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ラーマヤナ王国

 遠い異国の地で、ハッサンはかつての師と奇跡の再会を果たした。患者をここまで運んでくれた他の水夫たちが帰った後、2人は改めて向き合う。


「私ももしやと思っていたが、……お互いに歳をとったな」


 カムラードは目を細める。2人が最後に分かれたのは15年も昔の話。ハッサンはその顔にシワが増え、またカムラードの髪は白くなっている。


「紹介します、私の息子、リュージーンです。リュー、こちらはカムラード・セイシュウ=アラファート、先代の外科学教授で、私の恩師だ」

「……! は、初めまして!」


 リューはようやく事情を悟り、慌てて頭を下げた。


「リュージーン君か……、こちらこそよろしく」


 カムラードは弟子の息子を見つめる。そして柔和な笑みをハッサンへ向けた。


「立派な医師を育てたな」

「……!」


 その言葉は、ハッサンにとって何者にも代わり難い誉れとなった。


「せっかく来てくれたんだ、まずはこの街を案内しようか」


 カムラードはそういうと、診療所の看護婦に患者の様子を診ているように指示した。そして3人はマジャレバンの街へと繰り出す。


 「ラーマヤナ王国」の首都である「マジャレバン」の街は、ジャングルが生い茂る半島の沿岸に建設された街だ。沿岸部は舟屋や家屋、市場が並ぶ平民の居住区域であり、反対に海辺から最も離れた内陸部は「王宮」や貴族の邸宅が並ぶ。

 カムラードは、2人を海側に向かって案内していた。程なくして、活気ある沿岸部のエリアへ辿り着く。


「あれがマジャレバンの中心地だ。賑やかだろう」


 カムラードが指さす先には、赤茶色の屋根瓦とカラフルな漆喰壁で飾られた建物群がひしめき合っていた。少し遠くを見ると、大陸各国の貿易船が並んでいる。リューは思わず息をのむ。


「まるで古い映画のセットみたいだ……」


 石畳で整備された大通りは人でごった返していた。華やかな刺繍入りのサリーのような民族衣装を纏った女性たちが籠を担いで行き交い、頭上には色鮮やかな布が張り巡らされている。立ち並ぶ露店からは香辛料の香りが混ざり合い、甘くて刺激的な芳香が鼻をくすぐった。


「これ、何て魚だろう……?」


 港街である故に、市場には水揚げされた海水魚も並んでいる。イスファダードの市場でも魚を見ることはあるが、それは川魚の干物や塩漬けが主であった。カラフルな生の熱帯魚を軒先に並べて売り捌く様子は、非常に新鮮に思えた。

 市場の奥へ進むにつれて、リューの目に飛び込んでくる光景は彼を驚かせ続けた。


「ほら見ろよ、この防水の服は最高なんだ!」


 屋台の店主が鮮やかな黄色のゴム加工の上衣を広げて見せる。表面には小さな泡のような粒が無数に浮かび上がっていた。店主がその上で水滴を垂らすと、見事に丸まり跳ね返っていく。


「あれは防水衣だ、船乗りや漁師たちが好んで買っていくのさ」


 カムラードが解説する。隣の店では黒褐色の長靴を磨いている親方がいた。その滑らかな表面には独特の光沢があり、近くを歩く男が履いている同じ型の長靴は、泥まみれなのに中は乾いているようだ。


「すごい……ゴム産業がここまで発達してるなんて」


 リューは思わず呟いた。ハッサンも目を細めて観察している。

 リューは装飾品を売っている露店の前で足を止める。そしてブレスレットを手に取った。紐の部分を引っ張ってみると、輪ゴムを彷彿とさせる伸縮性があった。


(どこの世界、どこの国にも天才はいるか。これは『加硫ゴム』だ……!)


 我々の世界におけるゴムの歴史には、2つの偉大な発見がある。15世紀にカリブ海からヨーロッパへもたらされたゴムは、水にもアルコールにも溶けず、また気温によって溶けたり固まったりするため、長らく利用の難しい物質だった。

 しかし、18世紀にマッケやエリッサンがゴムの溶剤を発見し、19世紀にはアメリカのチャールズ・グッドイヤーが、硫黄と混ぜて加熱することでゴムの耐久性と弾力が生まれる「加硫」を発見した。グッドイヤーの発見によって、温度の影響を受けやすいという問題点が解決され、19世紀以降ゴム産業は飛躍的な発展を遂げることになる。


「あの、ゴムの採取場があるんですよね? そこに行くことは出来ますか?」

「ああ、連れて行こうか? 少し遠いが……」

「はい! ぜひお願いします」


 もう少しで求めたものに辿り着く。カムラードの案内で、一行は繁華街を離れ、街の郊外にあるゴム採取場へと向かう。



 市街地を抜け、ゴムの木が一面に広がるラテックスの採取場に辿り着く。背の高いゴムの木が整然と植えられ、幹には斜めの切れ目が幾重にも刻まれていた。その切れ目の下には小さな椀状の陶器が取り付けられている。


「木に負担をかけすぎないよう、計算された間隔で樹液を採集しているのだ」


 カムラードの説明を聞きながら、作業員の動きに視線を向ける。青年が樽を背負って歩きながら、それぞれ陶器の中身を確認していた。ある者は小刀を取り出し、新しい切れ目を追加し、別の者は椀の位置を調整している。


「朝方の涼しい時間帯にだけ滲み出るんだ。一日で一椀に満たないこともある」


 ゴム園の奥に進むと、ラテックスを加工する工場がある。工場とは言うが、木の柱の骨組みにヤシの葉の屋根が乗った、壁のない吹きさらしの作業場だ。

 近づくと、強烈な酢の匂いが鼻を突いた。地面を掘って作られた水槽には、一度濾過した大量のラテックスが浮かび、天井からは無数の薄皮のような塊が吊るされていた。


「あれが乾燥中のゴムだ。採取した樹液を酢酸と混ぜて一晩放置すると、あんなふうに固まる」


 カムラードが小声で説明する。奥では作業員の男たちが固形化したラテックスを手回しの木製ローラーで薄く圧搾していた。さらに薄く伸ばしたラテックスを、女性たちが物干し竿に吊るしていく。


「おや、カムラード先生! お客人か?」

「ああ、世話になっている」


 作業場の前にいた老人が振り向いた。カムラードと作業場を取り仕切っている老人、皆が親方と呼ぶ男は、業者と顧客の間柄だった。


「紹介させてくれ。こちらは私の……後輩医師で、医療研究のためにゴムの特性を探求しているリュージーン殿だ」


 カムラードが丁寧に紹介する。親方の鋭い眼差しがリューを捉えた。


「ほう……その若いのがお医者さんか」

「はい、リュージーン・ヒルクライハー=ロランと申します。新しい医療器具を作るのにゴムを使いたいと思い、アバスフマル帝国から来ました」


 リューは恐縮しながら頭を下げた。親方の眉が僅かに上がる。


「ほぉー、そりゃあ遠路はるばる大したもんだ。こっちへ来い」


 親方は竿にかけてある乾燥中のラテックスを取り、リューに手渡した。


「触ってみるか?」

「は、はい!」


 リューの指が触れると、現代日本で利用されている一般的なゴムよりだいぶ柔らかく、そして伸縮性がないことに気づいた。


「分かるだろう? このままだと強度が足りない。それに暑さ寒さで溶けたり固まったりするから、もう一手間が必要なんだ。こっちへ来い」


 親方はリューを別の作業場へ案内する。ラテックスの加工場から少し離れたところに、現代では「混練り」と呼ばれる工程を行う撹拌作業場があった。

 巨大な石臼のような撹拌機がいくつか並んでおり、職人たちは乾燥したラテックスと鉱山から採掘された硫黄を投入する。そして撹拌機から放射状に突き出たハンドル(木の棒)を、屈強な男たちが回し始める。


(ファンタジーで奴隷がぐるぐる回してるヤツだ……)


 その光景はまさしく、日本の創作物によく出てくる「奴隷が回してる謎の棒」だった。この場で実際に回しているのは奴隷ではなく、職人だが。


「乾燥させたラテックスに硫黄を混ぜ合わせる。それを鋳型に嵌めたり、衣服や靴に塗って加熱すると、弾力と耐久性が生まれるんだ」


 親方の案内で、リューたちは再び移動する。そこは硫黄と混ぜたラテックスを焼くための窯がある場所だった。職人たちが燃やす炎の熱気が素肌をジリジリと焼き、汗が垂れてくる。これが現代では「加硫」と呼ばれる工程である。

 親方は籠に詰められている完成品の防水衣をリューに手渡した。表面を触ってみるとザラザラしている。


「……医療用の管として人体に一定期間入れることを考えると、表面はもっと滑らかにしたいですし、よく見ると不純物も多い」

「うーむ、……カムラード先生も同じことを言っていたが、ゴムは溶かしたり細かく濾したりが難しい。先生に卸したゴム管以上のものは……なぁ」


 この国では我々の世界とは逆に、ゴムの「加硫」が先に発見されており、ゴムを溶かす「溶剤」は発見されていない。故に巷に出回っているゴム製品の強靭さ・弾性は我々の世界と大差ないが、細かい加工や濾過による不純物除去が難しい状況だった。


(でも確か、ラテックス手袋は有機溶剤に溶けるよな。なら……)


「我々、ゴムを溶かせる薬品を持って来ているかもしれません。我々が手術の際に気化させて麻酔薬として使っている薬なのですが……」

「何だって? ゴムを溶かせる薬だと?」


 親方の目が鋭く光る。


「正確には軟化剤として少量を混ぜれば、硬いゴム塊を扱いやすくできるかもしれません。もし、ラテックスを液状化できれば、より厳密な濾過と、緻密な形成が出来る可能性はありますよね」

「……! そ、そりゃあそうだろうが、そんな都合の良いものがあるのか!?」


 親方は驚きを隠せない。今まで麻酔薬として使っていた「エーテル」を、ゴムの溶剤として使うというリューのアイデアに、ハッサンも困惑の表情を浮かべていた。

 しばらく考え込んだ親方が頷いた。


「……よし、ものは試しだ。実験してみよう」

「……ありがとうございます!」


 リューは深々と頭を下げる。かくして、ゴムの加工を進化させるため、製造所との共同実験が決まった。

 トントン拍子に話が決まったのは、カムラードが優秀な医師で、その紹介という信頼があったからである。



 工場を後にした帰り道、リューとハッサンは今後について話し合う。


「もし上手く行ったらまず細いゴム管を作りたい、それにゴム手袋も作りたいな」

「鋳型が必要になるな」

「うん」

「まずは鍛冶屋を探すぞ、この街なら腕の良い職人もいるはずだ」


 ハッサンが力強く言った。リューの想像は膨らむ。軟化剤の実験が上手く行けば、経鼻栄養やドレナージ、さらには点滴など、医療行為の幅を大きく広げることが出来る。


「鍛冶屋なら私が紹介しよう」


 カムラードが名乗りを上げる。エーテル全身麻酔に続く、新たな実験が始まった。

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