運命の日
今までの作品「旭日の西漸シリーズ」「旭光の新世紀」の様な“現実×ファンタジー”の世界観とは打って変わって、完全な異世界転生ファンタジー小説を書いてみたいと思い、投稿します。
スキル・ステータスの様なゲーム要素、魔法は登場しません。あくまでその世界で用意されたものを駆使して解決していく、某幕末タイムスリップ医療ドラマの様な話になります。
時に西暦2023年。ここは日本国内の某県某市にある市立病院。時刻は午後8時30分を過ぎ、医師たちのオフィスである“医局”も、人はもういなくなっている。
そして医局の入り口には電子カルテ用の端末が並ぶエリアがあり、ほとんどの電子カルテがすでにシャットダウンされているが、1台だけ煌々と輝く端末があった。
ピリリリリッ!
「・・・はい、黒川です」
そのカルテの前に座っていた男、消化器外科医の黒川大吾は、明日のカンファレンスに出すスライドの作成を行なっていた。その途中、病棟から入院患者について連絡が入ってくる。黒川は疲れを湛えた死んだ目で、ポケットの中のPHSに手を伸ばした。
その後、スライド作成と病棟仕事を終えて、退勤したのは午後9時40分頃。2019年から始まった働き方改革も、医療現場への本当の意味での浸透はまだまだ夢物語であった。
車に乗って自宅への帰路についた黒川は、人の通りも疎な道路を進む。その日も、普段と何も変わらないいつも通りの帰宅途中だった。
「ふわぁあ・・・」
思わず欠伸が出てしまう。連日の激務に、すでに体は慣れてしまっているが、夜はやっぱり眠くなる。
(明日は、腹腔鏡下膵頭十二指腸切除か・・・)
明日の手術予定を思い返す。明日は久しぶりに、消化器外科領域で最も侵襲(体に与えるダメージ)が大きい手術の1つとされる術式が組まれていた。
執刀を担当する部長は、まだ病院に残って手術のシュミレーションをしている。黒川も家に帰った後は手術の見本動画で予習するつもりだ。滞りのない手術の進行には、第1助手の技量も不可欠になる。手術の手順を改めて頭に入れておかないといけない。
「・・・」
交差点の赤信号で車を停める。ちらっと時間を確認した時、信号が青に変わる。アクセルを踏んで車を走らせる。
「・・・え?」
その時、視界の右端から眩い光が差し込んできた。瞬間、凄まじい轟音と共に、この世が終わるかと思うような衝撃が彼の体に襲いかかる。
「・・・あ、れ?」
何が起こったのか全くわからない。気づけば全身に激痛が走り、車はひん曲がり、体が動かなくなっていた。額から流れ落ちる血が目にかかり、視界が赤く染まっていく。
おい! 事故だ!
救急車と警察を呼べ!
あの車、ペシャンコだよ!?
運転してた人、大丈夫かな!?
粉々に砕かれたフロントガラスの外を見れば、通行人たちが慌ただしく動いているのが見えた。黒川はようやく、自分の身に何が起こったのかを知る。
(・・・嘘、だろ?)
腰から下は怖くて目を向けることすらできない。大量に吹き出す血は、自分から出ている実感すら湧かない。
(・・・母さん、父さん・・・ゴメン)
黒川の脳裏には様々な思いが巡る。入院している担当患者のこと、控えている学会のこと、博士号のこと・・・医師として志半ばでこの世を去らなければならないことへの憤り。だが、最後に彼の脳裏に浮かんだのは、田舎に住む両親の顔だった。
『昨夜10時頃、⚫︎⚫︎市内にて大型トラックと乗用車の衝突事故が発生し、乗用車を運転していた医師の黒川大吾さん、33歳が死亡しました。警察はトラックの運転手を過失運転致傷罪の現行犯として逮捕し・・・』
黒川の人生は33年で幕を閉じる。だが、同時に新たな物語が始まる。
・
・・・
・・・・・
(・・・あれ?)
2度と覚めないはずの目が醒める。周囲を見渡そうと首を動かそうとするが、動かない。それどころか目もよく見えないし、口も全く回らず、立ち上がることもできない。
「・・・赤子か」
ぼやける視界で必死に目を凝らすと、いつの間にか目の前に男が立っていた。男は悲哀と同情の視線を向けている。
そして男は両手を差し向けてきた。咄嗟にその手を振り払おうとするが、33歳の青年であるはずの黒川の体は、軽々と抱き上げられてしまった。
「このままでは、死にゆくだけだ・・・それも忍びない」
男は思い詰めたように独白している。男の周囲には焼け爛れた村落の跡があった。大きな戦乱か動乱があった様だ。だが視覚が未発達な黒川の目には、その光景もほとんど感じることができない。
(・・・この体、まさか赤ん坊!?)
黒川は新たな生を受けていた。それも地球とは全く異なる世界の、全く異なる国で。
〜〜〜
17年後・・・
ここは「アシニー大陸」のほぼ中央部に位置する砂漠の国「アバスフマル帝国」
農業には適さないが、古来より東西の中継交易地点として栄えた地であり、現在はラキシード一族が統治するアバスフマル王朝による治世となっている。
その広大な版図は大陸でも有数であり、各都市は整備された交易路によって繋がっている。そしてここ地方都市「ラマーファ」は、首都「イスファダード」から地球の単位にして50キロメートルほど離れた場所にあるオアシス都市だ。
転生した黒川大吾こと、リュージーン・ヒルクライハー=ロランは、元軍医にして街医者である養父ハッサン・グリムール=ロランと共に、この街の郊外に暮らしている。新たな生を受けて17年、彼は17歳の立派な少年に成長していた。
平民とはいえ、医師という知識人のもとで育ったことで、この国の言語だけでなく、文字も習得出来たことは幸いだった。そして彼は今、ラマーファの街の市場へ買い出しに出掛けていた。
「・・・」
懐に抱えた金子を握りながら、市場の光景を見渡す。この国の文化・生活水準は中世イスラーム世界のそれに似ている。そして地方都市の市場と言っても、ここは首都から比較的近い交通の要衝だ。市場には農作物だけでなく、東西南北の異国からもたらされた品物も並んでいる。非常に活気のある市場だった。
「リュー! ハッサン先生によろしく言っておいてくれよ! 息子の傷を治してくれてありがとうって!」
「ああ! 伝えておくよ」
彼は“リュー”というあだ名で呼ばれている。彼の養父ハッサンは一介の街医者でありながら、創傷を扱う“外科医”として優秀な腕を持つ男であり、市井の人々からの信頼は厚い。彼が立ち寄った店の店主も、ハッサンに世話になった者の1人である。
食材の買い出しを終えたリューは、街の郊外にある家へと戻る。
「ただいま、父さん。今帰りました」
「ああ、おかえり」
リューは自宅の扉を開ける。そこでは初老の男が椅子に座り、医学書を読んでいた。
「それ、新しい医学書?」
「ああ、最近は印刷の技術が発達したからね。本の値段も下がって万々歳だ」
リューは養父と話しながら買い付けた干し肉とパンを戸棚の中へしまう。ハッサンは再び視線を本へ戻した。
リューとハッサンの家は、母屋と離れから成る。離れはいわゆる診療所であり、患者の診察や処置をするための場所だ。そしてこの母屋は2人の生活スペースである。本棚には並の平民であれば読むことすら出来ないであろう医学書が並んでいる。さらにはガラス製の実験器具も無造作に置かれていた。それはハッサンが並々ならぬ人物ではないことを暗に示唆している。
だが、ハッサンは自身の過去を多く語らない。故にリューも彼の過去をわざわざ執拗に問うたりしなかった。
そして彼自身にとってもそれは同じことだ。現代日本と比べれば不自由な暮らしだが、2回目の少年期を迎えた新たな人生は、一言で言えば幸せだった。そして消化器外科医として忙殺された日々は、すでに遠い記憶となっていた。故に彼も前世の記憶を誰かに話したことはない。
だが、体に染みついた技術はそう簡単に消えない。ハッサンは時折、外傷を作って来る患者の処置をすることがあるし、彼が不在の時はリューが治療をすることもある。あくまで助手として手伝いをしているつもりだが、結び方や器具の使い方でついつい、前世の手腕が発揮されてしまう時があるのだ。
(父さんは・・・何も言わないけれど)
ハッサンは良い父親だった。戦災孤児として生まれ変わった彼を、ここまで男手1つで育て上げてくれた。いつか前世の知識を存分に振るうことができたら、きっと彼にもっと良い暮らしをさせてあげられる。リューはそんなことを考えていた。
そしてそのきっかけは予期せぬ形で降りかかってきた。それはある日の夜、乾燥地帯であるこの国では珍しい暴風雨が吹き荒れた日の夜だった。