逃げない覚悟を
次の日は、大事をとって学園を休んだ。そして何故か、ノアも休んだ。
ノアも学園を休んで、ずっと私の部屋で私のそばにいた。
昨日みたいな怖いことは一切しなくて、たまにキスしたり抱きしめたりするくらい。
その他はずっと、私とお喋りしたりノアの話を聞いたりしてただけだけど、不思議と時間が過ぎるのは早かった。
「そうだ、エミリア」
「ん?」
おやつの時間にノアが紅茶を入れてくれて、それとお菓子を食べながら、話をしていた。今日のおやつはスコーン。美味しい。
「僕らの結婚、早めない?」
「んっ?」
なんかさらっと凄いこと言われた気がする…気のせい?
スコーンを食べたあと、紅茶を口に入れる。パサついた口内が潤った。
「本当は卒業と同時を予定していたけど、今回のことで身に染みた。早く結婚しよう」
あ、気のせいじゃなかった。
結婚なんて私の中では割と重めのワードを出されて、聞き間違いだと思いたかったけどそうじゃなかった。
「ええっと…早くって、どのくらい?」
「できるだけ、早く。書類出すだけなら、今すぐにでも」
真面目な顔でじっ、と見つめられる。本気だ。
今私がいいよと言えば、きっと今すぐその書類を用意されて、結婚してしまう。
だけど…。
「まぁ急に言われてもすぐには決められないよね」
「……うん」
ノアは私の手を、両手で包む。優しく、撫でるように。
「今回エミリアが攫われて、しかも実行犯は隣国の王族だった。そしてエミリアには申し訳ないけど、今回のことをそいつに訴えても、躱されるだけだろうね」
相手が王族、しかも他国のとあれば、どうにでも逃げられるのだとノアは言う。
うん、分かってる。どうにかしてほしいとは思ってない。
「それにもしエミリアが国境を越えてしまってたら、僕はエミリアを取り戻すために時間がかかっていただろう。手遅れになっていたかもしれない」
「…うん」
「それはエミリアの立ち位置が婚約者で、あくまで平民だからだ」
ノアの婚約者でも、地位が平民だから。
だからなにも訴えられないし、取り戻すのにも時間がかかる、そういうことか。
「君を僕の妻にして、ライオニアの姓になれば、もっと迅速に動けるし、強気で向かってもそこまで問題にならないんだよ」
「だから、結婚を…」
「そう。それが1番の理由」
ノアはノアなりに考えて、提案してくれているんだ。
今回のような事が起こらないように、起こってももっと早く対応できるように。
反省して、対策をたててるんだ。
「他にも理由があるの?」
「うん。2つ目の理由は、確実に僕のものにしたいからだよ」
にこり、と笑うノア。
あ、また出た。僕のもの。
「でも結婚しても、エミリアが許すまで僕はエミリアの秘密は聞かないし、ベットを共にするような事もしないつもり。無理強いはしたくないからね」
その言葉を聞いて、少しほっとしてしまった。
結婚したその日にヤラせろって言われたらどうしようかと思った。むしろヤリたいから結婚したいのかとも思ってしまった。
そこは私にとって1番大事なところだから。
ノアは目に見えてほっとした私の頭を優しく撫でた。
「ただ僕は、エミリアが誰かに盗られないか心配なんだ。だから確たる証が欲しい。それだけだよ」
「…そっか…」
「うん。嫌がることはしないつもりだし、ちゃんと待つよ。エミリアの気持ちが育つまで、待てるから。だから、少し前向きに考えてくれるかな?」
優しく諭すように、ノアは言う。
ここまで考えてくれて、結婚後も私のことを待つつもりなんて、本当に、ノアは我慢するのが好きだな。
我慢しないでいいよって言ってあげられたらいいのに。こんな秘密が無ければ、言ってあげられるのに。
「…うん。ローリアさんにも相談していい?」
「もちろん」
私は目の前のノアの胸板に額を擦り付ける。
「…前向きに、考えるね」
そう言った私の頭を、ノアは優しく撫でてくれた。
夜ご飯を食べて、ノアがいなくなった部屋でポツリと呟く。
「結婚か…」
そのうちすると思ってた。ノアとも約束していたし、婚約ってそういうことだ。
だけどどこか現実味がなかった。思ってるだけで深く考えてなかった。
するかもしれないとしか思っていなかった。
結婚して、ライオニアの姓になる。
そうしたら私は、この世界の住人になる。なってしまう。
この世界にしっかり立とうとしていて、居場所を作りたいと思っていたはずなのに、いざ本当にこの世界の住人になると思うと尻込みする。
もう3年近く暮らしてるのに、まだここで生きる覚悟が出来てない。
魔法が生活の一部なこの世界。歌もなくて、ひとつの神様を信じているこの国。王政で、身分制度がある。馬や馬車で移動するのが一般的で、髪色がカラフルな人達がいる。
そんな所に私はいて、これからも生きていけるのか。
馴染んで、暮らしていけるのか。
腕に着いている腕輪を優しく撫でる。
これが無ければ私はあっという間に異質の存在。
たったこれを外すだけで、私はここに馴染めなくなる。
私が日本人である証拠を隠したまま、生きていくの?
両親に貰った姿を隠して?
「…はぁ……」
結婚したら、本当に戻れなくなるような、そんな気がしてしまう。
今でさえ戻れない確率の方が高いのに、その可能性を少しでも広げてしまう気がして、気持ちは進まない。
でもノアの言ってることもわかる。平民の私を守るのには限度がある。
それに予定を早めるだけ。それだけなのに。
…ローリアさんに、相談しよう。それしか方法はない。
私のこの煮え切らない思いも、ローリアさんなら受け止めてくれると思うから。
次の日は休みだったので、ローリアさんのところに来た。当たり前のようにノアが送ってくれて、迎えに来てくれる予定である。
ノアは私が悩んでることに気付いたけど、何も聞いては来なかった。
学園長室のソファに座って、ローリアさんが紅茶を入れてくれた。私の持ってきたお菓子をお皿に乗せてテーブルに置き、ローリアさんは向かいのソファに座る。
「どうしたの?浮かない顔ね」
紅茶を飲みながら、ローリアさんは言う。
私は今、誰が見ても浮かない顔をしてるとおもう。
昨日からずっと、考えて悩んで、纏まらない。
「……ノアに、結婚を早めようと言われました」
「…そう。まぁそう言われるのも無理ないわね」
私も紅茶に口をつける。うん、美味しい。
「言われてることは分かるんです。私のためになることも。ノアは結婚しても、私が良いと言うまで秘密も聞かないし、ベットを共にするような事もしないと言ってくれました」
「…あら」
「だから結婚したって今と変わらない。……なんですけど、どうにも……」
言葉が小さくなっていく。
どう言っていいのか分からない。色んな感情が織り込まれすぎて、言葉にできない。
「……怖いのね」
ローリアさんは、私の気持ちを怖いの一言にまとめてくれた。
そうだ。怖いんだ。
この世界で生きていくこと、あの世界に戻れなくなること、秘密を明かすこと、これからの未来も全部。
怖いのか、私は。
「気持ちは分かる…とは言えないけれど、理解はしてるつもりよ。いくらこの地に3年住んだからと言って、骨を埋める覚悟までは出来てないでしょう」
「…はい」
俯いて黙り込む私に、ローリアさんは優しい声で続ける。
「私個人の意見としては、早く結婚するのは賛成よ。ライオニアの言う事も分かるし、貴方の秘密も結婚してすぐじゃなくていいのなら尚更。結婚して秘密を説明して、そして対策を立てることも出来ると思うわ」
ローリアさんの口ぶりから、ノアが私を利用することは無いと信じているようだ。
でも、そうか…。説明して、エッチする前にその後について対策をたてられるのか…。
「それにドルトイもまだ諦めてはないでしょう。結婚してしまえば手を出しにくくなるし、少しでもなにかしようものならすぐに制裁を食らわせられるわ」
あぁ、そうだ。ドルトイもいるんだ…。ちょっと頭から抜けてた…。
ノアが徹底的に見張ってくれるから、最近気にすることが無くなっていた。
ノアのおかげで、気ままに過ごしていたんだなぁ…。
「だから結婚を早めるのは賛成よ。でも、貴方の気が進まないのも分かる」
「………」
「だから、あなたが期限を付けなさい」
私が、期限をつける?
ローリアさんは優しい眼差しで私を見る。
「あなたが覚悟できるまでの時間を考えなさい。そしてそれまではライオニアに待ってもらいましょう。それがたとえ卒業まででも、2年後、3年後でも、構わないのよ」
「でも、それじゃあ結婚が遅くなってないですか?」
「それでもいいの。あなたの抱える悩みは、理解しようにも理解しきれないの。それを飲み込んで立ち上がるのはあなたにしか出来ないのよ」
飲み込んで、立ち上がる…。
私はこの気持ちに整理をつけないといけない…。
「いつかは覚悟を決めなくてはいけないの。それは分かるわね」
「……はい」
「でもそれにかかる時間を、他者が強要しても無理に出来るものじゃない。だからあなたが決めるの」
覚悟できるまでの時間を。
私が、決める。
タイムリミットを。
気付けば目からポロポロと涙が出てきている。
なんで泣いてるんだろう、私。
ローリアさんに差し出されたハンカチを、目元に当てる。
…タイムリミットを自分で決めるなんて、自分に死刑宣告するみたいだ。
自分で、あの世界を諦めるリミットを決める。
なんて辛いんだろう。
でもいつかは諦めなきゃ行けない時がくる。元の世界に帰る手立ては今のところ何も無いのだから。希望を持つ方がおかしい。
だからやらないと。私がやらないといけないんだ。
私が私に、諦めろって言わないといけないんだ。
「…っ、ふ…」
嗚咽も漏れてきて、隣に移動してきたローリアさんが無言で背中をさすってくれた。
諦めたくない。帰りたい。でも、絶望的に近い。
覚悟しなきゃいけないのに、したくない。
嫌だ、帰りたい。ここで生きていくなんて、出来ない。
帰りたい…。
帰れない…。
「…きっとライオニアは、いつまででも待ってくれるわ。だから、気の済むまで悩んで、泣いていいのよ。受け止めることしか出来ないけど」
うん、きっとノアなら、私が3年待ってといえば待ってくれる。
結婚を早めたいと言ったけど、きっと待ってくれる。
苦しい思いも辛い思いもさせるだろうけど、それでもノアは自分を犠牲にして私を待ってくれる。
献身的な愛を受け取っておきながら、報いることが出来ない。
素直に、すぐ結婚しようと言ってあげられない。
だってわたしはこんなにも未練たらたらで、諦めきれてない。
ノアがいなかったら帰りたい云々じゃなかったくせに、どこにいるかも分からないドルトイから逃げることだけで精一杯だったくせに。
…なんてわがままなんだろう、私。
10分ほど泣けば、心も落ち着いてくる。
泣くのはストレス発散だと聞くけど、本当にそのようだ。
行き場のない悲しみが、少しだけ涙と一緒に流れてくれて、泣く前よりもクリアな気持ちで考えることが出来た。
「…半年。半年の間に、覚悟します」
「…そんなに短くていいの?」
ローリアさんは、数年だと思ったんだろう。でもそんなにノアを待たせるわけにもいかないし、私もずっとうだうだしてられない。
諦めるのはすごく辛いし心が痛くなるだろう。
でも、ずっと、希望を持ち続けたまま辛い思いをするのは、もっと嫌だ。
「半年で気持ちを整理します。……きっと時間を伸ばすと、余計辛いと思うので」
「……そうね」
ローリアさんは、あなたがいいなら、と言ってくれた。
私にとって1番信じられる人。親とも友達とも違う、恩人のローリアさん。
彼女に救われてばかりだ。
いや彼女だけじゃない。ノアにも、ミルムにも。グレン様も私を守ろうとしてくれてるし、ノアのお義母様も私を慰めてくれた。王子様も私を守ってくれたし、レイズ様も私の心を励ましてくれた。
大丈夫。覚悟、できる。
ここで生きていく覚悟と、この秘密と戦う覚悟がきっと出来る。
するしか、ないんだ。




