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男手が足りない

作者: 怪力熊男
掲載日:2026/05/25

「どこに行った?」

「こっちにはいなかった」

「絶対に逃がすな、納屋の裏、便所の影に隠れていようが何が何でも探し出せ!」


 実に物騒な言葉が飛び交うのは、のどかな農村の一角。

 大勢の女たちが、文字通り血眼になって一人の子供を探していた。


 自らを大勢が探していることを知ってか、少年は身をかがめて古びた神社の小さな社の影にうずくまる。

 両手で口を抑え、呼吸の音すら消そうとしているのか、必死で息を潜めていた。


「ここにいたか」


 そんな少年の背後から、つややかなアルトの声。

 振り返るよりも早く、少年は意外なくらいに力強い腕に抱きとめられ、持ち上げられてしまった。


「いたぞ! 見つけた!」

「い、いやだ! 嫌だぁ! 離して!」


 少年は高々と抱きかかえられながら、何とか女の腕から逃れようと身体をよじる。が、まだ小柄な細身の身体では、大柄な大人の腕を振りほどくことは出来なかった。


「ったく、手間ぁかけさせやがって。ほら乗りな」

「嫌だ! 助けて! 誰かぁ!」

「うるさい。わがまま言うんじゃないよ。ほら、乗るんだ」

「嫌だ」

「無傷のまま乗れるのは、これが最後のチャンスだと思いな。乗りなさい。骨の4、5本はへし折っても構わないって言われてるんだよ」


 少年は小さく『ひぃっ』と怯えた声を漏らして、何かを諦めたかのように眼の前の軽自動車へと乗り込んだ。


「ほら、ベルト締めな」

「……いや――」


 少年の言葉が終わる前に、小さな口は女の手で覆われるように塞がれた。


「調子に乗るんじゃないよクソガキ、何ならあんたの両足をこの場でへし折って、二度と歩けなくしてやろうか? あ?」


 少年は本気で、心底怯えた。

 女の目が、彼女の言葉がただの脅しではないことを物語っていたからだ。


 四白眼になるほど見開かれた目、不自然に消え失せた表情は、いずれも彼女が少年に対して、怒り以上の感情を持っていること雄弁に語りかけている。

 少年の口を覆う手には、第二次性徴を迎えたばかりの少年に触れる女性の手とは思えないほどの力が込められている。

 これがもしも成人男性の手であれば、少年の顎の骨は悲鳴を上げ、頭の中の内耳にはぎりぎりと骨と歯が軋む音が伝わっていたことだろう。


「あんたに許される返事は『はい』か『わかりました』のどっちかだ。理解したか?」


 少年は涙目で小さく頷く。

 少年はこの上なく理解した。

 自分がもう逃げられないこと。

 逃亡の最後のチャンスを失ってしまったこと。

 そして、逃亡のチャンスはもう二度と巡ってこないことを。


「こちらデルタ5、対象者を確保した。繰り返す。対象者を確保した。五体満足だ。送れ」


 軽自動車のカーラジオのような機械から、少しかすれて聞き取りづらい音声が響く。

 こちら本部、デルタ5、良くやった。反抗するようなら骨の3本程度は構わん。何としてでも連れ帰るように。送れ。


「こちらデルタ5、了解。確認が終わったらちょっと味見させろよ。送れ」


 再びカーラジオから聞き取りづらい女の声。

 こちら本部。いいだろう、だが2回だけだぞ。デルタ5、早急に帰還せよ。再優先事項だ。送れ。


「デルタ5了解。RTB(これより帰還する)。交信終了」


 ぶつ、とカーラジオからのノイズが途切れる。

 

「ったく、手間かけさせやがって……お前が逃げたせいでな、警備担当者が2人、処刑されることになる。あんたのせいだぞ」

「しょ、処刑……って……こ、殺されるんですか……」

「殺される。それも、泣きわめきながら『お願いですから早く殺してください』っていうような方法でな。全部、あんたのせいだ」


 少年の奥歯から、ガチガチというリズミカルな硬い音が鳴り始めた。


「漏らすんじゃないよ。軍用車を汚したらあたしまで懲罰モンだ」

「ぼ、ぼ、ぼく、僕、そ、そん、そんな、そんな、つもりじゃ――」

「あんたがどんなつもりだろうが、脱走を許した以上処刑は免れないんだよ。軍人の務めを果たせなかったからな」


 軽自動車は、農村のような区画を抜けると、一気に近代的、というよりも未来的な都市へと入り込む。

 街をゆく女たちは皆同じデザインの服を身にまとっていた。


 もしも現代人がこの場に居合わせたら、特に男がこの場に居合わせたら、強烈な違和感を抱くことだろう。


 男がいない。


 待ちゆく者たちは、全員が例外無く女だけだった。


「男は今日び貴重な資源なんだよ。世界中で奪い合いだ。下手に逃げてみろ、隣国のスパイに連れて行かれて人体実験で切り刻まれる。まだこの国は男にとっちゃ天国なんだぞ」

「あ、あの……どうして、男っていなくなっちゃったんですか……」


 少年は農村のはずれで産まれ育った。都会のことなど何も知らない純朴な子供だ。

 彼が産まれたとき、村はお祭り騒ぎとなった。

 お祭りは七日七晩続いた。20年ぶりに産まれた『男児』の健康な成長を願うため、巫女たちは夜通し神楽舞を踊り、尼僧たちは祭りの期間中ずっと護摩行を続けるほどだった。


 農村で20年ぶりに産まれた男児は、同時にこの国で20年ぶりに産まれた男子であった。

 

「あ? そんなことも聞いてないのか? ったくこれだから田舎のガキは……良いか? 100年前に『Y染色体』にだけ異常を起こすウィルスが大流行した。つまり、男だけを殺すウィルスだ。男を殺すだけじゃなく、地球上に男が生まれなくなった。以来、女は人工的に作られた精子を使って生まれるようになったが、Y染色体がないからな。女しか産まれない」


 某国の過激な、カルト的フェミニスト集団が開発したウィルスは全世界に伝播し、世界中にいる40億人の男を、わずか10年でほぼ全て殺し尽くした。


 ごく一部に残った男性から健康なY染色体サンプルを確保した政府は、計画的に男児を誕生させるべく、希望者から抽選で『Y染色体を持つ精子』を与えるようになった。

 だが、ウィルスは女性の遺伝子にも密かに異変を起こしていた。

 男児を妊娠しても、流産してしまう確率が異常に高くなったのだ。


 政府は最優先課題として人口子宮の開発をすすめ、何とかわずかずつながら男性を『生産』出来るようになっていった。


 だが、人口子宮で育った男性にもまた、問題が残っていた。

 彼ら自身には生殖能力があるが、子の世代には生殖能力を持たない男か、女しか産まれないということが分かったのは最近のことだ。


 事態を重く見た政府は、軍を総動員して『国内に、自然分娩で産まれた男児がいないかを調査し、いた場合には問答無用で身柄を確保せよ』と通達を出した。

 

「あ、あの、わからないです……」

「わからなくても、お前は国家の財産だ。自由は認めない」

「ぼ、僕どうなるんですか? あの、お母さんとかお婆ちゃんは?」

「心配するな。気にする必要はない」


 少年が生まれ育った村は、全て焼き尽くされている。

 女兵士は、少年の身体に舐め回すような視線を這わせると、ぺろりと舌なめずりをした。


「全部忘れさせてやる。たっぷり可愛がってやるよ」


 女兵士は嬉しそうに口角を上げ、ハンドルをしっかりと握り込む。

 ギヤを5速に入れると、ぐい、と力を入れてアクセルを踏み込んだ。

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