僕は捕まえたい sideノアゼット
彼女のことは知っていた。この学園にいる平民たちに好かれていて、一部の下位貴族からも好かれている、孤児の子だと。
魔力はそこそこ高くて、勉強に人一倍熱心で、テストも割と上位の方。平民の中では1番上だ。かと言って真面目な印象はなく、そこが好かれる要素らしい。
彼女の事を知りたいと思ったのは入学して1年たった頃。3階の研究室を借りてた僕が窓際で魔道具の作成をしていた時だ。開いてた窓から話し声が聞こえてきた。
ちらりと窓から外を覗き込んで下を確認すると、男爵家長男のロット・バーナードと、平民の中で人気のエミリア・ライドだった。
特に害は無いと思って顔を引っ込めたが、彼らの会話は聞こえてきた。
「だから!あなたはミルムのこと好きなの?それともちょっかい出してるだけなの?どっち!!」
「ぐっ、なんで俺がそんなこと」
「好きなら態度を改めろって言ってるの!無理矢理ミルムを自分のものにして嬉しいの?好かれたいと思わないの?」
…どうやらロット・バーナードは、ミルムという人が好きらしい。そして権力を盾に迫ってるらしい。
それを、エミリア・ライドが注意してる…というところか?
「…っ、好かれたいに決まってるだろ!」
「じゃああの俺様なのやめなよ。あなたそもそもそんな人じゃないでしょ?」
「ぐっ…」
「ほんとにミルムが好きなら協力してあげるけど」
…会話が気になってしまう。
窓を閉めるか悩んだけど、エミリア・ライドが敬語も使わず貴族に突っかかってるのを聞いて、なんだかその先が気になってしまった。
「…本当に?協力してくれるのか?」
「アドバイスするだけだよ。私がアドバイスしても、ミルムの心を動かせるわけじゃないし、保証はしない。でも、今よりは全然いい関係になれると思うよ」
「……何でそこまでしてくれるんだ」
「ミルムは私の友達だからね。変なやつなら近付かせたくないけど、あなたは変な人に該当しないから」
なるほど。こうやってエミリア・ライドは人の信頼、好意を得ていくのか。少し感心してしまった。
そして彼らは協力関係を結び、2日後にまたここで会う約束をしてその場を解散した。
2日後、僕はまた同じところにいた。
何故か分からないが、彼らのことが気になるのだ。
研究室の窓際に座って少しすると、話し声が聞こえるようになった。ちらりと覗くと、今日はあの二人に加えてもう1人男がいた。
「なんで関係ないやつ連れてきてんだよ!?」
「だってあなたと二人で会ってるの噂されたくないからね。それがミルムの耳に入ったら、騙されたって思っちゃうんだよ?」
たしかに。いくらここが誰にも見られない場所だとしても、何処に目があるか分からない。現に僕も見て聞いてるわけだし。
「エミリアに立ち会って欲しいって言われて着いてきました、ユーリ・グラスです。僕は口出さないし、ここでの事は口外しないので、居ないものとして扱ってください」
ユーリ・グラスと名乗った男は平民だ。おそらくエミリア・ライドの友達なのだろう。
「まず、あなたは俺様でグイグイ行くのを止めること。そういうタイプじゃないでしょ?いつも通りでいいの」
「いつも通り…」
「そう。ミルムさんこんにちは、友達になってくださいでいいんだよ」
「でも俺は友達じゃなくて…!」
「早い早い。知らない人に付き合ってって言われてうんなんて言うわけないでしょ。まずは友達からだよ。相手のことを知るのもあるし自分のことを知ってもらうためにも、友達からね」
宣言通り、ユーリ・グラスは一言も話さず、エミリア・ライドが言葉をまくし立てる。どうやら本当にちゃんと応援してるようだ。
「大事なのはあなたの事も教えてあげること。どんなことをするのが好きで、何が嫌いか。あなたのことを知らないと、ミルムも判断できないよ」
「き、嫌いなことなんて…」
「たしか数学が苦手だったよね?ミルムに教えてもらうのもいいかも。ミルムは歴史が苦手だし、あなた歴史は普通でしょ?教えてあげて」
「何で知って…」
「人に聞いたからね。とりあえず、勉強会っていうのはいいかもしれない。うん、それ目指そう」
エミリア・ライドなりにロット・バーナードを調べてきたようだ。なるほど、彼女は人心掌握だけでなく、そこから情報を得ることも出来るのか。
エミリア・ライドの言うことをロット・バーナードもしっかり聞いて頷いていて、早くも信頼関係が結ばれているように見えた。
そこから数回、その3人のことを研究室から聞き耳立てていた。
ロット・バーナードはエミリア・ライドの言うことを聞いて、ちゃんと関係が進んでいるようだった。でも決してロット・バーナードの性格を潰すアドバスではなく、彼女は頻りに「あなたらしくいて」と言っていた。
そして最初の覗きから3ヶ月。2人は結ばれたらしい。数日前に告白の予定を立てていて、今日例の2人が手を繋いでいるところを見た。
これでエミリア・ライドの役目は終わり、もうあそこには来なくなる。
何故かそれが寂しく思えた。
それから僕は、エミリア・ライドが気になるようになってしまった。いや、厳密に言うと最初に覗いた時から気になってた。だけどあそこで会わなくなって、より一層気になるようになった。
気づけば探してるし、見つけると見てしまう。成績発表も彼女の名前を探してしまうし、無意識に彼女の情報を追いかけていた。
「なに、お前エミリア嬢のこと好きなの?」
お前エミリア嬢のことずっと見てるよな。
幼なじみのグレンにそう言われた時、僕は答えられなかった。
好き?これは好きという感情なのか?
「…分からない」
好きになったことがないから分からない。この感情は何なんだろう。
「珍しいな、お前がそんなに気にしてるなんて」
「僕も戸惑ってるんだ。これが何なのか分からないんだ」
「へぇ」
僕が知りたいくらいだ。彼女に聞いたら教えてくれるだろうか。
面白そうに笑うグレンに腹が立つ。
「じゃーこのグレン様がその答えを教えてあげよう」
「…ムカつくな」
「まぁまぁ、待てって。エミリア嬢への気持ちをそのまま声に出してみな」
エミリア・ライドへの気持ちを?
「…気になるんだ。見つけたら目で追ってしまうし、居なくても探してしまう。彼女が誰かと話してるとイライラしてくるし、それが男なら尚更だ。あまりにも僕の心の平穏を乱すから、もういっそのこと閉じ込めてしまおうかと思ってるんだ。そうしたら僕はこの気持ちを彼女に聞くことができるし、彼女が誰かと話さなければ僕の心も乱されないし…」
「待て待て待て」
おい、まだ話してる途中なんだけど?
慌てたようにストップをかけたグレンを睨む。
「待て、ノアゼット。お前そういう奴だったのか」
「なんだよそういう奴って。僕は僕だ」
「いやぁ、やばいなこれは。うん」
なにか1人で納得してるグレン。
いらっとするが、エミリア・ライドが男と話してる時程じゃない。
「いいか、ノアゼット。とりあえずお前のエミリア嬢への気持ちはきっと、恋だと思う」
「…恋…」
「そう。エミリア嬢が他の奴と、ましてや男と話してるのを見て嫌なのは、嫉妬だ」
嫉妬。これが嫉妬。
心にすとん、ときた気がする。
「ただ、閉じ込めるのはダメだ。絶対だめだ」
「なんで」
「彼女の心が手に入らなくなるからだ」
別に彼女の心なんて。
「いらないとか言うなよ。俺だってお前に幸せになって欲しいんだ。お前だって、彼女に好きと言って貰えたら嬉しいだろ?」
好きと言って貰えたら?
頭の中にその瞬間の想像が生まれた。
人に囲まれて笑う彼女が、僕だけを見て、僕だけに好きと言って笑う。
それは、最高かもしれない。
「たしかに想像したら最高だった」
「だろ?でも閉じ込めるとそれは得られない。絶対に」
ふぅん。ひとまずグレンの言うことを聞いておこうか。
「だからまずは仲良くなるんだ。お前の顔と地位ならそう時間はかからないだろ」
「なるほど」
そういえば彼女も、ロット・バーナードにアドバイスしてたな。
まずは友達から、だったっけ?
あの時のアドバイスを、僕もすればいいんだ。
あくまで僕らしく。
「ありがとうグレン。頑張るよ」
「応援してるぜ。閉じ込めるのは絶対だめだからな」
「分かったって」
グレンと話した次の日。僕は帰りに1人で寮に向かってる彼女に声をかける。人が多いところで友達になってと言うのは良くないと、彼女はロット・バーナードに言っていた。だから僕も人を避けてたらこんな時間になってしまった。
呼び止めて、名前を言って、友達になってと言った。
そしたらごめんなさいと言われた。
…なんで?
聞くと彼女は、高位の貴族とは関わりたくないそうだ。だからごめんなさいと。
謝られ、僕のことを拒絶したのに、彼女の目に僕がいることに喜びを感じた。今だけは彼女は僕のことを見て考えてくれてる。それが嬉しかった。
何度か頼んだけどダメだった。でも諦めない。
友達じゃなくても、仲は深められるよね?
そう思った僕は、友達という関係は諦めた。
彼女を見かけたら挨拶をして、それとなく世間話をする。お昼を一人で食べてたら偶然を装って無理やりそこに居座る。図書室で勉強していたら、僕も近くに座って一緒に勉強をした。
彼女が男と話してるとさりげなく声をかけて蹴散らしたり、明らかに彼女のことが好きであろう男には直接諦めてって言いに行ったりした。彼女にバレないように、こっそり。
最初こそ逃げるように躱してた彼女だけど、次第に諦めて、傍によっても逃げることはしなくなった。
少し近付けたかな、と思った僕は、彼女の好きなものをリサーチして、贈った。断りづらいように、花なら小さめの花束か1輪、お菓子ならそんなに高くないものをさりげなく。そして贈る頻度もそんなに多くなく。
断りたそうにしながらも受け取ってくれた。グレンによると、高いものは絶対受け取ってくれないからやめとけとの事だから、そこは気をつけた。
そんなことを続けても、彼女はこちらに好意を向けてはくれなかった。多分、嫌いじゃないけど、くらいだ。
やっぱり友達にはなれないと言われるし、彼女から声はかけて来ない。
じゃあやっぱ周りから囲むしかないかなと思い、彼女のことを調べた。学園の生徒はもうほとんどが、僕の彼女への気持ちに気付いてる。だから最近は彼女に近づく男はいなくなったし、エミリアのことを教えてくれる人も増えた。
もうこの学園に彼女の逃げ場はない。あとは外にも逃げられなくすればいい。
彼女の実家、家族構成、親の職業。全て抑えれば完璧だ。
そう思ったのに。
それらひとつも出てこなかった。
グレンにも頼んで調べてもらっても出てこなかった。
侯爵家の力でも、グレンのいる公爵家の力でも、出てこなかった。
辛うじて掴めたのは、彼女は何かから逃げてきて、騎士に助けられ、学園長と出会い、学園長が後見人になって入学したこと。
その前の事がひとつも出てこなかった。
彼女の名前を全部の街や村から調べさせたけど、出て来なかった。彼女の名前が行方不明になってることも無かった。
では孤児なのか。なら孤児院に預ければ良かったのでは?学園に入りたいならそこからでも入学できる。学園長が後見人になる理由がわからない。
学園長の遠い親戚とかの線も考えたけど、どれだけ学園長の家系を調べても、彼女は出てこない。
あらゆる町の孤児たちに話を聞いても、エミリアという名の茶髪の女は出てこない。
彼女に軽く探りを入れるように他国の話をした。そこから分かったのは、彼女はこの国を出たことがないということ。つまり他国の人間ではない。
この国の人間なのに、彼女を知る人がいない。




