このページ、他と比べるとかなり長いので要注意
◇
「うにゃ。一般生徒だったのにゃ」
その頃、魔似耶はうっかりうっかりと呟いていた。
「へっ?」
まったく事態を飲み込めていない仁奈。それも、無理はないだろう。
「念のために、ただの閃光しておいてよかったのにゃ」
そう言いながら、魔似耶は本を閉じる。
「……念のため?」
「にゃ。もしも閃光の矢、とかだったら大変だったのにゃ」
閃光の矢、というのがどんなものかは分からないが、とにかく物騒な代物だということは理解した仁奈。それと同時に、彼女の背中に悪寒が走る。
「あっ、安心するのにゃ。私は穏便派なのにゃ」
それはつまり、下手な真似をしたら始末する。そうともとれる言い方ではあるが、仁奈は寧ろ、滅多なことでは騒ぎは起こさない。というように解釈した模様。
「それにしても、あっちのほうは確か……」
「確か?」
「確か……、死体が二つ」
それを聞いて、仁奈は全身の血がざぁっと引くのを感じた。何せ、死体である。しかも、二つ。尋常ではない状況である。
「あっ、あの子なのにゃ」
魔似耶が指差す先には、頭を抱えた少女がいた。早足で、こちらに歩いてくる。
「あっ、あいつは」
すると、少女のほうも二人に気づいたようだ。
「あら、魔似耶じゃない。それに……、何で貴女が?」
少女―――七海だが―――は、魔似耶を見て安堵し、仁奈を見て訝るような表情を見せた。
「何でもいいでしょ」
まさか、宿題を忘れたから取りに来たとは言えない。
「にゃにゃ。二人とも、どうしたのにゃ?」
「どうしたもこうしたも」
「っていうか魔似耶。貴女、何でこんなとこにいるのよ?」
「にゃ~。それは秘密なのにゃ」
「ほんとに神出鬼没ね。ていうか、語尾に「にゃ」をつけるのやめなさい」
「嫌なのにゃ」
「喧嘩売ってるの?」
「売ってないのにゃ」
「だったらにゃをつけないで」
「嫌なのにゃ」
堂々巡りしているぞ。
「そう。だったら……、えい」
「にゃ!」
七海は、魔似耶の猫耳に手を伸ばす。
「そのふざけた飾を取りなさい!」
「嫌なのにゃ!」
その猫耳を必死に押さえる魔似耶。
「このっ、いい加減観念しなさい!」
「嫌ったら嫌なのにゃ!」
「もうっ! なんでこんなに背が高いのよ!?」
魔似耶の身長は、七海達よりも頭一つ分以上高い。それ故に、猫耳を取るのに手間取っているようだ。
「やめてほしいのにゃ!」
「だったらさっさと外しなさい!」
「嫌なのにゃ!」
七海の手が届きそうになると魔似耶が頭を振って躱し、それを追いかけてもまた躱され、そしてまた届きそうになると更に躱される。
「えいっ」
「あっ!」
「にゃ!」
だがそれも、仁奈が魔似耶の耳を取って、終わったようだ。
「あ、貴女ねぇ!」
「何よ!」
何故かヒートアップする仁奈と七海。だがしかし、
「にゃ~……」
「魔似耶!」
「大丈夫?」
魔似耶が倒れたことで、直ぐにクールダウン。
「魔似耶! しっかりしなさい! ああもうっ、あんたのせいよ!」
「何よ! あんただって取ろうとしたくせに!」
「うっさいわね! 取ったのはあんたでしょ!」
出来てなかったようだ。
「……うぅ」
「「え?」」
呻き声が、聞こえてきた。問題なのは、声のトーンだ。二人の声は、アルトとソプラノの中間くらいの高さ。魔似耶の声はソプラノトーン。だが、先程の呻き声は明らかに男性のもの。つまりこれは、この場にいるものの声ではない、ということだ。
「だ、誰……?」
周りを見回す仁奈。
「何か、下のほうから聞こえた気が、するんだけど……」
二人は、ゆっくりと下を向いた。そこには、ぐったりとした魔似耶が一人。
「まにゃ、……だよね?」
「魔似耶、……よね?」
二人は顔を見合わせた。だが未だに、謎の呻き声は聞こえてくる。そしてその発信源は、魔似耶である可能性が高い。
「どうなってるのかしら?」
「さあ?」
「……ん」
二人が首を傾げていると、魔似耶が起きた。
「あっ、まにゃ……ぁ?」
「まったく、人騒がせなんだか……ら?」
だが、起きたのは魔似耶ではなく、
「……よくも、やってくれたな」
何故か、この場にいないはずの、魔緒であった。
「まおちん!」
「陰陽魔緒!」
思わず飛び退く二人。……尻餅搗くほど驚かんでも。
「んなに驚くな。」
魔緒は、頭を押さえながら呟いた。ナレーターと同じ感想を抱かれると、フォローに困る。
「なななな何でまおちんがこんな所に?」
「あああああんた、そんな格好で何してんのよ?」
話の流れを見ると分かると思うが、実は魔緒が魔似耶だったのだ。つまり今、彼は女子生徒の制服を着ていることになる。
「それについては魔似耶に訊け。それと楠川、その髪留め返せ」
仁奈から猫耳(魔緒曰く髪留め)を引っ手繰ると、魔緒はそれを頭につける。
「まおちん?」
「陰陽魔緒?」
二人はそれを、やや複雑な思いで見ていた。
「うにゃ~」
しかしもう既に、魔緒はそこにはおらず、代わりに魔似耶が現れていた。
「うにゃ。仁奈ちゃんたら酷いのにゃ。いきなり耳を取ったりしたら死んじゃうのにゃ」
「死んでないじゃん」
ご尤も。だがあんたも、それが比喩だと分かれ。
「っていうか、これは一体どういうことなの? 説明しなさい!」
七海が、きつい口調で問いただす。
「うにゃ。まあ、簡単に言うと、魔似耶は魔緒なのにゃ」
「ふ~ん」
「ふ~ん、じゃないわよ。それで納得できるわけないでしょ?」
何でそんな説明で納得できるのか。
「にゃ。魔似耶は魔緒の体を借りてるのにゃ。でも魔似耶は女の子で、魔緒は男の子なのにゃ。だから、女の子の格好じゃないと魔似耶は外に出て来れないのにゃ」
「へー」
「へー、じゃない」
この訳分からん説明を、何故理解できる。
「でもにゃ七海ちゃん。これ以上簡単な説明はできないのにゃ」
「いいからさっさと説明して!」
凄い剣幕で捲くし立てる七海。
「にゃ。魔似耶は、そもそも人間じゃないのにゃ。だから、詳しいことは魔緒に聞いて欲しいのにゃ」
「だったら陰陽魔緒に代わって!」
「うにゃ。魔緒にこの格好は辛いのにゃ」
そりゃそうだろう。女装癖があるわけでもないのに、女子の制服は辛いものがある。
「大体、女子の制服なんてどこで手に入れたのよ?」
「にゃ? これは魔緒が作ったのにゃ」
「まおちんが?」
まさかのハンドメイド。
「にゃ。魔似耶が出てきやすいように作ってくれたのにゃ」
制服を作ってしまうなんて、どんだけ器用なんだ?
「でもにゃ、見た目を重視したせいで裏地とかはついてないのにゃ」
「よく見ると、スカートとか少し長いね」
「それは魔緒の趣味なのにゃ」
「とにかく」
七海が話を止める。
「ちゃんと説明する気はないのね?」
「ちゃんと説明したのにゃ」
魔似耶はあくまで説明したと言い張る。
「まあいいわ。それじゃ、私は帰るから」
七海はそう言うと、スタスタと歩いていく。
「あっ、待つのにゃ」
魔似耶に呼び止められて、立ち止まる七海。
「何かしら? 私は色々と忙しいの」
「一つだけ訊きたいなのにゃ」
魔似耶は間を置くこともなく、こう続けた。
「七海ちゃん、向こうで死体を見なかったかにゃ?」
いともあっさりと、まるでそれが大したことではないように。
だがしかし、それはあまりに非日常的な問いで。
しかも、さっきその光景を目撃した上でそれから目を逸らしている七海にしてみれば、今一番思い出したくないことで。
だから、彼女は自身の精神状態を安定させるために、そのことは忘れ続けなければならず。
だがそれも、こうもはっきりと問われれば、嫌でも思い出してしまうわけで。
何が言いたいのかというと、七海はあの惨劇を思い出してしまい、顔面蒼白になっている、ということだ。
「七海ちゃん?」
さすがにそれに気づいたのか、魔似耶は七海の顔を覗き込む。
「……あ、貴女、まさか」
「まさか?」
首を傾げる魔似耶。続きを促すが、七海がなかなか続きを言わないので、
「まさか、私が殺したと思ってるのにゃ?」
自分で察して、口にした。それも、驚愕を誘う台詞。とは言っても、薄々は予想できていたが。
この場が一瞬で、凍りついた。忘れていたがここは暗闇で、その上での魔似耶の発言。仁奈と七海の不安は、時間の三乗のペースで増していく。
そんな沈黙を破ったのは、この雰囲気を作り出した張本人である魔似耶だった。
「ばれちゃったなら、仕方ないのにゃ」
だがその言葉は、二人の望んだものではなく。
寧ろ、聞きたくなかったもので。
「そうなのにゃ。あの二人は私が、うにゃ、魔緒と魔似耶の二人で殺したのにゃ」
しかも、それを態々補足してくれて。
それて再び、沈黙は訪れる。今度は、不安が恐怖に変わって。
―――そう。
この無垢な―――
そう思っていた少女に対する―――
恐怖に、支配されて。
「でもにゃ二人とも、本当に怖いのはこれからなのにゃ」
魔似耶は、そんな二人の心を見透かしたように、そう言った。
「本当に怖いのは、この学校そのものなのにゃ」
「「……えっ?」」
仁奈と七海の声が、同調する。
「全ては、この学校に問題があるのにゃ」
仁奈には、魔似耶の言っていることが分からない。それは七海にも言えることで。だが彼女の反応は、少し違っていて。
「……ふざけないで」
小さく、呟かれた声。無論、七海の声だ。
「ふざけないでよ! あんたが殺したんでしょ! 今生徒や教師が行方不明っていうのも、全部あんたが殺したからなんでしょ!」
続けて、怒声。恐怖などというものは、先程の台詞で既に吹き飛んでいる。
「ご名答なのにゃ。でもにゃ七海ちゃん、もしも殺さず放っておいたら、大変なことになってたのにゃ」
「何が大変よ! 人殺しのくせに言い訳すんじゃないわよ!」
「聞くのにゃ!」
魔似耶の一喝で、場はまた静まり返る。だが、今度の沈黙はすぐに終わった。
「私だって、殺したくはなかったのにゃ。でもにゃ、あれはもう、人じゃなかったのにゃ」
そう語る魔似耶には、表情や感情というものが感じられなかった。後悔しているような台詞も、そのせいで上辺だけのものに成り下がってしまう。だが今度は、七海も怒鳴ったりしない。
「この場所の、気に当てられてしまって、もうただの抜け殻だったのにゃ」
そして魔似耶は、左手に持っている本を掲げた。
「これは、魔道書なのにゃ。ただの抜け殻と化した亡者を葬って、人々へ危害を加えないようにするための魔術。それを記した本なのにゃ」
そしてそれを胸の辺りで抱くと、
「私は、魔緒と魔似耶は……。これを使って、みんなを守ってただけなのにゃ」
そう言って、顔を伏せた。
何度目になるか分からない沈黙。だが今度は、かなり気まずいものになってしまった。
一人が他方を責め、その他方が、悲痛な思いを口にする。他方の声が無機質なものとなったのも、自分の心の内を悟られまいとするためなのか。他の二人も、そう思っていた。
だが、こんな空気もいつまでも続かない。
「にゃ!」
魔似耶が、不意に顔を上げる。
「そ、そんな……、おかしいのにゃ。今日の二人で、場は、気は正常化したはずなのにゃ。なのに、どうして……?」
「ど、どうしたの、一体?」
今まで黙っていた仁奈が、魔似耶に問いかける。
「……また、亡者が現れたのにゃ」
亡者。つまりは、魔似耶の言う「気に当てられた抜け殻」という奴なのだろう。
「それって、つまり……」
「犠牲者が、増えたのにゃ」
魔似耶は、ゆっくりとそう告げた。