国立医学学校
昼過ぎに出発したキャラバンは、過去幾人もの旅人たちが残した足跡にそって砂漠を進む。冬季とは言えども日中は暑く、空気が乾燥しているため、汗は流れた瞬間から乾いていく。
(まだ歩き始めて2刻程か・・・)
リューは豚の膀胱から作った水筒の水を、少しだけ口に含む。そして自分を鼓舞しながら、キャラバンについていく。日は次第に西へと沈んで行き、空はあっと言う間に星空へと姿を変えた。
「今夜はここで野宿だ! 明日、夜明け前に出発する!」
隊商のリーダーの命令に従い、ラクダが一斉に足を止める。そして商人たちは慣れた様子で、簡易的なテントを立てていく。
シャナとカナンは他の女性・子供たちと共に焚き火のそばに集まり、身を寄せ合っていた。
「カナン! 大丈夫か?」
「う、うん! 平気!」
テント作業を手伝っていたリューは、体を震わせながら暖をとるカナンを気にかけ、遠くから声をかける。カナンは小さく手を振った。
砂漠は昼と夜の寒暖差が激しい。特に今は冬季であるため、氷点下になることもある。カナンは口元をスカーフの中に隠し、吐息をついて暖をとる。温暖な気温だった日中とは一転して、吐息は白くなっていた。
「・・・ねぇ、あの若いのはあんたの男かい?」
「ふぇ!?」
カナンの右隣には中年の女性が座っていた。ふくよかな体格で膝には娘を乗せており、柔和な印象を抱く人だった。
カナンはあからさまに動揺してしまう。
「・・・あ、いや! 私とリューはその様な関係では!」
「プククッ・・・!」
カナンは真っ赤になりながら必死になって否定する。左隣に座っていたシャナは思わず吹き出してしまう。
「あら、そうだったのかい。こりゃおせっかいだったね」
女性は特に反応を示すことなく、膝の上の幼子をあやしていた。
その後、キャラバンのメンバーは男女に分かれて眠りにつく。リューは歩き通した疲れからすぐに寝入ってしまった。しかし、カナンは女性から言われた言葉が頭に残って眠れない。
(私が・・・リューと? た、確かに顔立ちはかっこいいし、お医者さんとしても凄い人だとは思うけど・・・)
内心、思うところがないわけではない。しかし、彼女がここまでついてきた動機は、恋愛感情というよりも、何方かと言えば羨望からの奮起がキッカケだった。
(・・・うん! 私たちには今、首都で為すべきことがある! とりあえず寝よ!)
浮ついた気持ちを押し殺すため、無理やり眠りに入ろうとブランケットを頭まで被る。
夜空には満点の星空が広がっている。砂漠の夜は静かに更けていった。
: : :
翌日、日の出前から出発したキャラバンは、太陽が頂点に昇る頃、ついに首都イスファダードへ辿り着いた。
「・・・!」
この国の首都、その姿を見て、リューは言葉を失う。
そこは砂漠に恵みをもたらす大河の河岸に位置し、3重の城郭に覆われた巨大城砦都市であった。河岸の港には上流の都市から下ってきた船が並び、城郭の外側にも街が広がっている。
人口は推定100万、「世界の半分」とも称えられる大陸の交易路の中心地であり、東西から情報と文化がもたらされる文明都市であった。
「イスファダードだ! 懐かしいね、ハッサン先生!」
「・・・ああ」
薬師のシャナはラクダの上から、地上を歩くハッサンに声をかける。彼女は元々この街の貴族階級の娘であり、彼女にとっては数年ぶりの帰郷である。そしてそれは、ハッサンにとっても同じだった。
「リュー!」
「・・・? 何だい、父さん」
リューは後ろへ振り返る。そこには、何やら思い詰めた表情をしているハッサンの姿があった。
「首都へ着いたら、少し話がある」
「・・・分かった」
その後、キャラバンは最外側にある城郭の門をくぐり、城砦都市の内部へと入っていく。まだ中心部ではないというのに絢爛な寺院や建物が立ち並ぶ。そしてキャラバンは巨大な広場に設営されている「市場」に辿り着いた。
リューたち4人はキャラバンのリーダーにお礼と別れを伝え、休息のために隊商宿で部屋を確保した。部屋の中には簡易的なベッドが2つ、長椅子が1つ置いてある。
「ちと4人で使うには狭いが、部屋がないと言われてな。何とか衝立は借りることができた。カナンには申し訳ないが・・・」
シャナはともかく、うら若き乙女であるカナンまで男女同室になってしまった。ハッサンは彼女に気を遣って、フロントから部屋の間仕切りに使える衝立を借りてきた。
「いえ、別に私は気にしま・・・」
カナンは今まで、小さな自宅の唯一の寝室で父のワルートと並んで寝ていた。ゆえに父と同年代で、信頼しているハッサンと同室で眠ることには、特に抵抗感などなかった。
彼が自分に気を遣っていることが逆に申し訳なく感じ、両手を振って心配いらないことを伝えようとする。その時、彼女の視界の端にリューの姿が映った。
「・・・っ〜! ・・・ぁぅ、大丈夫ですから・・・」
「?」
その瞬間、カナンは頬を真っ赤にしてしまう。そして言葉尻の声がどんどん小さくなっていく。首を傾げるリューとは対照的に、全てを察したシャナはくすくすと笑っていた。
夕飯を終えた後、カナンは緊張よりも疲労による眠気が勝ったのか、ベッドの上で可愛い寝息を立てて眠っている。その隣のベッドでは、蝋燭の灯りを頼りにして、シャナが過去10例の手術症例の記録を読んでいた。
そして部屋の窓の外では、ハッサンとリューが満点の星空の下で地べたに腰掛けている。肌寒い夜風が、2人の間をかけていく。
「・・・で、首都に着いたら話したいことがあるって言ってたけど?」
「ああ、実は・・・私の過去のことなんだ。うっかりシャナが口に出しそうだから、もう先に伝えておく」
ハッサンは一呼吸おいた。それはリューが拾われた頃に遡る。
「お前は、私が昔、首都に住んでいたことは覚えているな?」
「う、うん。何となくだけど・・・」
15年前、ハッサンは出身地でもある首都イスファダードに住んでいた。その頃は幼いリューも彼と共に首都に住んでいたのである。転生した彼には、その時の記憶が朧げにあった。
「私はその時、医学学校で准教授をしていた。だが、色々あって結局辞めることになった。私は当時、外科学教室に在籍していたが・・・今の教授は私の旧友だ」
「!」
ハッサンには国立医学学校へのパイプがあった。シャナが今までそれとなく、彼に医学学校へ行くことを煽っていたのは、その過去を知っていたからだった。
「数日前、信書を首都へ送らせてある。配達人がちゃんと届けていれば、彼は私がこの街に来ていることを知っているだろう。だが、会ってくれるかどうかは分からない。彼は・・・私のことを恨んでいるだろうからな」
「・・・!?」
ハッサンはそれ以上語らない。首都での最初の夜は、一抹の不安を抱えながら過ぎていった。
: : :
翌朝、顔を洗い、髭を剃ったリューとハッサンは、緊張の面持ちで身支度を整えていた。
(・・・いよいよか)
この国の医学教育・医学研究の最高峰である「イスファダード国立医学学校」の門戸を叩く。できる限り身なりを整え、まずは門前払いされないことを祈っていた。
隊商宿を後にした一行は、ハッサンの先導に従って城砦都市の中を進む。絢爛で彩り豊かなディティールでデザインされた寺院や図書館、公共施設などが立ち並び、ラマーファとは明らかに一線を画する大都会が広がっていた。
「・・・あんまりキョロキョロしていると、余所者だってすぐにバレるよ」
「・・・!!」
シャナは田舎者丸出しのリューとカナンに苦言を呈した。恥ずかしくなった2人は揃って顔を俯ける。
そうこうしているうちに、彼らは目的の場所へと辿り着く。
「・・・私は3年ぶりだよ、懐かしいなぁ!」
シャナは能天気な声色で、その建造物を見上げる。そこは寺院や国の官公庁舎にも劣らない巨大かつ絢爛な建造物だった。
「イスファダード国立医学学校」・・・この国における医学教育・医学研究の総本山に、ついに足を踏み入れる時が来たのである。
学校は病院と併設されており、一行はまず、一般の患者が出入りする病院側の入り口から中へと入っていく。病院は現代世界のそれとほぼ同じ構成になっており、外から来る患者の診療区域である「外来棟」、そして入院患者を押し込める病床が並ぶ「入院棟」の2つの建物から成っていた。
(まるで大学病院みたいだ・・・)
その在り方は、現代日本における大学医学部附属病院と変わらない。さらに外来は診療科ごとに分かれており、内科、外科、歯科、薬剤部が完全に分離・独立しているのである。
「離れるなよ・・・」
病院の中へ入った一行は一般患者に紛れつつ、医者・薬師の卵たちのホームである「学舎」へ向かう。
国の機関でありながら、政治には無縁の施設であるため、兵士による警備などはない。彼らは時折奇異の目に晒されながらも、特に何者にも拒まれることなく、目的の部屋へ辿り着いた。ドアの横にあるネームプレートには、この国の言語で「外科学教室」と書かれている。
「・・・」
ハッサンは扉をノックするため拳を握る。リューはその手がわずかに震えていることに気づいた。外科教授と養父の間にどの様な因縁があるのか、気になって仕方がない。
「・・・アブアール、入るぞ!」
ハッサンは部屋の主に声をかけ、意を決して扉を開ける。扉の向こうには、床に絢爛な絨毯が敷かれ、異国からもたらされた調度品が並ぶ部屋が広がっていた。部屋の奥側には石製の机があり、その前に1人の男が立っている。
「・・・お久しぶりです、まさか本当に来るとは思いませんでしたよ・・・ハッサン先生」
「そう邪険にするな・・・風格が出ているじゃないか、アブアール教授」
教授・・・そう呼ばれた瞬間、ただでさえ険しい顔をしていた部屋の主、アブアールの眉間の皺がいっそう深くなる。
「立場を捨て、責任と咎を後輩へ押し付けて首都から逃げた貴方が・・・今更、ここへ何の用ですか!?」
「・・・話がある」
アブアールの声に怒気が出てくる。リューは部屋の外から2人のやりとりを見て、不安げな表情を浮かべる。
しかし、彼の不安とは裏腹に、アブアールは招かれざる客人であるハッサン、そして同伴者であるリュージーン、シャナ、カナンを教授室へ招き入れた。
「・・・で、話とは?」
アブアールは石製のデスクに座り、3人の顔を見上げている。デスクの前にはハッサンとリュー、シャナが立っており、カナンは扉の前で控えていた。
ハッサンは肩掛けカバンから数ページの小冊子を取り出す。
「・・・これは?」
「我が息子、リューが記した研究記録だ」
「・・・」
アブアールはハッサンの隣に立つ少年を一瞥する。この国の民よりも肌は少し白く、体毛が薄い。少年が異民族の血を引いていることは、彼の目にはすぐ分かった。
(そうか・・・あの時の赤ん坊か)
アブアールは視線を小冊子に戻す。題名には「エーテル(甘い硫酸)の全身麻酔としての有効性とその使用法について」と書かれていた。
「・・・!?」
アブアールは目を剥いた。その中にはエーテルという物質が全身麻酔として有用であると考えた根拠、その使用方法、実際に行った手術症例の内容と術後の経過まで、参考文献の引用付きで学術的に記載されている。その薄っぴらな文書は、およそ17歳の平民の少年が書いたものは思えない高度な「医学書」だった。
だが、重要なのはそこではない。アブアールは小冊子を読み終え、小さなため息をつく。
「・・・なるほど、で・・・これが真実であるという証明は?」
この小冊子、すなわち「論文」を読んだ者ならば、その疑問に行き着くだろう。だが、彼らは1件の“物的証拠”を引き連れていた。
「・・・あ! 申し遅れました・・・私、薬師のシャナ・レン=ラーズィータイラーと申します。それで、その記録の手術1例目の『盲腸炎』って、私なんですよ! ほら!」
「!?」
シャナはいきなり自己紹介を始めると、手術の創跡を見せるため、服を捲り上げて腹をあらわにした。ハッサンとリュー、そしてアブアールは突拍子もない彼女の行動に、ぎょっとした顔をする。
「・・・それは!」
彼女の右下腹部には、手術の記録通り10センチメートル程度の手術創があった。ケロイドや感染の跡もなく、綺麗にくっついている。
(・・・これが、盲腸炎の創跡か?)
シャナを襲った病魔である「虫垂炎」は、この世界では「盲腸炎」という病名で扱われる。それは実際にお腹を開けて病巣を見ると、盲腸全体に炎症が波及している様に見えたからだ。
それは腹部手術の危険さ故に、虫垂から発生した炎症が盲腸全体に波及してようやく手術に踏み切っている症例しか、過去の記録にないからである。
それも虫垂が炎症の原因であることすら分かっていないため、腹に穴を開けて膿を抜くことがせいぜいだった。そのため、この世界の虫垂炎は、治療虚しく炎症・感染状況の悪化により過半数が死亡する“死の病”であった。
全身麻酔はもちろんだが、その盲腸炎を「虫垂炎」と称し、今まで全く注目されていなかった「虫垂」を切除することで治癒させた術式も、非常に興味深いものだった。
(・・・この女の名、覚えがある。3年前にラマーファへ派遣された“国の薬師”の女だ)
女性の薬師が大変少ない上に、医学学校に通う女性は輪をかけて珍しく、さらに卒業まで漕ぎ着ける者となると数年に1人いるかいないかだ。その中でもシャナは、その代で随一の天才と騒がれた薬師だ。ゆえにアブアールも彼女のことを知っている。
(彼女が研究の捏造に加担する利はないだろう。認めたくはないが・・・流石はハッサン先生。首都から去っても尚、その先見の明は健在か・・・!)
彼女がこの研究に協力していること、それは彼らが持ち込んだ研究内容の信憑性に箔を付けていた。
完全なる全身麻酔、もしそれが本当なら、外科医療の進歩を一歩も二歩も先へ進めることができる大発明だ。もしかしたら信じる価値があるかもしれないと、アブアールは考え始めていた。
「・・・数ヶ月前から、外科で相談を受けている患者がいる。右肩にできた巨大な腫瘍で、本人は摘出を希望しているが、相手は政府中枢に勤める位の高い武官。腫瘍の大きさゆえに手術に踏み切れていない・・・」
「・・・!」
知っての通り、この世界の外科手術はとてつもない痛みを伴う。かつてワルートに対してそうした様に、相手が身分の低い平民であれば、力ずくでも抑え込んで手術を進めることもある。
しかし相手が貴族となれば話は別だ。ゆえにこの医学学校の外科医たちは、彼の手術に踏み切ることが出来なかった。
「この患者を貴方方に託す。全身麻酔が本物だというのなら、この患者で証明してみなさい・・・!」
これはアブアールからの挑戦状だ。無痛手術が本物であると、貴族を実験台にして大勢の目の前で証明してみろという、外科学教授からの挑発だった。
何かトラブルがあれば、報復や懲罰は免れない。しかし、もし怖気付いて断れば、その研究が出鱈目であったと自ら認めることになる。
「どうする、リュー?」
「とりあえず・・・診察をしてみないと何とも言えないね。その腫瘍が良性なのか悪性なのかにも寄るし・・・」
ハッサンはリューに決断を委ねた。
その腫瘍が粉瘤や脂肪腫などの良性腫瘍ならば、摘出自体はそう難しいものではない。だが悪性の軟部腫瘍やリンパ腫となると話は別だ。
「・・・?」
アブアールは2人のやり取りを見て違和感を抱いていた。彼は全身麻酔研究の主導者がハッサンだと考えている。だが、医学学校の先輩たるハッサンの言動は、全ての決定を似てない息子に委ねている様に見えた。
(・・・まさかとは思うが)
彼はある可能性を想像する。それは今回の全身麻酔も新たな虫垂炎の術式も、この少年が主体となって考えついたものではないか、というものだ。思い返せば、全身麻酔についてまとめた小冊子は、この少年が書いたものだとハッサンは言っていた。
(いや・・・いくらハッサン先生の倅とは言え、それはない)
アブアールは首を左右に振り、突拍子もない想像をふり落とす。だが後に、彼はその予想が正しかったと思い知ることになる。




