大人しく捕まって sideノアゼット
エミリアを寮のエミリアの部屋に運び、医者に診てもらう。体の怪我は擦り傷くらいで、それも軽いものばかり。良かった。
殿下が守ったから傷がないと思うと嫉妬でおかしくなりそうだが、エミリアに傷があったらきっと殿下を怒るんだろう。一体どうして欲しかったのか自分でも分からない。
エミリアを学園長に任せて、僕は殿下の部屋に向かった。
エミリアを守ってくれたことに対する礼と、口止めをするために。
「やぁ、ノアゼット。君にお見舞いに来て貰えるとは思わなかったよ」
「殿下、お加減は如何ですか」
「全治1ヶ月と言ったところかな。見た目ほど酷くはないよ」
「そうですか」
殿下のベットの隣にはレイズ卿が控えている。殿下は片足を台の上に乗せた状態でベットに腰掛けており、その足には包帯が巻かれている。
もう片方の足よりも太く見えるから、恐らく腫れているんだろう。
「エミリアの体調はどうだい?」
「問題ありません。元気です。医師からもそう言われました」
「そう。それは良かった」
良かったと言った時の殿下の顔は、本当にほっとしたような顔だった。
黒い気持ちがじんわり滲み出てくる。
「エミリアを守ってくださって、ありがとうございました」
気持ちを抑えて、殿下に頭を下げた。
顔を上げてと言われて顔を上げると、一瞬羨ましそうな目を向けられるも、殿下はすぐに顔を作った。
「私が巻き込んでしまったからね。こちらこそ危険な目に合わせてしまって申し訳ない」
「いえ…」
謝罪を受け入れる。
殿下が悪かったわけじゃないけど、原因はあった。だから受け入れた。
「殿下、エミリアの火起こしの技術についてですが…」
「あぁ、分かってるよ。他言はしない。靴の件もかな?」
「話が早くて助かります」
やっぱり分かっていたか。話が早くて助かるが、素直に喜べない。
どうにも、殿下とエミリアが2日間共に過ごしたということへの嫉妬が、思考を鈍らせる。
このままここに居ると、気が狂いそうだ。
「では、私はこの辺で…」
「ノアゼット」
早く退室しようとしたのに、呼び止められた。
その目はいつになく真剣で、圧などは感じられない。
何を言うつもりなんだ。エミリアのことが好きだと、僕に宣言するのか?
僕から奪うと、覚悟でも示すつもりか?
思わず鋭くなってた自分の目を殿下が見て、ふっ、と笑った。
「そんなに睨まないでくれ。君からエミリアを盗ろうとなんてしないよ」
「……殿下なら、それを出来るだけの権力もあるはずですが」
「しようと思えば出来るだろうね」
殿下なら無理やり手篭めに出来る。僕の家とこの国を敵に回せば、エミリア1人なら奪い取れる。そしてそのまま妊娠でもさせてしまえば、もう取り戻すことはできない。
想像もしたくない。鎮めていた黒い感情が溢れる。
「エミリアは捕まるのが嫌みたいなんだ」
殿下がそう言った。窓の外の景色を見ながら。
「きっと私が捕まえても、逃げられてしまうだろうね。どれだけ策を尽くしても、彼女は思いもよらない方法で逃げるだろう。」
遠くを見つめて思いを馳せるような横顔を、僕は見ている。可哀想だとかは思わない。彼の気持ちは分かりたくない。
「だからしないよ」
作った笑顔をこちらに向ける。
辛い気持ちを隠しての顔だと言うのが分かるから、レイズ卿も辛そうな顔をしてるんだろう。
「そうですか。それなら安心です」
油断は出来ないけど、今のところは奪うつもりは無いんだろう。ただ僕が少しでも隙を見せればやられるかもしれない。警戒は怠らない。
では、と言って退室しようとすると、また呼び止められてしまった。
今度はなんなんだ。
「ノアゼット、私は優しいからね。忠告しておこう」
「…何でしょう」
殿下を向けば、殿下はふふ、と少し自慢げな顔をうかべた。
「エミリアに、貞操概念をしっかり覚えさせておいた方がいい」
「……は?」
「私が後ろを向いてるからと、それだけで安心して服を脱いで絞っていたよ」
……は?服を脱いで、絞ってた?
殿下が後ろを向いただけで、それだけで安心して?
「それと、熱を出していたとはいえ、膝枕を自らしてくれた。……私の体調が悪くなければ、いくら私でも襲っていたよ」
「……っ」
告げられる言葉に息を飲む。
それはそうだ。好きな女が服を脱いで、膝を貸す。そんなの、我慢出来るはずが無い。
1歩間違えればエミリアを奪われていたその状況を思うだけで胸が張り裂けそうだ。
「……ご忠告、痛み入ります」
「あまり怖がらせないようにね」
「……失礼します」
最後に殿下の顔は見ることが出来なかった。
今すぐにエミリアの部屋に行きたい気持ちを抱えて、しかしミルムが尋ねてきていると聞いて、我慢した。
そしてミルムが退室した後、僕はエミリアの部屋に入る。
上半身だけ起こした状態でベットにいるエミリアは、僕の顔を見て嬉しそうに顔を綻ばせた。
僕は堪らずエミリアを抱きしめた。
「…本当に、無事でよかったよ…」
「…ノア…ありがとう」
腕の中にエミリアを捕らえて、逃がさないように強く抱きしめる。
エミリアが、取られなくて本当に良かった。だけど今回は運が良かっただけだ。
「エミリア、今回は凄く心配したんだ。生きてることもそうだし、エミリアが僕以外のものになってしまわないか、不安だった。」
「?」
「…ねぇ」
エミリアの体をそっと倒す。そして彼女の顔の両隣りに手を置いて、僕は上から見下ろした。
僕の下で彼女が困惑している。
「エミリアは、僕のものだよね?」
「え?えっと…」
「僕のものなんだよ」
僕のものじゃないと言われたくなくて、口を塞ぐ。いつもより乱暴なのは分かってる。だけど、止められない。
「この口も、その声も、この綺麗な髪も」
さらさらな茶色い髪をひと房とり、キスをする。
「君の全ては僕のものなんだよ、エミリア」
「…ノア?」
「なのに…」
僕のものになったでしょ?婚約したってことは、そういうことでしょ?
婚約に漕ぎ着けたのは無理矢理だったけど、こうしてキスも許してくれて、なのにまだ僕のものじゃないと言うの?
だから、そんなに危機感がないの?
「殿下の前で、下着姿になったの?」
「えっ…いや、後ろ向いてもらって」
「振り向いたら見えるでしょ?」
そんなに殿下を信用してた?それはそれで腹立たしい。
獲物を目の前にして、獲物が食えとばかりに腹を出してる状態だったということに、エミリアは気づかない。
「振り向くだけで見えるんだよ、ねぇ。僕がエミリアを脱がすよりも、よっぽど簡単なんだ」
「の、ノア…」
「それとも何かな。襲われても良かった?」
「そんなわけ…!」
間違っても、うん、なんて言葉は聞きたくなくて、彼女の言葉を封じ込める。
こんなキスを許してるのは僕だけだよね?殿下にこんなことされても良かったなんて、言わないよね?
「っは……ねぇ、この足も。この太ももに、殿下の頭を乗せたんでしょ?」
服の上からエミリアの体の線をなぞるように手を滑らせた。そして足首あたりからスカートの中に手を忍ばせる。
エミリアの体がぴくりと動いて、恥ずかしそうに、怖がるように、震えてる。
怯えたエミリアを見ても止まれず、それどころかそんな顔をさせるのは僕だけだと思うと嬉しくも思ってしまう。
さらりと太ももを撫でれば、エミリアの目が少し潤む。
柔らかい。すべすべで、引き締まっているのに、柔らかい。
「ノアっ…!」
「嫌?でも殿下の頭は乗せるんでしょ?なのに僕に触られるのは、嫌?」
殿下の頭は乗せられるのに、僕の手はダメなの?ぐっ、と怒りが込み上げてくる。
「あぁ…泣かないで。怖がらせたいわけじゃないんだよ」
目に溜まっていた涙が、エミリアの頬を伝う。それを優しく拭うも、エミリアの震えは止まらない。
あぁ、泣き顔も可愛いな。怖がらせたくはなかったけど、泣いてるエミリアも可愛い。
「やだ……ノア、怖い…」
「僕が怖い?でも僕も怖かったよ。君がこんなことをされていないか、怖くて仕方なかった」
こんなことになるなら、この柔らかい太ももに自分の証をつけておくべきだった。むしろ、全身僕のものだって全て余すところなく跡をつけておくべきだった。
君は僕のものなんだよって、エミリアに無理やりにでも分からせておけば良かった。
そう本気で思ったのに。
「ごめん…ごめん、ノア……。謝るから、いつものノアに戻って…っ」
ぽろぽろ涙を零して、エミリアが言う。怖がって震えているのに、僕を求めてる。いつもの僕がいいと、僕を欲してくれている。
視界がクリアになる気がした。黒い気持ちがさぁっと晴れた。
同時に、こんなに怖がらせて泣かせてしまったことに、罪悪感を覚えた。
「ノア…っ」
「……っ」
縋るように僕を見るエミリアを抱きしめた。
こんなに怯えさせたのに、まだ僕の名前を読んでくれるんだね。
「ごめん……八つ当たりだ。分かってる、エミリアは悪くない」
怖がらせたくないと、思っていたのに。だから今まで必死で押し込めて、我慢していたのに。
こんな怯えた顔が見たかったわけじゃないのに。
「…一緒にいたのは他国の王族だし、濡れた体で歩くよりは服を絞るのは賢明な判断だ。怪我で熱出た殿下を介護するために膝枕した事も、褒められるべき事だ。分かってはいるんだけど…っ」
頭ではわかってるつもりだった。緊急事態だったのだから、貞操云々言ってられないことも。
しかも相手は王族で、優先すべき存在。エミリアが殿下を看病してくれたから体調が酷くならないで済んだ。
分かってはいる、理解はしてる。
でも理解だけじゃ、気持ちは止まらない。
「……うん」
「僕が我慢してる事をいとも簡単に殿下ができると思ってしまうと、どうしようもなく……嫉妬してしまうんだ…っ」
エミリアの気持ちを待って、逃げられたくないからゆっくり進めていた。
その体に直接触れることも、我慢していた。
なのに、殿下が少しでもやる気になっていれば簡単にその体を暴けたなんて、悔しくて、羨ましくて、狡い。
「好きなんだ…誰よりもエミリアが好きなんだ…っ。他の誰にも、渡したくないっ!」
好きなんて言葉で僕の気持ちは表せないくらいなのに、当てはまる言葉がそれくらいしか見当たらない。
好きというには執着めいていて、病んでるといっても間違いじゃない。
「どうしようもないくらい…好きなんだ…」
縋るようにエミリアを抱きしめると彼女も強く抱き締め返してくれた。
「ごめんね、怖がらせて…」
気持ちが落ち着いて、エミリアに謝った。
すごく怖がらせた。泣かせた。震えるくらい怯えていた。
もう、触れることも許してくれないかもしれない。だとしても罪は甘んじて受けよう。そして二度と怖がらせないと約束しよう。
「まだ、怖い…?」
恐る恐る聞く。エミリアの表情は怖がってるようには見えないけど、内心は分からない。
と思っていたら、頷かれた。
「怖い」
「…そっか」
少しの絶望。仕方ない。自業自得だ。
「だから、優しく抱きしめて」
エミリアは僕に向けて、両手を広げた。
「いつもみたく優しく抱きしめて。いつもみたいに優しいキスして?」
優しい笑顔をエミリアが僕に向けてくれる。その目に恐怖はない。
触れることを、許してくれるの?抱きしめてキスしてもいいの?
あんなに怖がらせたのに?あんなに震えていたのに、まだ僕は君をこの腕に捕らえてもいいの?
今度こそ怖がらせないように、ゆっくり抱きしめて、その身を腕に閉じこめる。エミリアの力も抜けていて、身を委ねてくれているのがわかる。
少し抱きしめて、腕を離して頬に手を添えた。
エミリアは僕を見つめて、やがて目を閉じた。
その唇にキスをした。
触れるだけの優しいものを。
あぁ、許されてる。
それが嬉しくて、キスの後再びエミリアを抱きしめた。
あんなに震えていた体は、もう震えてない。それどころか怖がらせた本人に、委ねるように力が抜けている。
心の底から安堵した。許してくれてよかった。本当に、良かった…。
「…さっきのノアは、すごく怖かった」
「…ごめん」
ふふ、と笑いながらエミリアが言う。笑えることではないと思うんだけど、エミリアなりの励ましだと分かった。
「でもあれは、普段ノアが隠してる姿でしょ?……その、怖かったけど、こうしてくれたら許すから」
それは、どういうことだ…?
「だから……その、きっとまた怖くて震えるし、泣いちゃうかもしれないけど、ちゃんと許すから…」
また?またって言った?
また怖がらせても、許してくれるの?
「…また怖がらせてもいいの?」
「あんまり良くはないけど、無理に気持ちを押し込めないで欲しいというか…」
怖い思いをしたのはエミリアだというのに、甘すぎやしないか。
あの黒い感情に呑まれた僕も、僕だからと許すのか。
あんなに震えて泣いていたのに、あんな目にあっても、僕が気持ちを隠して押し込める方が嫌だと言うの?
エミリアから深い愛のようなものを感じて、泣きそうになる。
怖がらせたくないから、見せないようにしてた。
逃げられたくなくて、隠してた。
それを表に出してもエミリアは逃げないし、怖がらせても許してくれる。
ここ数日感じてた嫉妬が、焦燥感が、怒りが、水に流されるような、そんな気さえする。
「……うん、分かった。なるべく無いようにしたいけど、もしまた怖がらせちゃったら、優しく抱きしめて、優しくキスするから」
「うん。そしたら許すよ」
「…ありがとう」
きっとまた、怖がらせてしまうだろう。そして泣かせてしまうんだろう。
でも、エミリアは許してくれる。僕の気持ちを、受け止めようとしてくれてる。
なるべく抑えるつもりではいるけど、ここまで酷くなる前に、ここまでエミリアを怯えさせる前に、エミリアに受け止めてもらおう。
それだけできっと、軽くなれる。
あぁ、エミリア。
やっぱり君を離せそうにない。
だから、大人しく僕に捕まってて欲しい。




