アバスフマルへの帰還
第3章最終話です。
奇跡の手術を終えた翌朝、東から昇る陽光がパラメスワラ夫妻の屋敷に差し込む。ラクシュミは豪奢な寝台の上で、両腕に赤子を抱えている。そばには夫のアルジュンが寄り添っている。部屋の中には侍女の他、屋敷に1泊したリューとハッサン、カムラード、そして産婆のマヤの姿もあった。
壮絶な手術を終えた後で、腹の傷はズキズキと疼き、髪もボサボサだ。だが、ラクシュミが愛おしそうに双子を見つめる姿は、まるで聖母の様に見えた。
「本当に……ありがとうございます」
ラクシュミの声は掠れていたが、その眼差しは涙に潤みながらも確かな安堵に満ちていた。彼女の腕の中で双子が小さく身じろぎする。
「あなた方がいなければ……、我々の子も妻も……!」
アルジュンが言葉を詰まらせる。2人は改めてカムラードたちに頭を下げた。
「お礼なら……、リュージーン先生に」
「!」
カムラードは一歩後ろに控えていた、若き外科医を指し示した。リューはキョトンとした顔をしてしまう。
「君がなかったら……15年前と同じ様な悲劇の結末だったろう。私は奇跡を見た。難産となった双生児を母子共に救う奇跡の医術を……!」
カムラードの脳裏には、昨夜の記憶が鮮明に刻まれていた。人の体を知り尽くした手術によって、迅速に胎児を救い出した奇跡の瞬間が焼き付いていたのである。
「そんな大層なものではありません。それに胎児が2人とも命をつなげたのは、産婆のマヤさんの功績も大きい……」
リューは臍帯脱出と新生児仮死に対して、適切な処置をしたマヤの貢献を重視していた。現代医学を知らなくとも、長年の経験則で胎児の窒息死を辛うじて防いだからだ。
「いや、それでも……母子を救ったのは君だ。君の様な者がいることを、私は神に感謝したい」
カムラードは惜しみない賛辞を送る。リューは照れ臭く笑っていた。
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それから1週間後、夫妻の屋敷からアラファート診療所へ、晩餐の誘いが届けられた。リューとハッサン、カムラードの3人は、屋敷の“晩餐の間”へと案内される。
部屋の中には石造りのテーブルが鎮座しており、上座となる奥の端にホストである夫妻が座っている。テーブルの上には舶来品の燭台や、この国の伝統料理が並んでいた。
「先生方、先日は十分なお礼も出来ず、申し訳ありません。ささやかながら、改めてこの様な席を設けさせて頂きました」
主催者のアルジュンは陶器製のグラスを片手に口上を述べている。彼の隣には着飾ったラクシュミが座っていた。おそらくはこの国の歴史上初の帝王切開で産まれた双子は、幸いにも何事もなく健やかに過ごしている。
「我が屋敷の料理人たちが腕に縒りを掛けております。どうか、この国の味を楽しんで頂ければ幸いです。では……、乾杯!」
ホストの動きに合わせて、リューたちもそれぞれのグラスを掲げた。彼らの前には、スパイスの香りが漂う魚の焼き物、鮮やかな野菜のサラダ、甘い果物の盛り合わせなどが美しい模様の陶器に彩られて、並べられている。
この国の食事はフォーマルな場面であっても、大皿に乗せられた料理を取り分ける方式が一般的であり、各々の目の前には取り皿とスプーン、フォークが並んでいた。周囲に控えている侍女たちが、晩餐の参加者たちの皿へ丁寧に料理をよそっていく。
(これは……、トムヤムクンみたい)
この国は南方の温暖地域に属し、さらに海洋国家であることから、魚介類やカラフルな果物・緑黄色野菜を使った料理が主流である。リューはタイ料理を思い出していた。
「お、おいしい……!」
リューは思わず笑みを漏らす。“異世界の異国”の料理に舌鼓を打っていた。
「貴方方は、カムラード先生は私たち家族の恩人です。あの夜は妻子を失う恐怖に苛まれていましたが……今は我が子の成長を見守る幸せに満ちています」
「いえ、それは皆の力があってこそのものでした」
他の席を見てみると、カムラードとアルジュンが話している。カムラードは元より、この街随一の名医として名が通っている男だ。アルジュンは今回の一件を、彼が主導したものだと思っている様だった。
「……?」
その時、リューはふとラクシュミ夫人と目が合った。ラクシュミは視線を逸らすことなく、彼を見つめてニコリと笑う。産後間もない彼女は食欲が本調子ではないのか、御馳走に食指を伸ばすことなく、ココナッツミルク粥を食べていた。
その後、晩餐の席は終始和やかなムードで進み、アルジュンの計らいで3人は屋敷に泊まることとなった。ゲストルームには来賓用のベッドが並び、窓の外には綺麗な月が見えた。
リューは厠に立ち、部屋にはハッサンとカムラードが残っていた。
「この前、私はリュージーン君が何者かと問うたな。だが最早、彼が何者かなどはどうでも良くなった」
カムラードとハッサンは、部屋の窓際に置かれた1組の椅子とテーブルに座っていた。カムラードは月を見上げながら、ハッサンに話しかける。
「私は、彼がこの先何を成すのか見てみたい……! あの少年は、偉大な医学者としてこの世界の歴史にきっと名を残すだろう。私は確信しているのだ」
カムラードはリューの才覚がこの先、飛躍的な医学の発展をもたらすことを予期していた。
「だが、同時に不安になる。あの全てを超越した医学の才覚が、彼自身を不幸にしないかと」
そして危惧していた。その類稀なる才能が、悪どい権力者たちに目をつけられないかと。知らず知らずのうちに政争の道具にされ、彼を不幸に貶めやしないかと。
「確かに……彼の医療知識はこの世界を超越しています。ですがその前に、彼は私の大事な息子です。この世界でただ1人の家族です。守りますよ、全力で……!」
「……そうか、よかった」
カムラードは安堵の笑みを浮かべる。彼が危惧していることは、ハッサンも以前から不安に思っていることだった。
出る杭は打たれる。余りにも先んじた天才は、周囲の理解を得られずに埋没する、またはその才覚で成した功績を卑劣な凡人に利用され、破滅の道に貶められるのが世の常だ。幸いにも、リューはハッサンやカナン、シャナ、そしてアブアールといった良い理解者を集めている。だが、何時理不尽な悪意が降りかかるとも限らない。
ハッサンは父として、全てを捨ててでも彼を守ることを誓うのだった。
その頃、屋外の厠で用を済ませたリューは、虫の声が響く中庭を歩いていた。
(少し寄り道してしまったが、早く戻ろう……)
周りは暗く、足元もよく見えない。リューは足早に来た道を戻っていく。
「……あの」
「うわっ!」
その時、薄暗い廊下の影に、突然ボウッと人影が現れた。たまらず声をあげたリューは、反射的に身を引いた。
「……すみません、驚かせてしまって」
影の中から出てきたのは、帝王切開を受けた本人であるラクシュミだった。リューはほっと胸を撫で下ろす。
「ご、ご夫人でしたか。どうされました、こんな夜中に? それにお体は大丈夫なのですか?」
「はい、少しは痛みますが、7日前と比べたら大分楽になりました。それよりも……、貴方にお伝えしたいことがあって……」
リューは手術を受けたばかりの体を案じていた。だが、ラクシュミは創の痛みを押してでも、彼に伝えたいことがあった。
「夫は今回の手術を、カムラード先生が主体となって行ったと思っている様ですが、私はちゃんと覚えています。貴方が私たちの命を救ってくれたことを」
「……え」
あの時、ラクシュミは陣痛と腹を切られる痛みで朦朧としていたが、リューが必死に手術をしたことをはっきりと覚えていた。
彼女はどうしても、ちゃんとした言葉でリューにお礼を伝えたかったのだ。
「本当に……、ありがとうございます!」
ラクシュミは深々と頭を下げる。
このラーマヤナ王国で人知れず行われた奇跡の「帝王切開」は、後にカムラードが記した著書によって、歴史の1ページとして後世に伝えられることとなる。
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それからさらに1週間後、ラーマヤナ王国を離れる日がやってきた。リューは発注した作れるだけの医療用ゴム製品を積荷として船に積み、ハッサンと共に船が出る時を待つ。
港では水夫たちが貿易品の積荷を、せっせと船に積み込んでいる。天気は快晴、水平線の向こうまで雲1つない日本晴れであった。
「ついに波の国ともお別れか、なんだか名残惜しいなぁ……」
リューは南国の港街であるマジャレバンの風景を、改めて脳裏に焼き付けていた。現代世界なら、金銭的余裕さえあれば海外だって飛行機で一っ飛びだろうが、この世界ではそうもいかない。遠洋航海を生業とする船乗りでなければ、異国など一生に一度行くかどうかだ。
「……私も名残惜しいよ、君たちとの別れが」
「カムラード先生」
カムラードは見送りのため、港に駆けつけてくれていた。およそ4週間の滞在となったが、その間、彼はリューとハッサンの2人に滞在場所を提供してくれた。
「だが……、気をつけなさい。行き過ぎた才覚は、それを歓迎する者ばかりではない。それどころか邪魔に思う者の方が多いだろう。君はきっとアバスフマルの医学に、いや……医学界を超えて名が知れ渡ることになる」
カムラードは真剣な目でリューに忠告をする。“大袈裟だ”、と謙遜するような雰囲気ではなく、リューは無言のまま彼の言葉を聞いていた。
「そうなった時、君は自分の身を守ることを考えなければならない。だから、くれぐれも気をつけなさい」
「……はい!」
リューは深く頷いた。
「あの、俺……私からも伝えることがあります」
続けて、彼はカムラードにどうしても言わなければならないことがあった。
「皇妃殿下の傷を手術して、治しました。父とアブアール先生と共に……。それと皇妃殿下から伝言を預かりました。『皇子を救ってくれて、ありがとう』と……」
「……!!」
リューはシェエラザードの傷を再手術で治したこと、そして彼女の言葉をカムラードに伝える。カムラードは初めて、あの日の皇妃が自分を恨んでいなかったことを知る。
その瞬間、心の鉛が外れた様な感覚があった。同時に涙腺が堪えきれなくなり、思わず顔を下に背けてしまう。
「そうか、……そうだったのか! ありがとう!」
カムラードは改めてお礼の言葉を伝えた。ハッサンは無言のまま、2人の様子を見つめていた。
程なくして、出航の準備が整う。リューとハッサンは桟橋から貿易船へと乗り込んだ。
「お世話になりましたーっ!!」
「……ああ! いつかまた、必ず会おう!」
船が港から離れ始める。リューは大きく手を振って、カムラードに別れの言葉を述べた。カムラードも何時の日かの再会を近い、彼らは離れていく。
かくして、波の国「ラーマヤナ王国」への旅は、幕を下ろしたのだった。
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砂漠の国「アバスフマル帝国」、その大国を構成する都市の1つである「ラマーファ」、首都から比較的近いこの街に「ラムジー鍛冶屋」は店を構えている。
店主ワルートの1人娘であるカナンは、この日も父の仕事を支えている。作業場は鉄を溶かす炉の熱で非常に暑く、作業中のワルートはもちろん、カナンの額にも大粒の汗が流れている。
(あれから……もう1ヶ月半かぁ)
カナンはため息をつく。リューから短い手紙をもらってすでに長い時間が経っていた。手紙をもらった直後は、気分の落ち込んだ日が続いていたが、もう寂しさもどこかへ飛んでしまった。
しかし、心配なのは変わらない。薬師のシャナに愚痴をこぼしたら、ヘラヘラと“大丈夫だって”と笑っていたが、1日砂漠を歩けば辿り着く首都「イスファダード」とは話が違う。彼が向かった先は、大きな海を何日も旅した末に辿り着く異国なのだ。
「……もう! リューもリューだよ! いきなりあんな素っ気ない手紙残して、波の国に行くって……私がどれだけ心配しているか分かってないのよ!」
頭の中で色々な鬱憤が湧き上がり、カナンは1人、リューへの不満を口にする。だが、彼女はその1人芝居をある人物に見られていることに気づいていなかった。
「……へぇ〜、そんなに心配してくれたんだ」
「もちろん! 当たり前で……しょ、……っ!?」
反射的に返した言葉が、どんどん小さくなっていく。そしてゆっくり、ゆっくりとその声がした方へ振り向く。
「……ごめん、ただいま!」
「!!」
そこにはバツの悪そうなリュージーンがいた。彼は髪の毛をいじりながら、気まずそうに笑っている。その顔を見たカナンは、今までの心配や不安、憤りなど、いろいろな感情が一気に吹き出してしまった。
「うわーん!! リュー!!」
「ゔわっ!!」
カナンは怒鳴り声とも鳴き声ともつかない様な叫び声を上げながら、汗まみれなのも構わずリューに抱きついた。
「……」
リューはびっくりして固まってしまう。同時に、それほどに心配をかけていたとは思わず、申し訳ないことをしたと感じていた。
リューとハッサンはラマーファへ帰郷した。エーテルを携えて最初にイスファダードへ旅立った日から、およそ半年後のことだった。
メインヒロイン復活! 次回、第4章「日常篇」 カナンがようやく物語に本格参加してきます
登場人物が増えたので、整理も兼ねて一旦人物まとめを作ろうと思います
主作品である「旭光の新世紀」の息抜きとして書いているこの作品ですが、私自身もなんか楽しくなってきています。あちらももう少しで終わりなのでちゃんと進めたいですね。




