浮気騒動リターンズ sideミルム
「ミルム、もうすぐ試験だから、ノアが部屋使っていいよって」
試験前はいつも友人のエミリアと試験勉強をする。教室で行っていたそれを、今回はエミリアの旦那様であるノアゼット様の部屋を使っていいと、エミリアは言う。
そんな恐れ多いこと出来るわけないでしょ!?
ノアゼット様のお部屋に入るだけでなく、そこで試験勉強をしていい、ですって?
「静かだし広いし集中できるよ!ノアもいないから大丈夫!」
ケロりとして言う彼女は、とても同じ平民には見えない。その度胸とか、怖いもの知らずな所とか。
まぁきっとそんな所が、ノアゼット様の心を掴んだのだと思うけど。
「…分かったわ、あなたがそこまで言うなら」
「やった!じゃあ放課後一緒に帰ろうね!」
放課後になり、エミリアを迎えに来たノアゼット様と共に、私達は寮に向かう。ノアゼット様はエミリアを見るなりその表情が柔らかく暖かみのあるものに変わってることを、エミリアは知らないのだろう。
ずっと遠目から見ていたノアゼット様は常に無表情で、感情を顕にしない人だった。何をするにも達観していて、唯一表情を少し崩すのは幼なじみのグレン様といる時くらい。
自分から声をかけるのもグレン様くらいで、必要な時しか他の人には声をかけない。基本何に対しても興味のない人で、その力の強さと賢さと顔の良さに、人ならざるもののような雰囲気さえあった。
だからエミリアに声をかけだした時は本当に驚いた。エミリアがノアゼット様に何かしでかしたのではないかと思った。エミリアならノアゼット様相手でも何かやりそうだから。
当の本人はなんで声をかけられているのか分からず、むしろ避けるようにしていたから余計に背筋が凍る思いをした。
ところがエミリアが罰せられることはなく、むしろノアゼット様の勢いはどんどん増していって、私が声をかけられた時なんかは心臓が飛び出るかと思った。
しかも内容が、エミリアの好きな花が知りたいという普通の内容だから尚更。
もしかしてノアゼット様はエミリアを好いているのでは?と思った。
そう思って観察していると、ノアゼット様は私が教えたエミリアの好きな物を、断りにくいように少しずつプレゼントし、何度も話しかけていた。
そしてその顔は見たことない顔で、嬉しそうに微笑んでいた。
あぁ、私の友人は、終わったな、と思った。
こんなすごい人に狙われて、逃げれるわけが無い。
なのにエミリアはどうにか逃げようとする。
驚いたのは、思ったよりもエミリアはノアゼット様を拒絶していて、嫌いじゃないけど関わりたくないようだった。ノアゼット様に対する対応も私やクラスメイトへの態度とは違って無表情で冷たい感じだった。
エミリアがそこまでしてノアゼット様と距離を置きたいと思うのが、不思議だった。
あの子は高位貴族を恐れて避けるような性格じゃない。むしろどんな立場でも立ち向かっていくタイプだ。
彼女は誰とでも友人になれる子なのだから、ノアゼット様とも友人になって差し上げればいいのに、と思ったけど、彼女は一向にノアゼット様と友人にはならない。
勿論ノアゼット様が諦めることも無く、エミリアが捕まることも無く、半年くらいはそんな鬼ごっこをしていた。
段々ノアゼット様の行動がエスカレートして行って、エミリアから婚約したと聞いた時は、もしかして脅迫とかされたんじゃないかって疑ったこともあった。
でもその後の2人は割と平和で、エミリアも何を思ったのかノアゼット様を受け入れていた。諦めて方向を変えたって感じだった。
ノアゼット様も受け入れられたのをいいことに、エミリアに対する甘さは増すばかりで、それを間近で見ていた私は、ノアゼット様の偽物を見ているのかと思ったくらい。
彼のエミリアへの溺愛は留まることを知らず、やがて国の頂点の国王を動かしてまでエミリアを守りきった。
国王にエミリアを守る勅令を出させたと聞いた時は、心の底からノアゼット様に感謝した。
私じゃ守りきれない。守りたくともその力はないし、他に守るべき人もいる。
だけど秘密の多くて寂しがり屋な大事な友人を、ノアゼット様は守ってくださった。そしてこれからも守る気でいる。
こう見えて私はノアゼット様にはとても感謝しているのだ。
「それでね、ミルムの演奏が…」
エミリアはこの間の学園祭がとても楽しかったらしく、さっきからずっとその話をしている。私に。
それを相づちを打ちながら聞いていて、同時に今までイベントに一緒に参加出来なかったことを悔やんだ。
仕方ない事だけど、こんなに喜ぶなら去年も一緒に参加したかった。
「ね、ノア!」
「うん、そうだね」
話を振られてエミリアに優しい微笑みを向けるノアゼット様。
彼はとても同い年とは思えないくらい大人で、とても気が利く方だ。
こうやってエミリアとノアゼット様と一緒にいる時は、ノアゼット様は私たちの会話は見守るだけにしていて、あまり入ってくることは無い。振られた時だけ入るくらいだ。
エミリアも私を置き去りにしないよう、私に向かって話しかけてくることが多く、とても気の使える夫婦だわ、なんて思う。
ノアゼット様の部屋に着くと、ノアゼット様は別のところに行かれた。エミリア曰く、グレン様の部屋で仕事をするらしい。
私達と同い年で国の仕事をしているんだから、あの人の才能は計り知れない。他国がこぞって狙うわけだ。
「さ!勉強しよ!」
部屋のあまりの広さと豪華さに驚いたけど、通常運転のエミリアを見てると何だかそんなに気にならない気がして、私は緊張を解した。
やたら座り心地のいいソファでエミリアの隣に座って、目の前のテーブルに教科書とノートを並べる。そしていつものように教えあって、勉強を進めた。
この国で当たり前のようなことを知らないエミリア。
エミリアがどこから来たのかは未だに分からない。きっとノアゼット様は教えてもらっただろう。
でも私は知らなくてもいい。知らなくても私は彼女の友人だ。彼女がどこから来たってそれは変わらない。
エミリアが言いたくなったら聞く。それだけの事。
「あ、そう言えば、教会ってどこにあるの?」
「そこそこの大きさの街ならどこにでもあるわよ。この近くだと、花の街ね」
聖典を知らなかったエミリアは、教会の存在もあまりよく分かってないらしい。それで神の愛し子になるのだから、不思議なものだ。
「今度教会に来て喋ろうねって、神様言ってたんだよね。行ってあげないと」
「…それは今すぐにでも行った方がいいんじゃないの!?」
「え、大丈夫だよ。気が向いたら来てって話だったし、優しそうな人だったしね」
優しそうな人だったと。神に対して。
神にそんなこと言えるのはあなただけよ、エミリア…。
神相手でさえ、対等に扱うのね、あなたは。流石だわ。
隣国の第3王子に好かれてるのを見た時は、またか、と思ったけど、やっぱりこの子は大物に好かれるオーラでも出てるの?
大物に好かれるのはいいけど、厄介なことに巻き込まれそうだから心配だわ。
「来週あたりノアと行ってこようかな。」
「なるべく早く行くのよ」
「はーい。あ、お菓子とか食べるかな?何か持って行ってあげようかな」
……もう何も言わないわ。彼女の感性は私にはきっと一生分からない。
でも、そのままでいて欲しい。自分に向けられる感情には鈍感で、なのに妙に賢いところがある彼女には、幸せでいて欲しいから。
今まで沢山我慢したんだもの。これから好きに生きたって誰も咎めやしないわ。
「紅茶入れてくるね」
「ありがとう」
エミリアが紅茶を入れにソファを立つ。そして隣のキッチンスペースに行った。
そういえばエミリアは、結婚してからはこの部屋でノアゼット様と暮らしているらしい。
毎朝ノアゼット様の手作りの朝食を食べてると聞いた時は呆れてしまった。もちろんノアゼット様に。
だってそうでしょう?貴族子女でさえ、料理をするのはあまり良い目をされないのに、男性の、しかも高位貴族で、誰も文句言えないノアゼット様が進んで料理なさってる。
以前は婚約者の、今は妻の為に。
初めにノアゼット様の作ったサンドイッチが美味しかったと聞いた時は仰天したが、今となってはそこまでしてエミリアに尽くしたいのか、と思って呆れている。
ノアゼット様はエミリアに関わる全てに携わりたいんじゃないかなんて最近思ってる。
まぁ、それで友人が幸せなら文句はないわ。
柔らかいソファの背に、体を預ける。
一息ついて休憩のために教科書をまとめていると、うっすらソファの端に黒いものが見えた。
「ん?」
近付いてみると、それは黒い糸のようなもの。細くて長い、髪の毛のような…。
髪の毛?
えっ、髪の毛!?
急いで摘んでじっと見る。
どこからどう見ても髪の毛にしか見えない。
えっ、暗い髪色の髪の長い人が、この部屋に?男性は皆短い髪だし、この長さは女性だろう。この学園の掃除婦さん?いや、彼女達の仕事は完璧だ。自分の髪の毛を落とすはずがない。
じゃあ、これは…?
「ミルム、お待たせー」
「っ!」
慌ててその髪の毛をポケットに入れた。
どうする、エミリアに見せる?でもそれでエミリアが不安になったらどうする?もし何か私の勘違いだったら。
「ミルム?」
「な、なんでもないわ。紅茶、ありがとう」
私はエミリアに言うのはやめて、素知らぬ顔で紅茶を飲んだ。
休憩を終えて勉強を再開する。
今度は数学の勉強で、問題集を解いている。分からなければお互いに聞く、という形だ。
だけど私はさっきの事が頭から離れない。
ノアゼット様が暗い髪の女性を部屋に入れたのか。
仕事とはいえノアゼット様は部屋に女性を入れることはない。彼は仕事の時はグレン様の部屋を使うと、エミリアが言っていた。
ならこれは何?私用だったと言うの?
それとも、浮気?
いやいや待て待て。ノアゼット様が浮気なんてするわけない。あれだけエミリアを愛して、エミリアのことしか見えていない人だ。そんなこと、ありえない。
ありえない、けど。
けど、けど!
ソファにあった。隅にあった。
私室のソファに女性を座らせる用なんて、ある?
しかも仕事じゃないなら、尚更だ。
これはきっと、私が確かめた方がいいわ。
エミリアに言ったら、1人で落ち込んでしまいそうだから。
怖いけど、大切な友人のためには体を張る。それが私よ!
私は自分に気合を入れた。




