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天泣  作者: 宝積 佐知
開け放つ窓
11/45

⑽後悔先に立たず

「――春馬がそんなことを?」



 寝耳に水だとでも言うように、霖雨が声を上げた。

 突き抜けるような蒼穹の下で、春の暖かな微風を感じながらの昼下がり。

 屋上で昼食を取るのは最早恒例となっていた。人目を避けて此処を見付け、孤独に弁当を食べているのを林檎に発見されてからは二人で食べるようになった。何時の間にやら驟雨と、影辻に斬られて入院していた香坂も退院後加わった。現在、屋上には四人。

 林檎は空になった弁当箱を片付けながら、神妙な面持ちで頷いた。



「時の扉から漏れた禍があの事態を引き起こしていて、それを治めるには――」

「俺が、死ななければいけない……」



 呟くと、驟雨が大げさに咳払いをした。



「却下だ。それなら、扉なんざ開きっ放しでいい。大体、そんなオカルト信じられるか」



 そう言いつつも、否定し切れない自分に驟雨自身気付いていた。

 霖雨の中にある春馬という存在は、二重人格などという言葉では説明できない部分が多い。時の扉と呼ばれる力も、ただの奇跡というには余りにも都合が良過ぎる。困ったように苦笑する霖雨の隣で、コーラの空き缶を潰しながら香坂が言った。



「……何だかよく解んねぇ小難しい話してるけどよ」



 ゆっくりと立ち上がった香坂の膝から乾いた音がするが、視線は遠くグラウンドに設置された一本足の時計。



「そろそろ、授業始まるぜ?」



 はっとして立ち上がった瞬間、午後の授業開始五分前を告げる予鈴が鳴り響く。慌ただしくばたばたと手荷物を引っ掴んで驟雨と林檎が階下へ続く扉を目指して走り出す。霖雨もまた、今朝コンビニで買ったパンの空き袋を纏めて追い掛ける。けれど、何となく呼ばれたような気がして振り返った。



「――香坂?」



 脇腹を押さえたまま、じっと動かない香坂に驚く。退院したばかりの香坂だが、影辻に斬られた傷が完全に癒えたとは聞いていない。些細な切欠で傷口が開く可能性も、忘れてはいけなかった。慌てて駆け寄った霖雨に、香坂は軽く片手を上げる。



「大丈夫だ」

「でも……」



 食い下がる霖雨を制す香坂の顔色は良くない。けれど、それは霖雨も同じだ。



(この傷は、本来なら俺が受けるべき傷だ)



 影辻の本当の狙いは、自分だった。それなのに、自分は無傷で何の罪も無い人がこうして傷付き苦しんでいる。けれど、影辻であった常盤秋水すらも時の扉の悪影響を受けた被害者だ。ならば、本当の加害者は。罰を受けなければならないのは。



「――おい、霖雨」



 目の前に、香坂の顔があった。

 驚いて後ずさると、香坂が不思議そうな顔をする。だが、目を伏せる霖雨を訝しげにじっと見詰め、その頭を叩いた。



「気にすんなよ。お前のせいじゃねぇ。こんな怪我は日常茶飯事だし、喧嘩に負けた俺が悪ィんだ」



 霖雨は何も言わなかった。否、言えなかった。

 これまで出会って来た人間の中で、責める人はいても庇う人はいなかった。知らん顔をする人はいても、心配する人はいなかった。だから、どんな言葉を返せばいいのか解らない。

 追い掛けて来ない二人を心配した驟雨と林檎が、扉から顔を覗かせて呼んだ。返事をして追い掛ける香坂に促され、霖雨も駆け出した。

 授業を目前にした廊下は無人にも等しかった。多くの生徒は既に席に着いて授業の準備をしたり、周囲の友人と談笑している。間に合ったのだ。ほっと一息吐く霖雨の前で、一足先に教室の扉を潜った林檎が声を上げた。



「あっ」



 目の前に、大きな窓から差し込む光を遮る影が聳える。勢い余ってぶつかりそうになった林檎は、咄嗟に後ろにいた霖雨の袖を掴んだ。尻餅を着きそうになった林檎を支え、顔を上げると見覚えのある大きなクラスメイトの顔がある。元々睨んでいるように目付きが悪い香坂とは違う、はっきりとした悪意を持つ鋭い視線。時の扉の悪影響が脳裏を過る。

 色黒の顔に、細い目。浮かび上がるような瞳の黒白がじろりと此方を睨む。



「――大神さん、大丈夫?」



 大きな掌がそっと差し伸べられる。肉刺だらけのごつごつした手だ。戸惑いながら林檎がその手を取って起き上ると、目の前の男子生徒は満足そうに微笑んだ。

 気のせいか、と安堵の息を零して霖雨がその横を通り過ぎようとしたそのとき。



「邪魔だ」



 ドッ。

 横から受けた衝撃に、体が揺らぐ。立ち眩みのような揺れに足元がぶれた。転ぶ。

 だが、横からグッと支える強い引力にはっとした。目前に迫った筈の床はその距離を保ったままだ。



「大丈夫か、霖雨」



 何でもない顔で、此方に視線も向けずに香坂が言った。腕を支える手はがっしりと掴まれ離されることはない。そのまま通り過ぎようとする男子生徒が驚いたように振り返る。

 そのとき、大袈裟な音を立てて、驟雨が扉を蹴破る勢いで転がり込んだ。



「てめぇ、何しやがる!」



 まるで自分のことのような凄い剣幕で驟雨が男子生徒に捲し立てる。何事だとクラスメイトがぞろりと視線を向けた。授業開始まで間もなく、教師もじきにやって来るだろう。だが、そんなこと関係無いと言わんばかりに驟雨は男子生徒の胸倉を掴み掛かった。

 驚きもせず、男子生徒はしれっと薄ら笑いさえ浮かべて言った。



「小さくて見えなかったよ」

「小せぇのはてめぇの目だろ! セロハンテープで固定してぱっちり二重にしてやろうか?」



 これでもかと言わんばかりに眉間に皺を寄せる驟雨が何に怒っているのか、霖雨には解らない。香坂に腕を支えられたまま怒りを露わにする驟雨を呆然と見ていた。



「お前には関係無ぇだろ! 引っ込んでろモヤシ野郎!」

「うるせぇんだよ、木偶の棒! 喚く前に、霖雨に謝りやがれ!」



 その言葉で、気付いた。驟雨が何故、何の為に怒っているのか。

 教室に低い声が響いた。気付けば授業開始の時刻は疾うに過ぎている。ち、と舌打ちして驟雨が掴んでいた手を放した。着席を促す教師とざわめくクラスメイト。その刹那、霖雨は見たのだ。此方を睨む鋭い視線。

 隣の教室に帰ろうと香坂が歩き出す。唾でも吐き捨てたい心地だろう驟雨は、席に向かう男子生徒を睨みながら香坂に言う。



「あいつ、誰?」

「知らね。林檎に訊けよ」



 そう呟きながら二人が教室を出て行く。驟雨が横顔だけ振り返って片目を閉じて笑った。

 胸の内にもやもやとした得体の知れない感情を抱えながら、霖雨もまた席に着いた。振り返ればまた、あの男子生徒が睨んでいるような気がして動けない。現代文の授業を開始した黒板には白い文字がつらつらと綴られ、クラスメイトの頁を捲る音が静かに響き出す。

 その群れに混ざって霖雨もまた、ノートを開く。と同時に、ポケットの中の携帯が震えた。

 メール受信。大神林檎。



『大丈夫だった?』



 何が?

 メールの意味が解らず返信すれば、すぐさま届いた。



『ヤマケンのこと。野球部の、山口健介』



 聞き覚えのある名前だとは思ったけれど、それが先程の男子生徒の名前とは思わなかった。

 けれど、その林檎のメールに何と返せばいいのか解らず携帯を閉じる。授業終了までの時間がやけに長く、重く感じた。脳裏に過る山口ことヤマケンの白い眼。久々に感じる敵意の眼差しに鳥肌が立った。

 そのまで考えて、ふと疑問に思った。如何して、久々なんだろう。



(俺は何時だって、嫌われてた)



 味方なんていなかった。周りは何時だって冷たくて、怖くて、敵しかいなかった。あんな白い眼で見られるのは当たり前だったじゃないか。俺は何時だって独りだったじゃないか。

 それなのに。

 続けざまに携帯が震えた。開いたディスプレイにはメール受信の文字が躍る。



『霖雨、大丈夫か。怪我しなかったか。何かあったら言えよ』



 驟雨からのメールは、何時だって此方の身を案じるものだ。少し過保護と思うけれど、それもまた驟雨らしかった。

 続けてもう一通。先日アドレスを教えたばかりの香坂だった。



『お前は何も気にしなくていい。でも、何かあったら必ず言え。抱え込むなよ』



 如何して。

 独りだった筈なのに。

 授業の終了を告げるチャイムが響き渡る。放課後へと突入したクラスは浮足立ったように賑やかだった。騒ぎ出すクラスメイトの雑踏に紛れて、携帯をじっと見詰めていた手元に影が落ちる。見上げた先に、ヤマケンがいた。



「ちょっと、面貸せよ」



 顎でしゃくるヤマケンに頷き、席を立つ。HRは終了していないが仕方ないだろう。きっと、林檎が巧く言ってくれる。

 騒ぎに乗じて教室を出た二人に、クラスメイトは気付いていないようだった。輪を作る女子の中で談笑する林檎さえ気付かなければ、自分を気に掛ける人間はいない。

 ヤマケンは無言だ。振り向きもしない大きな背中は流石野球部。殴り合いになれば万に一つも勝機は無いだろう。何の迷いも無く進むヤマケンの歩調は速く、階段を下りて行く漆黒の短髪が風に揺れる。

 体育館へと続く渡り廊下を外れ、上履きのまま土に足を踏み入れる。雑草が生える体育館裏は、つい最近来たばかりだと苦い顔をする。殴られるのだろうか。そう思った。

 突き当りまで進むとヤマケンは足を止め、くるりと振り向いた。西日を背中に受けるヤマケンの顔は影が落ちて見え辛く、眩しさに目を細めた。



「……お前――の?」



 校舎から響く生徒の賑わいに、ヤマケンの声が掻き消される。間も無く部活の時間だろう。

 えっ、と声を上げると苛立ったようにヤマケンが言った。



「だから、お前大神と付き合ってんのかって訊いてんだよ!」



 その質問が何に繋がるのだろう。訳も解らないまま首を振れば、ヤマケンが面食らったような顔をする。



「そうか……、なら、いいんだけどよ」



 急に口籠り出したヤマケンが視線を宙に彷徨わせた。だが、訝しげに見る視線に気付いて、突然声を張り上げた。



「なら、もう大神に近付くんじゃねぇぞ!?」

「――如何して?」



 それは酷く純粋な問いだった。何故、それを彼に強制されなければならないのだろうか。



「林檎は俺の友達だ。あいつの方から声を掛けてくれるのに」



 その言葉に激昂したように、ヤマケンの目が鋭くなる。



「うるせぇ! 大神だって、本当は迷惑してんだよ!」



 その大声に、その言葉の意味に、脳が揺れるような衝撃を覚えた。

 如何して、何で、何故。この男は何なのだろう。否、それよりも。



「……迷、惑?」

「そうだよ。あいつは優しいからお前にも声掛けてやってるけど、本当は嫌なんだよ」



 確かに林檎は優しい。自分などに構わなくても、彼女には大勢の友達がいる。それなのに、如何して俺と友達でいてくれるんだろう。同情? 憐み? 違う、林檎はそんなやつじゃない。

 そう思うのに。



「その優しさに付け込んで、お前は最低な男だ。二度と大神に関わるな」



 釘を差すようにヤマケンが言って、満足したらしく横を通り過ぎていく。頭の中に響くヤマケンの言葉に心臓が激しく脈を打ち、軋むように痛む。けれど。



「……嫌だ」



 独り言にも似たその言葉は、確かにヤマケンに届いていた。振り向いた不機嫌な顔に負けじと、目に力を籠めて向き合う。



「林檎に言われるならまだ納得出来るけど、お前にそんなことを言われる義理はない。林檎は俺の友達だ」

「何だと!」



 胸倉を掴み掛かったヤマケンの目が鋭い。殴るのだろうか。それでもいいけれど、譲れない。



「バックに桜丘が付いてるからって、いい気になってんじゃねぇぞ!」

「驟雨は関係無いだろ!」

「お前みたいなひ弱なモヤシ野郎、俺は絶対認めねぇ!」

「お前の許可なんか必要ない!」

「黙れ!」



 一際張り上げた声に肩が撥ねた。野球部で毎日大声を出しているだけあって、その声量は毎日バイトに明け暮れる自分とは大違いだ。

 ヤマケンは肩を上下させながら、静かに言った。



「……いいぜ、そんなに言うなら、勝負しようぜ」

「勝負?」

「ああ、俺と野球で勝負しろ。時間は明日、放課後。グラウンドで一打席勝負。俺のボールを少しでも前に飛ばせたなら、お前を認めてやるよ」



 無茶だ。理不尽だ。勝手だ。けれど、肩から浮かび上がる陽炎のような怒気に圧倒される。此処でその言葉を切り捨てても意味は無い。何時か必ず向き合わなければならない。



「上等だ!」



 まずいことになったと、思った頃には時既に遅し、だった。

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