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セイテン!~帰ってきた孫悟空~【レドラスタジオ・アーカイブス】  作者: 彩条あきら


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第05話 僕はまだ恋をしてはいけない・前編

挿絵(By みてみん)


「や、やめてくれ……助けてくれ……ッ!」

「康彦! 康彦、お願い何とかしてぇ!」


 その日は既に、放課後に差し掛かろうとしていた。

 王羅高校の中庭では、運動部らしく坊主頭をした精悍な顔つきの男子と、今どきのギャル風の外見をした女子が、揃って顔を引きつらせ、お互いに縋り合うように何かから逃走を図っていた。


 そんなカップルらしい二人目掛け、無数の小火球が降り注ぐ。

 火球は足元に敷き詰められたコンクリートブロックに着弾して、次から次へと爆発を引き起こした。辺り一面が小規模の火災に包まれ、逃げ道を失った男女は身を寄せ合うようにして悲鳴を上げる。


 彼らを追うようにして現れたのは言わずもがな、牛に似た姿をした二足歩行の異形の怪物。牛魔王オイルショートホーンだ!


「ウオオオオオオオン……!」

「許さない……許さない……」

 低く、哀しげな咆哮を漏らす牛魔獣。そしてその背後から、そばかす顔で三つ編みのおさげをしたもう一人の女子高生が、幽鬼の様にフラフラした動きで姿を現した。その名は大野あかね。康彦と呼ばれる、カップルの片割れの幼馴染みだ。


「どうして……どうしてなのよ康彦……ッ!」

「やめろ! 頼むからやめてくれ、あかね!」

 幼馴染みの懇願にも、そばかすの少女は一向に聞く耳を持つ気配がない。


「どうして、そんなアバズレ女を選んだりしたの……答えてよ康彦ッ!?」

「俺が好きなのはこいつなんだ、分かってくれよ!」

「私と結婚するって、約束してくれたのに!」

「俺たちが五歳の時の話だろ!?」

「約束は約束よ! 信じてたのに……信じてたのにッ!」

「勘弁してくれぇ!」

「ウオオオオオオオン……!」


 大野あかねの絶望に呼応して、牛魔獣がその巨体をゆさぶり泣き声をあげる。

 牛魔獣が両手の蹄をこすり合わせると、小さな火花と共に、みるみるうちに数えきれないほどの小火球が生じた。牛魔獣はそれらを、片っ端から眼前のカップル目掛けて投げつける!

 もうダメかと思われたその時、


「――――ぜやぁッ!」


 間一髪。聖天大聖ゴクウが颯爽と割って入り、ニョイロッドを振るうと飛来する火球をまとめて薙ぎ払った。着弾した周囲のブロック床一面に、たちまち火の手が上がる。が、ゴクウは無傷だ。一ミリも動じぬ涼しい顔で、眼前の牛魔獣を見据える。


「ふう……間一髪だったぜ!」

「キミたち、大丈夫か!?」

 信二郎が遅れて駆けつけてくる。もうこなれたもので、怯えるカップルを立たせるといま来た方角へと誘導して、即座に被害者らに逃走経路を指示した。


「あっちへ逃げて! 早く、早く!」

「ひいいいいい……!」


 大人しく指示に従い、支え合うようにして逃げ出すカップル。

 一方、予想外の妨害に出くわした牛魔獣と大野あかねは、対峙するゴクウと信二郎を睨み付けて歯軋りしながら言った。


「何なのよアンタたち……邪魔しないで……関係ないでしょッ!」

「目を覚ませ、大野あかね! いくらフラれたからって、幼馴染みを焼き殺そうなんて考えるかよフツー!?」

「幼馴染みだから、余計に許せないのよッ!」


 ゴクウの指摘に、大野あかねは次第に涙混じりになって膝をついた。


「あいつに……私がどれだけ尽してきたと思ってるのよ……中学も高校も……あいつと一緒のところにして、部活だって……返してよッ、私の十年間返してよォッ!」

 金切り声を上げてコンクリの床に突っ伏す大野あかね。

 とうとう「わーッ!」と、盛大に泣き出してしまった。


 そればかりか牛魔獣までもが、呼応したように哀しげな唸りを発して、やや黒ずんだ涙をダバダバと溢れさせる始末。彼女らの周りの空間はあっという間に湿っぽい空気に包まれた。

 これには流石のゴクウも、顔をしかめて言葉に詰まるばかり。


 信二郎も気の毒に思った。大野あかねとは、中学時代に同級生だった。それほど親しい訳ではなかったが、見知った人間が泣き叫んでいる姿など、基本的に見ていて気分の良いものではない。

 信二郎は、彼女を慰めようとそっと歩み寄っていった。


「そんなに落ち込むことないよ、大野……。確かに悔しかっただろうけどさ……ホラ、そういえばキミだって中学の頃……」

「ッ! 信二郎下がれ、危ねぇッ!」

 鼻をヒクつかせたゴクウが、慌てて信二郎を引き戻しながら言った。


「気を付けろ……こいつの涙、石油になってやがる!」

「は!?」


 ギョッと目を剥く信二郎。言われて初めて、辺りが油臭いのに気が付いた。

 元凶は、牛魔獣の眼から溢れて足元に水たまりを作っている、黒い液体だ。

 敵が何を燃料に火球を生成しているのか、その時やっと判明した。


 だがもう遅い。

 大野あかねが、目を泣き腫らしながら立ち上がったのだ。


「もういいわ……こうなったら何もかもオシマイよ……」

「ちょ、大野ちょっと待……」

「康彦を殺して私も死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!」

「ウオオオオオオオン……!」


 撃ち出されたように、牛魔獣と大野あかねが疾走を開始した。

 信二郎をゴクウ諸共撥ね飛ばし、彼女らは一直線に標的の幼馴染みカップル目掛けて突っ込んでいく。中庭の端でそっと様子を伺っていた被害者らは、また敵が追いかけて来たことを知って、再びパニックを起こしていた。

 走る牛魔獣の周囲では、石油の涙が引火してボンボンと小爆発が起きまくっていた。このままでは、標的になったカップルの命が危ない。


「大変だゴクウ、どうしよう!」

「ちッ……、こうなったら奥の手だ!」


 言うが早いかゴクウ、不意にニョイロッドを投げ捨てると全力疾走で跳躍し、あっという間に牛魔獣の進路上へ躍り出た。

 ゴクウは両手を合掌させ、脇に引き絞ると瞬時に眼前に突き出して叫んだ。


「セイテン・バブルストリーム!」


 ぶしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!

 ゴクウの両手の隙間から、何の前触れもなく真っ白い粉と泡が噴射された。

 それはまるで……というか、そのまんま消火器であった。

 噴射をモロに喰らった牛魔獣が、たちまち進行を止めてもがき苦しみ出す。


「ウオオ、ウオ、ウオ、ウオオオオオ……!」

「石油相手なら、消火剤ぶちまけるのが一番だぜ!」

「キミはもう何でもアリだな!?」

 信二郎のツッコミも何のその、ゴクウによる強引な消火活動は絶え間なく続いた。


「ウオオオ……オギャア、オギャア、オギャアァァァァ!」

 やがて牛魔獣は膝をつき、泡の中へと倒れ伏した。

 悶絶し、まるで赤ん坊のように絶叫するがゴクウの消火剤攻撃は止まらなかった。

 よって抵抗も長続きはしない。牛魔獣はあっという間に事切れてしまった。


 敵が身動きしないのを確かめたゴクウは、泡の噴射を初めてストップする。

 白い泡と粉まみれになった牛魔獣の遺体が、音を立てて溶け崩れた。


「…………」

 その影で大野あかね自身もまた、泡を被ってへたり込み呆然自失となっていた。

 彼女の虚ろな視線の先で、幼馴染みとその恋人が手を繋ぎ合って何処へともなく逃げ去っていく。それは余りにも残酷で、無残な光景だった。

 戻ってきた痛々しい静寂の中、ゴクウはその末路をしっかりと己の瞳に焼き付ける。やがてゴクウは背を向けると、「シュワアッ!」とひと声だけ叫んで校舎の影に跳躍し去っていった。


「……あ、あの……大野、大丈夫……?」

「あは、あはは、あははははははははは」


 座ったままの大野あかねが、肩を震わせ不気味な泣き笑いを始める。

 彼女を気遣おうとした信二郎は、ビクリと身を強張らせた。しかし他にどうしようもないので、信二郎は一瞬躊躇してから、再度彼女の肩に手を置こうとした。

「大野……ここにいても仕方ないからさ……」

 ほぼ同時に、変身を解除したソラが校舎の影から中庭に駆け戻ってきた。


「しんじろ――――」

「――――触んないで気持ち悪いッ!」

 不意に絶叫した大野あかねが、信二郎の手を乱暴に払いのける。

 今度こそ、信二郎は怯えた様に後ずさった。ソラが思わず目を丸くし、立ち止まる。


「え……? いや、あの……え……?」

「なぁーにが『大丈夫?』よッ! 心配するフリなんかしちゃってさァー! どーせッ! 弱ってるところにつけ込めばァ~、アンタんちの宗教に勧誘出来る~とか思っちゃったんでしょ? 残念でしたァ――――ッ!」


 大野あかねにそんな奇声を浴びせられる意味が全く分からず、信二郎はただひたすらに怯えた表情を浮かべた。何か言おうと思うが、口がパクパクするだけで上手く言葉を発することが出来ない。

 見かねたソラが、速攻で駆けつけてきて信二郎の背中を支えた。


「信二郎、大丈夫ですか? 信二郎?」

「う……あう……あ……」


 信二郎の脳内は真っ白になっていた。パニックに陥り、何が何だか分からない。

 そんな信二郎を指差し、大野あかねはケタケタと笑い続けていた。


「気持ち悪―ッ! 下心丸出し気持ち悪―ッ! あははははははははは!」

「……貴方に、それを言う資格があるんですか?」

 我慢出来なくなったのか、ソラが珍しく冷たい声を発した。

 軽蔑的な眼差しを向けられた大野あかねだったが、尚も怯んだ気配はない。


「……は? 何なのよ一体」

「正直、同情はしますよ」

 ソラは大野あかねと真っ向から睨み合いながら言った。


「ですが、幼馴染みであれ何であれ……愛に見返りを求めた貴方に、そんなことを口にする資格はそもそもありません。下心で他者に接していたのは、他ならぬ貴方自身じゃないですか」

「…………だから何よ……何だってのよッ!」

 少し間があってから、一層逆上したように大野あかねは絶叫する。


「ソイツがロクでなしのクズだってのは、本当のことじゃない! アンタ知らないでしょ? 中学の時ねぇ……ソイツん家が起こした騒ぎの所為で、卒業間際になっていきなり転校させられちゃった奴がいるんだから! しかもそれって、そいつの親友だったのよ! 笑えるでしょ、あははは!」


「――――ッ!」

 それを聞いた途端、信二郎の瞳が見る見るうちに見開かれていく。

 俯き、頭を抱え、必死に耳を塞ごうとする信二郎。

 ソラも思わず、傍らの信二郎に視線をやった。


「なーにが神よ! なーにが若様よ! チョーシ乗ってんじゃないわよ、気ッ色悪い! 神は神でも、アンタの場合は疫病神じゃない! 不幸をばら撒くだけが取り柄の病原菌なんか早くどっか行ってよ、生きてるだけでも迷惑なのよッ!」


 徹底的に喚き立てた大野あかねは、やがて泡と石油まみれの地面に転がると、手足をバタつかせて笑い転げ始めた。既に会話が成立する気配ではなくなっている。

 ソラは無言で首を振ると、ひとまず信二郎を連れてその場から離れることにした。

 顔が土気色と化し、放心状態になっている信二郎の背後で、大野あかねはひたすらに不気味な笑い声を上げ続けていた。


* * *


 しばらく後、ふたりは町を流れる川のほとりに来ていた。

 薄曇りの空の下、橋の欄干に寄り掛かって眼下の川面をジッと見つめる信二郎の様子はさながら、今にも身投げを図ろうとしている者の姿であった。

 そんな彼のことを、ソラは無言で傍らに立ち、見守っていた。


「……昔からね、一人だけ凄く仲のいい友達が教団の中にいたんだ」

 顔は上げようしないままで、信二郎の口が不意に開かれる。


「幼馴染ってやつでさ。そいつの母親がウチの信者だったんで、小さい頃からよく二人して一緒に遊んだりしてたんだ。山の中に探検に行ったりしたことも、一度や二度じゃなかったよ……思えば、楽しかったな」

「そう、ですか……」

 話を聞いていたソラは、努めて優しげに微笑み言った。


「信二郎にも、ちゃんとそういう人がいたんですね」

「あの日まではね」

 ソラが再び押し黙る。しばしの間を置いて、話が再開された。


「あいつはさ……段々、教団の活動に参加するのを嫌がるようになってたんだ。当たり前だよね。元々、自分の意思で加わった訳じゃないのに……他人には頭のおかしい連中の仲間ってひとくくりにされて、警戒されて……いつかのボクみたく、聞こえよがしに悪口言われたりもして」

「……それで……?」


「どうしたらいいのか、何度も相談されて……ボク、言ったんだ。母親と一度ちゃんと話し合うべきだって。そうすればきっと、分かって貰えるハズだって。母子家庭だから母親の決めたことには逆らえないんだって言われたけど……たぶん大げさだろうって、ボクは何処かで甘く見てた。でもそれが……間違いの元だったんだよ」

「…………」

 ソラは、何処までも黙って聞いていた。


「あの日……気付いたらもう、教団に警察が駆けつけてた。あいつはボクの言った通り話し合おうとして……自分の母親から、悪魔が憑いたんだって決めつけられて、暴力を振るわれたんだ。馬乗りで首を絞められて、何度も何度も繰り返し殴られて、それから……それから……」

「信二郎、もういいです、いいですよ!」

「ボクが馬鹿だったんだ……ッ!!」


 絞り出すように声を発する信二郎は、衝動が赴くままに拳を、幾度となく幾度となく橋の欄干に叩きつけた。次第にその皮膚が裂け、血が滲み、危うさを覚えたソラが慌てて止めに入るものの、信二郎の自傷は止まる気配を見せない。

 溜め込んでいた後悔と悲しみが、堰を切ったように溢れ出していた。


「何にも知らなかった……無責任なこと言うべきじゃなかった! 自分の子供にあんな酷いことの出来る母親が、この世に本当にいるなんて……ボクは全然分かってなかった……分かってなかったんだ……ッ!」

「落ち着いて、信二郎!」

「ボクは疫病神なんだよッ!」


 血まみれになった拳を、尚も力いっぱい欄干に打ちつける信二郎。

 その時やっと、ソラが力づくで信二郎をその場から引きはがした。

 動きを押さえられたまま顔を伏せ、肩で息を続けていた信二郎は、それから少ししてようやく静かになって言った。


「もう……止そうよ、ソラ……」

「……何を言ってるんですか?」


「やっぱりボクは何もするべきじゃない……。何をしても裏目に出る疫病神なんだ……これ以上は何もせずに、ひとりで死んでったほうがみんなのためなんだよ……」

「……やめてください信二郎、そんなことを言うのは」

「今の話聞いてなかったのかよッ!」


 ソラの拘束を乱暴に振りほどいた信二郎は、後ずさって彼女と距離を取り対峙する。

 その目には既に、単なるパニックとは違う種類の涙が浮かんでいた。


「こんな人間に一体、何が出来るってんだよ!」

「貴方だけではありません。私だって……今までに浅はかな考えや行動がキッカケで、他人を傷つけてしまった覚えが、数えきれないほどあります。その事実は、この先一生……自分からも他人からも、消えることはありません」


 ソラは言いながら、信二郎の視線を真っ向から受け止める。

 彼女なりに、重すぎる荷を負った少年の苦痛と後悔を共有できるように、と。


「けど信二郎、このことも何度も言ってきたハズです。たとえ何を背負っていようと、ヒトは行動することでしか――――」

「――――そりゃ、キミはそうだろうさッ!」


 しかし、触れ方をどう間違えてしまったのか。

 これまでにないレベルで、信二郎の癇癪が破裂して飛び散った。


「キミや、キミのお師匠さんには明確に目標があった! 目指す場所もなりたい姿も、何もかもハッキリと決まってた! 途中にどんなトラブルが起きたって、諦めるなんて選択肢は最初っからないだろうさ! けどボクは違うんだ!」

「何を言います、信二郎……ずっと前に言っていたじゃないですか、幸せになりたい、普通の暮らしがしたいと……それが貴方の目標じゃないんですか?」

「……じゃあ、初めっからそんな資格、ボクにはなかったんだよ!」


 堪えがたい絶望に吼え猛る少年の言葉が、ソラの胸に突き刺さる。

 それでもソラは、グッと拳を握りしめ尚も根気よく言った。


「貴方は私が見込んだ人間なんです……もっと自分に自信を持って下さい」

「キミなんかがボクに期待すること自体、そもそも腑に落ちないんだよ!」

 信二郎から返ってきたのは、予想外の答えだった。


「最初の牛魔獣も、美菜子さんの暴走も……全部、ボクの責任じゃないか! それだけじゃない、さっきの話だって……今も昔もずっとずっと……誰かを幸せにした数よりも不幸にした人間の方が何倍も、何十倍も多いじゃないか! これが疫病神じゃなくて、一体なんだってんだよ!」


 ソラが初めて、ショックを受けた様な顔をした。

 その時ようやく、彼女は自分が失念していたことに気が付いた。


 この問題の中心は、ソラではなく信二郎だったのだ。自分ではなく、信二郎の心情を基準に考えなければならなかった。そしてその信二郎は、過剰な程に心優しい。

 彼が、他人を傷つけた自分を容易に許せるハズがなかったのだ。

 あらゆる意味において――――信二郎はソラとは違うのだから。

 ソラは平静を保とうとしながら、何とか言葉を紡ぎ続けた。


「……いや……ですがそういう、問題では……」

「……もしキミの言う通りだとしても……それでも、ボクら人間の心は弱いんだ。辛いことがあれば直ぐには立ち上がれないし、みんながキミみたいに不屈の闘志を持ってる訳じゃない。キミにボクの気持ちが分かるだって? 冗談じゃない」

 信二郎から次々吐き出される言葉が、ナイフのようにソラの胸に突き刺さった。


「キミに分かるもんか。キミとボクとは違うんだ。何も知らないクセに……口先ばっか都合のいいこと言わないでくれ……もう、うんざりなんだよ!」

 またいつかのように、翻って脱兎の如く駆け出す信二郎。

 思わずソラは彼の背中に手を伸ばし、呼び止めようとした。

「おししょ――――」


 言ってしまってから、ハッと気が付いた。

 彼女の手は空を掴み、そして力無く下へ降りていく。


 ソラは自分でも知らぬ間に、愕然とした表情を浮かべてしまっていた。

 泣きながら走っていく信二郎の後姿を、そのまま見送る。

 橋の上に取り残されたソラは、ややあってガッと自らの頬を殴りつけた。


「バッカヤロウ……偉そうに、説教なんて出来た義理かよ……!」

 自嘲気味にそう呟き、ソラは俯いて消沈する。

 悪気じゃない。けどしかし、今さら言っても遅い。信二郎の涙は落ちたのだ。


「一番見返りを求めちまってたのは……俺自身じゃねえか……!!」

 それからずっと、ソラは橋の上で独り佇み続けていた。


 同じ頃、それを離れた木陰から見つめる一つの影があった。

 薄紫色のローブを目深に被り、青い瞳を怪しげに光らせる美少女。

 言わずと知れた、牛姫マーランである。


「成程、そういうことか……」

 ソラの落ち込み切った背中を目の当たりにしたマーランは、ローブの裾を翻すとやがて何かを企むように、ニヤリとほくそ笑んで帰途についたのだった。


「兄上にご報告申し上げねば」


挿絵(By みてみん)

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