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3話

 教室までの道すがら、わいわいと駄弁りながら帰る。みんな妙なところで真面目なので、廊下いっぱいに広がることもせず、なぜか二列縦隊に近い形で移動していた。


「それでさ、帰る途中にめっちゃでかい犬がいて!」

「で?」

「すんげーでかかったんだよ!」

「うんうん」

「それで?」


 一人が大げさに腕を広げて話すと、続きを促す声が入る。一定のテンポで進む会話は軽やかで、友人同士の気安さや親しさが滲んでいた。何気ない会話がおかしくて、くすくすと笑う。

 いいな、と思う。この、優しさも、ぬくもりも。心地よい。


「いや、それだけだけど」

「え?」

「オチをつけろよ、オチを」

「無理やりにでも話まとめてくれって。な、山神もそう思うだろ?」


 くるりと振り向いてそう成瀬が俺に問いかける。

 俺は口元を思わず緩めた。


「そうだな、その犬にビビって溝に片足突っ込んだとか」


「うええええ、なんで知ってんのー!!」

「うわ――、まじか!」


「さぁ…何でだろうね…?」

 意味ありげにそう言うと、彼は大きな動作で怯える。


「え、なんで? なんで!?」

「見てたんだって。方角一緒じゃん!」

「まぬけー」

「当たり。ちょうど後ろ通ってたんだ」

「もーぉ…声かけろっていうか…助けろよなー薄情者…。いいけどさぁ……」

「ふふ…、ごめん」

「ああー!! 恥ずかしい!」


 顔を真っ赤にした渡辺がいじけると、周りも声を立てて笑った。

 笑い声がひとしきり落ち着いた頃、斎藤がそういえばさ、と再び口を開いた。


「伊藤さんがさ、落とした筆箱を拾ってくれてさ。いい人だよなー。なんかもう、すっげーときめいたんだよね。多分あれ運命の出会いだったわ」


「ええー羨ましいー!でも運命の出会いは無いな」

「俺も落とせば良かった」

「へへー。俺だから拾ってくれたんだって!」


 斎藤がにこにこと振り向きながらそう言い放つ。


「伊藤さんって誰?」


 こそりと山内に尋ねると、彼はそっか知らないっけ、と首をかしげた。


「うーん、と、なんて言えばいいかな。隣のクラスの、結構可愛い女の子。でもあれだな、いざ伝えようと思うと難しい…」

「そうか…じゃあイメージだけ教えてくれる?」

「えっと、山神みたいに真っ黒じゃなくて、ちょっと茶色がかった髪の、ピン止めつけてて、その、そうだな笑顔の可愛い…あー、これじゃわかんないよなー」《茶けっこう髪の大きかわいいな眼肩まで身長は160cmく笑顔ら華奢ないの》


 俺は彼の声に耳を傾け、うん、と頷いた。


「あんまりよく分かんないけど、見たほうが早そうなのは確かだね。また機会があったら探してみるよ」

「そうだな、それが一番かも」


 彼はひとつため息をつき、説明上手になりたいよと零した。

 そして、一呼吸おいて、あ、そうだと手のひらに拳を落とすと、くるりと後ろを振り返り、名前を呼んだ。


「むーらーかーみー」

「ん?なに?」

「あの、隣のクラスの伊藤さん、知ってる? 俺説明下手だからさー、ちょっと山神に説明してやってよ」

「ああ、うん。知ってる。伊藤遥香さんだろ? 俺もうまく説明できないんだけど、こう、セミロングぐらいの髪かな。メガネはかけてない。身長は、このあたり。そうお前の顎くらい。あと、性格も良くてだな、可愛いし、いい子だよ」

 すらすら、と淀みなく流れる口調に、おお、と声が漏れる。これはもしかして。


「むっつり?」

「違う」


 即座に否定されたことに少しふてくされながら、山内に視線を向けると、彼はくすりと笑う。


「確かに」

「むっつり?」

「いや、ふふ、そうじゃなくて」


 山内は視線を外すと、少し口角を上げて言った。


「いい子だなってこと」《いい子かわ優しくてだ》


 その言葉を受け、村上も重ねる。


「ああ。いい子だよ」《遥香は優しいやつだからな》


 そう村上が肯定すると、山内がだよなーと頷いた。


 とくん、と心臓がひとつ大きな音を立てる。

 ざわりと心の表面を何かがなぞるような不思議な感触。


「伊藤、遥香さん……」


 彼女のことが何故か強く、心に残った。




*  *  *




 心の内側に燻るようにちりちりと炎が燃えているような、そんな感覚だった。

 このざあざあと降る雨でも消えないような、小さくても強い炎。

 授業はモヤモヤとしたものを抱えているうちに終わってしまい、ざっくりとしたSHRも既に終了している。教室にはもう数人だけ。

 手には、教科書とノートを詰めた鞄。もう、家に帰るだけだ。傘がないくらい問題ない。学校までは大した距離じゃないから、走ってしまえば済むことだ。

 だけど。


「伊藤さん……」


 気になる、のだと思う。

 噂の人が一目見たいだけかもしれないし、他のこともあったのかもしれない。ただ、もやもやとしたものが自分の中にあることだけは確かだった。


「隣……って、5組か7組、か」


 俺は一度手に持った布製の鞄を机に置き、ふらりと教室を出た。なんとなく、右に足を向ける。

 5組はちょうどSHRが終わったのだろう。さようならという合唱と、五月蝿いほどの今後の予定が流れてくる。

 すぐにガラガラと音を立て扉が開き、生徒たちが賑やかに躍り出た。


今日ドーナツは何食《部活《宿題》行かなきゃ》べよう》《本屋に《明日は》新《やっと終わった》刊》《戸締り》


 扉が開いたせいで、より強く声が入ってきて、思わず立ち止まる。

 流れるように去っていく生徒たちに少し焦りが生まれた。このままだと彼女が帰ってしまう。


 誰か、誰かに聞かなきゃ。


 戸惑いながら、誰かをみつけようと視線を彷徨わせる。話を聞いてくれそうな暇そうな人、と思いながら探すが、そう思って探し出すと途端に皆忙しそうに見えた。

 雨粒の窓に叩きつけられる音も、湿気もひどく煩わしく感じられる。


 鬱々とした感情と、焦りと、怒りのようなものがないまぜになって

 ……急にふっと力が抜ける。


 会いたい、見てみたいと思っていた気持ちが途端に萎え始めた。


 もういいじゃないか。今じゃなくても。また、機会があればにしよう。


 そう思い始めていたとき。目の前に人が立った。


 ふと目線を上げると、明るい髪の男がじっとこちらを見つめている。

 男は目が合うとにかっと笑い、明るい声でやっぱり、と言った。


「昼の人だ!今日はありがとな!」


 ひる、昼か。その時間にあったかな、こんな人。

 彼はスラリとした長身で、顔には正直覚えがない。切れ長の目と明るい髪が印象的なので、出会ったらそうそう忘れないと思うのだけど。


 頭の中をさらってみると、最近会ったようなことあるような気がしないでもない。ということは多分会ってる、と思う。でも、どこで?


 靄のかかったような思考でぐるぐると考えていると、彼の声が耳に飛び込んだ。


《あれ覚えめずらしシャーペンいな階段いのか見つけて》


 声をつなぎ合わせて、理解する。

 ああ、そうか。

 昼、シャーペン、ね。


 彼の色は先程よりも明るいが、何かを閉じ込めたような琥珀色。そして、髪の色も、その身長も確かに覚えがあった。


「…探し物は、見つかりましたか?」

「そうそう!覚えてた、よかったー!あれお気に入りだったからなくしたと思って超焦ったよ!」

 ありがとう、と彼は少し長めの櫨染色はじぞめいろの髪をかきあげ、からりと笑った。


「で、こんなところで何か用?俺?俺?」


 顔を近づけて聞いてくる彼に、俺はふるりと首を振る。

 少し、教室の中を眺めると先程よりも大分人が減っていた。こほんと咳払いをし尋ねる。


「伊藤、遥香さんはいらっしゃいますか?」

「ん?遥香ちゃん?いるよー」


 彼の答えに少しほっとする。よかった。これで7組の方だったらいたたまれなかった。


「なになに、告白?呼ぼうか?」


 彼はからかうように小声で囁く。


「ちがう」

「えー、本当は告白でしょー?」

「ちーがーうー」


 俺がムキになって答えるのをからかうように、彼はケラケラと笑いながらひとりの女生徒を指し示した。


「ほら、あそこにいるよ」


 指の先には、一人の女生徒。

 彼女は肩につかないくらいの濃い黒茶色の髪をピンで留め、大きな瞳を優しそうに細めて笑っていた。彼らが噂していた通りかわいい。白く透き通った肌と少し細めの体躯が、儚ささえ感じさせる。だけど、それよりも目を引いたのは。


「同じ、色?」



 彼女の周りが全て、同じ色にそまっていたことだった。


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