失くしたもの2 sideノアゼット
「そんなに見るなよ。困ってるだろ」
「グレン様、大丈夫です。見られて困るものは何も無いですし」
馬車の中で目の前に座った僕の妻らしい人を観察していると、グレンにそう言われた。
確かにじろじろと女性を見るのは良くないと、すぐ視線を外す。
これから教会に行って神と話をすると言っていたが、そう簡単に神に会えるものなのか。
普通に見えるこの女性は、本当に神と話なんて出来るのだろうか。
「……僕は貴方と夫婦らしいね。外ではそれらしく振る舞うように言われたから、そう務めるよ」
「……はい。お願いします」
少し寂しそうな顔で頷いた。エミリア嬢。義務のように聞こえたからだろうか。
間違ってない。今の僕にとってそれは義務でしかない。
「僕は君をなんて呼んでいた?」
「エミリア、と呼ばれていました」
「そのままか…。君は僕を愛称で呼んでいたの?」
「そう呼べと言われたので」
僕が呼ばせたのか……。
聞けば聞くほど未来の僕が信じられない。
「じゃあいつも通り、ノアでいいよ」
「分かりました。人目があるところではそうさせていただきますね。その時は敬語も外していいですか?」
「分かった」
エミリアは物分りは良いらしく、素直に頷く。
僕に対する態度も昨日に比べると他人行儀になっていて、でもその目は泣き腫らしたような跡があるから、昨日散々泣いて区切りをつけたんだろうと分かる。
愛する人に忘れられる。
今の僕に愛は理解できないから、それがどれだけ辛いものか分からない。でも凄く辛いんだろう、ってことくらいは分かる。
それでも彼女は前を向いたらしい。
「エミリアちゃんは、今のノアゼットと前のノアゼット、しっかり分けられるのな」
「少なくとも私から見た2人は別人ですので」
「それもそうか。昔はあんまりノアゼットのこと興味なかったもんな」
「はい」
別人、か…。エミリアは僕と婚約するまで僕とは関わらないようにしていたらしいが、本当らしい。
関わりもなかったのに、僕はどうして彼女を好きになったのだろう。
グレンの話を聞くに、彼女から何かしてきた訳では無い。僕が一方的に想いを寄せたような感じだった。
僕が話したことも無い女性を好きになるのか?
婚約を迫って、囲い込むほど?
目の前の彼女を見ても、グレンが話した未来の僕のような、エミリアに対する熱い気持ちは湧かない。
何か秀でたところがあるようにも見えないし、目を見張るほどの美人にも見えない。
あぁでも、僕を真っ直ぐ見つめるあの目は、悪い気はしない。
教会に着くと、グレンは神父に礼拝堂を案内するよう頼んだ。
どうやらエミリアと僕は少し前にも来たらしく、神父がそんなようなことを言っていた。
それにしてもエミリアは、街中でも人目を集めていた。神の祝福故なのか。
彼女を狙う人は多いだろう。その全てから僕が守っていたのだろうか。
「それじゃあ、神様に聞いてきます。神様と話してる間は私に声は届かないし、ぴくりとも動かないと思いますけど、心配はしないでください」
「おう、分かった。頼んだぞ」
「はい」
礼拝堂で3人だけになると、エミリアはそう言って講壇の方へ歩く。講壇の前で立ち止まり、胸の前で手を合わせて少し頭を下に向けた。
そしてその状態から、動かなくなる。
「……もしかしてもう、神に会ってるの?」
「さぁな。エミリアちゃんが神と会ってるのを立ち会ったのはお前だけだから俺には分からない。でも動かないってことはそうなんだろうな」
僕らが話していても彼女の体はピクリともしない。意識がそこにないようだ。
本当に、神と話をしているのか。
「彼女はなんで、神から祝福を?」
「あー…ちょっと説明しづらいが、エミリアちゃんは禁術の被害者なんだよ。それも特殊な。その関係で、だな」
禁術の被害者。しかもただの被害者ではなく。
神が顔を出してくるほど特殊な何かがあったのだろうか。神が祝福を与えるほど、彼女はとんでもないことに巻き込まれていたということなのか?
「ふぅん…。大変だったみたいだね」
「はは、その全部から守ろうとしてたのがお前だけどな」
「……僕もただの男だったってことかな」
「エミリアちゃんの前ではな」
微動だにしない彼女を見ながら、グレンと会話を続けている。同じようにグレンもエミリアを見ていた。
神が出てくるほどの問題から、僕がエミリアを守ろうとしていた。
信じられないけど真実なんだろう。こう何度も聞かされると信じざるをえない。いや、信じ難いけども。
でもきっと3年後の僕は本当にただの男になって、彼女に愛を囁いていたんだろう。
昨日部屋で過ごした時も、記憶にある僕の部屋と違うところをいくつも見つけた。
タンスに入っている女性物の服と下着。浴室には花の香りのする石鹸が置いてあったし、男の寮なのにドレッサーもあって、そこにら髪飾りや化粧道具も置いてあった。
仕事の書類がある棚には、見覚えのないコーナーがあって、そこにあるノートには何故か、お菓子や料理のレシピが書いてあった。
サンドイッチの作り方や、中に挟む具材の作り方。お菓子はマドレーヌやスコーンなど多岐に渡っていた。内容も細かく書かれていて、どんどん書き足しているようにも見えるそれは、間違いなく僕の字。
書き足された言葉には、「もう少し甘い方が好きそう」や、「これの評価は高かった」など、おそらくエミリアの反応が書かれている。
間違いなく僕が彼女に作ってあげていたんだと分かるもの。
とても信じられなかったけど、どう見ても僕の筆跡で、書き方も僕のもの。疑いようがない。
それほどまでに僕は彼女が好きだったんだろう。
とはいえなんで贈り物とかじゃなく料理を作ろうと思ったのかは分からないが。
「…グレン、これはなんだか分かる?」
「ん?……あぁ、それか」
僕はグレンに左手を見せた。
左手の薬指にはまっていた、シルバーの指輪。シンプルな物ですごく手に馴染んでいたため、すぐには気付けなかった。
でもこんなもの持っていなかったし、魔道具にも見えない。
外すか迷ったが、グレンに聞いてからにしようと思ったのだ。
「それは、結婚の証だ」
「結婚の証?……これが?」
「エミリアちゃんの故郷では、結婚したらお揃いの指輪をその指に嵌めるんだと。だからそれは外さないでやってくれ」
結婚したらお揃いの指輪を嵌める。そんな文化聞いたことない。
結婚の証があるという話すら聞いたことない。
「エミリアはどこから来たの?」
「それは俺からは言えない。エミリアちゃんに聞いてくれ。彼女の判断に任せる」
少なくとも僕の知る国ではないのだろう。それなら周辺国では無さそうだ。
「じゃあどうしてここに来たの?」
「それもエミリアちゃんに聞け。エミリアちゃんの事情は全て彼女の判断に任せる。俺が言える事じゃない」
グレンは何も言うつもりは無さそうだ。
この国に来たのにも事情があったのか。それは禁術の被害と関係しているんだろう。
神が介入するほどの事だから、余程の事なんだろう。折を見て聞いてみよう。
「……はっ!戻りました!」
そこに彼女の声が響いた。
ばっ、と顔を上げて、そしてこちらを振り返る。
どうやら本当に神に会ってきて、解決策を聞いてきたらしい。
場所を変え、昼食がてら彼女の話を聞くことにした。
グレンが選んだ個室のあるレストランで、防音の魔道具もある。人に言えない会話をするのにはうってつけだ。
明らかに貴族のレストランでも彼女は臆することはなく、テーブルマナーもしっかりしている。未来の僕とこういう所によく来たのだろうか。
まぁ今の僕には関係ない。
彼女の話を聞くと、どうやら僕は記憶を抜かれているらしく、媒体となる何かに僕の記憶が宿っているらしい。
そしてその媒体を壊せば記憶も戻る。
そして僕にこんな禁術をかけたのは隣国の侯爵子息。どうやらその先の狙いはエミリアらしい。
「ノアゼットが記憶を無くしてくれれば、うまいことエミリアちゃんを奪えるとでも思ったんだろうな」
「…そんな単純に見えますか、私」
「エミリアちゃんが単純には見えないが、ノアゼットが大きな壁すぎるんだろうな」
少し怒ったような顔のエミリア。見くびるな、と言ってるようにも見える。
その意志の強い目が、少し気になってしまったのは気のせいだろうか。
「隣国の侯爵子息…。多分俺が直接出ていった方が早いんだよな。…でも、この状態のノアゼットを置いていくのも…」
「エミリア嬢と夫婦を演じればいいんでしょ?大丈夫、うまくやるよ」
「外ならそれで誤魔化されるけど、学園じゃあ無理だよな…」
グレンの昨日の話によると僕はエミリアにそれはそれは甘い顔をしていたらしく、周りも砂を吐くほどの甘さだったらしい。
確かに今の僕にそんな演技はできない。本当に吐くかもしれない、僕が。
「授業は休め、ノアゼット。お前が記憶喪失だとバレる方がまずい」
「分かったよ、部屋で大人しくしてる」
僕の記憶がなくなったとバレれば、エミリアを狙う奴が押しかけてくるんだろう。僕さえ邪魔しなければエミリアを奪えると思ってる奴らが。
でも彼女は神の愛し子でしょ?それになかなか気が強そうだし、そう簡単に御せるようには見えないけど。
だからこそ誘拐とかの心配もあるのかもしれない。
「ノアゼットは体調が悪いことにしよう。エミリアちゃんは怪しまれないためにノアゼットの部屋を尋ねるように」
「はい」
周りを欺くために、彼女が僕の部屋を訪れる。
女性を私室に入れることに躊躇うが、仕方ない。少しの辛抱だ。適当に本でも読んでやり過ごそう。
どうせ僕の攻撃は彼女には効かないのだから。
寮に戻ると、グレンはすぐに出発するようで僕に会いに来た。
「いいか?絶対エミリアちゃんに何かすんなよ」
「しないよ。しようと思ってもできないでしょ」
「しようとすんなって言ってんだよ」
グレンが僕に念を押すように言う。そんなに僕は彼女に危害を加えるように見えるだろうか。
…いや、昨日の初手のせいだな。
「でも今あの子に迫られても、僕は受け入れられないよ。その時は全力で抵抗するけどいいよね?」
グレンやあの子にとっては3年後の僕だけど、僕の心は3年前の僕だ。いくら演技でも彼女を受け入れることは出来ないし、触れようものなら鳥肌が立ちそう。
そういった僕の言葉に、グレンは笑った。
「馬鹿。エミリアちゃんはそんな事しないさ」
何を根拠に、とは思ったが、昼間の彼女は確かに必要以上に触れては来なかった。
外に出た時だけ、遠慮がちに僕の腕に手を添えた。それ以外は僕と距離を取ろうとしていた。
なるほど確かに、彼女は僕を襲うようには見えないか。それなら安心か。
「むしろお前が襲わないかが心配だ。妻だからって嫌がることはするなよ」
「するわけないだろ」
「…信用ならないな…」
グレンは僕に疑うような目を向けた。
どうやら未来の僕は、エミリアのことになるとグレンの信用すら失うほどらしい。
3年後の僕は一体何をしているんだ…。




