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私は逃げたい  作者: 兎のうさぎ
番外編
97/110

失くしたもの sideノアゼット

 

 目が覚めたら、ベッドの脇に女がいた。しかも僕の手を握って。


 すぐさま起き上がって魔法で女を拘束しようと試みたけど、結界によって阻まれる。

 おそらく魔道具によるものだろう。僕がパッと見気付かないくらいに念入りに隠された魔道具で、しかも僕の魔法すら弾く性能。


 彼女の魔道具を作った人は余程魔道具作りが上手いようだ。

 それに魔力も高い。僕の本気の魔法ですらこの結界は壊せないと分かる。



 魔法がダメならと、剣を取り出した。いつもと違う位置に置いてあって手間取ったものの、相手の女がなにかしてくる様子はなかったためスムーズに剣をぬけた。


 しかし、それすら弾かれる。

 物理すら弾くものもついているのか。これは厄介だな。


 ただ怯えてるだけの女をどうしてやろうかと思っていると、女は僕の名前を呼んだ。

 あろうことか、愛称で呼んだ。


「君に愛称を許した覚えはないよ。吐き気がするからやめてくれる?」


 知りもしない女に愛称で呼ばれるなど、吐き気がする。

 そう言うと女は悲しげなその瞳からポロポロと涙を零した。


「なん、なんで…?私だよ、エミリアだよ……?」


 涙で僕の同情を誘う気なのか、それともありもしない記憶を植え付けようとしてるのか。


 女の思惑は分からないが、その名前には聞き覚えがあった。

 同じ学年の平民で、下級貴族や平民の間でよく聞く名前だった。


 でもそれだけで、僕と彼女に接点はないし、話したことも関わったこともないはずだ。


「エミリア?……あぁ、エミリア・ライドか。平民が僕になんの用?どうやら捕まえることは出来ないみたいだし、聞くだけ聞いてあげるよ」


 剣を向けたまま彼女を鋭く睨むと、彼女は理解できない、という顔で涙を流すばかりで、何も言わない。



「エミリアちゃん、入るぞー」


 その時寝室に入ってきたのはグレンで、しかも彼が呼んだ名前は僕の名前ではなく彼女の名前だった。

 そしてグレンは、僕たちの状況を見て驚いている。


「な……何してんだ?」

「グレン、この女が僕の寝室に忍び込んできた。高度な魔道具を持ってるようで拘束が出来ないんだ、協力してくれ」

「………は?」


 彼は目を丸くして、僕と彼女を交互に見る。

 そしてすぐさま僕達の間に入り、彼女を背に庇った。


 何故?グレンはこの女と知り合いなのか?


「とりあえずその剣は納めろ。この子の素性は俺が保証する」

「は?なんでグレンが…」

「いいから。それにお前じゃエミリアちゃんの魔道具を壊すことは出来ないぞ」


 納得はいかないが、僕の魔法でも剣でも、彼女の魔道具の結界を壊せる程でないのは確かだ。

 仕方なく矛を収めると、グレンが女に手を差し出して起こしていた。


 女に優しく声をかけ、心配するような素振りを見せる。グレンが平民の女とここまで親しいのは見たことがない。


 グレンとそこまで親しいのに、なぜ僕の部屋にいたんだ。しかも寝室で、僕の手を握って。


 そう思ってると女がこの状況を説明しようと、僕の名前を呼んだ。しかもまた愛称で。


 鋭く睨みつけると、それに気づいて女はびくりと身を震わせた。


「……ノアゼット様が、私とのことを覚えてないんです…」


 女は泣きながらグレンにそう訴えている。



 なるほど、そう来たか。僕の記憶にないことをあったかのように装って、記憶を捏造するつもりだったか。


 まぁ僕もそうだけどグレンもそんな罠に引っかかるほど馬鹿じゃない。

 そう思ったのに、グレンは何故か頷いた。


「…なるほどな。おい、ノアゼット」

「……なに」


 まさか、その女に騙されてるわけないよね?


「お前今、いくつだ?」

「……は?」

「歳はいくつか聞いてるんだ」


 質問の意図が読めず、とりあえず素直に16だと言う。

 するとグレンは再びなるほどと頷いて、女の方に向き直った。


「エミリアちゃん、安心しろ。あいつはどうやら記憶が無いらしいが、エミリアちゃんとの事だけを忘れたわけじゃない。多分、3年分無くなってる」

「……さんねん、ぶん…」

「今のあいつは、16の時のあいつってことだ」


 は?

 グレンまで、何を言ってるんだ?


「グレン、何言ってるんだ」

「ノアゼット、お前にも説明が必要だよな」





「……は?記憶喪失?」


 隣のリビングでグレンとエミリア・ライドと向き合って座り、グレンから告げられた言葉はそれだった。



 記憶喪失。

 どうやら僕には、直近3年分の記憶が無いらしい。



「……本当に、3年分の記憶がないのか………」


 目の前のテーブルに並べられた書類は、僕の仕事で使ってるもの。そこには間違いなく今の僕より3年後の日付が書いてある。


「グレンがそんな手の込んだ仕掛けを作るわけないしね…。それにこれは間違いなく僕の字だ」

「信じられないだろうけど、事実だよ。お前からしたら3年後の世界だ、ここは」


 見慣れた僕の字。癖も一緒。なのにこの書類を書いた記憶が無いし、そもそも内容にも見覚えがない。


 グレンがわざわざこんなことをする意味もないしそんなことはしない。

 それなら、ここは本当に3年後の世界なのだろう。


「じゃあ、その女は?エミリア・ライドでしょ、平民の。なんで僕の部屋にいたわけ?」


 僕が目を向けると、エミリア・ライドは身をすくませた。どうやらかなり怯えているようだ。

 僕のことを狙って来たんだろうに、あれだけの事でこんなに怯えるなんて、弱すぎないか。


 そう思っていたら、グレンからとんでもない言葉が飛び出した。


「エミリアちゃんは、お前の妻だよ」

「…………は?」

「お前の妻だ。エミリア・ライオニアだ」


 ……は?

 僕の、妻?


「ついでに言うと、お前が約1年も片思いして婚約を迫って、強引に罠に嵌めて婚約させたんだ」

「……ごめんグレン、それ誰の話?」

「ノアゼット・ライオニアの話だよ、17歳の」


 僕が1年も片思い?罠にはめて婚約を迫る?

 一体誰の話だと思ったが、グレンの目に嘘は見えない。


「あいつは女が寄ってくるタイプだから、自分からっていうのが信じられないんだろ。しかも女を毛嫌いしてたから余計にな」

「…なるほど…」

「ははは!さっき散々エミリアちゃんを怖がらせたんだ、未来の自分を想像して苦しめ!」


 どうやら僕のエミリア嬢への態度を、グレンは怒っていたらしい。

 グレンがそこまで信用していることに驚きを隠せない。


 確かに妻なら、寝室に居ても僕の手を握ってても愛称を呼んでもおかしくない。

 ただ、信じられない。




「失礼するわよ」


 そこに学園長が入ってきた。

 なんで学園長が入ってきたのかは謎だったが、どうやらグレンが呼んだらしかった。


 学園長も混ざった話し合いの中で、僕はどうやら禁術を使われたらしいということがわかった。

 禁術が使われたのに、彼らが少しも驚いていないのは何故だ。禁術なんて一生のうちに関わることなんてないだろうに。


 それになぜ禁術の話で学園長が出てきたのか。



 彼らの会話を聞いていると、どうやら僕の妻であるエミリア嬢が以前禁術に関わっていたらしいことが判明する。

 でも生きているし、禁術による被害者というのが妥当な線だろう。


 グレンがあらかた探したと言っていた。それなのに今回僕が受けたであろう術の正体が掴めないのであれば、この先見つけるのも難しいだろう。

 何せ禁術。神によって禁止されたそれは、人に聞くのも憚れる。



 僕の記憶が戻るのは絶望的だろうな、と思っていると、エミリア嬢がぽん、と手を叩く。


「あっ、神様に聞いてみるのはどうですか?」


 ……は?何を言ってるんだ、この女は?

 神に、聞く?


「古い知識があるって前言ってたんです。聞いたら教えてくれるかも」

「さすがエミリアちゃん、次元が違うな」


 グレンがエミリア嬢の言葉を否定しない。

 そして以前聞いた、と言ってる。


「待って、神と話をしたの?」

「え、あ、はい…」

「…そういえば、神の祝福が感じられる……。1人の人間に?」


 それ以外のことで頭がいっぱいで、祝福のことに気付けなかった。

 どういう事だ?神が1人の人間に祝福を与えるなんて。しかも話もしたらしい。そんなことありえるのか?


「それについては俺が後で説明してやる。とりあえず今日は遅いから、明日、花の街の教会に行こう。それでいいか、エミリアちゃん」

「はい、大丈夫です」


 グレンにそう言われ、僕はとりあえず今は考えるのをやめた。

 そしてグレンはエミリア嬢に心配そうな目を向ける。


「それと、ひとまず今日は自分の部屋で寝られるか?送っていくから」


 エミリア嬢は少し寂しそうな顔で、はいと言った。

 自分の部屋で寝られるかって聞くって事は、エミリア嬢はここで僕と寝ていたんだろうか。




 信じられないことばかり起きていて何がなんだか分からない。

 エミリア嬢は学園長が送っていく事になり、2人が退室して、部屋には僕とグレンだけが残る。


「さて……どこから聞きたい、ノアゼット」


 グレンが姿勢を直して、僕に真っ直ぐな目を向ける。こうしてしっかり見ると、記憶にあるグレンよりも少し大人びたように見える。


「……正直何も信じられてないよ。どこから聞いたらいいのかも分からない」

「じゃあとりあえずエミリアちゃんの事でも説明するか」

「……分かった」


 まず最初がそれなのか。1番初めにそれを話すということは、それだけ重要な事なんだろう。

 3年後の僕にとってのエミリア嬢。それがどういう存在か。


「まずエミリアちゃんとお前は、数ヶ月前に結婚した。お前の両親もエミリアちゃんを歓迎してるし、お前の屋敷にもちゃんと彼女の部屋がある」


 ……グレンの声色は冗談を言ってるようには聞こえない。淡々と話すその内容は真実なのだと言っている。


「結婚してからはずっと、お前の部屋でエミリアちゃんは過ごしていた。だから寝室にもいた。それは分かるな?」

「……わかるよ」

「それとお前の魔法や剣を弾いた結界を生み出す魔道具。あれを作ったのもお前だ」


 僕が?

 僕があんな高性能の魔道具を作って、女性に渡したと?


「お前の2倍の魔力が無ければ壊れないって言ってたぜ。エミリアちゃんと婚約した次の日に渡してたよ、恐ろしいことに」


 ふっ、と笑うグレンは遠い目をした。その時を思い出しているようだ。


 僕の2倍の魔力…なら僕が壊せないのも頷ける。自分で自分の魔道具に対峙する日が来るとは…。


 そしてそんな魔道具を婚約した次の日に渡すほど、僕にとってエミリア嬢は大切だったのか?


「……そんなに僕は、神の愛し子と縁が結びたかったの?」

「おい、ノアゼット」


 僕が呟くと、グレンから厳しい目を向けられた。


「それは二度と言うな。それだけは言うな」

「……違うの?」

「違う」


 やたら真剣な顔で僕に言うグレン。そこまで僕に圧をかけるほど、それは言っちゃいけない事なんだろうか。


「そもそもエミリアちゃんが神の祝福を得たのは、お前との結婚式の時だ。だから関係ない」

「……不思議なタイミングだね」

「多分エミリアちゃんが初めて教会に行ったからじゃないか?」


 少し首を傾けたグレンの言葉に違和感を覚えた。


「……教会に、初めて?結婚式で?」


 そんなことがあるのか?人生で1度も教会に訪れたことがない人なんて、いるのか?


 僕の言葉にグレンは、悟った顔をした。


「それには色々事情があるが、俺からは話せない。とにかくお前がエミリアちゃんと結婚したのは、ただ好きだからだ。それだけだ」


 グレンからは話せない事情。それを3年後の僕は知ってるんだろう。

 そしてただ好きだからというその理由が、1番信じられない。


 僕が女性を好きになるなんて。

 しかもあんな平凡そうな女性を。

 平民だし、家のためにすらならなそうな女性を。


「……本当に僕が、彼女を好きになったの…?」

「今のお前には到底信じられないだろうな。安心しろ、俺も信じられなかったから」


 グレンは語った。僕がエミリア嬢と婚約を結ぶまでの過程を。



 僕が女性を目で追っていた?監禁しようとしていた?

 それに彼女の好きなものをリサーチして、贈り物までしていたらしい。しかも断りにくいように少しずつ。


 しかも彼女は全く僕に靡かず、全く相手にして貰えなかったと。

 挙句の果てに僕が彼女に婚約を迫って、追い詰めて罠に嵌めて婚約をもぎ取ったらしい。



 ……信じろって方が無理がある。

 今の僕がどうなったらそうなるんだ。

 僕がそんなに変わるほど、彼女のどこに魅力を感じたのか。



「婚約してからもエミリアちゃんはお前に警戒してたんだよな。エミリアちゃんには人に言えない秘密があったから、お前を信じることが出来ず、お前に心を預けることも出来なかった」


 その秘密については言うつもりは無さそうだ。


「それでもめげずにエミリアちゃんに愛を囁いて、エミリアちゃんの敵になるものを排除して、どうにかこうにかエミリアちゃんの心をゲットした訳だ」

「………信じられると思う?」

「誰に聞いても同じこと言うぜ」


 今や僕がエミリア嬢に心を奪われているのは、公然のことらしい。僕がエミリア嬢に婚約を迫っていたところも学園の皆の知るところだし、しかも学園での校内放送で、彼女に手を出すなとまで言ったらしい。


 ……本当にそれ、僕の話?

 やっぱり別人じゃないかな…。流石に違う人過ぎる…。


「…グレンがそこまで認めてるなら、ちゃんとした人なんだろうね、エミリア嬢は」

「俺だって疑ってたさ。それこそエミリアちゃんの秘密が分かるまでずっと。でも長くお前達を見てたし、彼女の人となりもよく知った。今ではもう、ノアゼットの相手はエミリアちゃん以外に考えられないね」


 グレンがそこまで言うなんて。

 そんなに、僕とエミリア嬢の相性がいいんだろうか。

 …分からない。今のところ彼女に何かを感じたりはしていない。


「まぁひとまず明日はついてこいよ。お前抜きで出かけたら、変に勘ぐられるからな。あと、甘い顔をしろとは言わないが、エミリアちゃんを睨むのはやめてくれ。お前たちの顔も知られてるし、外では夫婦を振舞ってくれよ」

「……分かった」


 女性を毛嫌いしてるこの状態で、夫婦を演じるのか。

 中々拷問に近いことではあるが、仕方ない。やるしかない。


 明日を思うと重いため息をついた。


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