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天泣  作者: 宝積 佐知
月下の蝶
40/45

(39)金烏玉兎①


「春馬様ッ、賊を捕縛致しましたッ!」



 突然、聞こえて来た怒声にも似た大声に霖雨は大きく肩を跳ねさせた。目を開けた視界に映ったのは、見たことも無い大きな和室だった。遠くに見える壁と、迫り来るように列を成して座る男達。耳が痛くなるような静寂を打ち破る声に霖雨は状況も解らぬまま目を向けた。

 縄を打たれ身動き一つ出来ないでいる筈の少年が、ふてぶてしい態度を崩しもせず傍観するように座り込んでいる。



(驟雨!)



 見間違う筈の無い少年の姿に、霖雨は目を丸くする。だが、発した筈の声は形にならず、誰も気付かない。

 何が起こっているのだろう――?

 置いてけ堀の霖雨に構わず、男達は話し続ける。ざわめく取り巻きの中、少年の前に座るその姿に、またも霖雨は驚愕する。



(春馬――?)



 雅やかな和服に身を包むその様子は、恐らくきっと彼等の主君なのだろう。以前、春馬は朱鷺若という小国の領主だと聞いたことを思い出し、霖雨はこの状況を察する。

 自分は確かに時の扉を抜けた。此処は朱鷺若。つまり、春馬の過去なのだ。



「……御苦労だった」



 苦笑交じりに春馬が言った。驟雨と年の頃は同じだろう。鏡を見ているかのように錯覚する程、霖雨と春馬は瓜二つだ。けれど、それでもその場に座る春馬は仕草一つとっても精練され、上品な育ちを感じさせる。比べて、少年の驟雨はみすぼらしい襤褸布のような衣服で、体中傷だらけだった。

 春馬の姿を見て、驟雨は言葉を失くす。大きく見開いた目は逸らすことすら出来ないでいた。春馬は姿勢を崩したまま、手に閉じた扇子を弄び言った。



「お前、名は?」

「そんなもん無ェ」



 拗ねたように唇を尖らせ、ぷいとそっぽを向けば周囲の家臣と思しき男達が騒ぐ。帯刀している様は恐らく、武士なのだろう。その中で春馬は、扇で口元を隠しながら笑っていた。

 くつくつと喉を鳴らすように笑うその姿は、領主という身分に見合わぬ悪童の笑みに近い。ぽかんと、毒気に中てられたように春馬を見る驟雨。同様に動きを止めた家臣に気付き、春馬は慌てて扇子を閉じて咳払いをした。



「俺の名は、常盤春馬。領主の息子だ。此処じゃあ、若なんて呼ばれてる」



 不敵に笑う姿はやはり、悪童そのものだ。先刻までのしなやかな美しさなど最早欠片も見えない。けれど、その双眸に映る強く鋭い眼差しはこれまで霖雨が見て来た春馬と何ら変わらない。



「西の桜の丘に現れる賊を成敗してくれと申し立てがあったそうだな。尤も、俺は先刻聞いたばかりだが、その賊は滅法強いと聞く。武士が束になっても敵わぬ、美しい双眸は鬼か夜叉かと言われていたそうだが……ただの餓鬼だったようだな」

「んだとォ!」



 いきり立ったと同時に、驟雨は畳の床に叩き付けられた。小さな呻き声が漏れるが、春馬は気にも留めずに言葉を続ける。



「だが、こうも聞いた。どうやらその賊は、賊しか狙わぬ義賊なり……と。差し詰め、父上もお前を生け捕りにしたということは手元に置きたかったのだろう」



 ざわりと取り巻きが揺れる。床に頬を打ち付けたまま、驟雨が睨むように見上げている。春馬は言った。



「父上も物好きよな。こんな餓鬼が、戦場で使えるものか。せいぜい殺されぬよう逃げ回って、小便垂れるのが関の山だろう」



 揶揄するように春馬が笑えば、同じように周囲の武士も嘲笑う。驟雨が叫んだ。



「てめぇ、好き勝手なこと言いやがって! 大体、お前等が能無しだから俺みてぇな餓鬼が溢れ、賊が徘徊するんだろう!」

「貴様ッ」

「飢餓も貧困も知らぬお前に何が解る! 偉そうな顔しやがって、親の七光りだろうが!」



 傍の武士が鯉口を切る音がした。咄嗟に、霖雨は駆け寄ろうとするが、同時に武士を扇子で諌め春馬が立ち上がった。



「良い度胸だ。この場に引き立てられても、全く怯えが無い」

「当たり前だ! お前等なんざ、怖くねぇ!」



 驟雨の言葉に、口角を上げた春馬が、パチンと扇子を閉じる。



「よし、決めた!」



 突然、その穏やかな物腰とは裏腹に発された大きな声に一同びくりと肩を揺らす。春馬は腰に手を当て、実に堂々と痛快なまでに言い放った。



「今日から、お前は俺の友達だ!」

「なッ――!」



 何を言うのか、乱心したのか、と言葉も選ばず好き勝手に言い放つ家臣の言葉に耳を傾けず、子どもらしい満面の笑みで春馬は言ったのだ。

 どよめく面々を一瞥し、春馬は驟雨をじっと見詰め、傍に膝を着いた。



「お前の言う通りだ。……俺はな、未来朱鷺若を治める次期領主としてあらゆる勉学が武芸に励んで来た。だが、本当に大切なものはそんなものではないと、俺は思うのだ」



 春馬は、腰に差した小刀で何の迷いも無く驟雨を捕える縄を切り落とす。はらはらを落ちて行く幾重にも巻かれた縄の残骸を見遣り、驟雨は言葉を失ったままだった。春馬は言った。



「俺は朱鷺若の領主である前に、一人の人間でありたい。人として国を、民を守りたいのだ」

「若……」

「こんな場所では、民の声は聞けぬ。一人きりでは国は背負えぬ、だというのに、俺はずっと一人だった」



 微笑みを浮かべる春馬には、昏い陰があった。驟雨はその何処か寂しげな相貌をただ見詰めている。



「俺は、ずっと友が欲しかった。決して裏切らない、裏切れない、どんな時でも心の底から信じ合える友が」

「……は。それが、俺だって言うつもりか?」



 小馬鹿にするように、驟雨は鼻で笑う。けれど、春馬はにこりと微笑んで手を差し出した。



「さあな、それは解らない。だが、俺には澄んだ目をするお前が悪党とは、如何しても思えないのだ」



 驟雨は黙り込んだ。彼の気持ちが、霖雨には痛い程に解った。

 此処にいる驟雨は、昔の自分と同じなのだ。嫌われながら、憎まれながら、それでも必死に生きようとして来た。手を上げる者はいたが、差し伸べる者などいなかった。睨み付ける者はいたが、微笑み掛ける者はいなかった。目を背ける者はいたが、人として真っ直ぐ向き合う者などいなかった。それがどんなに嬉しいことなのか、春馬には解らないだろう。

 驟雨が茫然とする中、春馬は通り雨が降り頻る外を見詰めて言った。



「お前、名が無いと言ったな」



 何か思い付いたように驟雨を見て微笑み、春馬は言った。



「ならば、俺が与えよう」



 その横顔に浮かぶのは喜び、楽しさ。見ている此方まで心躍るような優しい笑みだった。



「――驟雨。お前の名は、今から驟雨だ。桜丘、驟雨」



 なんて安直な名前だろう。呆れたような面々を横目に、霖雨は苦笑した。

 けれど、無表情のままの驟雨が黙って頷く。その名は、初めて彼が他人に認められた証なのだ。鼻歌でも聞こえて来そうな上機嫌に春馬に、霖雨は自分のことのように嬉しく思った。今まで、こんな春馬は見たことが無かったからだ。

 その時だった。



(霖雨)



 まるで無いもののように無視され続けた自分を呼ぶ声に、霖雨は振り返る。家臣等のざわめきも遠のき、目の前にいる青年に霖雨はただその名を呼び掛けた。



(春馬)



 微笑み合う少年の春馬と驟雨は、まるでビデオの一時停止のように動きを止めている。奇妙な光景だ。だが、霖雨は目の前で自分の名を呼んだ、瞳に金色の光を宿す青年を見ていた。

 春馬は無表情だった。



(何故、此処に来た)

(――のかよ)



 冷たく言い放つ春馬に負けじと、霖雨は絞り出すような掠れ声で言った。



(そんなこと、言われなきゃ解らないのかよ)



 春馬が、ぐっと息を呑んだ。霖雨は立ち尽くす春馬に駆け寄り、その手を取った。



(なあ、春馬、帰ろう? お前の過去に何があったかは知らない。お前が言いたくないなら、訊くつもりも無い。でも、何時までも過去に囚われていたらいけない。前を見られなくなってしまうよ)



 なあ、と縋り付くように霖雨は手を握る。だが、春馬は俯き、その手を振り払った。

 驚き肩を竦める霖雨に、顔を上げた春馬は薄く笑っていた。



(知ったような口を利くな)

(春馬!)

(お前と一緒にするなよ)



 けらけらと、これまで一度も見せたことの無いような意地の悪い笑みで、春馬は言った。



(俺はもう、死んでるんだぜ?)



 霖雨は黙った。言うべき言葉も言っていい言葉も見付けられなかった。

 春馬は笑みを浮かべている。



(お前は前に、憎しみは長く続かないと言ったが……、それは生きているからだろう?)



 春馬は遥か昔に死んだ人間だ。残された怨恨は消える事無く春馬の思いとして残った。それが霖雨に解る筈が無いし、解ろうとすることすら烏滸がましい。



(生きているお前と違って、俺に未来なんて無い。あるのは、絶望の過去だけだ)

(違う!)



 霖雨は叫んだ。



(じゃあ、俺達と過ごした日々は何だったんだ!?)



 春馬が、一瞬表情を硬くした。その変化を見逃さず、霖雨は続けた。



(あの日々は、絶対に嘘なんかじゃない! 無くなったりしない! 俺達は確かに、共に過ごしたんだ!)



 嘘なんかにしてやらない。失くしてなんかやらない。

 霖雨は振り払われた拳を握る。



(……俺は、何時でも諦めながら生きて来た。自分が傷付くのが、怖かったから! でも、解ったんだ。それじゃあ、何も掴めない。何も手に入れられない。本当に欲しいものは、絶対に手放しちゃいけないんだよ!)



 鷲尾蜜柑にも、こんな話をした。霖雨の脳裏に、彼女の寂しげな横顔が過る。

 けれど、同時に、彼女の手を掴んだことを霖雨は覚えている。絶対に離さないと誓った気持ちを、忘れたことなんてない。



(俺はもう、何も捨てたりしない!)



 春馬の表情から笑みが消えた。笑っていられる余裕など無かった。

 きっと、その手を掴めば、霖雨は何が起こったとしても手放しはしないだろう。何を犠牲にしてでも、救おうとしてくれるだろう。だが、春馬にとって霖雨は唯一の希望だった。絶望の中で見たたった一つの希望が潰える様を、見たくは無い。そうすれば、気が狂ってしまう。

 春馬は解らなかった。霖雨の言葉が、思いが、解りたくなかった。



(止せ……!)



 霖雨を守りたいのだ。心中したい訳ではない。

 そうして距離を取ろうと後ずさった瞬間、足元から金色の光が浮かび上がった。停止していた過去の映像は光に掻き消される。場面転換の合図だ。春馬は舌打ちした。霖雨の手が伸ばされると同時に、その手を取りたい衝動に駆られた。

 置いて行かないで。

 縋り付くような、泣き叫ぶような声が聞こえた気がして春馬は目を閉ざす。

 光の中から現れた新たな光景に、春馬は唇を噛み締める。成長した自分と、驟雨の姿が其処にあった。

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