捕まって欲しかった sideレイズ
コンコン、とドアをノックする音がした。次いで聞こえたのは「ノアゼット・ライオニアです」の声。
え、なんでノアゼット卿がここに?俺の部屋に?
と思いながらも、俺は扉を開けに向かう。
「少し話がしたいのですが、入っても?」
「どうぞ」
胡散臭い笑顔だ。殿下と同じ、作った笑顔。だけど自然に見えるから気味が悪い。
きっとこれを崩せるのは、エミリアさんだけだろう。
ノアゼット卿を部屋に入れて、ソファに勧めた。紅茶をいれようとすると、すぐに退室するので、と断られてしまう。
ただ話がしたくて来ただけだろう。それも平和な世間話ではなさそうだ。
ノアゼット卿は、俺の国も、他の国も欲しがるほどの人材だ。その歳にして宰相補佐の仕事を一部任されていて、知識も膨大な他、顔も広いし情報のネットワークも広い。
剣も魔法もお手の物で、どちらも国の騎士団のトップを狙えるレベルだ。
その魔力量も凄く、魔道具も詳しいため、彼に頼めば国宝級の物がいくつも出来上がるだろう。
知識も力も、どれをとっても天才。その見た目もとんでもないイケメンで、どこにも非がない。勝てるところが見当たらない。
そんな彼が、エミリアさんの婚約者。
俺の前世と同じ故郷を持つ、エミリアさんの、婚約者だ。
ノアゼット卿の目の前のソファに座る。
「話とは、なんでしょうか」
殿下ではなく、俺に話。しかも殿下の居ない時に。
殿下がエミリアさんに何かしないように忠告でもするつもりか?
「そんなに警戒しないでください。世間話をしに来ただけです」
「…そうですか」
わざわざ世間話をしに尋ねてくるわけがないだろ。
その顔からは何も読み取れない。本当に食えない男。
エミリアさんはこんな凄い男に好かれて大丈夫なのか?
エミリアさんは、俺の前世暮らしていた世界の住人。そこから突然トリップしてきた、この世界でのイレギュラーだ。
この世界ではまだ3年しか過ごしていないらしく、しかもそのほとんどをこの学園で過ごしてる。
この世界にまだ疎くて、ないはずの餡子の存在をうっかり口にしてしまうくらい、まだこの世界に染まってない。
きっと彼女は諦めていないんだな。帰れることを。
ここで18年過ごしてる俺ならわかる。帰れない。
彼女がどうやってきたのか分からないけど、こことあちらは繋がってない。
それこそ、神様の悪戯のようなものでも無ければ帰ることなんて叶わない。
だけどそれをはっきり言うのは少し酷なように思えて、言えてない。
きっと彼女も内心気付いているはずだ。気付いていて、気付かないふりをしたがってる。
認めたくないんだろう。諦めたくないんだろう。
ノアゼット卿は、そんな彼女を献身的に支えている。
エミリアさんの過去を聞かないし、多少おかしな所があっても知らないフリをしている。
すごく嫌だろうに、彼女が喜ぶから、ノアゼット卿がいない空間で俺が彼女と話すのも許してくれている。
そして彼女を未だに狙っているという貴族から、守ってる。
自分の全てをもって、守っている。
トリップ者からすれば、過ぎるくらいの保護者だろう。
でも、同じことを、殿下にも出来ると思った。いくらノアゼット卿が凄くても、殿下は王族で、ほとんどのものから守れるはずだ。
剣術はノアゼット卿ほどじゃないものの、魔法なら引けを取らないくらい強い方だ。
だから殿下でもいいだろうと思ってしまう。
殿下の初めての恋の相手。どうしても贔屓目に見てしまって、叶って欲しいとおもってしまう。
でもそれを決めるのはエミリアさんで。
エミリアさんはノアゼット卿を選んだ。
だから、しょうがないのだ。
「レイズ卿は、エミリアの故郷を知ってると聞きまして」
「…はい」
エミリアさんは、そこまで話すくらい、ノアゼット卿を信用しているんだな。
ただどこまで詳細を知ってるかは知らないから、余計なことを話さないようにせねば。
「エミリアの故郷の結婚について聞きたいのです」
「結婚…ですか」
何を聞かれるのかと身構えれば、結婚。
大方、今回のことで危機を覚えて結婚を早めようとしたのだろう。
「と言われましても…」
「どういう結婚をするのか、結婚する上でのしきたりなど、知っているものは出来れば全て聞きたいです。勿論、言わなくても構いませんが」
構わないといいつつ、言えという圧を感じる。
まぁこの世界に生まれ変わりなんてそもそもそういう概念がないから、どれだけ喋ろうとも前世とエミリアさんが繋がってるとは思わないだろう。
しかも今の俺を調べられても、おかしな所は見当たらないはずだし。
「私の知識で良ければ、話させていただきます」
「お願いします」
あくまで知識、と念をおく。意味があるかは分からないが。
「結婚式は、あまりこの国と変わりはないと思います。教会で神に誓いをたてる。そしてその後、親族や仲間に祝福されて短めのパーティをします」
神社とかでやる場合はまた別だけど、それはいいだろう。
洋式の結婚であれば、日本と変わらない。この世界の方が、神を信じているからか、誓いが割と本気なくらい。
「違いは…あぁ、初夜とかそういうものはなかった気がします。そんなに処女性を重んじるところではなかったような」
「ふむ」
ノアゼット卿は考えながらしっかり聞いている。ここまで結婚の話を大真面目に聞いているなんて、印象が変わるな。
「あと、ウェディングドレスは白が定番でしたかね」
「うぇでぃんぐドレス?」
「神に誓いをたてる時の、ドレスです。新郎も白いタキシードが主でした」
この世界では色に決まりはなく、大抵相手の瞳の色を纏うことが多い。でもエミリアさんはもしかしたら夢があるかもしれない。白いウェディングドレスに。
だからしっかり伝えておこう。
「他には…あっ、指輪」
「指輪?」
「神に誓いをたてたあと、神の前でお揃いの指輪を交換してました。普段使いできるシンプルなものを。」
これも伝えておこう。この世界にはそんな風潮はないけど。
「エミリアさんの故郷では、左手の薬指に指輪を嵌めることが、既婚者の証なんです。それを結婚式で、お互いの指に嵌めるのです」
「指輪を…。シンプルなものでいいんですね」
「はい。ほとんどの人は外すことは無いでしょう。お風呂に入る時も、寝る時も、ずっと付けるものなので、シンプルな方がいいんです」
職種とかによっては外す人もいるし、傷つけたくないから外す人もいる。どちらにせよ、シンプルな物が主流だ。
「材質とかは?」
「金かプラチナあたりが主流ですかね。宝石はつける人も居ますが、付けても飛び出てなくてさり気ないものがいいと思います」
なるほど、と頷くノアゼット卿。
格下の俺に聞きに来るほど、本当にエミリアさんが好きなんだな…。
「それくらいでしょうか、この国の違いといえば」
「…ふむ、分かりました。ありがとうございます」
軽くノアゼット卿が頭を下げる。この人に頭を下げられるなんて、と体がビクついてしまうものの、すぐに整える。
ノアゼット卿は満足したようで、そっと席をたった。
そしてドアに向かおうとして、振り返る。
「…エミリアとの結婚式を、半年後に行います」
「……はい」
「良ければレイズ卿にも、殿下にもご出席して頂きたく」
半年後…。思ったより早い。
そしてそれまでに殿下が立ち直れるかどうか…。
「…有難い申し出ですが、我々は国に帰ってしまうので、難しいかと」
「…そうですか」
彼の読めない表情は、何を考えているのだろう。
エミリアさんに懸想する殿下を結婚式に呼ぶのは、牽制か?もう絶対に手に入らないと諦めさせるためか?
…いや、ノアゼット卿ならわざわざそんなことはしなさそうだが…。むしろ来て欲しくないとさえ思いそうだが…。
そう考えてると、ノアゼット卿はポツリと呟く。
「…エミリアが、呼んだら来てくれるかな、と言っていたので…」
「…エミリアさんが」
「はい。……エミリアの知り合いは少ないので」
本当は来て欲しくないって声をしている。
だけどこの国に親族はおろか、結婚式に呼べるほどの知り合いもほとんどいないエミリアさんが、友人枠で俺らを招待したがっている。
「…殿下に伝えれば、行くと仰ると思います」
「……それは良かったです。また後日、連絡しますので」
「はい。お待ちしてます」
ノアゼット卿はそう言って部屋から出ていった。
色々あったから急遽帰国となった俺と殿下を、エミリアさんとノアゼット卿は見送りに来てくれた。
「来てくれたんだ」
「勿論来ますよ。具合はどうですか?」
「問題ないよ。足もそのうち治るよ」
エミリアさんは殿下の足の怪我を心配している。自分のせいで、と思っているようだ。
だけど気にしてもらえることに殿下は喜んでいる。
「私は治らないままでもいいんだけどね」
「殿下っ!」
「レイズがうるさいから早く治すことにするよ」
一国の王子が足に怪我を負ったままにさせられるか!
いくら殿下が、その傷がエミリアさんと殿下を繋ぐものだから消したくないとしても。
エミリアさんを守った証だとしても、治さなくてはいけない。
「巻き込んじゃってごめんね、エミリア」
「いえ、全然…。むしろ怪我させて…」
「君を守った名誉の勲章だろう?誇るべきことだ」
殿下は本気で誇っている。エミリアさんを守れたことを。
痛いくらい伝わる。その気持ちが、近くにいる俺には。
殿下の言葉が励ましの言葉だと思ったエミリアさんは今まで見たことない、花の咲くような可憐な笑顔を向けてお礼を言った。
それを殿下は眩しいものを見るように、目を細める。
眩しくて、手が届かなくて遠い。そんな顔をしている。
「…うん、その笑顔を見れただけでも、守ったかいがあるよ」
それでもその笑顔が向けられてるのが自分だから、殿下はそれに満足している。
その笑顔は、殿下にとって何ものにも替えられないものだ。
「?何ですか?」
「お礼を言われる方が気持ちいいよねって言ったんだ」
殿下の言葉が聞こえなかったエミリアさんは聞き返すも、殿下は誤魔化した。
「良かったら今度、私の国においで。どんな用でも歓迎するよ」
どんな用でも、に含みを感じるその言葉に、ノアゼット卿がすぐさま反応する。
ぐいっと見せつけるようにエミリアさんの肩を抱いて、威嚇してくる。
「お言葉ですが、殿下。エミリアがそちらに行くことは無いでしょう」
「えっ、行っちゃダメなの?」
ノアゼット卿の言葉に驚いて声を上げたのは、その腕の中にいるエミリアさんで、来る気満々のようだ。
「えっと…遊びにとか……行ける感じでは…ない?」
遊びに行くくらいならいいかなと思ったエミリアさんは、ノアゼット卿の反応を見て、そういうことはこの世界ではダメなのかと視線を泳がせた。
他国に遊びに行くのも、それで殿下を尋ねるのも、なんら悪いことは無い。友人として訪れても何もおかしくは無い。
ただ殿下の言葉に含みを感じたから、ノアゼット卿は断ったんだ。まぁ、エミリアさんに懸想してる殿下を近付けたくないという思いもあるだろうが。
エミリアさんの恐らく意図してない上目遣いに負けたのは当然、ノアゼット卿だ。
「……いずれ伺わせて頂きます」
「あはは、その時は盛大にもてなすよ」
悔しそうにノアゼット卿は、遊びに行くと約束した。それを見て殿下が楽しそうに笑う。
そして俺も、エミリアさんに話しかけた。
「エミリアさん、新しいレシピが出来ましたら、ノアゼット卿の家に送らせてもらいますので、ノアゼット卿から受け取ってください」
「ありがとうございます。私も書けたらノアに送ってもらいますね」
「楽しみにしてます」
エミリアさんとのレシピ交換は済んでない。だから今後は、ノアゼット卿宛にレシピを送って、それをエミリアさんに渡してもらう事になっている。逆も然り。
勿論ノアゼット卿にも了承済みだ。
「いいなぁ、私もエミリアから手紙貰いたいなぁ」
俺たちのやり取りを聞いて、殿下が呟いた。
「手紙じゃなくてレシピですけどね…。ご迷惑でないなら送りますよ?」
それを聞いて殿下が嬉しそうにぱっ、と顔を上げたけど、すいません殿下。それは阻止させていただきます。
「殿下!…エミリアさん、大丈夫です。むしろ変に勘繰られて、エミリアさんに迷惑がかかります」
「そうだよねぇ。残念」
この世界で貴族の男女が手紙を送り合うのは、そういう仲の人達だけだ。もしくはアピール中か。
エミリアさんはそんなことは知らないだろうから言ったんだろうけど、きっと殿下もそれに気付いていたから、手紙が欲しいなんて言ったんだ。
エミリアさんは知らないわけで、殿下もエミリアさんが知らないのをわかった上での手紙のやり取りだから、許してあげたい気持ちはある。
でも、王族への手紙は検分されるし、女性からとあれば尚更で、エミリアさんに被害が行く可能性もある。
ノアゼット卿を介してもいいけど、ノアゼット卿は許さないだろう。
「遊びに行った時に近況報告するので、我慢してください」
「分かったよ」
殿下も分かっているから、素直に諦めてくれた。
「殿下、そろそろ…」
馬車の御者が殿下に声をかける。どうやら出発の時間のようだ。
殿下は頷いて、2人に顔を向けた。
「今回は本当にありがとう。とても楽しい留学生活だったよ。ノアゼット、沢山邪魔して悪かったね。今でも我が国は歓迎するけど?」
「遠慮します」
「最後までつれないね」
まずはノアゼット卿に言葉を。挨拶のようにノアゼット卿を勧誘する言葉は、当初ほど本気さは感じられない。
きっとノアゼット卿も同じことを感じている。
そして次に、エミリアさんに向き直る。
「それとエミリア。私の問題に巻き込んで、本当に申し訳なかった。でも、あの2日間は今までで1番濃くて楽しい時間だったよ。ありがとう」
その言葉をどんな気持ちで告げているんだろうか。仕える主人の胸の内を想像すると、とても胸が痛い。
比喩でも多分でもなく、間違いなく殿下にとって一番記憶に残る日々だっただろう。
きっと一番幸せで一番苦しかった時間のはずだ。
「私も、楽しかったです」
「それは良かった」
親しい者にしか向けない素の笑顔をエミリアさんに向け、殿下は俺の肩に手を回す。
「じゃあ、そろそろ行くね。」
「殿下の行先に御加護がありますように」
ノアゼット卿から別れの挨拶を告げてくれて、進むかと思いきや殿下の足は進まない。
どうしたのかと思ったら、殿下はその足で、エミリアさんとの短い距離を縮めた。
そして頬に口つけた。
「なっ…!」
慌ててノアゼット卿がエミリアさんを抱き抱え、こちらを睨みつけてくる。
対するエミリアさんはぽかんとしていて、何が起こったか理解していないようだ。
殿下は満足そうな笑顔を浮かべて、彼らに背中を向けた。
「じゃあまた、いつか会おう」
「どうかな。最後に、爪痕残せたと思うんだけど」
馬車が出発して、殿下は俺にそう聞いてきた。
まぁ、爪痕は残っただろう。……ノアゼット卿に。
「殿下……恐らくエミリアさんは、あまり深く考えていないかと」
「ん?どういうこと?」
「エミリアさんが言っていたのですが、彼女の国の隣の国は、頬に口付けが挨拶らしいのです」
本当は隣じゃないけど、誤差だ。
だから多分…エミリアさんは挨拶だと思ったと思う。そしてそれをノアゼット卿も否定しないはずだ。
この世界で口付けは、どこにしたとしてもそれは愛を示すものでしかない。口ならば愛し合っている証拠で、その他の位置は愛を乞うものだ。
それをノアゼット卿がわざわざ教えて、エミリアさんの心に殿下を巣食わせるようなことはしないと思う。
俺の言葉に殿下はぽかんとして、やがて笑った。
「挨拶かぁ。うーん、やっぱり面白いね、あの子は」
「……そうですね」
「…当分、忘れられそうにないね」
窓の外を見ながら殿下は呟いた。
殿下の横顔は、敢えて見ないようにして俺は反対側の窓の外を見た。
悔しいくらいの晴天だった。




