地位の高い人から逃げたい
「こんにちは、エミリアさん」
「こんにちは、レイズ様」
放課後、学園長室で待ってると、レイズ様がやってきた。私はもうソファに座っていて、レイズ様はデスクに向かってるローリアさんに一言言うと、私の前に座る。
「すいません、お昼にノアゼット様を借りてしまって」
「気にしないでください」
レイズ様がしたくてしてる訳じゃないと思うし。
謝るレイズ様を止めて、紅茶を差し出した。レイズ様はお礼を言ってそれを受け取る。
「婚約者とはいえ、私が独り占めは出来ないですからね」
したいとも思ってませんけど。
そう思いながらクッキーをパクリ。サクサクして美味しい…。
「そう言っていただけると助かります」
「いえいえ。あ、これ、思い出したレシピです」
謝罪の空気感を変えたくて、話を変えてレイズ様に紙の束を渡した。レイズ様はそれに乗ってくれて、紙を受け取ってお菓子モードに入る。
「モンブラン、チーズケーキ…レアチーズケーキまで!うわ、こんなに沢山…。ありがとうございます!」
「うろ覚えや大体の分量ですいません」
「いえいえ、ここまで分かってればどうにかなります」
しっかりレシピを読んで頷くレイズ様。彼はお菓子職人になった方が良かったんじゃないか…?
それは貴族という家がやっぱり許さないのだろうか。
うん…でも、そこを聞くのは野暮だな。踏み込むべきじゃないな。
「あ、俺もこれをどうぞ。」
「わ、ありがとうございます!」
代わりに受け取った、和菓子のレシピ。カステラやわらび餅なんかもある。思ったよりも沢山あって、作るのが楽しみだ。
作り方も結構細かく書いてくれている。分からないところは料理人さんと応相談だな。
「作るの楽しみです。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。このレシピも、詳細が分かったら教えますね」
「お願いします!」
嬉しいなぁ…。わぁ、金平糖もある。私好きなんだよねぇ…。うわ、めっちゃ手間かかってる!こんなに時間かかるんだ…。
もらったレシピを見てふむふむ頷く。
「ノアゼット様に作って差し上げるのですか?」
ふと、レイズ様にそんなことを聞かれた。
婚約者だし、そう思うのは普通のことだ。
「いえ、一緒に作ります」
「え、一緒に?」
レイズ様は目を丸くした。あのノアゼット様が?とか言ってる。気持ちは分かる。
私は苦笑しながら話し続けた。
「理由はよく分からなかったんですけど、一緒にやりたいみたいで。彼、料理上手なんですよ。よくサンドイッチ作ってくれますし」
「あ…そうでしたね、手作りでしたね」
しかもただ挟むだけのサンドイッチばかりじゃないんだよ。寮でやれることは限られてるけど、それでも味のバランスが最高だったり、手作りのソースがかかってたり、チリコンカンが入ってたこともあった。あれも手作りだと言ってた。
想像以上にハイスペック男なのだ、ノアは。
女の私の立つ瀬がないくらい。
「ノアゼット様は、本当にエミリアさんが大事なのですね」
「そうですね、大事にしてもらってます」
「エミリアさんもですか?」
「…大切な存在ではあります」
大事に出来てるかは分からないけど、私にとってノアは大切な存在。それはもう、揺らがない。
まだ信じれてなかったりしちゃうけど、それでもノアが大切。できる限り大事にしたい。
「良かったです。守ってくれる人がいて。異世界トリップなんて、女性なら尚更、守ってくれる人がいないと危険ですしね」
レイズ様は心配してくれてたんだろうか。同じ故郷を持つものとして。
確かにただの異世界トリップでも、この世界で女が1人で生きていくのは大変かもしれない。
ローリアさんもノアも言わないけど、きっとこの世界のこの国にだって闇の部分はあると思う。平民の友人からは、スラムがどうの、人身売買がどうのって聞いたことあるし。
上手いこと住み込みで働けるところにたどり着ければいいけど、そうじゃなきゃどんな目にあってるか。警察みたいなところに駆け込んでも、保護してくれる訳ではなさそうだし。
むしろ怪しまれて捕まる?
「心配して下さってありがとうございます。ローリアさんもいますし、私は安全に暮らしてます」
お礼をいえば、レイズ様は微笑みを返してくれた。
そして私たちはまた、お菓子の話に花を咲かせる。
トントントン、とドアをノックする音がした。時計を見るとノアが来るまであと20分はある。
誰かな、と思ってるとドアの向こうからは知ってる声がした。
「トルディームです。入っても?」
「どうぞ」
あの王子様の声で、名乗られたのは王子様の家名だった。レイズ様は少し驚いた顔をしていたので、レイズ様も彼が来ることは知らなかったみたいだ。
ローリアさんが入室許可の言葉を出せば、扉は開かれてそこから王子様が顔を出す。
王子様は入って私達を見つけると、私達の方に歩いてきた。
「ここならエミリア嬢と話が出来ると思って。学園長、私も二人の会話に参加しても?」
「二人がいいなら私には何も言えないわ」
そして目を向けられたので、私もレイズ様も頷くしかない。
許可された王子様はニコリと笑って、主賓席に座る。
「ノアゼットのいない所で、1度エミリア嬢と話したいと思ってたんだよね」
「私ですか?」
なぜ私?私を勧誘するのはレイズ様の役目じゃないのか?
王子様に興味を持ってもらえる何かなんて、私はもってないよ?
疑問に思いつつ、同じ部屋にはローリアさんもいるから大丈夫と心を落ち着ける。
「まぁただの世間話だから、そんなに警戒しないで」
「はぁ、分かりました」
そう言われると余計警戒してしまうんですが…。
王子様の表情は変わらない。考えてることを悟らせないようになんだろうけど、ちょっと気味が悪くも見えてしまう。
「エミリア嬢は、トルディームのことはどれぐらい知ってる?」
優雅に紅茶を飲む姿は、ノアを彷彿とさせる。
「すいません、全くと言っていいほど知りません」
「それもそうか。3年前にこの国に来たんだっけ?」
あー…もう調べられてるってことですか…。
なるほど、ノアの勧誘は中々本気らしいな。婚約者の私のことまで調べるなんて。
「はい、そうです。そちらの国も行ったことありません」
「そのようだね」
まぁ少し予想はしてたからそんなに驚きはしなかったけど、あまりいい気持ちではないなぁ。
向かいのレイズ様は少し居心地悪そうにしてるし。
「君は貴族から逃げてるんでしょ?ノアゼットが排除できないくらいの貴族から。なら一緒にトルディームに渡るのはどう?絶対に守るから」
変わらない笑顔でそう言う王子様。その読めない顔が、信用ならない。
分かってはいたけど、それを引き合いに出されるのは少しむかつくな。
「有難いですが遠慮します。私はこの国で生きるので精一杯なので、他国に渡る余裕はありません」
「他国って言っても変わらないよ?君は今までと同じことをしてればいいだけだ。難しくないよ」
「すいません」
中々下がらない王子様に謝罪の言葉を口にする。諦めが悪いなぁと思うけど、それだけ本気なんだからまだ油断はできない。
私がこの国から出るつもりはないってこと、分かってもらわないと。
「でもさ、考えてごらんよ。この国に戻れないわけじゃないんだから、国内で息を潜めるより、他国に行ってのびのび過ごしてたほうが良くないかい?その間に君を狙う貴族を糾弾すればいい」
王子様の顔は変わらず笑顔のまま、諦める気は皆無だ。
これをノアが来るまで躱し続けられるかどうか。でも王子様も躱せる攻撃しかしないなんてことはないだろう。
私がはい、と言えるような何かを、例えば脅しとかを用意しているかもしれない。
「ね?何も難しくないだろう?むしろ自由になれるんだ。いい事ばかりじゃないか」
今頷かないと、王子様が優しくしてくれるのはここまでな気がする。
だけど私は、負ける訳にはいかないんだ。
私のためにも、私を守ろうとしてくれる人のためにも。
「どれがいい事なのか、決めるのは私です。あなたではありません」
まっすぐ王子様の目を見て言った。
王子様は優しげな笑顔から少しずつ表情を消して、威圧感のある目を向ける。
逸らさない。逸らしたら負けだ。
「この国でも自由を謳歌してます。糾弾はここでも出来ます。心配して下さってありがとうございます」
目を逸らさないで、言い切る。
どちらも目を逸らさない。にらめっこって言えば可愛いけど、そんなもんじゃない。
もっと、鋭い。いつかグレン様に忠告された時よりも、怖い。
その目が、すぅっ、と細められる。
「そう…。なら仕方ないか。じゃあ私は、君を狙う貴族に協力してあげようかな」
「っ、殿下!」
レイズ様が声をあげた。
私の身の上を知ってるから、可哀想だと思ったんだろう。だけど王子様が片手をスっ、とあげると、レイズ様も口を噤んでしまう。
予想はできてた。大丈夫。私はまだ、戦える。
「お好きにどうぞ」
「ふぅん?いいんだ?」
「はい。絶対逃げ切りますので」
こういう時がいつか来ることも想像はしてた。それが早まるだけ。問題は無い。
逃げる。逃げるために、この3年間自分を鍛えた。
知識も蓄えたし、筋力も体力もつけた。護身術も教わったし、縛られた時の抜け方なんかも習った。魔法だって使えるようになった。
絶対に、逃げる。
強い決意を胸に抱いて王子様の目を見つめる。5秒くらい見つめあって、王子様は目元を和らげて、ふふ、と笑う。
「ごめんごめん、さすがにそれは冗談だよ。」
「…いえ、冗談で良かったです」
本気だったと思うけどな。
私も王子様から目を逸らして、いつの間にか固く握りしめてた手から力を抜いた。手のひらに爪がくい込んでたみたいで痛い。
「いやぁ、さすがノアゼットが選ぶだけあるね。私の脅しにも屈しないかぁ」
「殿下、さすがにやりすぎです」
「はは、ここまで手強いと思わなかったんだよ」
レイズ様に窘められている王子様。
王子様はいつもの優しい顔に戻って、私に笑顔を向ける。
「参ったなぁ。君をやり込めるのはかなり大変そうだ。腕がなるね」
「……恐縮です」
「その思ってないけどって正直な顔もいいね。」
え、何。褒められてるの?それとも嫌味?
王子様の言葉が理解しきれない。
は?って顔をした私を見て満足気に頷いた王子様は、立ち上がった。
「さぁ、そろそろ私とレイズはお暇するよ。ノアゼットが迎えに来た時に私がいると怒られそうだ」
「はぁ、そうですか」
いなくても居たことは言うから明日辺り怒られそうだけどね。ざまぁみろだけど。
レイズ様も立ち上がって王子様に続く。王子様はローリアさんに一言告げて、レイズ様が開けてあげたドアに向かう。
そこで私に振り返った。
「じゃあまた話そうね、エミリア」
手を振って、帰って行った。
…ん?
「今呼び捨てにされてたわね」
「ですよね…?」
ローリアさんが言った言葉に首を傾げる。
なんで急に呼び捨て?
この世界は親しい仲にならないと呼び捨てなんてないのに。親しい仲になんてなってないはずなのに。
どういうことだ?
唸る私にローリアさんが言う。
「気に入られてしまったんじゃないかしら」
「えっ」
ちょっとそれは困る。なんで?楯突いただけなのに?
「なんでこの世界の貴族は、反抗すると喜ぶの…?」
「それはちょっと偏見よ、エミ」
あなたの周りがそうだからそう思うのも分かるけど、とローリアさんは言った。
だってノアも脅してきて、反抗したのに気に入られたし、王子様もそうだ。
どういうこと?俺に靡かないなんておもしれぇ女、ってやつ?
いやいやいや、そんなの求めてないしそんなつもりじゃないし!
「……あなたは変な人を惹き付ける魅力があるのね」
「褒めてないですよねそれ!!」
そんな魅力は嫌だと言うも、ローリアさんは面白そうに笑っただけだった。




