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私は逃げたい  作者: 兎のうさぎ
本編
66/110

逃がしてたまるか side???

 

 パラパラと紙をめくる音が静かな室内に響く。男は1人で机に向かって、数枚の紙を眺めている。紙に書かれた文字を素早く目で追って、その表情を変えることもしない。


「………範囲を広げるか」


 ようやくぽつりと声を漏らし、諦めたようにため息をつく。

 壁側に立っていた黒いローブを着た男がその声に反応して、顔を上げた。


「捜索範囲を広げますか。それとも、条件を広げますか」

「条件を広げよう。国境を越えられてたらもう見つかりはしない」

「かしこまりました」


 机に向かっていた男は、バラバラにされた紙をひとまとめにして、机の端に置く。そして体をローブの男の方を向ける。


「髪は魔道具で変えてる可能性があるな。20代の女性で、未婚で孤児。身長は155cmくらい。それで探せ」

「かしこまりました」


 椅子に座った男に命令を受け、黒いローブの男は軽く頭を下げると、ローブをふわりとはためかせて部屋を出ていく。

 それを見届けて、男は息を吐く。


「どこに行きやがった…」


 眉間に皺を寄せて、固く拳を握りしめた男。その目には確かに怒りの火が灯っていて、この姿を彼の友人が見たら普段との違いに驚愕するだろう。

 彼は外では品行方正な青年を演じているのだから。



 しばらくそうしていると、部屋に扉をたたく音が響いた。男はハッとして拳を弛めて手のひらを広げると、僅かに爪の後が残っていた。

 それに見ないふりをして、入室の許可をだす。


 扉を開けて入ってきたのは、この家の執事だった。彼は精練された立ち振る舞いで、小さく頭を下げる。


「フラッツ様がお見えです」


 執事から聞いた名前に眉がぴくりと動く。スっと目を閉じると、しかめていた眉を元の位置に戻し、強ばっていた顔の筋肉を弛めた。


「通せ」

「かしこまりました」


 次に目を開けて執事に告げた時には、外向きの穏やかな顔を作っていた。

 それを見てなんの反応もすることも無く、執事は部屋を出ていく。彼を知るものにとってはこれが普通のことで、今更驚くものでもないからだ。




「近くまで来たから寄ったんだ」

「フラッツ、久しぶりだな」


 さらさらの亜麻色の髪を後ろでひとまとめにした男が、口角を上げてにやりと笑う。この国の騎士の服を着たフラッツと呼ばれた男は、勝手知る顔で部屋のソファに腰掛けた。


 それを見て男も外向きに穏やかな顔を携えたまま、フラッツの向かいのソファに座る。


「元気してたか?」

「勿論。お前は騎士団にいるんだったな」

「そうだ。今は帰省中なんだ」


 侍女がテーブルに置いた紅茶を飲みながらなんでもない世間話をする。フラッツは男にとって学園の同級生で、卒業してからはあまり会ってないものの、男の数少ない友人の1人であった。


 だがフラッツでさえ男の本性を知ったことはなく、今男がつまらないと感じていることさえ知らないだろう。


「それでこの前あいつがさぁ」


 フラッツの話はただの世間話ばかりで、男は全く楽しくない。卒業したあとの同級生の話など、男にとってなんの関係もないことで、知ったところで得にもならない。


 それどころか、出世していく同級生の話を聞くと、胸が燻る。本当ならば自分が誰よりも強くあったはずなのにと。


(いや、いいんだ。今からでも、あいつさえ見つかれば、僕は国1番の魔法使いになれる)


 フラッツの話を聞き流しながらそっと紅茶を飲む。今日の話は長そうだ。早めに紅茶を飲み終えて、無理やりにでも話を終えなくては。


 そう思って飲むペースをいつもより少しだけ早めた。

 フラッツは気付かずに笑いながら話を続けている。



「そう言えば、ライオニア家のノアゼット卿知ってるだろ?」

「あ、あぁ」


 男は少し顔を崩して動揺した。

 それもそのはず、ライオニア家のノアゼット卿は、男が1番羨ましくて憎らしく思っている人物だからだ。


 齢18にして、学園に通いながら宰相補佐の仕事を一部任されている。剣の技術も一流で、騎士団長と張り合える程。魔力も高いし魔法の扱いにも長けていて、彼が魔法使いとしての道を選んでいたら間違いなく筆頭になるだろうと言われている。

 そして1番はその容姿の麗しさ。彼を語る上では絶対に外せないのがその容姿。誰もが振り返るほどの美形で、長身で筋肉もついていて、まさに非の打ち所がない。



 男より歳下で、賢くて剣も魔法も一流。おまけに容姿がいい。

 自分は魔法だけ特化出来ればいいのに、ノアゼットは全てを持っているというのが男は悔しくてたまらない。


「ノアゼット卿が1年前くらいに婚約したんだけど、平民の女らしいんだ」

「平民…意外だな」

「それもノアゼット卿が溺愛してるらしい。あの冷酷な男が」


 驚きと笑いが入り交じった顔でフラッツは話す。

 男も驚いた。あのノアゼットが一人の女を、それも平民を溺愛するなど。


 男はノアゼットに何度か会ったことがあった。その時の印象は冷たい、その一言に限る。変わらない無表情に、低くて感情のない冷たい声。いくら顔が良くてもあれでは女は寄ってこないだろうと男は思っていた。


(ノアゼット卿が、溺愛?別人なんじゃないのか…)


 そう思うくらい、信じられない出来事だった。

 顎に手を当てて、想像しては信じられないなと首を振る男。フラッツはそれを見て楽しげに笑う。


「ここからが面白いんだ。その女、ちょっと前にフィラー公爵の娘に変な噂流されて、学園に入る前は娼婦だったとか言われてたんだ」

「かわいそうだな」

「まぁな。でも今は違う噂で塗り替えられてるらしいぜ。なんでも、学園に入る前に貴族にさらわれてこの国に来たんだってさ」


 男は眉をぴくりと動かす。


(貴族に、攫われて?)


 考えを悟られないように男はフラッツに言う。


「それは本当なのか?」

「さぁな、噂だからな。その噂のおかげで平民なのに人気はうなぎ登り。ただ学園に来る前の情報がないって言うのは本当らしいぜ。」


 学園に来る前の情報が、ない。

 胸の内にジワジワと喜びか湧き上がってくる。


「その、平民は、何年生だ?」

「ノアゼット卿と同学年と聞いたから…4年生か?」


(見つけた)


 目の前の霧が晴れた気がした。

 時期的に4年生になったばかり。ならば入学したのは丸3年前。


 3年前は、男の元からある女が逃げ出した時期と一致していた。


(まさか学園にいたなんて。あそこは関係者以外入れないし、この国のものではないあの女が入れると思ってなかった。)


 喜びを外に出さないように紅茶を飲む。どうやら今の一口で飲みきったようだ。


「フラッツ、すまない。急用を思い出した」

「そうか。ならここらでお暇させてもらうぜ」


 フラッツは残っていた。紅茶を一気に口に流し込み、飲み込んだ。そして立ち上がり、別れを告げて部屋から去っていく。


 フラッツが去ったのを見届けて、男は机に向かって椅子に座った。


「ゼフィーを呼べ」


 近くで控えていた侍女にそう告げると、侍女は礼をして部屋から出ていく。

 誰もいなくなった室内で、男は考えを巡らせていた。


(ノアゼット卿の婚約者…。それだけは阻止しなくては。あの男があの力を得るなんて、絶対あってはならない。)


 ペンを持ちながら考えているところに、ドアのノック音が聞こえる。

 男が入室を許可すると、黒いローブを被った男が入って来た。


 黒いローブの男は、椅子に座った男の前で膝をつく。


「ノアゼット・ライオニアの婚約者を調べろ」

「ノアゼット・ライオニアでございますか?」

「あぁ。その婚約者が、例の女の可能性が浮上した」

「それは…!」


 椅子に座った男の言葉に、黒いローブの男も歓喜の声を上げて顔もあげた。だが慌てて頭を下げて、次の言葉を待つ。


「だがライオニア家は厄介だ。疑われるようなことはするな」

「はっ!」


(もしかしたら女から聞いて、こちらを危険視している可能性もある。だけど能力までは話していないはずだ。自分の身を危険に晒すからな。禁術のこともバレることは無いだろう。)


 黒いローブの男が去った後、椅子に座った男は笑った。嬉しさが前面に出た笑いだった。

 男は待ち焦がれていたものがすぐそこにあるような、そんな気持ちだった。


「待ってろ…必ず、取り戻してみせる…!」




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