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5話

 


 その日の英語の小テストはヤマが当たってまずまずの出来だった。と言っても、まだ返ってきたわけではないので、確かなことは言えないのだが。

 授業もこの時期になると、流れで受けることが多くなってきた。ただ黒板に並ぶ記号を、ノートに転写し、端に少しの落書きをして、眠気を我慢する。ただ、知識が増えていくのは嬉しいと感じるし、授業を受けている間の、先生と生徒の心理的な攻防はちょっと面白い。


「山神、今日は食堂?」

「うん」

「そっか。じゃあまたな」


「山神くん、お菓子食べるー?」

「ありがたく頂戴します」

「あはは、食堂いってらっしゃーい」


 俺が教室を出ようとすると声をかけられる。相変わらずみんないい人だ。貰ったお徳用のチョコレートを3つ手のひらの上にのせ、その甘い香りに笑みがこぼれた。



「カレーうどん、大盛りで」

「はいよ」


 食堂の券売所にちゃり、と小銭を置きプラスチックにメニュー名のシールが貼ってある食券を受け取った。あ、今日の日替わりはオムライスだったんだ。そっちにしとけばよかったと少し後悔する。

 食券をカウンターに置き、うどんが茹で上がるのを手持ち無沙汰に眺めていると、入口から今朝見た顔が入ってきた。


「あ、ももちゃんも食堂?」

「ももちゃんでなく苗字で読んで欲しいです。……藤沢くんも食堂なんだ」

「名前覚えてくれたんだ!嬉しいなあ。あ、何食うの?」


 彼は、カウンターの食券をちらりと覗き、大盛りか!とひとしきり驚いたあと、券売所に向かう。


「あ、おばちゃん。俺ラーメンね」

「きんとんパイは?」

「えー、今日はいいっす。また明日かなー」


 藤沢くんも食券を買うと、カウンターに並べる。奥から食堂を切り盛りするおばちゃんの、もうすぐできるからちょっと待ってねー、という声が聞こえた。

 俺は黒いお盆の上に、割り箸を二膳と、湯呑をとる。


「藤沢くん、お茶いる?」

「あ、ありがとー。貰うわ」


 出来上がったカレーうどんと、温かい不思議な味のするお茶を薬缶から二つ入れ、スチールの椅子に腰掛ける。


「何かアレだよなー。これだけ縁が続くのも珍しいもんだろ?」

「ん?」


 縁、か。思い出してみると昨日初めて言葉を交わしたにしてはずいぶんと親密になったものだ。

 藤沢くんがラーメンを片手に向かいに座る。椅子を引く軽い音、ラーメンの湯気、それから琥珀の色味。彼についでに確保した割り箸を手渡すと、彼はありがと、と軽く礼を言い受け取る。そして受け取った割り箸をしげしげと眺め、それからこちらをすっと指し、にやりと笑った。


「特別、って感じしない?」


 唐突に言われた言葉に少し面食らう。拍子に割ってしまった割り箸が不揃いになってしまった。言われ慣れない言葉が耳の奥に響く。彼の心に耳を傾けても、特筆するような思考は見受けられず余計に戸惑った。


「…そうかな」

「そうかな、って。あはは、反応薄いなー!」


 きっと只の言葉遊びだろうと解釈し、お茶を口に含んだ。渋さと、不思議な甘さ。独特の風味に少し眉をひそめる。不味くはないんだけどな。向かいの彼の様子を伺うと、何事もなかったようにラーメンを食べようとしていた。

 彼がいただきます、と言うのを見届けてカレーうどんの人参を口に含む。独特の甘みと出汁の味が口に広がる。妙な面映ゆさと共に、乱切りの人参を咀嚼した。美味しい。


 彼も何事もないようにラーメンをすする。とんこつの白いスープが、きらきら光ってきれいだった。


「ラーメン、好きなの?」


 零すように尋ねると、彼の色が一瞬濁る。


「うーん、どうだろ。好き、かな」

「曖昧だね。美味しいってよく聞くから、どうなのかと思って」

「あー、そうだな。ももちゃんはカレーうどんが好きなの?」

「うん、カレーが好きだし、うどんも好き。だからカレーうどんも好き」


 彼は眩しそうに目を細めると、今度試してみる、と笑顔で返した。


「ここのラーメンはね、そこらのラーメン屋さんより旨いと思うよ。豚骨限定だけど。というかこの味だけ異常に美味しくて醤油と味噌がなくなったんだよね。こっちも試してみるといいよ。多分損はしないと思う」


 チャーシューもしっかりしてるし! と彼は薄く切られた焼豚を口に運んだ。

 確かにいい匂いだ。油膜の張ったそれがひどく美味しそうに見える。

 うん、決めた。来週はラーメンを食べよう。


「で、遥香ちゃんのことなんだけど」

「ぶっ」


 飲み込もうとした食材が嚥下反射のタイミングを逃し気管に入る。ごほごほと咳き込むと、大丈夫かーと間の抜けた声が降ってきた。


「好きなんだろ?」

「だから、違うって」

「まーまー。照れないでさー」



「手っ取り早く仲良くなりたいなら、放課後図書室に来てみな」


 彼は意味ありげにそう笑った。



*  *  *



 図書室はB棟の一階にある。雑誌やライトノベルも置かれている、なかなか充実した場所だ。ただし図書担当の先生の趣味が反映されて、飾り付けにピンク系等が多用されているのがある意味難点というか。

 フリルとレースにに彩られた少女趣味の扉を開けると、折り紙細工の花々に囲まれたカウンターに藤沢くんが埋もれていた。こちらに気づくと、ふと顔を上げる。俺が手を上げると、顔を輝かせて手を振った。

 彼が小さく手招きするのに合わせて、そちらに近づく。


「やほー」

「やほー、です」


「図書室あんま来ないでしょ?図書室のシステムは知ってる?」

「あ、はい。入学の時に…」

「そ、バーコード式!俺これがやりたくて図書委員になったんだよね!」


 あ、隣に先生いるから声は控えめでね、と彼が小声で言う。彼の手の先を負うと厳しいことで有名な体育教師が座っていた。正直運動音痴な俺には近よりたくない存在である。


「ま、ちょっとやそこらでは怒られないんだけど」


 彼は本を伏せ、分厚いファイルから俺の名前を探すとバーコードをかざすと、ピッという電子音が響く。パソコンの画面を確認してやっぱり借りてないんだ!と嬉しそう言った。どうやら、俺の図書室の利用状況を確認したようである。


「あの、なんで図書室?」

「そうだった。えっと、まず一つは俺が図書委員だから、放課後はここにいなくちゃならないってのと、もう一つは……」


 彼はそう言いながら扉の方へ視線を向ける。

 カラリと軽い音を立てて扉が開いた。


 軽く会釈して、『彼女』が入ってきた。


 ぶわ、と辺りが珊瑚色に染まる。

 一瞬で図書室を染め上げる淡い紅。

 あの、体育教師も、藤沢くんの琥珀色さえも、一色に。


 それと同時にじわりと心に火が灯る。なにか、暖かいものに包まれているような不思議な感覚。多分、俺もあの色の中にいるのだろう。自分の手のひらさえ珊瑚色に染まった感覚に少しの悪寒を覚え、しかし直ぐにかき消される。



「伊藤さん……」

「そ。遥香ちゃん、常連さんなんだ。ここなら話題に事欠かないと思って。ちなみに好きなジャンルは恋愛、ファンタジー系かな」


 それは立派な個人情報なのではと目を向けると、彼は人差し指を口元に当て、内緒ね、と囁いた。

 珊瑚色の視界に、ここだけが切り離された別世界のようだと心の片隅で感じた。首だけをひねり、図書室の奥を見ると、あちらは染まっていない。大体、4、5mが有効範囲といったところだろうか。


 そしてもう一度手のひらを見つめる。

 正直、少し意外なこともあった。

 この珊瑚色は間違いなく彼女の影響なのは確かだが、思ったよりも不愉快じゃない。

むしろ、心が踊るような楽しさと包まれるような穏やかさがあり、別にこのままでもいいのではないかという考えが浮かぶ。


 そしてすぐに首を振る。違う。そうじゃない。知らなきゃ、分からなきゃいけないと思ったばかりだったじゃないか。


「これお願いします」


 柔らかい声が響く。顔を上げると、伊藤さんがカウンターに本を置いたところだった。


「はい、毎度どうもありがとうございますー。今回は二冊ね」


 バインダーを開き、彼女の番号を読み取る。電子音を確認し、書籍の番号もスキャンした。流れるような作業に、慣れを感じる。


「いつもありがとう。あ、そうだ。この前の本凄くよかった! どきどきしっぱなしだったよ、文の感じも好きで……、またあんな感じの本読みたいんだけど、おすすめはある?」

「そうだなー、あの感じだと『植物図鑑』とかどうだろう。多分遥香ちゃんの好みだと思う。あと、毛色が少し違うんだけど、『チョコレートコスモス』って本も好きだと思うな。演劇の話なんだけど、結構面白かった」

「わ、今度読んでみる……!藤沢君の勧めてくれる本、面白いんだよねー」

「あと、新刊で入った水色の装丁のあの本もよくて……」


 伊藤さんと藤沢君は本が好きらしく、読書の話題に花を咲かせる。しかし、彼の風貌はいかにもちゃら…いや、明るい感じだったので、少し意外だった。図書委員なだけあるな、と心の中で思い直す。

 そうこうしているうちに、二人の会話はひと段落したらしく、藤沢君が話を変えた。


「あ、そうだ。これから時間ある?」

「大丈夫だけど、どうしたの?」


 藤沢君の指が、すっと俺をとらえる。


「そこの隅っこの子、遥香ちゃんとお話ししたいってさ」


「な……!ちょ……」


 予想外の事態に困惑する俺を尻目に彼はからからと笑う。


「と、いうのは冗談で。ちょうど知り合いが二人いるからさ、こう、普段絡まない人同士の会話に興味があるっていうかー」

「なんだか面白そうだね!」

「でしょー?ちょうど二人は初対面、かな」

「うん、はじめましてだね。私は5組で、伊藤遥香っていいます。えっと、なに君、かな」


「あの、や、山神です。6組です」


 あっという間にまとまった話に驚きながら、辛うじて自己紹介する。

 どういう事が理解が追い付かないまま、彼女をじっと見つめる。さらりと髪が揺れて、頬にかかった。彼女が髪をかき上げる、その動作に少しドキッとして、思わず顔を逸らした。

 横でニヤニヤと笑っている藤沢君が俺と伊藤さんの手を取る。


「丁度もうすぐ閉館時間だし、5分早いけどいいよね。先生、ちょっと早いけど図書室閉めていいですかー?戸締り終わってまーす。じゃあ図書室ご利用の皆様ー、すみません閉館します。貸し出しの本ありますかー?閉めますよー」


 彼の掛け声に合わせぽつぽつと人が出ていく。慣れたものだ。



「さ、お話しましょ!お兄さんがジュース奢ってやろう!」

「お兄さんってなんだよ」

「ふふふっ、なんか楽しいねー」


 彼女がそういうと不思議なもので俺も楽しいような気がしてくる。釈然としないが、とりあえず乗ってやるかと、一緒にベンチに向かった。



ようやく動き始めました。

次話は多分6日の朝7時ごろになります。

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