雨の日──峠の亡霊
あれは今から25前、私──佐藤淳がまだ20代だった頃の話。
思い出すだけでもぞっとするが、毎年この時期になると嫌でも記憶が蘇るので、若い頃に経験した恐怖体験を語ろうと思う。
西暦2000年8月中旬。
あの頃、私はいわゆる"走り屋"と呼ばれる人間だった。
1995年に免許を取った私は、昔からクルマに対して興味があった事や、先輩の影響もあって夜の峠に通い始め、いつしか峠では上位と呼ばれる実力を身につけていた。
当時の私の愛車はFC3S型のマツダ・サバンナRX-7。
地元のM峠では、ガンメタのFCはちょっとした有名車両となっていた。
働いて稼いだ給料をタイヤ代やオイル代などの維持費、そして社外コンピュータにブーストコントローラなどの改造費など、給料の大半をFCのために注ぎ込んでいた。
峠の走り屋は大まかにグリップとドリフトに分類されるが、私は速さを競い合うグリップの人間だった。
当時は峠が盛り上がっていた時代で、シルビア、MR2、新型のFD3S、32スカイランのタイプMなど、多種多様な車種が私のライバルとして立ちはだかっていた。
あの頃の私は峠で頂点に上り、幾人か居た公道からプロの世界に羽ばたいた先達に憧れ、本気でプロレーサーを目指して走り込んでいた。
だから当然、雨だろうがお構いなしで峠に上がっていたんだ。
「雨脚が強まってきたな……」
頂上のトイレから出ると、昼頃から降り出して今まで小康状態だった雨は、いつの間にかその強さを増していた。
──そろそろ帰るか。
今日は金銭的な余裕がなく、あまり燃料を入れてこなかった事が災いして、FCの燃料が残り少ない状態になっていた。
ロータリーエンジンは燃費が悪いため、もうあと一本走れるかという程度。
来週の給料日までお金が少ないため、これ以上走ると生活に影響が出る。
やむを得ず下山しようと、傘を差してFCのほうへ歩き始めた時だった。
「……ん? 見ないクルマだな」
いつの間に上ってきていたのだろうか。
峠の頂上の駐車場には、あまりこの辺りでは見かけないクルマが止まっていた。
白のランサーEXターボ、いわゆるランタボという当時でも古いクルマ。
車高が下がっていて、黒色のエイトスポークを履いているあたり、走る人なのだろうと私は思った。
だがランタボの影に隠れるように、傘を差している人のシルエットが目に映る。
──なんだ、気味悪いヤツだな。
全身黒色の衣服を着ていて、夏だというのに上はジャケットで、フードを被っているため顔が全く見えない。
だが体の向きからして、私のほうを一直線に向いている状態だった。
──背筋が凍った。
無言で佇むソイツから、気味の悪さを感じたんだ。
そもそも夜とはいえ、今日は雨が降っていて蒸し暑い。
そんな真夏の夜なのに、まるで晩秋に着ているような服装で、しかも単独で俯いたままこちらを向き続ける男が、私はマトモではないと直感的に判断した。
私は小走りでFCに駆け寄り、傘を畳んでFCに乗り込んだ。
全身に寒気を覚えつつ、キーを捻る。
ロータリーエンジン独特のセルが回る音、そして低くも乾いたサウンドが暗闇に響き渡る。
先ほどまで走っていたため、水温や油音は暖気が必要なほど落ちてはいない。
早く立ち去りたいと思ったため、私はすぐにFCを発進させた。
先刻より雨脚が強まった事で、それまで水が浮いているだけだった路面には、所々に川が出来ていた。
アスファルトの窪みには水たまりもできて、非常に危険な路面状況だ。
タイヤの溝はあるものの、この状況ではあまり期待できたものではない。
先ほどのランタボは動く気配もなかったし、あとは下山して家に帰るだけ。
私は5割ほどのペースで流しながら、程よくスライドコントロールを楽しみつつ峠道を下っていた。
バックミラーを照らす灯りが近づいてきたのは、そんな時だった。
「なんだ? まさか……さっきのランタボ?」
そうとしか思えない。
頂上に居たのは、あの気味悪い男のランタボだけだった。
──ヤバい。
そう思った私は、まるでランタボにそうさせられているかのように、反射的にアクセルを踏み込んでいく。
ペースを上げ、あのランタボから逃げる。
ヘビーウェットの路面だが、雨は決して苦手ではない。
むしろ当時貧乏だった私にとって、雨はタイヤの消耗を抑え、なおかつドラテク向上に最も効果のある味方だった。
レインバトルは仲間内では一番勝率が高い。
──上等だ。
13Bターボが咆哮する。
私のFCはグングンと車速を上げていき、次のコーナーの手前で既に150キロ近い車速が出ていた。
限界ギリギリ。ブレーキングを開始すると、やはり雨で濡れた路面により、タイヤが縦方向にグリップしてくれない。
私のFCには、買った時からABSが装着されていない。
だが当時のABSというのは非常に厄介なもので、正直言って無いほうがマシなレベルのモノが多かった。
そして5年間走り込み、鍛え上げられた私の右足はABSをも超越する。
ブレーキがロックするのを感じ取って、踏力を緩めては強める。
この繰り返しにより、人力でABSを実現するのだった。
クラッチを切って踵でアクセルを煽り、ギアを四速から三速、二速へと落とす。
長いストレートからの低速コーナーだったが、私のFCは見事に車速を落として、ブレーキをリリースしながらノーズを入れていく。
コーナーの頂点に向かってラインを描き、アクセルを徐々に入れていく。
濡れた路面。
パワーに対してリアタイヤのグリップが負けてしまい、リアが滑り出す。
だがアクセルのオンオフ、微妙なカウンターステアなど、全身で車の挙動を感じ取る事で、微調整を図る。
じわじわとトラクションをかけて、私は雨のコーナーを見事にクリアした。
並みのドライバーなら、今ので差がついてしまう。
そう思ってバックミラーを覗き込むと……。
「ウソだろ!?」
ランタボは離れるどころか、FCの真後ろにピタリと張り付いていた。
信じられない。
先ほどまでの車間からして、奴は私以上にブレーキを我慢していて、それでいて私以上のスピードでコーナーを曲がっているという事になる。
この濡れた滑りやすい路面で、しかも古いランタボで。
──何者だ、コイツ。
それから私は、とにかく我武者羅に峠道を攻めた。
何度もコーナーに飛び込んでは、限界ギリギリのブレーキング、滑りやすい路面ゆえにシビアなスライドコントロールを強いられ、持ちうるテクのすべてを注ぎ込んだ。
それでもランタボは離れない。
真後ろ、至近距離に張り付いたまま、私を猛追してくる。
「どうなっているんだ。いくらなんでも……速すぎる!!」
ランタボは確かにターボ車だが、それでもFCにパワーで勝てるわけもなく、車自体の設計も古い。
軽量コンパクトなロータリーエンジン最大のメリットは、理想的な前後重量配分からくる運動性能の高さ。
それに五年間走り込んだ俺が乗れば、車的にランタボにコーナーで後れを取るわけがないはず。
だが現実は、張り付かれてしまっている。
そして信じられない事が、次のコーナー手前で起こった。
「バカかコイツ、死ぬ気か!?」
コーナーに備えてアウト側のラインを取った私に対し、なんとランタボがイン側に明らかなオーバースピードで飛び込んできたのだ。
ここでインを刺す、しかも雨の日に、正気の沙汰じゃない。
第一インベタの苦しいラインで、その車速で、減速が間に合ったとしても曲がられるわけがない。
こいつは死にたいのか。
焦った私は、やめておけばいいのに──ランタボの方を向いてしまった。
それがすべての失敗だった。
「ひぃ──ッ!?」
雨で暗くて視界が悪いし、それでなくても走っている車内から隣の車の中を確認するなんて困難なはずなのに、なぜかハッキリ見えてしまったんだ。
肉が削げ、歯茎が半分露出して、鼻までズタズタに裂(けた皮膚に、左眼球が垂れ落ちて両目から血涙を流すフードの中身を。
ランタボの男は、半壊した口を大きく開けて、まるで何か呪詛を叫ぶように口をパクパクとさせている。
顔中から血液が滲み出て、その表情が明らかに険しくなる。
「あ、ああ、うわああああああああああああああああああああああっっ!!」
オ・マ・エ・モ・コ・ッ・チ・ニ・コ・イ。
その時点で私の記憶は途絶えてしまった。
…………。
……。
次に目を覚ました時、私は病院のベッドで横たわっていた。
「……痛っ」
腕にはギブス、両足も吊り上げられていて、全身に痛みを覚える。
そのあと意識を取り戻したという事で、病室に駆けつけてきて医師曰く、私は夜の峠で事故を起こし、全身複数個所の骨折をしていたという。
さらに顔面もステアリングに勢いよく打ち付けていたようで、顔面の骨がひどく砕けていた挙句、ガラスによる裂傷もひどかったそうだ。
そして私は病院に搬送されてから、一か月もの間眠っていたそうだ。
私が生きている事自体、奇跡的らしい。
「神奈川県警の丸内です。事故について詳しくお聞かせいただきたく……」
その一週間後、意識を取り戻したという事で私のところに警察か来て、事故について事情聴取をされる事になった。
まさか公道を暴走していたとは正直に言えず、私は野生動物を避けようとして事故を起こしたと嘘をついたが、警察官は怪訝そうな顔を浮かべつつも私の供述を信じ、ごく普通の単独事故として処理された。
「淳、よかった意識を取り戻して……!!」
それから程なくして、高校時代の友人である田辺が見舞いにきてくれた。
警察には言えなかったが、田辺には事の顛末を詳しく説明したのだった。
「……っ!?」
すると田辺が青ざめた顔になり、そして震えた声で語り始めたのだ。
「遭遇しちまったのか……ランタボに」
「なんだ、知っているのか?」
田辺の話によると、昔あの峠では伝説的に速いランタボの走り屋がいたらしい。
しかし雑誌のストリートバトル企画があったらしく、その代表として出走したランタボの走り屋は、雨の中凄まじい走りを見せたものの、ハイドロプレーニング現象によってタイヤのグリップを失い、ガードレールに激突して死亡したという。
その遺体は顔面が崩壊していて、見るも無残な姿だったとか。
それ以降、たびたびあの峠では雨の夜、走り屋たちが単独事故を起こしていた。
私も地元なので、その話は聞いていた。
だがスポットである以上、事故はつきもの。
腕が足りなかったとか、タイヤがうんこだったとか、そんな理由だろうと思って気にせず走り続けていたわけだが、この時私は遭遇してしまったわけだ。
──雨の日に現れる、ランタボの亡霊。
これまでにも被害者は何人か出ており、そのうちの何人かは死んでいるらしい。
まるでランタボの亡霊に招かれ、連れていかれたかのように。
「お前は幸運だったよ、生還できたんだから……」
「あ、ああ……っ」
田辺の話を聞き終えた私は、恐怖のあまりしばらく青ざめた顔で絶句していた。
当然だが、この事故で私のFCは廃車になった。
とても復活させられるようなダメージではなく、原型を留めていなかったそうだ。
私はそれからしばらく経って退院する事ができたが、顔の左半分に麻痺が残ってしまい、骨盤もプレートで固定。脚の痛みも残り、後遺症が残ってしまった。
そのため仕事も転職することになり、その後は色々と大変だった。
走り屋というものも、この事故をキッカケにやめた。
というよりガラス片で眼球にダメージを受け、左目の視力が著しく低下し、他の後遺症もあって不通に運転するだけで大変な体になってしまったからだ。
なので免許は身分証として所持し続けたが、あれから一切車を運転していない。
まあ、後遺症以外にも理由はあるんだ。
あの崩壊した顔面で、私に向かって呪詛を叫ぶランタボの走り屋の怨念が込められた表情が忘れられなくて、二度とあんな怖い思いをしたくないと思ったからだ。
「神奈川県M町M峠で単独事故。21歳男性が死亡……」
そして私がこの話をした理由はもう一つ、M峠での死亡事故が報じられたから。
ネットニュースに載せられた写真には、まさしく私が事故を起こしたコーナーが映し出されていた。
私はこのニュースを見て、私の事故と今回の事故は関係があると思った。
まだランタボの男は彷徨っている。
自分の仲間を求めて、走り屋たちをあの世に引きずり込もうと──。