捕まってくれない2 sideフリードリヒ
「…星が、綺麗」
エミリアが上を向いて言う。下から見てる私にその表情は分からないけど、どこか悲しそうにも聞こえる声だった。
「星ってなんなのか殿下は知ってますか?」
「ん?どういうこと?」
「何で出来てるか、とか、なんで空に浮いてるのか、とか…」
何を聞かれてるのか、分からなかった。まるで、何で出来ててなんで空に浮いてるのか知ってるかのような口ぶり。
なんだか彼女が遠くに行ってしまいそうな気がして焦る。
「……星は神が人間のために示した道標だよ。夜が暗くても、あの星のおかげで私たちは方向を確認できるんだ」
そう、聖典に記されている。有名なこの話を、知らないはずがないのに。
「…エミリアは、星が何で出来てると思ったの?」
「………私にも、分かりません。」
誤魔化したようにも聞こえた。彼女は今どんな顔をしているんだろう。見たいけど、だるいこの体がそうはさせてくれない。
なんとなくそれ以上聞いて欲しくなさそうな空気を感じて、話を変えることにした。
「エミリアは、どうしてノアゼットと婚約したの?」
エミリアはノアゼットを大切に思ってはいるようだが、ノアゼットからエミリアへの気持ちのように、恋愛の類は見られない。
それに私にすら歯向かうエミリアが、ノアゼットに迫られて屈するわけもないと思った。
ならば、なぜ?
「あー…ノアが、私の過去を知りたがってまして、教えなきゃ学園長を脅すよって脅されまして…。私と結婚したら教えてあげるといったら、捕まりました」
「…ん?ノアゼットは婚約を迫ってたんじゃないの?」
報告ではそうだったはずだ。数ヶ月に渡って婚約を迫り、ようやくこぎ着けたと聞いた。
なのになんでエミリアは結婚を条件にしたんだ?
少し気まずそうにエミリアは話した。
「それを私は真に受けてなくて…。ただ私を怪しんでるだけかと思い、結婚したらって言えば引くと思って…。」
なんてことだ。鈍いにも程がある。ノアゼットの求婚を真に受けてなかっただって?
「それは…ちょっと可哀想だね」
「捕まった私がですよね?」
「いや、気付いて貰えなかったノアゼットが」
そう言うとエミリアは、顔を顰める。なんでノアゼットが可哀想なんだ、と言わんばかりだ。
同じ気持ちを私も抱えてるから分かるんだよ。可哀想だ。あの時のノアゼットも、今の私も。
「はは、でも今は仲良いんでしょう?」
「良い…と思います。私も納得してますし、彼の思いも分かってるつもりです」
「それなら、彼の思いも報われたかな」
「そうだといいですけど」
私と同じように気付いて貰えず、囲おうとして過去を調べあげて、それが出てこないから聞き出そうとしたんだろう。それで婚約出来てしまうなんて、彼はなんて運がいいんだろう。
それでいいなら、私だって…。
「エミリア、もし、もしも私が……」
「はい」
もし私が同じことをしてたら、婚約してくれてた?
「……いいや、なんでもないや」
もしもを考えてその先を妄想したって、辛くなるだけだ。余計に苦しむだけだ。そんなことは起こり得ないし、これから先もない。
「もしこうだったらなんて考えるのは無駄でしかないよね」
「殿下…」
「過去は変えられない。未来しか変わらないからね」
未来。私とエミリアが交わる未来なんて、ほとんどないだろう。
きっとノアゼットはエミリアを離さない。そしてエミリアも離れようとはしない。
きっとその未来は、私がどう足掻いたって変わらない。
焚き火を見つめながら私はどうやら寝ていたようで、起きるとエミリアに声をかけられた。
起き上がれるくらい体調は良くなったし、寒気も収まった。きっと火とエミリアの体温が暖かかったんだろう。
そこまで考えて、気づいた。
「まだ燃えてる…。エミリア、寝た?」
「合間合間に寝てますよ。大丈夫です」
なんてことだ。ほとんど寝ずに火の番をしてたって事じゃないか。
燃え尽きてしまうと朝方寒くなるから、起きて枝をくべてくれたんだろう。
その理由はきっと、私が熱を出したからだ。
健康であるなら、少し肌寒いくらいの気温だから、無理に火を保たせる必要はないのに。
「ちゃんと寝ないと。今から少しでもいいから寝て」
「でも、行かないと」
「まだ大丈夫だから。火も私が見張ってる。だから、寝て」
それでもなお寝ようとしないエミリアをなんとか説き伏せる。
そして私は自分の太ももに、エミリアの頭を乗せた。
「交代ね。今度は私が枕の番だ」
「なんて贅沢な…」
「お姫様、この枕の寝心地はいかがですか?」
「ちょっと硬いです…」
「あはは」
そんな軽口を最後に、エミリアはすぐに寝入ってしまう。眠かっただろう。川を泳いで火を起こして、魚もとったんだ。疲れただろう。
目の前にある焚き火は燃えている。寝る前と変わらずに。
エミリアの傍には、枝がいくつも置いてある。これを定期的に火にくべて、燃え尽きないようにしていたんだろう。
そこまでして私のために頑張ってくれたのは、私が王子だからなのか?それとも、私という存在だからなのか?
どちらか分からないけど、ただ私のためにしてくれたということが嬉しかった。
足にエミリアの重みを感じる。その柔らかい髪の毛をさらりと撫でた。
在り来りな色の髪なのに、なんでこんなに輝いて見えるかな。なんでこんなに触りたくなるんだろう。
私の腕の中にいるも同然なのに、手に入らない。こんなに近いのに、遠い。
決して届かない想いが、とても苦しい。
こんな想い、知りたくなかった。気付きたくなかった。絶対に手に入らないのに。
ノアゼットはきっと今までエミリアを守ってきた。過去にエミリアを誘拐した人から、二度と攫われないように守ってきた。
学園はほとんど全ての人が、エミリアとノアゼットを認めてた。きっとあれも、ノアゼットの仕業だろう。エミリアを守るために。
そうやってエミリアを守ってることを、恐らくエミリアは知ってるはずだ。だからノアゼットを受け入れているし、彼の思いも受け止めてる。
そこに私が入る隙間はない。
きっとこれから一生。
もしもノアゼットより先にエミリアに会えてたら、彼女は私のものになっていたんだろうか。
この小さな体を抱きしめる権利があったんだろうか。
もしもなんて考えても無駄だって、昨日もエミリアに言ったばかりなのに、自分が納得できてないじゃないか。
未練がましくて嫌になる。
私の想いなど露ほども考えてないエミリアは、すやすやと私の膝の上で寝ている。君の寝ている枕こそが、1番危険だと言うのに、そんなに安心するような寝顔を見せられると何も出来ないじゃないか。
小さくため息をついて、その滑らかなおでこにそっと口付けた。
すまない、ノアゼット。
今だけだから。今だけ、彼女を守る役目をやらせてくれ。
君が来たら返すから。
今だけは、私がエミリアを守りたい。
3時間ほどして、エミリアは目を覚ました。起きてすぐに私の膝から居なくなってしまって、暖かさがなくなって寂しく感じる。
エミリアはテキパキと動いて火を消すと、私に肩を貸してくれた。
今までで1番エミリアの顔が近くて、緊張する。川に濡れて1晩外で過ごしたのに、エミリアからはいい匂いがする。
抱きしめたい。今ならできる。この小さな頼りがいある体を、腕の中に閉じ込めたい。
閉じ込めて、想いを告げて、そしたら君はどんな顔をする?その時だけは、君の心は私でいっぱいになってくれる?
なんて、1人で歩くこともままならないくせに、そんなダサいことは出来ない。私だって男だ。そんなプライドが崩れるようなことは。
と思ったのに、彼女に背負われている。おぶられている。
仕方ない。プライドを捨てろと言われて背中を向けてくれた。彼女の優しさを無に返すわけにはいかない。
小さな背中に身を預けると、彼女は思ったより重く感じたようで、少し辛そうにした。
そりゃそうだ。彼女より30センチは背が高いし、筋肉もそこそこある。重いにきまってる。
それでもなんとかバランスを保って、彼女は歩き出した。
凄いな。私をおぶっても、進めるのか。
「凄いね、鍛えてるの?」
私が聞くと、彼女は息を整えながら声を出す。
「はい。鍛えて、ますっ。」
「なんでか聞いてもいい?」
「誘拐されたときの、ためですっ」
その返事に思わず笑ってしまった。靴に仕込んだナイフと言い、火起こしの知識と言い、彼女はどれだけ誘拐を想定しているんだか。
「誘拐されたことを想定にそこまでするのは、なかなか凄いよ。普通はそんなに誘拐されないはずなんだけどな」
過去に彼女を誘拐した犯人は、まだ彼女を諦めていないようだ。
だからそんなに備えてるんだろう。
でもノアゼットもいるし、そんなに簡単に誘拐されそうにも思えないが。
「まぁエミリアを誘拐したくなるのは気持ちわかる」
「どういう事ですか!?」
「あはは、そういう所かな」
こんなに刺激的で可愛くて、表情豊かで。
彼女の虜になる人は多いだろう。きっとあの学園にも沢山いたはずだ。
そのどれもを、ノアゼットは潰してきたんだろう。
だから攫いたくなる気持ちも分かる。
私だって今魔法が使えて怪我もなかったら攫ってしまいたい。攫って閉じ込めて、私だけを見て欲しい。
その色んなことに興味を示してキラキラしてる瞳を、自分にだけ向けさせたい。
だから、攫いたい気持ちがわかってしまうんだ。
「どうしようもなくなったら」
ぽつり、呟いた。
「その人が諦めてくれなくて、ノアゼットにもどうにも出来なかったら、うちにおいで」
きっとないもしもの未来の話。
ノアゼットにもどうしようも出来ないくらい、逃げられなくなってしまったら。
その時は、私のところに逃げてきて欲しい。
「でも、ノアは…」
「君だけでもいいよ。ノアゼットがいなくても、私は君を助けるよ」
エミリアはまだ、ノアゼットが欲しくてエミリアを引き入れようとしてると思ってるんだろう。
だけどもう、そうではなくなってしまった。
ノアゼットがいなくても、エミリアが欲しくなってしまった。
「覚えておいて。私という避難場所があるってことを。その時は私も、全力で君を守ると誓うよ」
その時がもしやってきたら、絶対に守る。兄たちを蹴落として王になってでも、君を守る。
「ありがとうございます。いざとなったら避難させてもらいます」
「…うん。待ってる」
きっと来ないその時を、待っていたい。
程なくして人里をみつけ、私たちは助けてもらった。
用意された部屋に寝かされ、手当のできる人を呼んでもらえて、応急処置をしてもらった。
食べ物も出してもらい、服も用意してもらった。
食べ物を貰ってエミリアは凄く美味しそうに食べていた。一日ぶりのまともなご飯だからだろう。
だけど私は、このスープを飲んでなお、エミリアに焼いてもらったあの魚が1番美味しいと感じた。
この村には首輪を外せるほどの人がいなく、伝書を飛ばせる人もいない。
私達の現状を助けてもらうには、明日に訪れる行商人に伝書を頼むしか無さそうだ。
まだ、エミリアと一緒にいられる。
エミリアは早く帰りたいだろうけど、私はこの状態を喜んでしまった。
だが夕方、騎士が尋ねてきた。この領地を治める伯爵の騎士だ。
まぁ、さすがに見つかるよね。
まだ一緒にいられると思った時間は、急にタイムリミットが明日になり、残念だったのは言うまでもない。
楽しかった。とても楽しかった。
楽しかったし、幸せだったし、苦しくもあった逃走劇だった。
でも私がここで何を言っても何をしても、エミリアは明日ノアゼットの元に帰る。
それは変わらない。
過去は変わらないし、時も止まらない。この幸せは永遠じゃない。
幸せだったからこそ、それが明日までという事に打ちひしがれる。そして手に入らないからこそ、余計に欲しくなる。
あぁ、さらってしまいたい。
でも僕が君を誘拐しても、君はきっと逃げるんだろうな。
僕の思いつかない方法で逃げて、ノアゼットの元に帰るんだろう。
それとも、攫ったのが僕なら、理由を話せば絆されてくれるだろうか。なんだかんだ優しい子だ。情に流されて、攫われてくれるかもしれない。
そんな暗い気持ちが心を巡ったけど、彼女が素敵な笑顔で楽しかったなんて言うから、そんな暗い気持ちも吹き飛んで、楽しかったなら仕方ないか、と思ってしまった。
次の日、朝食を食べて直ぐに騎士が迎えに来た。早いなと思いながらも騎士の手を借りて立ち上がる。もうエミリアに肩を借りることは無い。
少し寂しく感じて、握手を求めた。きっと最後の握手だろう。
そう思ったものの、エミリアは握手くらいいつでも、と言って手を握る。
ただの握手ならいつでも出来るだろう。ただ、私は次にその手を握ったら、きっともう離せないから、これが最後なんだ。
家を出て村の外に向かえば、騎士と馬車が待っていた。そしてその先頭にいたノアゼットは私達の姿を確認するなり、走ってきた。
そして勢いよくエミリアのことを抱きしめた。
エミリアの名を呼びながら、その小さな体を躊躇いもなく抱きしめて、それを許されている。
それが今は凄く羨ましくて、届かなくて歯がゆい。
そんな2人の姿を尻目に見て、私は歩き出した。
「殿下!」
レイズが私に駆け寄ってきた。
その顔は凄く私を心配してくれてる顔で、私を支えてくれてる騎士と交代して私を支えてくれた。
「お怪我が酷いと聞きました。大丈夫ですか…!」
「問題ないよ」
これはエミリアを守った証だから。僕が彼女を守った、その確かな証拠だ。
きっと一生この足が使えなくなっても、後悔はない。
「…殿下」
私の表情から何かを察したレイズが、私を呼ぶ。
なんだい、と笑顔を向けるものの、レイズは痛々しいものを見る目を向けてくる。
そんなに私の姿は痛々しいかい。
それとも、私の顔が、辛そうに見えるかい。
「…何も言わないでくれ。私は満足だよ」
「ですが、殿下なら…っ」
「無理矢理手篭めに出来るって?無理だよ」
私の地位なら、彼女をノアゼットから奪うことは出来るだろう。ライオニアやこの国を敵に回すだろうけど、無理ではない。
だけど無理なんだ。出来ない。出来たとしても。
「エミリアは逃げるのが得意なんだ。だからきっと、逃げられてしまうよ」
エミリアがノアゼットに捕まったまま、逃げないでいるのは、それを許しているからだ。
そうでなければ逃げるだろう。今回のように。きっと私が同じことをしても。
「殿下……」
「そんな顔しないで。私は辛いけど、後悔してないよ。これだけ私は人を愛せるんだと気付けたんだ。いい事じゃないか」
過去は変わらないのだから、後悔なんてしない。
辛いし幸せとは言えないけど、私はこんなにも1人の女性を愛せた。それは素晴らしいことだ。
この先彼女の存在が薄くなって、他の女性を愛せるかはまだ分からないけど、彼女を愛したことは、私の人生で1番の幸運だ。
「……だから、これは、足が痛いだけなんだ」
下を向いて、強く噛み締める。
目にこみ上がってくるものを耐えるように。
「…そうです、殿下は足が凄く痛いんですよね。分かってます」
理解したレイズは、そのまま何も言わなかった。
足も心も、全部痛い。
痛すぎて涙が滲んでも、私は乗り越えて進まないといけない。私に従う者たちのためにも。そして私の愛したエミリアの為にも。
きっと来ないいつかのために。




