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私は逃げたい  作者: 兎のうさぎ
本編
63/110

長い夢から逃げた

 

 ふ、と意識が浮上した。

 ぼんやり目を開けて、自分の部屋だと気づいた。


 なんか、暖かい夢を見ていた気がする。夢の内容も何も思い出せないけど、幸せで浸っていたいような夢だった気が。


 うーん、と動こうとして、体が硬いことに気づく。


 あれ、寝すぎたかな?それにしてはかちかちな気が…。

 なんかすごくお腹も空いてるし…。


 ゆっくり起き上がると、驚いたことに私のベットにノアがいた。

 ベット横にある椅子に座って、私のベットに手を置いてそこで突っ伏して寝ている。


 なんでノアがここで寝てるんだろう?

 というか、私何してたんだっけ?


 と思って記憶を探った。


 あぁ!そうだ、茶会で飲んだお茶で気分が悪くなって、そこから記憶が無いから…。

 あれには毒でも入っていたんだろうか?いやでも…。


 まぁ考えるのは後にして、私はノアのさらさらな髪を撫でる。

 多分、心配させたんだろうな。ここで寝てるってことは余程。

 また心配かけちゃったなぁ。ミルムにも怒られそう。うーん…。


 ノアの髪を堪能していると、ノアの頭が少し揺れる。

 どうやら起きたようだ。


 と思ったらガバッと起き上がって、目を丸くして私を見ている。


「あ、起こしちゃった?ごめんね。おはよう」


 そう言って笑うと、ノアは少し固まって、そして段々顔を歪めた。泣きそうな顔をしてノアは私を抱きしめる。

 苦しいくらいにぎゅっと。これはノアの心配の証なんだって分かってる。


「エミリア…っ、良かった…!」


 今までにないくらい悲痛な声で、ノアが私の名前を呼ぶ。それを聞いて私も悲しくなって、ノアを抱きしめる。


 思った以上に心配をかけたみたいだ。ごめんね…。


「ノア…ごめん、ごめんね…」

「置いていったら、許さないよ…!!」


 辛そうな声。泣きそうな声。あやす様に背中を撫でる。


「置いていかないよ。そばにいるよ」

「…っそうだよ。逃がさないから、逃げたら……許さない…っ」


 掻き抱くように抱きしめられる。全身で、行かないでと言われている。

 言葉は命令口調なのに、態度が、声が、懇願している。


 離れないで、逃げないでって。


「うん、逃げないよ。もう、逃げない」


 大丈夫だから。逃げないから。

 ノアから逃げようとはしないから。ここにいるから。


 そんな気持ちを込めて、ノアのことをずっと抱きしめた。




「はい、体調は大丈夫そうですね。胃がびっくりしてしまうので、食事は粥から始めてください」

「はい、ありがとうございます」

「いえ、無事に目覚めて良かったです。」


 それでは、といってお医者さんは部屋から退室した。

 お医者さんと一緒に入ってきたローリアさんが、私に目を向けた。


「心配したのよ、エミリア」

「ご心配お掛けしました」


 ノアにずっと手を握られたまま、ベットの上でローリアさんと話をする。

 どうやら私は5日間も眠っていたらしい。なんてこった。


「普通なら遅くても2日で目覚めるはずなんだけれど、あなたはこの国から遠く離れた国の人だから、体質が違くて目覚めるのに時間がかかったのだと思うわ」

「なるほど…」


 私が異世界の人間だからとローリアさんは言いたいわけだ。

 そりゃ心配もするね。2日で目覚めるはずが、5日経っても目覚めないなんて。ノアがこれだけ心配もするわけだ。


 ローリアさんも、良かったわ、と言って胸をなでおろしている。


「暫くは安静にしていなさいね」

「はい」

「まぁ、そこはライオニアがしっかりやってくれるでしょうけど」


 ノアはローリアさんに真顔で、任せてくださいと言っている。

 私だって子供じゃないんだから、しばらく寝てたのにそんな無茶はしないって。


「フィラー公爵令嬢と、あの場にいた彼女の取り巻きは、北の監獄に送られたわ。20年しっかりそこで働けば、釈放されるわ」

「わぁ…」

「まぁライオニアの婚約者を殺害未遂だったのだから当然よね」

「当然です。むしろ一生いてもらいたい」


 ローリアさんの言葉に、その通りだと頷くノア。

 ちょっと重いような気もしたけど、そうか、殺害未遂になるのか…。

 ということは私を殺す気だったってこと?リゼット様は。


「私を殺す気にしては、疑われやすい状況を作ってたような…」

「そこはね、向こうの予定とは違ったのよ」


 あの茶会で私が毒を盛られたら、疑われるのは自分達なのに、そんな大胆に毒盛る?と思ったら、どうやら違うらしい。


「フィラー公爵令嬢は、あなたの淹れた紅茶を飲んで、自分が倒れる予定だったのよ。そしてそれをあなたのせいにするつもりだった」

「…ほう?」

「だから解毒薬も持っていたのに、貴方が毒を飲んでしまった。想定外でしょうね。」


 な、なるほど…。だからあれだけ私が飲もうとしたのを止めてたんだ…。

 自作自演で、私の罪をでっち上げようとしてたんだ、リゼット様。その手があったのか…。


「相変わらず、予想もつかないことをするのね、あなたは」


 ふふ、とローリアさんが笑う。

 褒められてると取っていいんだろうか。私も笑顔を返した。


「あと、アグリーさんも心配していたわ。後で呼んでくるから、安心させてあげて」

「はいっ」


 ミルムのことだ。怒られないか少しひやひやしてしまう。いや、ミルムが怒るのは私を思ってのことだから、受け止めないと。


「学園長、僕が彼女を呼んできます」

「あら、そう?」

「はい。その間にエミリアの朝ごはんを作ろうと思うので」

「……じゃあお願いするわ」


 ノアは私の頭を優しく撫でて、ドアから外に出ていった。

 ノアの後ろ姿を目で追ったローリアさんは、少しひきつった顔をした。


「……あの人、エミリアのご飯まで自分で作るの?」

「お昼のサンドイッチや、最近ではおやつも作ってくれますよ。美味しいんです」

「……そう。あなたがいいならいいんだけど」


 まぁいいわ、とローリアさんは私に向き直った。

 そしてさっきまでノアに包まれてた私の手を優しく握る。


「本当に目覚めて良かったわ。あなたがこんなにも目覚めないとは思わなかったもの」

「私の体はやっぱり少し違うんでしょうか…」

「まぁ全くではないと思うけどね。ほんの少し、違うんだと思うわ」


 異世界人の体だもんね。人間といえど、全く同じ種族だとは限らないよね。

 でも毒も効いたし、解毒薬も効いた。大体は同じだと思っていいだろう。


「私は…子供が出来るんでしょうか」


 私の体がここの人たちと違うと知って思ったのはそれだ。

 子供が出来なくちゃ、ノアと結婚してもなんの仕事も果たせない。守ってもらって子供も産めないなんてなったら、最悪すぎる。


「それは人それぞれな所があるから、断言は出来ないけれど…。種族的な問題なら大丈夫だと思うわ」

「なんでですか?」

「だって過去のあなたと同じ人は、子供を作って産んでるわ。だから大丈夫よ」


 安心させるような優しい微笑みを浮かべて、私を励ましてくれるローリアさん。それを見て私も、少し胸のつかえが取れた気がした。


「まぁ仮に出来なかったとしても、ライオニアはあなたを離さないと思うわ。昔ほど血筋を大事にはしていないし、養子でいいんじゃないかしら」

「そう…なんですかね…」

「そうよ。それにそういう不安は、できなかった時に抱きなさい。まだ何も始まってないのに不安がっても仕方ないわ」


 それもそうだ。ローリアさんの言葉に深く頷いた。

 まだ起きてもいないことを気にして心を曇らせるより、今目の前のことに目を向けなくては。



 少しして、こんこん、とノックの音が聞こえた。ローリアさんが返事をするとドアが開き、ミルムが顔を出した。


 ミルムは私の顔を見た途端に顔を歪ませて、私に飛びついてきた。


「エミリアぁぁ!!!」

「わっ、わわっ」


 一直線に飛んできたミルムを、ローリアさんは器用に避けて、私はミルムのタックルをもろに食らった。

 がしっと抱きつかれて、鼻をすする音が耳によく届いた。


「ばか、ばかぁぁ!!起きるの遅いのよ……!!」

「ごめ、ごめんね、ミルム。おはよう」

「おはようじゃないわよ…!!」


 うわぁぁん、と子供のように泣き出してしまい、私もどうしようかとあわあわしていると、ローリアさんが楽しそうに笑っているのが見えた。


 うぐ…私の状況を見て楽しんでるな?

 ローリアさんはミルムをどうにかしてくれる気は無さそうだから、私はミルムの背中を優しくさすった。


「ごめんねミルム。心配かけたね」

「ばかぁ…!なんで毒なんて、飲むのよ…!」

「知らなかったんだよー」

「怪しいんだから自重しなさいよ…!」


 ひっくひっく言いながらミルムが私に対して怒ってくる。

 ともあれ心配かけたのは私なので、ミルムの言い分を全て受け止めることにした。



 10分ほどしてミルムはやっと落ち着き、ベット脇の椅子に座る。ローリアさんはいつの間にか居なくなっていた。


「…次泣かせたら許さないって言ったわよね」

「ごめんって」

「……まぁいいわ。今回はエミリアが悪いわけじゃないし」


 腕を組んでふんぞり返っているミルム。

 待って?今回はって、いつも私が悪いみたいな…そんなことないよ、ね?


「…はぁ、今回は本当に、肝が冷えたわ」


 ふぅ、とミルムは胸を撫で下ろしている。その目には確かに涙のあとがあって、目も赤い。相当泣かせてしまったようだ。


 本当に、ご心配お掛けしまして…もう…ごめんしか言えない…。


「私もだけど、ノアゼット様も凄い気をもんでらしたのよ」

「う……」

「授業休んでずっとエミリアのそばに居て、寝る時もエミリアから離れなかったのよ。あまり食事もとっていないみたいだったし、何度もエミリアに話しかけていて…。…見てて痛々しかったわ」


 そんなに…。

 ミルムの話を聞くとノアがどれだけ心配してくれてたかがよく分かった。

 寝る時も私のそばにいた…。今朝みたいな感じで寝ていたんだろうか。ちゃんと寝れたのだろうか。


 心配かけたのは私だけど、ノアが心配になる。


「これに懲りたら、二度と怪しいことに首を突っ込まないでよ!」

「ぜ、善処します…」


 ビシッと人差し指を突きつけられて、迫力のある声で念を押された。有無を言わせない力強い目で、何も言えない。


 やっぱりミルムに叱られるの、怖いな…。




 少ししてノアが部屋に入ってくると、入れ替わりのようにミルムが退室した。

 ノアは手にお盆を持っていて、その上には深めのお皿がひとつと、コップと水差しが乗っている。


「食べられそう?」


 ベット脇の椅子に腰掛けたノアが私に聞いてきたので、お腹が空いてると答えればノアは安堵の笑みを浮かべて私にパン粥の入った器を手渡してくれた。


 ふーふーと息をふきかけて冷ましてから、口に運ぶ。

 うん、美味しい。ミルクの甘みがじんわり口に広がって、優しい味。


 パクパク食べ進める私を、ノアがずっと見ている。少し微笑んだまま、じっと見てる。


「ノアは食べないの?」

「後で食べるよ」


 平静さを装ったような笑みを浮かべるノア。


「でも、あんまり食べれてないって聞いたよ」

「エミリアが起きたから大丈夫だよ。後でちゃんと食べる」


 何を言っても引かなそうだ。私は諦めて目の前のパン粥を口に入れる。


「今はただ、エミリアが居ることを実感したいんだ」


 ノアから絞り出したような押し殺した声が聞こえた。


「ちゃんと起きてるって、生きてるって目に焼き付けたいんだ。大丈夫だって分かれば、お腹も空くから」

「……うん。……ごめんね」

「なんで謝るの?エミリアは悪いことしてないよ。むしろ見通しの甘かった僕の判断ミスかな。毒を使うことは無いと思ってしまったから」


 暗く沈んだ声で、ノアは言う。負い目を感じているような表情だ。


「違うよ。ノアは悪くないよ。悪いのは毒を用意したリゼット様でしょ?」

「ううん、リゼット様が毒を手に入れられる立場だってことを失念してた。驕り高ぶった僕のせいだ」

「違うよ!ノアのせいじゃないよ!」


 声をあげた。あまりにもノアが、自分のせいだと言って自分を責めるから。

 責めて欲しくなかった。ノアは悪くないのに。いつも私がノアに頼ってしまってるから。


「ノアは悪くないよ。…自分を責めないで」

「……でも」

「私は無事だったんだし、ね?次のことを考えよ?次こうならないように、対策を練ろうよ」


 落ち込むのはやめにしよう?私も謝るの終わりにして、次に備えるから。

 だってこれからも、守ってくれるんでしょ?


 そう言ってノアに笑顔を向けると、ノアは泣きそうな顔をうかべる。


「…次なんか来させないから。絶対に」

「私も、次がないように色々頑張るよ」


 ノアはゆっくりと表情をやわらげて、口角を少しあげる。眉はまだ下がったままだけど、少しは気持ちが上を向いたみたいだ。


 それを見て私も頬が緩む。


「ノア、ずっとそばに居てくれてありがとう」

「……当たり前だよ」


 ぷい、と少し顔を赤くしてそっぽを向いたノア。珍しく照れているようだ。

 レアなノアを見て、くすりと笑いが漏れた。

 私に笑われてなお恥ずかしそうにしたノアは、少し下を向いて声に決意を滲ませる。


「…離さないから」


 前まで逃がさないって言ってたのに、変わった。

 それはノアの決意が現れているようでもあった。


 私を離さない。たとえ死からでも守りきってみせると、そんな決意のように見える。

 その真剣な面持ちは、私の心を捕らえて離さない。


「…うん」


 離さないでと、思ってしまった。


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