過去改変 :約2000文字
とある高校の放課後。教室には二人の生徒だけが残っていた。それぞれ携帯ゲーム機を手に持ち、一つの机を挟んで向かい合って座っている。片方は椅子の背もたれに腕を乗せ、気だるげな表情。時折、「はあ……」とため息を漏らす。もう片方は机に肘をつき、無言で操作を続けていた。
窓の外では、グラウンドから運動部の掛け声が断続的に響いてくる。遠ざかり、空へ溶けていくように消えていく。
「はーあ、受験勉強だりいなあ。全然遊べねーし」
片方がふいに手を止め、ゲーム機から視線を外して天井を見上げた。
「今、遊んでるじゃん」
向かいに座る彼は、画面から目を離さないまま淡々と応じた。
「いや、今くらいなんだよ。こうやってたまに息抜きしないとやってられねえって話。はあ、もっと早くから勉強始めておけばなあ……。過去に戻りてえ……。高校の最初の頃に、いや、いっそ小学生くらいまで戻れたらなあ」
片方はそう言って、わざとらしく大きくため息をついた。
「戻ってどうすんの?」
「ん? そりゃ、やり直すに決まってるだろ。失敗したことを全部なかったことにしてさ。それからゲームして、外で遊んで……。あっ、それに宝くじとか買って……いや、小学生じゃ買えねえか。うーん……」
「まあ、戻ってもそんなに楽しいもんじゃないよ」
彼はぽつりと言った。
「ははは、失礼だぞ。おれの小学生時代のこと知らねえくせに」
「いや、僕の話。まあ、同じことをなぞっただけだったしね」
「は? 何言ってんだ?」
「僕、戻ったんだよ。過去に」
「はあ?」
「右から二番目の窓に鳥がぶつかる。それから、廊下を女子が『サキー』って名前を呼びながら走っていく。そのあと、太田先生がドアからひょいって顔を出して、『お……早く帰れよー』って興味なさそうに言う」
「何言って――うおっ」
片方が窓のほうへ視線を向けた、その瞬間だった。一羽の鳥がガラスにぶつかり、バンと乾いた音を立てた。慌てたように羽をばたつかせて飛び去っていく。そして――
「サキー!」
「お……早く帰れよー」
廊下から女子の声が響き、ばたばたと足音が遠ざかる。その直後、教室のドアが少し開き、先生の顔がひょいと覗いて、すぐに引っ込んだ。
「……え、え? マジ? え? お前、本当に過去に戻ったのか……?」
片方は息を呑み、目を見開いたまま震える声で訊ねた。
「うん」
彼はようやくゲーム機から顔を上げ、小さく頷いた。そして、また何事もなかったかのように視線を画面へ戻した。
「いや、そんなあっさりと……。とにかく、いったん信じるとして、それで、お前にとって今は過去で、未来からここまでたどって来たってことか? いや、ややこしいな……。あ、それとも自由に行き来できるのか? どれくらい先の未来から来たんだ? なあ!」
片方は椅子から身を乗り出し、矢継ぎ早に問いかけた。
「うーん……まあ、今からそう遠くない未来だよ。過去に戻れたのは、たぶん偶然かな。僕にもよくわからない」
画面を見つめたまま、彼は淡々と答えた。
「偶然って……そういうもんなのか……。でも――ん? あれ?」
「どうしたの?」
「……お前、さっき『同じことをなぞっただけ』って言ってなかったか?」
「うん」
「それって……過去を変えられるのに変えなかったってことか?」
「そうだよ」
「なんで!?」
「そんなことよりゲームの続きやろうよ」
「今それ一番どうでもいいだろ」
「さっきまでやりたがってたくせに」
「過去の話だっての。なあ、なんで? なんで変えなかったんだ?」
「めちゃくちゃ過去にこだわるじゃん」
「当たり前だろ! なんでなんだよ。そんなに充実してた人生だったのか?」
「全然。両親は離婚したし、学校ではいじめられたしね」
「おー……じゃあ、なおさら意味がわからん」
「ほら、過去を変えたら未来にも影響が出るかもしれないじゃない? ちょっとのズレで大きく変わって、よくないことが起きるかもしれない」
「いや、それは実際に過去を変えて痛い目を見たやつが言う台詞だろ。お前、何も変えてないんだよな?」
「うん。まったく。ここまで、ずーっとなぞってきたよ」
「こわ……。なんでそんな達観してんだよ。いや、でもさすがに全部同じって無理だろ。忘れてることとかあるだろうし」
「いや、その場面になると不思議と記憶が蘇るんだよ。ゲームの二周目みたいな感じかな」
「じゃあ、なおさらそのままやり直すのはつまらないだろ……。どういう精神構造してんだよ……」
「ほらほら、早く続きやろうよ」
「それこそゲームなんて一番つまらねえだろ。……え、じゃあお前、これまでのおれとの会話も何もかも全部、なぞってきたのか?」
「そうだよ。まあ、過去に戻った話をしたのは今が初めてだけどね。ふふふふ」
「怖い怖い怖い……もうお前がわからねえよ」
「あっ、その顔。デジャヴ」
「やめろよ、その二周目のノリみたいなの」
「次に君は鼻をすする」
「……ずずっ。いや、やらせただろ」
「ははは! まあ、過去なんて気にせず、今を、それから未来を楽しもうよ」
「説得力があるような、ないような……はあ、なんか疲れた。ゲームするか……」
「うん」
教室に再びカチカチとボタンを押す音が戻る。時折、二人の笑い声が弾んだ。窓の外は黄色から茜へと色を変え始めていた。
……ようやくやり直せた。
あの日、君に告白して振られたんだ。
直後、衝動的にあの窓から飛び降りて気づいたら過去に戻っていた。
もうあんな失敗は繰り返さない。次はもっと慎重に計画を立てて確実に成功させる。
ああ、やっと始まるんだ……。
彼はゲーム機で口元を隠し、静かに笑ったのだった。




