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私は逃げたい  作者: 兎のうさぎ
本編
46/110

逃げない覚悟を2

 

 学園長室に迎えに来てくれて、寮の部屋まで送ってくれたノア。彼を部屋の中に入れて、少し固めのソファに横並びに座る。

 平民用の寮にはソファは1台しかないからね。


 私は決めたことを告げるために、言葉を模索していると、ノアは優しく手を握ってくれた。ゆっくりノアの顔を見ると、いつもの優しい顔がこちらを見ていた。


 うん、言おう。


「ローリアさんと、話してきた。結婚について、相談したよ」

「うん」

「ローリアさんにね、覚悟を決めなさいって言われた。その覚悟を決めるための時間制限を自分で設けなさいって」


 うん、と優しく相槌を打ってくれる。

 ノアの顔を見ながらはやりづらいから、私はノアが握ってくれてる手を見つめて話す。


「だからね、その……半年、待ってて欲しいの」

「半年?」

「……そう。それまでに、ちゃんと覚悟を決めるから。ここで生きていく覚悟をして、ちゃんと、ちゃんと……」


 ぎゅっ、とノアの手を強く握る。ぐっと奥歯を噛み締める。


「…帰ることを諦めるから、だからっ…ごめん…。半年……待って欲しい……」


 ぽたぽた涙が膝にたれる。ノアの手も濡らしている。


「ごめっ、わがままで、ごめん…。…でも、まだ諦められてなくて、まだ…まだ諦めたくなくてっ…。でもちゃんと諦めるから、ごめん…っ!」


 嗚咽がもれる。諦めるって言いながら泣いていたら、諦めてないも同然だ。

 わがまま言ってるのは分かってる。ノアに無理させることも、ノアを我慢させることも。


 分かってる……。酷いことしてるって。


 ノアは私に強く握られた手を離すことなく、もう片方の手で私を抱き寄せた。

 いつものノアの腕の中に収まって、安心感と申し訳なさで涙がどんどん溢れる。


「…いいよ、待つよ。ちゃんと待つ。僕は大丈夫だから、そんなに謝らないで」


 優しい声が耳に届く。なんでこんなに優しいんだろう。優しくしてくれるんだろう。私には何も無いのに。


「それに結婚しても、諦めなくていいんだよ。僕はエミリアを帰すことは出来ないけど、もしそんな方法が見つかったら、手紙くらいは送れるかもしれないでしょ?」


 え…?諦めなくても、いいの…?


「むしろ一緒に探していこう。エミリアがするのは、僕のものになる覚悟だけで十分だよ」

「…っ、ノア…っ」


 ノアにしがみついて、わんわん泣いた。

 赤ちゃんのように、何も気にしないで泣けるだけ泣いた。

 ノアはずっと、私の背中をさすってくれていた。




「大丈夫?」

「うっ…ぐす…ごめんね、ノア…」

「謝らないでって言ったよ?口塞いで欲しいの?」


 少し意地悪そうな顔でノアが言うから、くすりと笑いがもれた。それを見てノアも、優しく笑ってくれる。


 ノアの優しさに救われてばかりだ。


「きっとこれから先、何回も泣くと思う…。帰りたいって、諦めたくないって泣くと思う…」

「僕の前でなら泣いてもいいよ」

「……いいの?」

「勿論」


 むしろ歓迎だよ、とノアは言う。なんで泣かれて歓迎なのか、ノアの考えることは分からないなぁ。


 でも、ノアなら受け止めてくれるような気がする。

 こんな悪足掻きする私も、何度も泣く私も。どんな姿を見せても、優しく笑って受け止めてくれるような気が。


「…ありがとう、ノア」


 ノアのおかげで前がむける。まだ涙が滲むけど、進もうと思える。

 きっとここまで思えるのは、後にも先にもノアだけだろう。


「…また待たせるね。」

「そんなことない。当初の予定より早まったんだから嬉しいよ」


 明日にでも、って言ってたのに、そうやって私を励まそうとする。

 優しいノアに返せるものは何も持ってないから、困ってしまう。


 だから私はこの半年で、ノアのものになる覚悟もしよう。それが一番の報いな気がする。

 しっかり、地に足つけていくんだ。ちょっとくらいなら浮いても、ノアが引っ張ってくれる。


 大丈夫。私は1人じゃない。




 攫われて帰ってきてから2日経ち、週末の2日ある休みのうち2日目の日。

 王子様とレイズ様は、国に帰ることになった。


 王子様の怪我のこともあるし、王子様を攫った実行犯が留学生ということもあって、留学どころでは無くなってしまった。

 帰って実行犯を罰さないといけないし、王子様を攫えと命令した第2王子とも話をしないといけないらしい。


 予定よりも1ヶ月くらい早く留学が終わることになって、少し寂しい。折角王子様とも仲良くなれた気がしてきた所だったのに。


 結婚式、呼んだら来てくれるかなぁ、と呟くと、ノアは、来てくれるよ、と励ましてくれた。



 そして私とノアは、そのお見送りに来た。

 王子様はレイズ様の肩を借りて立っていて、元気そうにしてはいるけど、足の具合は変わり無さそうだ。


 近付くと王子様は私達に気づいて、手を振ってくれた。


「来てくれたんだ」

「勿論来ますよ。具合はどうですか?」

「問題ないよ。足もそのうち治るよ」


 あっけらかんとしている。そのうちって…。そのうちでいいの?

 えぇ、と思っていると、レイズ様が横から、全治1ヶ月です、と付け加えてくれた。


 あぁ、治る見込みがあるのか。良かった…。


「僕は治らないままでもいいんだけどね」

「殿下っ!」

「レイズがうるさいから早く治すことにするよ」


 レイズ様に叱られて楽しそうな王子様。その顔がいつもの作ったものには感じなくて、ほっとする。


「巻き込んじゃってごめんね、エミリア」

「いえ、全然…。むしろ怪我させて…」

「君を守った名誉の勲章だろう?誇るべきことだ」


 似たような言葉を、野宿してる時にも聞いたな。気を使わせないように、言ってくれてるんだ…。

 王子様も最初は分からなかったけど、優しい人だよね。


「…ありがとうございます」


 精一杯の笑顔で、お礼を言った。謝るよりも、こっちの方がいいってことだろう。


 王子様は眩しいものを見るように、目を細める。


「…うん、その笑顔を見れただけでも、守ったかいがあるよ」

「?何ですか?」

「お礼を言われる方が気持ちいいよねって言ったんだ」


 声が小さくて聞こえなかったところを、言い直してくれた。

 やっぱりそうか。お礼の方が嬉しいよね。


「良かったら今度、私の国においで。どんな用でも歓迎するよ」


 にこりと笑う王子様。その言葉には、私がどうしようもなくなったら、の意味も含まれているんだろう。

 とても有難いし、とても嬉しい。


「お言葉ですが、殿下。エミリアがそちらに行くことは無いでしょう」

「えっ、行っちゃダメなの?」

「えっ、行きたいの?」


 横からノアが私の肩を抱いて、王子様の言葉を否定したから、思わず声が漏れる。するとノアも驚いて私を見た。


「えっと…遊びにとか……行ける感じでは…ない?」


 どうしようもなくなったらもそうだけど、折角出会って仲良くなれたんだし、たまに遊びに行ったりして話くらいしたいと思ったんだけど。

 ノアはくっ、と何かを耐えるように手のひらで自分の顔を覆う。


「……いずれ伺わせて頂きます」

「あはは、その時は盛大にもてなすよ」


 苦虫を噛み潰したような顔でノアが言うと、それを見た王子様は楽しそうに笑った。


 良かった、遊びに行けるみたいだ。

 これで最後は悲しいもんね。


「エミリアさん、新しいレシピが出来ましたら、ノアゼット様の家に送らせてもらいますので、ノアゼット様から受け取ってください」

「ありがとうございます。私も書けたらノアに送ってもらいますね」

「楽しみにしてます」


 ふふ、とレイズ様と笑い合う。

 レイズ様とのレシピ交換は全部終わってないのだ。私も伝えてないレシピがあるし、逆も然り。


 でもレイズ様はノアに送ってくれると言うし、私もノアに頼めばレイズ様に送って貰えるだろう。

 楽しみだなぁ。


「いいなぁ、私もエミリアから手紙貰いたいなぁ」

「手紙じゃなくてレシピですけどね…。ご迷惑でないなら送りますよ?」

「殿下!…エミリアさん、大丈夫です。むしろ変に勘繰られて、エミリアさんに迷惑がかかります」

「そうだよねぇ。残念」


 どうやら王子様に手紙を送るのはまずいらしい。変に勘繰られるって言うくらいだから、王子様と恋愛してるとでも思われてしまうのだろうか。


 ううん、それはよくないね、たしかに。

 王子様にも良くないし、それで私を調べられるのも良くない。


「遊びに行った時に近況報告するので、我慢してください」

「分かったよ」


 仕方ないね、と王子様は言った。

 王子様も枷が多くて大変そうだ。少し可哀想にも思える。

 でもそれがこの世界だから、受け入れないと。


「殿下、そろそろ…」


 馬車の御者さんが、王子様に声をかけた。

 どうやら出発の時間のようだ。


 御者さんに頷いた王子様は、再びこちらに顔を向ける。


「今回は本当にありがとう。とても楽しい留学生活だったよ。ノアゼット、沢山邪魔して悪かったね。今でも我が国は歓迎するけど?」

「遠慮します」

「最後までつれないね」


 ノアは王子様の申し出を一言でピシャリと否定した。王子様は、分かっていたとばかりに笑う。


「それとエミリア。私の問題に巻き込んで、本当に申し訳なかった。でも、あの2日間は今までで1番濃くて楽しい時間だったよ。ありがとう」

「私も、楽しかったです」

「それは良かった」


 王子様のその笑顔は、あの野宿の時に見た、優しい素の笑顔。本当に楽しかったと思ってくれているのがわかる。

 私も楽しかった。きっと忘れない。


 王子様はレイズ様の肩に腕をまわす。

 どうやら馬車に向かうようだ。


「じゃあ、そろそろ行くね。」

「殿下の行先に御加護がありますように」


 ノアがそう言って答える。お元気で、みたいな事かな。

 じゃあ私も言おうと思ったら、王子様が私を見てにやりと笑った。


 ん?


「なっ…!」


 え?


 王子様、私のほっぺにキスした?


「じゃあまた、いつか会おう」


 ノアに抱き込まれてぽかんとしていると、それを見て満足そうに王子様は背中を向けた。

 そしてレイズ様の手を借りて、馬車に乗り込んでいく。


 ノアが私の頬をハンカチで優しく拭っているのを感じながら、王子様とレイズ様の乗った馬車が遠ざかるのを見送った。



「…やられた。エミリア、すぐ消毒するから」


 ノアが悔しげに顔をゆがめている。

 消毒って、王子様なのに…。


「大丈夫だよノア。変な意味はないと思うよ」

「…え?」

「私の故郷の近くの国にも、ほっぺにキスとハグが挨拶の国があったし、これもそれでしょ?だからそんな、消毒とか大丈夫だよ」


 挨拶しただけなのに、バイ菌扱いは可哀想だ。

 むしろこちらが喜ぶべきなのかも。王族にほっぺちゅー貰えたんだから。


「……そうだね。でも挨拶とはいえ、エミリアに他の男が触れたのは嫌だから、あとで上書きするね」

「う、うん」

「あと、あの挨拶をするのは、あの国の王族だけだから、間違ってもエミリアはやっちゃダメだよ」

「わ、分かった」


 食い気味にノアに言われ、うんうんと何度も頷いた。

 王族だけの挨拶かぁ。じゃあやっぱ喜ぶべきことだね。



 ちなみにそのあとノアの部屋で、顔中にキスの雨を降らされることになる。



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