逃げずに1歩 2
ノアと毎朝花を贈り合うことになったけど、ノアには明日からは6時半に起きるように言われた。鍛錬を最初にしてから花を選ぶようにするから、それまで私を寝かせてくれるつもりらしい。
まぁたしかに私も眠い。ノアが元気なのが不思議なくらい。
あの後部屋に戻って二度寝したし。
ノアとは、朝一緒に花を摘んで贈りあって、そのあと一緒に朝ごはんを食べるような流れに落ち着いた。
ミュールとレイナはなぜか喜んでいた。
「よ、エミリアちゃん」
「グレン様、こんにちは」
勉強の休みの時間に庭に気分転換に来てると、グレン様に声をかけられた。ノアに呼ばれて来てるんだろう。制服を着てないグレン様は初めて見る。
「夫人教育始めたんだって?」
「はい。今色んなことを教わってます」
「それはもう、あいつに捕まる覚悟ができたってことでいいのか?」
グレン様は至って普通の顔で、普通の声で聞いてくる。ただただ疑問に思っただけだろう。
私はそれの覚悟の言葉にぐっと心が重くなる。
覚悟は……まだ出来てない。
「……正直、まだ…」
「そりゃ悪いこと聞いたな」
「…いえ」
自分で決めた期限はもう2ヶ月くらい。まだ覚悟できないのかと思われても仕方ない。
そもそもどうやって覚悟ってやるんだ。どうなったら覚悟が決まった状態なんだ。
堂々巡りなことを考えていると、グレン様がははっ、と笑った。
「まぁ、覚悟なんて決めたあとも揺らぐものだからな。そんな思い悩むことじゃない」
「揺らぐ…んですか」
「揺らぐさ。揺らがない覚悟なんてそんな出来るもんじゃない。だからエミリアちゃんは、もっと楽に考えていいんだぜ」
グレン様の表情は晴れやかだ。曇った私と違って。
だからか今日は、いつも以上に眩しく見える。
「1歩踏み出してみよう、くらいでいいんだよ。そこから2歩3歩戻っても大丈夫。あいつが何とかするさ」
軽くも聞こえるその言葉は、軽くないのは分かってる。
そして思ったよりも私の心にスっと入ってきたのも分かった。
1歩踏み出してみるだけ…。戻ってもいい…。
「エミリアちゃんは誘拐されても黙ってじっとしてはいないだろ?死ぬかもしれないけど行動するだろ?あれは正直控えて欲しいけど、似たようなものでいいと思うぜ。その先がどうなるかは、1歩踏み出してみないと分からないもんだ」
踏み出してみないと分からない。
たしかに、そうだ。
ノアをまだ信じられないけど、それは私が秘密を明かすまで信じられない。明かしてみないと、分からない。
この先だって、結婚してみないと分からない。私があの世界から完全に切り離されるような気はするけど、そうじゃないかもしれない。
進まないと、分からない。
「…ありがとうございます。なんか、わかった気がします」
「そうか。背中が押せたなら何よりだ」
にかっ、と笑ったグレン様はやはり太陽のような人だ。怖いところもあるけど、基本は明るくて眩しいんだ。
その光を少し、分けて貰えた気がする。
「それより、執務室のあの花、エミリアちゃんが贈ったんだって?」
「え?はい」
「やっぱりかぁ〜。ノアゼットのやつ、事ある毎に花見て笑ってるから気味が悪くて」
けらけらと笑いながらグレン様が言う。
でも気味が悪いとは言いながらも、どこか嬉しそうにも見える。
でも、私の贈った花をよく見ては思い出してくれてると思うと、嬉しくも思う。
「花を見てあんなに喜ぶなんて、あいつもちょろいな…」
嬉しそうにグレン様は笑う。
ノアが喜んでるのが、嬉しいのだろうか。
「グレン様とノアは幼なじみと聞きましたけど、どれくらい長いんですか?」
そう聞いてみた。なんか不意に、気になったのだ。
「7歳くらいからだな。家同士の付き合いで、小さい頃から交流してたんだ」
「長いですね」
「まぁな。貴族にはよくある事だけどな。もっと色んな子供にも会ってるが、ノアゼットの友人になれたのは俺だけなんだ」
どういう事だ?
首を傾げた私に、グレン様はふっ、と笑った。
「子供同士とはいえ、純粋に楽しめないのが貴族だ。親は子供に、仲良くなるべき家の子供に自分の子供を引き合せる。小さい頃から賢くて魔力も多かったあいつは、将来有望だったから周りがうるさかったんだ」
小さいのに賢いノア…。なんだか想像つく。
「あいつは賢かったから、そういうのに気付いてたんだよ。あの頃からもう人と距離を置くことを覚えてたな」
「早いですね…」
「そうならざるをえなかったのかもな」
賢くならなきゃいけない環境だった。そう思うと、胸が痛む。
そんな小さいうちから、周りを見て距離を置くなんて、辛くなかっただろうか。
「そんな中、あいつの能力も家も要らなかったのが俺だ。俺は公爵家で権力も十分だし、男だし次男だ。なんも気兼ねなく関われる存在だったんだ」
グレン様は懐かしいものを思い出す顔をして、少し悲しそうな目をする。
ノアより爵位が高くて、ノアを利用する必要が無いからこそ、ノアは安心できたんだ。当時のノアを思うと私まで悲しくなる。
「まぁ俺はそこまで賢くなかったから、なんにも考えないでノアゼットと遊んでたけどな」
パッと表情を切りかえて、笑顔をうかべるグレン様。
そうやって隠すくらいには、幼いノアは可哀想だったんだろう。そしてそんなノアのことをグレン様はとても大事に思ってるんだ。
「だからまぁ、あいつがこんなに人を好きになるとは思わなかった。正直俺はまだエミリアちゃんを疑ってはいるし、信用はできない」
「……はい」
いつかのような怖い顔ではなく、なんでもないかのように彼は言う。
「でも、今までにないくらい幸せそうだから、俺はそれを応援するだけだ。あいつが幸せなら、それでいい」
グレン様は嬉しそうな顔で言う。
本当に、ノアのこと好きなんだなぁ。
「ま、そういう事だから、俺はノアゼットを幸せにするために尽力する。それはつまりノアゼットがエミリアちゃんを幸せにするのを手伝うことに繋がる。だから、信じるのは無理だと思うが、あまり身構えないでほしい」
「ふふ、分かってます」
言われた通り、信じるのは無理だ。ノアでさえ信じれていないのだから。
でもグレン様がノアのことを考えてることは分かる。あの時私を怖がらせたのだって、ノアのためだ。
彼はただ、ノアが大事なだけ。それはわかる。
私が笑って答えると、グレン様もまた納得したように笑った。
「エミリア!」
聞きなれた暖かい声。振り向くと、ノアがすごい勢いで近付いてきて、私を抱きしめる。
そしてすぐさま、グレン様に顔を向けた。
「何もしてないだろうね…」
「するわけないだろ」
ノアに睨まれたグレン様が呆れたように答えた。
ノアは私の顔をじっと見てきたので、少し微笑んでみる。それに釣られてノアも微笑んでくれた。
「あー、甘い甘い。先行ってるぞ」
「すぐ行く」
グレン様が背を向けて、ノアは私を強めに抱きしめる。そしておでことほっぺと口に、触れるだけのキスを落として、また後で、と言い残して去っていく。
…なんか嵐のようだったな…。
さて、私もそろそろ休憩時間は終わりかな。
私は私のやるべきことをやろう。
「エミリア、入るよ」
「どうぞ」
夕飯を終えてシャワーの後、ノアが部屋に来た。
夕ご飯の時に、あとで話があると言っていたのだ。
私の隣のソファにノアが腰掛ける。侍女は退室していて、この部屋には2人きりだ。
「エミリアに話しておきたい事があって」
「なに?」
ノアが私の肩を抱いて、私の髪の撫でる。
ノアの体から石鹸の匂いがする。いつもの香水じゃなくて少し違和感を覚えるけど、私も同じ匂いを今纏ってるよな、と思って少し恥ずかしくなる。
何とか気にしないようにしてノアを見ると、ふわっと微笑んでくれる。
ノアの雰囲気から、今から話すことがそんな深刻な事じゃないのは分かる。
「ライード・ドルトイは、きっと僕らが結婚する前に行動に起こすよ」
…いや、割と深刻な話だった。なんでそんな爽やかな顔をしてるのか分からない。
「勿論君には学校でも護衛をつけてるし、君の仲いい人達にも付けてるから、直接何かをすることは無理だけど」
「え、護衛!?そんなのいた?」
「いるよ。こっそりね」
なんてこった…。
護衛なんてついてたんだ、私。気付かなかった…。
ノア曰く、王子様と誘拐されたあの後から付けたらしい。全然気付かなかった。
でも学園に関係者以外は入れないはずなんだけど…どうやって付けてるんだろう…。まぁきっと聞いても笑って誤魔化されそうだ。
「だけど向こうがどう接触してくるか、全部を防ぐのは難しい。まぁ学園内には入れないから、きっと生徒を使うだろう。もし誰かに脅されたりしても、絶対に着いていかないで欲しい」
じっと私の顔を真面目な目で見つめてくる。
きっとこれからそういうことがあるのだろう。
「…来なかったら秘密をばらすと言われても?」
ノアは頷く。それ以上言うことは無い。
信じて、と言われているようにも見える。
私はその真っ直ぐな目をじっと見つめて、頷いた。
私が頷いたことにノアも安心して、ほっと息をついている。
「ありがとう。エミリアが攫われたりしなければ、向こうがしようとしてきたことだけで罪に問えるから。ただ、罪に問うのはちゃんと秘密を聞いてからにするから、安心して」
すぐに捕まえたら、ドルトイから秘密を明かされてしまう可能性があるから?それを危惧して、私が秘密を明かした後に捕まえると言ってくれるの?
ノアの気遣いに胸が暖かくなる。大変なのに。
私が攫われないことが第1優先。
ならば尚更、気をつけないと。絶対どう脅されてもついていっちゃいけない。
「エミリアのことは僕が守るから、絶対に」
「…うん。ありがとう」
私は少しはノアのことを信じれているんだろうか。
少しは信じても、いいのだろうか。
分からないけど、グレン様の言う通り、1歩踏み出してみた。
長期休みは最後の2日間ノアと2人で過ごした。
レイズ様に貰った和菓子のレシピを頑張って再現したり、庭に出て歌を歌ったり、同じ空間で本を読んだり。
外には出れなかったけど、そんなこと気にならないくらい楽しく過ごした。
そして学園が始まる。




