外科道具屋探し
ハッサンの事故から3週間後、彼は問題なく歩けるようになっていた。一般的な破傷風の潜伏期間も過ぎた。一先ず心配はなさそうだ。
「ありがとう、リュー。もうすっかり良くなった!」
「ああ、俺もびっくりしてる」
正直なところ、感染や破傷風が起こらなかったのは、養父の運が良かったからだ。リューも肩の荷が下りた心地だ。
「・・・ところで」
ハッサンの雰囲気が変わる。彼の手には1枚の紙が握られている。21世紀のそれとは品質は劣るが、この国では手に入れようと思えば紙が手に入る。
そして彼が持っていたのは、3週間前にリューが記した「手術記録」だった。
「改めてお前の処置内容を見させてもらった。血管の結紮止血法・・・私は教えたことがないが、これをどこで覚えた? それに傷を閉じないこの“開放創”という手法・・・これは私も知らないものだ。それに縫合針を曲げて使ったな? これは咄嗟に思いついたのか?」
この世界の止血法は焼灼止血が一般的だ。化膿を予防できると考えられているからだ。そしてハッサンの疑問はそれに留まらず、次から次へと疑問を示される。
「・・・えぇっと」
リューは目線を逸らす。彼はついに来るべき時が来たと観念する。彼は深呼吸をして心を落ち着かせ、ゆっくりと目を開いた。
「・・・父さんには、いつか話さないとと思っていた。絶対、信じてくれないだろうけど」
「・・・聴こう」
2人はテーブルを挟んで向かい合わせに座る。そしてリューは自身の秘密を語り始めた。
それは、違う世界の違う国で死に、そしてこの国で生まれ変わったこと、元の世界は医学を含め、あらゆる技術がこの世界よりも遥かに発達しており、前世はその世界で外科医として働いていたこと、である。
「・・・」
ハッサンは黙ってしまう。ふざけていると思われたのでは・・・そんな不安が過ぎる。
「なんだろうな、今のお前の話を聞いて・・・とても腑に落ちた」
「・・・え?」
だがハッサンの答えはリューの予想を裏切るものだった。
「赤ん坊にしてはあまりにも聞き分けが良過ぎたんだ、お前は。夜泣きもせんし・・・排泄や食事も清拭もすぐ覚えるし、正直気味が悪かった」
「・・・」
リューは養父の本音を聞いて苦笑いを浮かべる。ハッサンは彼の話を信じていた。ハッサンは拾ってきた赤ん坊であるリューの今までの様子から、彼が何か隠していることはすでに分かっていた。
「・・・で、お前の世界の医学はどんなものなんだ」
ハッサンの目は、まるで少年のようにきらきらしている。医学者としての知的好奇心が気持ちを高揚させていた。
「・・・うーん、どんなものって言われてもなぁ」
正直なところ、大本の基本的な部分は大差はない様な気がしていた。もちろん、電気や超音波を使った道具、放射線治療機器など、この世界から見れば想像を絶する様な道具はあるが、説明しようにも理解して貰える気がしない。
「そういえば、話は変わるけど・・・いくつかこの世界で欲しいなって思うものはあるんだ。父さんは外科道具をどこで調達したんだ?」
この世界にもメスや鑷子、剪刀など、基本的な外科道具はあるし、実際にそれらでどうにかしようと思えばどうにかなる。しかし、慣れない道具を使い、以前の手術で不便を感じたのもまた事実だった。
「ああ、それなら馴染みの鍛冶屋に頼んだのだ。少々変わり者だが腕は確かだ。まだ商売をしているのかどうかは分からないが・・・」
「馴染みの鍛冶屋・・・」
選んで街の外れに暮らす養父に、そんな知り合いがいるのは驚きだった。
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ラマーファで最も賑わう市場から1本路地裏に入った場所、そこに小さな鍛冶屋がある。だが、通りに面した作業場には火は灯っておらず、休業してから随分と時間が経っている様に見えた。
「・・・」
人気のない作業場に、カゴを抱えた1人の娘が入ってくる。強い日差しと砂埃を避けるため、ゆったりとした麻の布からなる衣服に身を包んでいた。
「・・・ぐ、ぐッ!」
「!」
作業場の奥にある扉から、男のうめき声が聞こえてくる。娘はカゴを落とし、咄嗟に扉を開けた。そこには右手を抱えてうずくまる1人の男がいた。
「お父さん! また痛むの!?」
「・・・ウゥッ、大丈夫だ・・・カナン、すぐにまた収まる・・・!」
男はカナンと呼ばれた娘の父親である。彼は腕利きの鍛冶屋であるが、利き手である右手にある病を患い、長らく休業を余儀なくされていた。その病は鍛冶屋の男、ワルート・ゲルト=ラムジーから右手の人差し指、中指、薬指の動きの自由を奪い、時折こうして激痛をもたらしていたのである。
「お父さん、やっぱり・・・もう一度お医者様に診てもらおうよ!」
「バカ! どこにそんな金がある・・・? それに結局あいつらは薬代ばかり取って治せなかったじゃないか!」
この病を患い始め、仕事に支障が出だした時、父娘は街の中心地にある医院を訪ねた。彼を診療した内科医は鎮痛薬の処方をすることはできたが、症状の根本的に解決することはできなかった。
さらに家業を続けられず、収入が無くなった彼ら父娘は、医院にかかる治療費すら捻出できなくなっていたのである。
「・・・フゥ、フゥ!」
苦しむ父親に何もできない。カナンは胸が張り裂けそうな思いだった。
だが、そんな時、表の作業場から誰かの声が聞こえてきた。
「・・・御免! ワルート殿はご在宅か!?」
「!?」
カナンはその声の主を確かめるため、家と作業場を隔てる扉を開ける。そこにはすこし痩せ気味の中年の男と、背の高い精悍な少年がいた。
「あの・・・父は今、取り込んでおります。ご用件は?」
カナンは2人に警戒心を向けながら用件を尋ねた。
「私はハッサン・グリムール=ロラン、街の外れで小さな診療所をしている外科医だ。こっちは息子のリュージーン、実はワルート殿に外科道具の作成を依頼したく参った」
「!」