逃げずに1歩
春の長期休みがやってきた。
春のお休みは3週間。そして今回も私は、ノアの家にお邪魔させてもらうことになった。
だけど今回のお休みは、屋敷から出ることは無い。何故かと言うと、ドルトイの三男が、私が学園にいることに気付いてしまったらしい。学園内で広がった噂が外まで漏れて、私の存在に気づいてしまったんだと。
恐らく名前も姿もバレてるだろう、とのことで、屋敷からは出せないとノアに謝られた。
でもあの噂を流したのは私だし、むしろこちらが申し訳ないくらい。あの噂のせいで余計な手間が増えちゃったんじゃないかなって。
そんな事ないってノアは言ってくれたけど。
まぁ過ぎたことは仕方ない、と思って、私は私のできることをしようと思った。
だから今回のお休みでは、教師をつけてくれるようノアに頼んだ。
侯爵夫人としてのお勉強だ。礼儀も、言葉遣いも、この家の歴史も。
ノアはまだしなくていいとは言ってくれたけど、ちょうど時間もあるし、そのうちやらないといけないんだから早くて損は無いだろうと思ったのだ。
「本日はここまでですわ」
「はい。ご教授いただき、ありがとうございます」
先生が部屋を立ち去り、私は残された部屋で椅子に座ったまま上半身を伸ばした。
少しして部屋のドアが開き、ティーセットの乗ったカートを引いて、侍女のレイナが入ってきた。
「お茶をお淹れします」
「ありがとう」
レイナとミュールは、私の専属侍女らしい。実は護衛も兼ねててとても強いんだそうだ。普通の女性に見えるのに…。
しかもさん付けをしたら怒られてしまった。
レイナに淹れて貰った紅茶を飲んで、一息つく。
私のいるこの部屋は、豪華だけどうるさくは見えない。上品で落ち着いていて、緊張するかと言われるとする。
だけど寮のノアの部屋も中々豪華な部屋だったし、前にここに来た時も豪華そうな部屋に泊めてもらった。少しずつ慣れてる気はする。
今回泊まってるこの部屋は、前泊まった部屋とは違くて、前泊まった部屋は所謂客室なんだそうだ。
そして今回のこの部屋は…なんと、私の部屋なんだって。
正確には、夫人の部屋。
前回は私が変に怯えたら困ると思って、普通の客室を用意してくれたようだ。
それもそのはずこの部屋は、この部屋の寝室もあるけど、夫婦の寝室とも繋がってる。
ノアの部屋の隣で、扉1枚でそっちまで行けてしまうのだ。
確かに前回の私なら、怖くて落ち着かなかったかもしれない…。
でもちゃんとノアは、私は自分の寝室で休むように言ってくれて、間にある扉も開けないと約束してくれた。
私はそれを信じてる。
「綺麗なお花だね…」
「ふふ」
飾られている生花を眺める。
それはノアに貰ったお花。
ノアはここに来てから、毎朝私に花をくれる。色んな種類の色んな色のお花をくれる。それも、婚約する前のように、1輪か2輪。私が断りにくいように。
断りにくいやつだ、と言えばノアも笑っていた。
「こちらのお花は全て、ノアゼット様自ら摘まれているのですよ」
「えっ、ノアが自分で?」
「はい。エミリア様に贈られる花を毎朝ご自身で選ばれております」
レイナが微笑ましいものを見るように笑顔をうかべる。
そうだったんだ…。ノアが朝わざわざ摘みにいってたんだ。
まぁ、想像はつくけども。
「ノアは、朝どのくらいに起きてるの?」
「5時頃かと」
「はやっ」
早すぎる。ちゃんと寝てるのかな?
ノアはこのお休みでも仕事をしている。朝昼晩のご飯は私と食べてくれるけど、それ以外はほぼ仕事で執務室か王城に出向いてる。
この屋敷に来て1週間経つけど、私の勉強のお休みの日はあれど、ノアの休みはなかった。仕事が早く終わって、とか、おやつの時間に、とかで私と過ごす時間はあるけども。
働きすぎだし、夜も遅いだろうに、朝もそんなに早く起きて大丈夫なのだろうか…。
「毎朝ノアゼット様が花を摘まれるお姿は、それはもう幸せそうなお顔をされてるのですよ」
「そ、そうなの?」
「はい。きっとエミリア様のことを思われてあんな表情をなさるのですね」
なんだか気恥ずかしい…。
でも花をくれる時のノアも、いつも甘い顔している。嬉しくて仕方ない、って顔。貰ってるのは私なのに。
本音を言えば、花を摘む時間は削って寝て欲しい。休んでほしい。
でもノアは多分、それを望まないだろうな…。
「レイナ。明日からは私も、5時に起こしてくれる?」
「エミリア様…かしこまりました」
「朝早いけど、ごめんね」
「とんでもございません。ミュールにもそのように伝えておきます」
ありがとう、とレイナに告げる。
この世界は目覚まし時計なんてものはないから、自力で起きるか起こしてもらうしかない。
だけど私は自力では起きられない。学園の習慣で、7時に起きる体になってしまってる。
5時なんて絶対無理。だから起こしてもらうのだ。
私の言葉にレイナは嬉しそうに笑っていた。
次の日の朝、ミュールに5時に起こして貰った。そしてちょっと散歩に行くくらいの暖かい格好にしてもらって、ノアのいる所に案内してもらった。
ノアは庭にいた。花を眺めている。レイナの言う通り、今日私に贈る花を選んでいるのだろうか。
「ノア」
「エミリア?」
声をかけると、ノアは驚いた顔をして私に寄ってきた。
「こんな朝早くにどうしたの?嫌な夢でも見た?」
直ぐに私を心配する。その様子に思わずくすりと笑ってしまう。
「違うよ。ノアが私にあげる花を朝早くに摘んでるって聞いたから、起こしてもらったの」
「……どうして?」
「私も一緒に選ぼうと思って」
ノアの不思議そうな顔を見た後、私は花壇に目を向ける。色とりどりの花がたくさん植わってて、これを手入れしてくれてる人は凄いなと思う。
「これはなんて花?」
ノアに聞いてみると、ノアはハッとしてこちらに目を向けた。
「それはブルースターだよ」
「ブルースターかぁ。これが摘みたいな。どうやって摘むの?」
「ハサミで切るよ」
そう言ってポケットからノアはハサミを取り出した。ノアが切ってくれようとしたけど、私は首を振って、私に切らせて欲しいと頼んだ。
ハサミを受け取って、ブルースターの花の茎を切る。それを持ちながら、ノアにハサミを返した。
「それを部屋に飾るの?」
ノアの言葉に首を振る。そして、両手でその1輪を持って、ノアに手を伸ばした。
「これは、ノアに」
「……僕に?」
ノアが目を丸くした。驚愕している。
「いつもくれるから。私が育てた訳じゃないけど、受け取って欲しいな」
ノアの事だから受け取ってはくれるだろうけど、少しドキドキする。もし嫌だと言われたらどうしようと思ってしまう。
ノアはいつもこんな気持ちで私にくれてたのかな。
思えば私がノアに物をあげるのは初めてな気がする。
まぁこの花も、私の持ち物では無いんだけど。
ノアは驚いた顔から次第に泣きそうな顔になった。
あれ?
「…ありがとう、エミリア…っ」
私からブルースターの花を受け取って、ノアは私を抱きしめてくれた。強めに抱きしめられる。
凄い喜んでくれると思ったのに、何でそんな泣きそうな顔を…。
「ノア、嫌だった?花好きじゃない?」
「嫌なわけないよ」
「でも、あまり嬉しくなさそうな…」
そう言うと、もっと腕の力が強まった。もう一段階強くなったら苦しくなりそうだ。
「……違うよ。嬉しすぎて辛いんだ。エミリアが僕に花をくれるくらい、好意を持ってくれたことが、嬉しくて…」
絞り出すような声。今にも泣きそうな声だ。声と言葉が合ってない。
「ありがとう……ありがとう、エミリア……」
「ううん。こちらこそ、毎日お花くれてありがとう」
今にも泣きそうだけど、喜びは伝わった。
こんなに喜んでくれるなら、もっと早く行動すればよかったな。
落ち着いたノアが私を離して、私があげた花を見る。
「ずっと見てたいから、執務室に飾るね」
「うん。それ見てお仕事頑張って」
「思い出しちゃって仕事どころじゃないかも」
それは困るなぁ、と笑う。
それでもノアならきっと立派に仕事が出来るんだろうけども。
「ノア、私にもお花選んで、ちょうだい?」
「うん。僕も贈るよ」
ノアは花壇に目を向けて、何か考えてる様子。
そんなノアの手にある、ブルースターの花を見る。
ノアの瞳のような、湖の色。花自体は小さいけれど、いくつもついていてとても華やかだ。
「ちょっと待っててね」
ノアは私にそう言い残して、目的の花へ向かって行った。
ノアがなにかの花を切って、再びこちらに戻ってくる。その手には白い花。
「今日はこれをエミリアに」
「わぁ、かすみ草?可愛い」
小さな白い花がたくさんついたかすみ草を、4本ほど束にされているものを受け取る。
ふわふわしていてなんか可愛い。
「ありがとう、ノア」
私がお礼を言って微笑めば、ノアも嬉しそうに笑ってくれた。
ノアが私のために摘んでくれた花。毎朝早く起きて、私のことを思って花を選んでくれて、摘んでくれた。
この小さな花達に、それが篭ってる。
そう思うと凄く、なんかすごく、嬉しい。
「ノアはいつもお花摘んだあと、何してるの?」
このあとノアが何をする予定なのか、聞いてみる。あまり長居して邪魔しちゃいけないだろうし。
「いつもはこの後1時間くらい鍛錬して、シャワーを浴びて朝食かな」
「たん…れん…」
「そう。僕もやらないと追い抜かされちゃうからね」
その言い方ではまるで、学園にいる時もやってるかのようだ。
朝早く起きて自分を鍛えてたのか、ノアは。だからあんなに強いの?あんなに強くても、驕らずに自分を鍛えてるの?
ノアは戦闘職につくつもりは無いのに、どうしてそこまでするんだろう、と思った私の気持ちは顔に出てたみたいで、ノアがふふ、と笑った。
「エミリアは僕が守りたいからね」
「あ、ありがとう…?」
そういうことでしたか。なるほど、わからん。
でもそうか、1時間くらいの鍛錬がこの後控えてるくらいなら、それを邪魔しない程度なら大丈夫かな…?
「あの、ノア…」
「ん?」
「私も毎朝、ここに来ていい?」
私が聞くと、ノアはぱちぱちと瞬きをした。
どうして?って顔をしてる。
「鍛錬の時間になったら部屋に戻るから、朝こうやって花を贈り合いたいなって…。だめかな?」
なんでこんなことを思ったのかは分からない。ただ、花を贈るだけでノアがあんなに喜んでくれるなら、毎日私もやってあげたいと思ったのだ。
それに、ノアだけが私に贈るっていうのも、なんか悔しい。
ノアは私の持つかすみ草が潰れないくらいに優しく、私を抱きしめてくれた。私の胸元にあったかすみ草をそっと体の外に出すと、ノアはそれに気づいて腕の力を強める。
「……うん。贈りあおう。毎朝、こうやって一緒に」
「でも無理はしないでね?」
「もちろん」
うん、きっと私の言葉に喜んでくれたんだろう。この強めのぎゅうは、そういう事だ。多分。
喜んでくれるなら、いっか。




