死んで逃げるのは許さない sideノアゼット
彼女と婚約して数日。
彼女のクラスメイトのセイル・ナムダ男爵子息が放課後に僕のところにやってきた。
セイルは、僕がエミリアを気に入ってから取り込んだ人物で、エミリアの近況を報告させている。エミリアと同じクラスで、下位の貴族だからかエミリアも避けたりはしない。他にもエミリアのクラスには2人ほど取り込んだ人物がいるが、それはおいおい。
僕の取り込んだ所謂密偵になった彼らには、週一で報告をさせていた。エミリアがどんなことをして誰と話していたか。色んな角度から見られるように、密偵は地位も性別も被らないようにしている。
そして今日はセイルの報告の日…ではない。
ではないのに来たということは、何かあったということだ。
「ノアゼット様。報告したいことがございます」
「なに」
「エミリア様は、何者かから嫌がらせを受けているようです」
嫌がらせ?
僕のエミリアに?
「詳しく」
「はい。珍しく一昨日はエミリア様が数学の教科書を忘れました。そして昨日は忘れてなかったのですが、エミリア様が持っていたのは4年のベルタ・アイムのものでした。」
平民の女だ。男からじゃなかったのは良しとしよう。
忘れたなら次の日に持ってるのは自分の物のはずなのに、先輩から教科書を貰う。つまり自分のを無くした?
違う、盗まれたのか。
「同じく昨日、エミリア様はノートを2冊書かれてました。新しいノートに同じものを2度。」
2冊に同じことを?しかも新しいノートに。
嫌がらせということは、おそらくノートを盗まれるか、破られるかだ。その予備で2冊書いてるんだろう。
「そして今日、一瞬ですが、昨日エミリアさまが書いてたノートのひとつが破られてるのを確認しました。ですので報告に参った次第です」
「なるほどね。相手は?」
「今朝張り込みまして、実行犯はターナー・ダリア。男爵令嬢です。しかし彼女はそういうことをする性格では無いので、誰かに脅されているとみていいでしょう。そちらもローナに張らせてるので明日には分かるかと」
ふむ。だから最近エミリアは教科書を全て持ち帰っていたんだな。違和感はあった。
それよりどうしてエミリアは僕に言ってくれないんだ?僕を頼ってくれればすぐに解決出来るのに。
「僕はエミリアに何も言われてないから、とりあえず様子を見る。セイルはこれからも見張っててくれ。頼むよ」
「はっ!」
エミリアに嫌がらせを命じた犯人が判明した。
グレイシー・ランダル伯爵令嬢。3年だ。
それがわかってすぐに僕はランダル家に書状を送った。僕の婚約者がそちらの令嬢に嫌がらせを受けている。今ならまだ見逃してやると。
それを受け取った伯爵家当主は、令嬢に注意したんだろう。次の日、令嬢の行動はエスカレートしてしまった。
その後もセイルや他の密偵に監視させ、被害はエミリアの教科書とノートしか無かった。
エミリアがうけた嫌がらせに、友人のミルムはすぐ気付き、彼女に詰め寄ったと言う。それに対して、大した被害はないといい、もっと分かりやすいのにしてくれと言ってたらしい。
教科書を破られるのは大したことじゃないのか?エミリアは面倒だと言ってたらしいし、嫌がらせがまるで通じてない。
…僕のアピールも、こんな風に無効化されてたんだろうと思うと少し悲しくなる。
異変があったのはその日のお昼休み。彼女の教室に迎えに行くと、彼女はそこに居なかった。
彼女が居ないことをミルムが教えてくれた。
「三限終わったあと、具合が悪くなって保健室に行ったって言ってました」
「それは、誰から?」
「ターナー様です」
ターナー・ダリア。その名前を聞いて顔色を変えたことに気付いたミルムは、ターナーにどこかへ連れていかれたんだと気付いた。
「エミリア…エミリアどこに…」
「ダリア男爵令嬢は?……いるわけないな」
教室をざっと見たけどいない。それはそうだ。逃げるはずだ。
ちっ、と舌打ちしてエミリアにつけたネックレスの居場所を辿る。位置情報を知らせるものをつけておいて良かった。こんな早く活躍の場が来るなんて。
「あっちだ」
「私も行っていいですか!」
「……構わないよ」
エミリアが心配なんだろう。ミルムは僕の後ろを着いてきた。
やや早足の僕に小走りでミルムは着いてきた。とはいえ合わせる気は無い。
エミリアが居るのは2階の奥の方だ。なんの部屋に閉じ込められてるのか分からないが、学校内に危ないものは無いだろうと思いたい。
もうすぐ着くという僕の前に立ち塞がったのは、グレイシー・ランダルだ。
「あっ、ノアゼット様!いいところに!」
普段なら無視してたし、こんな時だからこそ無視したいが、主犯のこいつがなにか企んでいるのは明白で、足を止めた。
何を言うのか無言で待ってると、とんでもない言葉が飛び出してくる。
「あちらの清掃準備室の前を通ったら、エミリアさんの声がしたんですけど…どうやら男の人も居るみたいなんです…」
「……男?」
男だと?
エミリアと男を閉じ込めたというのかこいつは!?
僕は何も考えず走った。もう目先にあった清掃準備室にはすぐ着けたし、開けようにも鍵がかかっていた。
「くっ、鍵が…!」
中から男の声がした。そして、エミリアの声も。
それは何を話してるか分からないが、怪しいものでないのはすぐにわかる。分かるけど、それで収まる心じゃない。
僕以外の男がエミリアと2人きりで密室にいるのというのが腹立たしい。エミリアに万が一指の1本でも触れようものなら、生かしておけないかもしれない。
それに、エミリアが男と2人で部屋にいたというのを周りに見られるだけで、エミリアの心象は悪くなる。
悪くなっても離さないけど、エミリアが逃げたくなってしまうかもしれない。
力づくで開けようにもあかないので、僕は数歩後ろに下がる。
「ミルム嬢、少し下がって」
「は、はい」
近くにいたミルムを下がらせると、僕は少しの助走をつけて足で思い切りドアを蹴った。
横にスライドするドアは呆気なく部屋の内側に倒れ、中の様子が丸見えになる。
丸見えになったところに見えたのは、窓から落ちてくエミリアの姿。
「エミリア…っ!!」
走って部屋の中に入り、途中にいた男を弾き飛ばして窓から飛び降りた。
飛び降りた先には、低木に身を預けてる擦り傷だらけのエミリアがいた。
きょとん、とした顔で僕を見つめるエミリアを、さっと抱き抱えて地面におろし、全身くまなくチェックしてから抱きしめる。
あぁ、良かった。…生きてた。
ちゃんと動いてるし、温かい。
心臓が、止まるかと思った。
死んでしまったらどうしようかと。エミリアが死んでしまったら、僕に生きてる意味はあるのだろうか。後を追っても許されるだろうか。
許されなくても、エミリアの元に行きたい。
それくらい、好きなんだ。
やがてやってきたミルムに泣きながら叱られて、少しは反省したようだ。とはいえ僕もこれで済ませる気は無い。
彼女がドルトイの三男から逃げた話を聞いた時にも思ったが、彼女はどこか自分の命を軽く見てる。今回は低木があったことを確認してからのことだろうが、それでも絶対はない。
運悪く死んでも構わないような雰囲気が出ている。
それは許さない。絶対に。
僕は彼女を抱き抱えたまま僕の私室へと連れていった。
自分の部屋に入り、躊躇いなく奥の寝室へ入り、僕の普段寝ているベッドに彼女を降ろす。そして上から覆いかぶさり、彼女を見つめた。彼女もまた、僕を見つめた。
「……このままここに閉じ込めたら、エミリアはもう害されないかな」
「!?」
ぽつりとでた僕の言葉に、彼女はびくっと体を震わせた。
ここに閉じ込めて、本当の意味で僕だけのものにしてしまえば。彼女は傷つくことは無い。
このままキスして、彼女をどろどろに甘やかして、僕なしじゃ居られなくすれば…。
「ねぇ?エミリア。こんなに傷つけて。……何からも守るって言ったのにね」
こんなに、こんなに傷だらけになることも無かったのに。
擦り傷だけって言ってたけど、痛くないわけないだろ。窓から飛び降りるのが、大丈夫と分かってても怖くないわけないだろ。
僕が守ると誓ったのに。
守れなかった。間に合わなかった。
「ごめん。…ごめんね、ノア」
「……」
「心配かけてごめん。傷だらけになってごめんね。ノアのせいじゃないから。そんなに悔やまないで」
手を伸ばして、優しく僕の頭を包み込んでくれた。
僕の心を落ち着かせるように髪を撫でられ、自分に対する怒りと悔しさが、少しずつ緩やかになっていく。
「……もっと自分を、大切にして」
「うん。」
「あの男に触られるのも嫌だけど、傷がつくのも嫌だよ」
「うん」
「……もっと頼って。僕は君を守ると約束したんだから」
頼って欲しい。些細なことでもいいから。僕に守らせて欲しい。
君は僕のものなんだよ。僕がどれだけ好きか、まだ分かってないの?
「次やったら本当に閉じ込めるからね」
「ひぇ」
「分かった?」
「は、はい」
2度目は許さない。
傷薬を持ってきて、エミリアの擦り傷に一つ一つ丁寧に塗る。すべすべでさらさらなこの肌に傷をつけたあの低木が恨めしい。僕が痕をつけたいくらいなのに。
手以外の肌に触れることはなるべくしないようにしてた。触れたらもっと触れたくなるし、抱きしめてキスしたくなるから。
今もこのまま押し倒して、傷があるところを全部僕の口付けで上書きしたい。
でも彼女は怪我人だし、折角ちょっとずつ距離が縮まってるんだ。焦るのは良くない。
ぐぐっと理性を持ち直して、なんとか薬を塗り終える。
リビングに案内して、温かい紅茶を淹れた。落ち着くだろうと思って。
その紅茶を飲む前に、僕は彼女を膝の上に乗せる。
「え?ノア?おろして?」
「嫌」
「えぇ…」
後ろから腰周りに腕を回して抱きしめる。
あぁ、ちゃんといる。僕が捕まえてる。全身で彼女を感じて安心出来る。
「でもほら紅茶熱いし、零したら危ないよ」
「嫌」
さすがに逃げようとするかなと思ったけど、彼女は諦めてくれたみたいだ。僕がどれだけ心配したのか分かった彼女は、少し罪悪感を感じてるみたいだった。
つけこむようで悪いけど、このチャンスを逃しはしない。
片腕を腰から離し、自分の分でいれた紅茶をグイッと流し込むと、彼女の首筋に頭を沈める。
彼女の匂いがする。たまらなくなるなこれは。
まるで媚薬のような甘い香りに誘われて、僕は首筋に唇を寄せた。
1度してしまうと、止まらなくなる。それでも痕はつけないように、軽いキスを首筋にする。
「…ちょっとノア?何してるの?」
「ん?エミリアの首にキスしてる」
ちっ、気付かれたか。
上半身を捻ってこちらをむくエミリアの口に目がいく。
「ちょっと、ちょっと…ノア」
「…何?口にさせてくれるの?」
「いやだめだけど」
口にはさせてくれないみたいだ。残念だけど口にしてしまったらもっと止められなくなるからいいのかもしれない。
再び首筋にキスをする僕を、エミリアは止める。
「ノア…っ」
「これはお仕置だよ、エミリア。」
「え…」
お仕置といえば許してくれるよね?君は心配かけて申し訳ないって思ってるんだから。
「痕はつけないから、安心して」
「え…うん…」
「本当はつけたいんだけどね。まだつけないよ」
痕をつけたい気持ちを必死に抑える。今つけたら逃げられる。まだダメだ。ここまで近づけたんだ。もう少し我慢だ。
これ以上やるのは僕の精神的に良くないと思い、僕は首筋から口を離し、エミリアを抱きしめた。
24歳とは思えない小さい体をぎゅっと抱きしめ、その存在を全身で感じる。
「はぁ…ずっと触れたかった…」
「はぁ」
「逃げられちゃうから、ゆっくり進めようとしてたのに…はぁ」
僕の理性をいとも簡単に崩していくんだから。もう。
「ねぇエミリア…キスしちゃだめ?」
「えっ……だめ」
「だめかぁ…」
やっぱダメか。でもその唇にキスしたら、とっても甘いんだろうな。
甘くてきっと夢中になってしまうんだろうな。
「の、ノア?だめって」
「だめ?…ほんとにだめ?」
「だめ!」
少し焦るエミリアは可愛い。ゆっくり顔を近づければ、エミリアはぎゅっと固く目を閉じた。
だめだよ?そこで目を閉じたら。
僕じゃなかったら、キスされてるよ?
「しないよ。逃げられたくないからね」
柔らかいそのほっぺでゆるしてあげる。
逃げられたくない、怖がられたくない。
…出来れば、好きになって欲しい。
「いいよって言うまで待つから…それ以外の所にキスするのは許して」
エミリアは観念して僕のされるがままになってくれた。それをいいことに、僕は好きなだけ彼女にキスをした。




