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故郷

故郷


私の住んでいた町は、小高い場所にあった。

眼下には色気のない工場地帯に赤白の縞模様のクレーンが数台花を添え、その向こう側には瀬戸内特有の穏やかで静かな海が一望できた。海岸を全て工場などで埋め尽くされており砂浜などない。勿論、海は近くに見えても遊泳場所などないのだ。

遠くにポツリポツリと小さな島が浮かんでいる。太平洋や日本海のような雄大さや解放感はない。湾内には貨物船や島を行き交うポンポン船、海上自衛隊の潜水艦などが接岸しており、まるで水をはったビニールプールにおもちゃの船や島を浮かべたようなごちゃごちゃした印象だ。

造船所や製鉄所などの地場産業が盛んで、何本もの巨大な煙突から炎が吹き上げ、この一帯は夜でも夕焼けのような明るさを保っていた。暗闇の静けさを知

らないかのように、大人達は昼夜問わず交代制で働いていた。

私達が大きな鯨と呼んでいた幾隻もの潜水艦は常に鎮座し、朧気に戦争の名残りが感じられた。


家から少し離れた場所に"歴史の見える丘"がある。ちょうど三叉路の中洲の様な所で、そこにはひっそりと戦艦大和の記念碑が立っている。眼下に広がるのは、海軍工厰跡、通称ドック。今でも大型船舶の製造などを行っているようだが、ここで戦艦大和は極秘に製造された。

車だと、うっかり通り過ぎてしまうようなそんな場所だ。数年前戦艦大和を題材にした映画が大ヒットとなり、ついでと言えば失礼かもしれないが大和記念館まで作られた。

その歴史的価値が現代になり見直されたのだろうか。私達は無邪気にかくれんぼや待ち合わせをした。

そんな町、呉で私は産まれ育った。


幼い頃の記憶


私の祖父は、心臓病があり戦争には行っていない。いや、行けなかったのかもしれない。

祖父は、戦艦大和の工員だったと聞いた。かん黙な人で、あまり多くの事を話さなかった。終戦後は、何処かに勤めていたのだろう。スーツ姿の写真を1枚だけ見たことがある。その後体調を崩したのか、定年にはまだ早い年齢の祖父は自宅で療養生活を送っていた。私が遊びに行く度、いつも布団が敷いてあり枕元の小さな手作り風の木製机の前で、小さな祖父が書き物をしていた。

雪見窓の硝子越しに見える、四季折々の草花について調べ、スケッチなどをしていたようだ。 ある日、私は背後からそのノートをこっそり覗くと、祖父はパタリとそのノートを閉じた。

"覗くべからず"

祖父は無言で態度に表した。それから一呼吸おいて

「ホイサッサホイサッサ言うときなはれや」

と言った。その言葉の核心に触れる事も出来ず、ただ、祖父の仕事場に土足で踏み込んではならない事を子供ながらに悟り、以後机の周囲と祖父には近寄らなかった。


祖母もまた小さな人であったが、1日中忙しそうに動き回っていて、まるで働き蟻の様な人だった。料理上手でいつも優しかった。私は母に叱られるといつも祖母宅に走って逃げ込んだ 。私にとって憩いの場所だった。祖父とブレさん以外は・・・。

祖母宅には、ブレーブスという大きな犬がいた。祖母は、ブレさんと呼んでいた。ブレさんは台所の土間に隠れるように住んでいた。何犬なのかは知らないが、毛むくじゃらで顔も分からない。犬というよりは正体不明のヒバゴンと言ったところだ。

台所に勝手に侵入しようものなら、大きな鎖をジャラジャラ鳴らし、のっそりのっそりと近寄ってくる。ギリギリの所までやって来ると怒号のような野太いうめき声で威嚇し、視覚と聴覚から同時に震え上がらせる恐い存在だ。

祖母は冷蔵庫からプラッシーというオレンジ味の飲み物と純露という名前のキャンディーを3つ私に手渡し、縁側で色々な話を聞かせてくれた。

庭には池があり大きな鯉が数匹、優雅に泳いでいる。その中に一際存在感を放つ、黄金色に輝く1匹の鯉がいた。いつか捕まえて触ってみたいと虎視眈々とその機会を伺っていた。そんな私の企みを知ってか、祖母は、度々

「この池は底なし沼といって、一度入ると何処までも沈んでいき二度と浮き上がる事ができない恐ろしい沼なんよ」と言って聞かせた。

確かに、池の底は泥の様なものに覆われているが、水は透明感があり湧水の様な気泡がうかがえる。

庭には井戸があったので山の水が湧いていたのかもしれない。だけど、底なし沼なんて本当にあるのかね・・・。半信半疑ではあるが実行は命懸けかもしれないと思った。

そんなある日、母に連れられて映画館へ行った。呉には映画館が3つもあった。どれも、映画3本立ては当たり前。しかも、何回見ても同額で、好きな映画は何度でも見ることができた。

この日は、おんぶお化けとパンダコパンダのアニメ2本立て。

おんぶお化けは、"おいてけ掘り"という話しで、底なし沼のお化けが旅人達に、何かしら置いていけとせがみ、逃げる旅人を底なし沼に引きずり込むという内容のものだった。映画を見ている途中で祖母の話しを思い出した。母は祖母から何か聞いたのかも知れないが、私には何も言わなかった。この映画から自分の浅はかな考えに対して何かを感じ取れと言うことか・・・。

その後、私はあの池の鯉を捕まえる作戦を断念した。


祖母は時に戦争の話しをする事があった。

それは辛い記憶であり、多くの犠牲の上に私達の今の幸せな生活が成り立っているのだと教えてくれた。

私達には想像し難い体験談であり、聞いても非現実的で直ぐには受け入れられない話しだった。

呉市は、昔、巨大な海軍工厰があり人口も多く町全体が活気に満ち溢れていた。けれど、そのせいで激しい空襲にあい甚大な被害を受けたのだと。


呉空襲


1945年7月1日。

広島に原爆が投下される約1ヶ月前の事である。

休山の向こう側から突如B29が戦隊を組んで現れ、雨の如く焼夷弾を落とし始めた。けたたましく空襲警報のサイレンが鳴ると同時に防空頭巾を被り、当時3才だった私の母は兄弟と共に近くの防空壕へと逃げ込んだらしい。防空壕へ辿り着く直前、近所の女の子が爆弾に直撃し無惨な死を遂げた。泣いていられない。震えても立ち上がり逃げなければ死あるのみ。その当時、臨月だった祖母は走って逃げる事が出来ず、自宅の縁の下で子供を産み落とした。

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