捕まってくれてる sideノアゼット
エミリアが起きてから数週間たった。
4年生が始まって最初のテストも終わり、エミリアとミルムは順位も点数も落ちて、少し落ち込んでいるようだ。
まぁ無理もないだろう。エミリアには毒騒動もあったし、ミルムはエミリアのドレス選びも手伝ってくれた。あまり勉強する時間もなかっただろう。
エミリアのドレスは、ミルムとユフィーリアの手伝いもあって、納得するものを見つけられたらしい。ただ何度も着替えてエミリアは疲労困憊していた。
ユフィーリアとエミリアは仲良くなった。エミリアが毒を飲んですぐに医者を呼んでくれたのがユフィーリアだったのだ。
彼女がエミリアを心配して覗いててくれなければ、症状はもっと悪化していただろう。あの女達は誰も動かなかったらしいし。やっぱり殺すべきだったかな。
ユフィーリアがエミリアと仲良くなったことで、僕もユフィーリアに対する態度を改めた。エミリアの友人ならば僕も優しくするのが道理だ。
僕の態度の変化にユフィーリアは驚愕していたが、もう僕に熱のある視線を向けることは無かったから良かった。
ソファに項垂れて疲れてるエミリアを見ても、結婚式が近付いている証拠だから、僕は嬉しく感じてしまった。
ただあの時のエミリアは虚ろな目をしていた。ぼんやりと、無気力な目を。
だから隣に座って、何も言わず彼女を慰めた。
僕の感じたことの無い気持ちを彼女は持ってるから、僕に共感はできない。僕は隣で慰めることしか出来ない。
だから、とても驚いたんだ。
彼女が名前を教えてくれたことに。
シノミヤ、エミと名乗った。エミというのが本当の彼女の名前らしい。シノミヤというのは家名なのだろうか。
考えれば分かる事だ。知らないところに誘拐されて逃げたんだ。本名なわけがない。むしろ賢明な判断だろう。
エミ。
エミリア。
どちらも自分だと、彼女は言った。少し寂しそうに、諦めたように。
そして僕に、忘れないでと頼んだ。エミリアの本当の名前を覚えておいて欲しいと。
エミリアは自分の名前を紙に書いてくれた。
見たことの無い角張った難しい文字。ひとつの文字にたくさんの線と図形が入っていて、複雑だ。
これが、エミリアの、エミの名前。
エミリアは本当に、僕の知らないところから来てるんだな。
それを凄く実感した。
エミリアに、名前の書いた紙を貰った。それを自室の机の、鍵のついた引き出しにしまう。
絶対に忘れない。エミリアがシノミヤ、エミであることも、この文字のことも。
エミリアが確かにここじゃないどこかで生まれ育ったその証拠を、僕はずっと覚えておく。
しっかり胸にその名前を刻んだのだ。
そしてテストが終わり、お昼をエミリアととっていると、僕がエミリアを好きなった理由を聞かれた。
どこを好きになったのかと、聞かれて僕はすぐには答えられなかった。
だってそうだ。ここが好き!ってなった訳じゃない。気付いたら目で追ってて、自覚した頃にはもう手遅れなくらいのめり込んでいた。
ここが、と決まってるんじゃない。エミリアの全てが、存在そのものを気に入ってしまったのだ。
僕がエミリアを気になりだした頃の話をすると、エミリアはすごく驚いていた。
それもそうか、エミリアは僕があそこにいた事に気付いてはなかった。気づいてたら移動してただろうし。
あの時のことも、あの場面のエミリアのどこに興味を惹かれたのかは分からない。今でも分からない。
僕がずっとあの場面を見ていたといえば、エミリアは少し恥ずかしそうに衝撃を受けていた。気付かなかった自分が悔しいんだろうな。
でもあの時のことは、僕にとってもいい思い出とは言い難い。
だってあの時のエミリアは僕のものではなかったし、意識もされていなかった。どれだけアピールしたって、いつも僕のことを怪訝な顔して見ていたし、欠片も本気だとは思ってくれなかった。
エミリアはよく人に囲まれていて、エミリアを好きな男も数人いた。それを退ける権利もなくて、歯痒い思いをしていた。
僕のことは避けるくせに、平民や下位貴族に声をかけられれば素直に応じる。それが悔しくて、憎らしくて、とてつもなく嫉妬した。
だから人前でも話しかけるようにして、人前で贈り物もした。人のいるところで僕に話しかけられて、注目を浴びたくなさそうな顔をエミリアはしていたけど、それを気にしてる余裕はなかった。
エミリアに近づく男を蹴散らしたい。ただそれだけだった。
僕の目論見通り、僕の気持ちを学園中が知ることになり、エミリアに近づく男は減った。直接諦めるように言いに行ったこともある。
それでも近付けるとしたら、ライオニア家を敵に回すことも分からない馬鹿くらいだろう。まぁそこまでの馬鹿はいなかったけど。
婚約の申し出をしたって、エミリアは本気にしてくれなかった。いい加減我慢もきかなくなってきて、迫れば今度は逃げられる。
ならばとエミリアのことを半ば脅すように迫っても、屈しない。
あそこまで手応えがなくて苦戦したのは生涯で初めてだった。
でも今となっては分かる。エミリアが僕の事を本気にしてなかったのも、頑なに僕から逃げていたことも。
まぁ本気にしてなかったのは、エミリアの超がつくほどの鈍感のせいだろうけど。
それにエミリアは逃げようと思えばどんな手を使っても僕から逃げたはず。それこそ、自分が死んででも。
だから僕が捕まえたんじゃなくて、エミリアが僕に捕まってくれたんだとエミリアに伝えた。
「プロポーズみたい」
そう言われて思い出す。平民は恋人関係を作ってからプロポーズをして、婚約に至る。
僕は貴族だから、付き合うというのは婚約と同意義だから、気にしていなかった。それにエミリアとの婚約は罠に嵌めたような感じだし。
エミリアもプロポーズされたいだろうか。
そもそもエミリアの国のプロポーズはどんなものだろうか。
「私のところでは、婚約指輪っていう高めの指輪を贈ってたなぁ…。あぁでも、近年ではお揃いの腕時計とかもあったなぁ…」
うでどけい?また知らない言葉が飛び出した。
エミリアはそれを丁寧に説明してくれて、でもそれを聞いて僕は冷や汗が出た。
腕時計というのは、腕につける小さな時計のことらしい。小さな時計にベルトをつけて手首に巻くんだそうだ。
エミリアの国では、働いてる男性の大半はつけていたらしく、女性も半分くらいは付けていたらしい。
国民の大半がつけるほど、時間に細かい国なのだろうか。エミリアが几帳面なところがあるのも国民性なのだろうか。
それよりも、問題はその腕時計そのものだ。
時計は時間を正確にするために、魔道具を使っている。しかもその魔道具は平民の手に届く値段じゃないし、宝石に篭める魔法と違って時計そのものに魔法を込める。だから小さいとそれだけ技術を必要とする。
なのに、手のひらサイズどころか、手首に収まるサイズの時計を作り出し、それを国民の大半が持っている。
しかも以前、エミリアに渡した魔道具の性能がバレた時、位置情報が分かるのは彼女の国では普通だと言った。
位置情報が分かる魔法はかなり難しく、魔力も消費する。それを魔道具に込めるのも大変だし、その魔道具の位置を探るのも魔法の技術がいる。
それを、やってる人が多いと言っていた。
それだけ国民が魔法に長けているのだろうか。それにそんな魔道具は高いはずだから、それをたくさんの人が買えるのも驚きだ。
技術力の凄さと、国民の裕福さに戦慄する。
だが焚き火の件の時は、魔法なしでも生きれるような国かと思った。魔法に精通して技術力もあるのに、魔法がなくても平気な知識も出回ってる?
魔法封じの首輪が広く普及されているのだろうか。いや、それとも他の意図が?
まぁ、考えたところで分からないが。
「…エミリアのいた国は凄いんだね。 なんだかこの国より文明が進んでる気がする」
「進まざるをえなかった感じもするけどね」
否定されなかった。きっとここよりも発達している国なんだろう。それをエミリアは仕方なかったというふうな言い方をした。
「このあたりの国は戦争とかしないの?」
そう聞かれて体が固まる。
「戦争か…はるか昔はしてたらしいけどね。神が国同士で争うことは禁止したんだ。だから争いが起こるとしたら、国内での争いだね。まぁそれも、この国では100年ほど起こってないけど」
「へぇ…」
エミリアの言い方では、エミリアの国では戦争をしていたかのような言い方だ。戦争をしたから文明が発達したような言い方。でもそれならば、神の命に逆らったことになる。
神の命に逆らえば、何が起こるかわからない。国を滅ぼされてもおかしくない。
「ノアは、神様に会ったことある?」
不意をつかれた気がした。そんなことを聞かれるなんて思ってもみなかった。
神に会ったことがあれば大問題だ。それに個人が会えるものじゃないし、会いたくても会えないし、恐れ多くて会いたいとも思わない。
ただ前から少し感じてた違和感を、また感じた。
エミリアは、神を信じていないんじゃないか?
エミリアの目が神の存在を疑うような目をしているのだ。
僕はその目を逸らさずに、小さく首を振る。
「無いよ。神が最後に地上に声をかけたのは、400年前に魔術を禁止した時だね」
「……そうなんだ」
少し残念そうな顔。居るなら会ってみたいとでもいうようだ。
「神に会ってみたいの?」
「…どうだろう」
私にも分からないんだよね、とエミリアは笑った。誤魔化すような笑みだった。
「どうした?なんか今日は悩んでるな」
「グレン…」
夜、グレンが報告に僕の部屋を訪れた。僕のいつもと違う表情に、グレンは目敏く気付いた。
エミリアちゃん関連だろ、とグレンは茶化すように笑う。今はそれに怒る気にもなれなくて、窓の外に目を向ける。
「…グレン、エミリアの故郷は本当に行けるところにないのかもしれない」
「はぁ?なんだ急に」
とぼけた声を出したグレンに、昼間のことを掻い摘んで説明すると、グレンはその目をすぅっと鋭くさせる。
「高度な文明に、神に背く行為…か…」
猜疑深い表情のグレンが呟く。
グレンの気持ちが手に取るように分かる。
エミリアの妄想だと思いたい、という気持ちだ。
だけど妄想にしては設定が出来すぎてるし、なによりエミリアの国をもう1人知る人がいる、というのが、妄想ではないことを証明している。
そんな場所があるのだろうか。あるとしたら、きっと僕らの手の届かないところなんだろう。
神の加護を離れたところか、もしくは神に対抗する技術もありそうだ。
「……こればかりは、エミリアちゃんに聞くしか分からないな」
「同感だ」
グレンは詰めてた息を吐いて、諦めた顔をした。
エミリアと婚約する時に、調べても分からないと断言された通りになってしまった。今ならあの言葉の真意もわかる。
エミリアはこの国からエミリアの国に行けるほどの技術が無いことを知っていた。あそこまで言い切っていたのだから、それだけの判断材料があるってことだ。
「結婚したらいずれ教えて貰えるんだろ。それまで待つしかないな」
「…そうだね」
「それよりも、だ」
グレンが手に持ってた紙を、僕に渡す。その紙に書かれた文字を目で追って、僕の心がすぅっと冷える。
「……気付かれたようだね」
「あの噂で気付いたみたいだ」
「まぁ広がるだろうとは思ってたしね」
想定内だよ、と紙を机に置く。
紙はドルトイについての報告書だった。それによると、彼の部下はここ最近この学園を探っているらしかった。
ならばエミリアの名前ももう知っているんだろう。
エミリアが塗り替えたあの噂は、学園外にも広がった。それを聞いて、入学前の過去が無いことや、貴族にさらわれたということを聞いてドルトイは察したんだろう。
普通の人ならただの噂で本気にしないが、奴は加害者だ。そこまで聞けば、確信を抱くだろう。
「いずれ会おうとは思っていたからね。向こうから来てくれるなら好都合だ」
「こわっ。エミリアちゃんに見せられない顔してるぞ」
「見せるわけないでしょ」
いくらエミリアが僕の仄暗い気持ちも受け止めてくれるからと、こんな殺意に満ち溢れた顔は見せられない。見せたいとも思わない。
「ライオニアを敵に回すのがどういう事か、解らせてあげるだけだよ」
笑顔で言ったつもりだけど、グレンは引きつった顔をしていた。




