信二郎に背を向けると「行きましょうか」と、あえて明るめに告げ、足早に教室に向かおうとする。

 すると信二郎が、若干躊躇うような挙動を見せてから、突然その背中に向かって口を開いた。


「……あのさ、ソラ! 今まで……ありがとう……」

「……えっ?」

「それと……昨日はごめん。色々ありすぎて、訳わかんなくなっちゃってて。少し言い過ぎたと、思う……」

 今度はソラが驚き、ポカンとした表情を浮かべる番だった。

 ややあって、その口を突いて正真正銘、偽りのない本音が飛び出してくる。


「……意外ですね」

「えっ、何が?」

「憎まれ口のひとつでも叩くと思ってたのですが」


「こんなこと急に言われて……他に何を言えってのさ。その……助けられてきたのは、事実なんだし。それなりに一応、キミといて楽しかったこともあった訳だし」

「変わりましたね、信二郎」


 思わず感無量といった顔になり、信二郎を見つめるソラがそこにいた。

 予想だにしなかった反応が出て、逆に信二郎が驚いた様子だった。


「出会った頃と比べて、少し大人になりましたよ」

「別に……そんな大して変わってないよ」

「そうだとしても、無闇にカッコつけようとしなくなったのは立派な進歩です。自分を差し置いてまで他者を気遣えるのが、貴方のいいところなんですから……もっと自信を持って下さい」

 言ったかと思うと、ソラが信二郎のところに戻って来て、優しくその肩に手を置く。


「信二郎……貴方は一人でもきっと、立派にやっていけます。立ちはだかる困難は数えきれないほどにあるでしょうが……それでも、必ず」

「こんな大勢の前で、クサい台詞吐くなよ……」

「それでね、信二郎………去る前にひとつ、伝えておかねばならないことがあるのです」

「な……なに?」


 信二郎の、気のせいだろうか。

 間近に寄ってきたソラの瞳が、微かにだが潤んでいるように見えた。


 少し前までは意識もしなかったが、改めて見るとソラはかなりの美少女だった。

 そんな彼女に至近距離からじっと見つめられ、自分でも意外なほどに照れが混じった動揺を示す信二郎。

 そして当のソラは、重大な決意をするかのように静かに深呼吸をしてから、いま一度ゆっくりとその唇を動かした。


「実は――――」

「――――実は、小僧が貴様のお人形だったという話か?」


 その声は、唐突にふたりの頭上から降って現れた。

 どこか覚えのある殺意を察知し、ソラたちは一斉に校舎の上を振り返る。

 周囲にいた多くの生徒たちも、声に気付いて学園の校舎の上を指差し、口々に驚きを表現していた。一方で、ソラたちの心を支配するのはそれ以上の混乱と、恐怖と、焦燥だった。


 大勢が指摘するその場所に、牛魔王ダルマと牛姫マーランが立っていた。

 風に乗った彼らのマントとローブが、悪魔の兄妹が存在する事実をより強調するかのように空中で泳いで、元から大仰な彼らの登場を過剰なまでに演出していた。


「フハハハッ、また会えて嬉しいぞ、我が義妹よ!」

「この日を待ち兼ねたぞ……猿女ッ!」

 高みから見下ろしてくる宿敵たちの姿に、ソラはひとまずは混乱を振り払い、迅速に警戒態勢へとスライドした。


「……テメェらどうして……!?」

「やれ、マーラン!」

「御意に、兄上!」


 ソラの疑問に答えるよりも先に、牛魔王による号令が下った。

 マーランが手にした水晶玉を掲げると、そこから紫色の稲妻が無数の矢のように降り注いで、地表を穿つと同時にそこかしこで熱による空気の爆裂を引き起こした。


 何の前触れもなく起きた稲妻の空襲に、驚き悲鳴を上げて、しゃがみ込む生徒たち。

 しかもそれ自体は、開幕の号砲に過ぎなかった。

 たちまち、校舎の屋根やら金柵やらを乗り越え四方八方から、学校の敷地内に溢れんばかりのバトラー兵軍団が、怒涛の如く侵入を開始してきたのだ。


「「「ウシシッ! ウシシッ!」」」


 悪夢の様な叫び声の連鎖に、生徒たちは大パニックに陥った。

 そうして逃げ惑う彼らは勿論、騒ぎを聞いて駆けつけてきた教師や警備員までもを、バトラー兵軍団は片っ端から見境もなく殴りつけ、固い地面の上に転がしていく。

 人々の悲鳴を耳にしながら、牛魔王は陶酔しきったかのように両腕を大きく広げ、深く深くその場の空気を吸い込んでいた。


「ああ……いい……実にいい……これぞまさしく全時空の弱者たちを救済する、素晴らしき革命の音色! このひとつひとつが我らギューマ党の大願を成就する、崇高な礎の役割を担ってゆくのだ……」

「やめろコノヤロー! 何考えてやがんだ!?」


 何の気まぐれか、敵はソラたちがいるこの学園そのものの直接攻撃に打って出てきたらしい。目を剥いたソラは、すぐさま屋上の敵目掛けて飛び掛かっていこうとした。

 が、すかさずマーランの水晶から、追加で一筋の電撃が放たれる。

 それは寸分違わずソラに命中すると、不自然な体勢のままで彼女の挙動を停止させ、瞬く間に空中に固定してしまった。不意打ち気味に拘束され、ソラが悔しそうな表情で必死に身をよじる。


「く……この……動けよ……このッ!」

「そ、ソラ……うわぁッ!?」


 ソラを拘束する稲妻のリングに触れようとした途端に、指先で火花が散って信二郎は勢いよく尻餅をつかされた。手が熱い……生身の人間がどうこう出来る状態では、既になくなってしまっているようだ。

 次にどうすべきか逡巡する信二郎の眼前に、牛魔王とマーランが重力を制御しているかのように、ふわりと着地する。


「……そう暴れるな我が義妹よ。実のところ、今日の目的は貴様ではない。こっちの、パートナーの小僧にこそ用があるのだ。いや……やはりパートナーというよりは可愛いお人形、とでも形容してやるのが正しいかな」

「クククッ、実に滑稽ですね、兄上!」


 勝手に何かを分かり合ったように、信二郎を見て薄笑いを浮かべてくる牛魔兄妹。

 それを受け、信二郎は流石に腹が立ってくるのを感じた。

「さ、さっきから何言ってんだ……人形って一体何の話だよッ!?」

 ソラを助けたいのは当然だが、状況が不明瞭なまま一方的に笑われてるというのは、気分が良いものでは決してない。そんな信二郎に、牛魔王は更に哀れっぽい眼差しを向けてくるのだった。


「……その様子、本当に何も聞かされていないと見えるな。哀れなものよ……」

「だから、何の――――」

「―――貴様は三蔵法師の生まれ変わりだ、小僧」



 一瞬、この世のあらゆる音が掻き消えたような気がした。

 信二郎の頭の中がショックで漂白され、それまでの警戒態勢が自然に解けてしまう。

 その隣で、ソラが顔面蒼白になっていた。


 呆然となった信二郎が次の言葉を選ぶまでには、長い長い時間を必要とした。

 そうしてようやく絞り出した言葉でさえ、実に通り一遍なものだった。


「な……何言ってるんだ、意味が……」

「だから、言葉通りだよ。貴様はかつて天竺への旅を遂げ、聖天界の神へと上り詰めた玄奘三蔵法師の転生した存在……そういうことだ。そこなるサトリ・ソラ……いや聖天大聖ゴクウとは浅からぬ縁だったという訳だ」

「少なくともそれで……猿女が貴様に、妙な期待をかけていた説明はつくだろう?」


 どこか嘲るようなマーランの言葉。

 それでようやく、敵の言わんとしていることの全貌が、飲み込めてきた気がした。

「いや……でも待って……そんなこと、そんなことある訳ないだろ!?」

 信二郎はパニックに陥りかけながらも、必死にその話を否定しようと叫んだ。


「だって……だって……アンタらが三蔵法師の命を奪ったのはこっちに来る直前で……凄く最近のことなんだろ! ボクが生まれたのは、それよりずっと――――」

「ああ、ごく最近のことだとも。ただし、我々の感覚ではな……聞いていなかったか? 聖天界と人間界では、時空の流れにズレが生じている。聖天界における一日は、人間界における一年に相当するのだよ。我々にとってはごく最近の出来事であっても、ここでは十五年以上が経過していたという訳だ」

「なん……だって……」


 言葉を失いかける信二郎。

 そんな馬鹿なことがと思いかけたが、考えてみれば覚えがある。

 初めて出会った頃にソラが、自分で言っていた。聖天界に移住した三蔵法師が、ごく最近まで存命だったのはそれが理由だと。だがまさか、こんな形で。


「小僧貴様……初めてゴクウと会った日に、言われたそうだな。“オマエはオマエだ、自信を持て”と。だがそもそも、不自然とは思わんのか? ほんのついさっき出会ったばかりの見ず知らずの女が、何故それ程まで信頼し、期待を寄せてくれるのかと。何故子供染みた駄々をこねても見捨てず、熱心に背中を押し続けてくれるのかと」

「それは……」


「答えは明白だ。そいつにとって貴様の価値とは、貴様自身の人格や性格などといった部分にあったのではない……すなわち! 貴様が想い人の生まれ変わりで! かつての彼奴と瓜二つな容姿を備えているという! ただそれだけのことだったのだ! 貴様は一度も人間扱いされていない……都合のいい人形だったのだよッ!」

「違う……」


 言ったのは信二郎ではない。拘束されたままのソラだ。

 牛魔王の言葉に、何とか抗おうとする様なソラの言葉。

 けれどそれは、信二郎にとっては余りにも……。


「その女はな、小僧! 貴様自身のことになど最初から、これっぽっちの関心も抱いていなかったのだ! 現に貴様が泣こうが、苦しもうが、そやつは己が主張を優先させたではないか! 心当たりがあるだろう? 貴様の人格は、尊重するに値しなかった! かつての想い人の偶像を再現出来さえすれば、貴様の心がどれ程引き裂かれようが平気だったのだ! だからこそ――」


「――――違うッ!!」

 身動きを封じられたままのソラが、とうとう絶叫を発した。


「違う……違うんだ……確かに秘密にしていたのは悪かったと思ってる……だけど……だけど違うんだ……聞いてくれ信二郎……俺はただ……ただ……」

 何度も弱々しく首を振り、弁解しようとするソラ。

 その姿に、普段のハッタリめいた態度は微塵も見当たらなかった。

 ただ純粋に、誤解を解きたいと必死になるあまり、取り繕う間もないほど素の部分が剥き出しになってしまっていて。


 それでも伏せていた顔を上げると、そこには絶望的な顔で頬を濡らしてしまっている信二郎がいて、ソラは愕然とした。そして彼はソラ以上に弱々しく絞り出すようにして言葉を選びながら、共に戦ってきたハズの仲間にポツリポツリと言った。


「なんで……? なんで言ってくれなかったのさ……ソラ……」

「あ……あの……」

「今までの言葉は全部……ボクに言ってくれたことは……何もかもウソだったの……? そんなのって……そんなのって……酷すぎるよ……」

「しんじ――――」


 声をかけるよりも早く、信二郎は逃げ出した。

 懸命に伸ばそうとした手が、何もない空間を虚しく掴んでソラを打ちのめす。

 それはもう二度と、やり直しのチャンスは無いと、彼女に告げているかのようだった。


「蓮河くん!?」


 千手が、校門のところで逃走する信二郎とすれ違い、驚きの声を上げる。

 登校途中、学校で起きている騒ぎを聞きつけ、慌ててここまで走ってきたのだ。

 千手はこちらと、あちらを交互に振り返ったが、一瞬迷ってから慌てて信二郎の名を呼びつつ、彼の後を追いかけていった。


 その光景があった直後、ソラの電磁拘束が急速に解除される。

 力無く地面に落下し、呆然とするソラに牛魔兄妹の高笑いが追い打ちをかけた。


「クハハハハッ、存外に脆い絆だったな! だが聖天大聖ゴクウよ……それも全ては、貴様自身が積み重ねてきた偽善が呼び寄せた結末。恨むなら精々、己が不用意な言動を恨み、罵るがいい!」


「……ああ……ホンットにその通りだよ……」

 半ば独りごちるように、力無い挙動で立ち上がるソラ。

 その顔には自嘲的な、投げやり気味な、彼女らしからぬ卑屈な笑みが浮かんでいた。


「テメェ自身のどうしようもないバカさ加減に……嫌気が差して堪んねえぜッ!」

「今さら悔いても手遅れよ……総員行けェッ!」

「「「ウシシッ! ウシシッ!」」」


「うああああああああああああッ!」


 殺到するバトラー兵軍団を、がむしゃらに迎え撃つソラ。それを嘲り笑う牛魔兄妹。

 ずっと離れた場所で、泣きべそをかいて走り続ける信二郎。それを追う千手。

 今、彼らに最大の危機が訪れようとしていた。


(つづく)


 * * *


挿絵(By みてみん)


寂油せきゆ牛魔獣ぎゅうまじゅうオイルショートホーン

 身長……250cm

 体重……6.5t

 概要……王羅高校の女子生徒・大野あかねの曲界力から生み出された牛魔獣。

    涙が石油、蹄が火打石になっており、広範囲にわたる発火能力を持つ。

    あかねをフッた幼馴染み・康彦とその彼女へ復讐するため、ひたすら泣いて暴れ回る。

    

    なお事件後、微かに罪悪感を覚えた康彦から大野家へ、電話があったとか無かったとか。

    泣くな初恋魔獣。


■牛姫マーラン

挿絵(By みてみん)

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